ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『博士の愛した数式』

2006-08-24 14:18:11 | わたしの読書

『博士の愛した数式』 小川洋子

ようやく、私の順番がまわってきた!『麦ふみクーツェ』を読んで以来、ずっと、求めてきた本。もちろん、図書館員さんの「次に予約が入っていますから。」の一言つきだったのだが、私は、ようやく、この本を手に入れることができた。
でも、読み終われるかなあ・・・。図書館員さんの一言に、一瞬、たじろいだ私だったが、なんの!2日間で読み終えてしまった。まるで、「博士」の数式の世界に引っ張られるように、あっという間に、最後の一頁にたどり着いてしまったのだ。

これは、記憶が80分しか持たない博士と、家政婦、そしてその息子の√(ルート)の日常について描かれた物語。
身体に貼り付けられた「僕の記憶は80分しかもたない」というメモ。毎朝、そのメモを見つけ、自分の病気を知り、絶望に打ちひしがれる博士。そして、その80分を大切に、博士と向き合う家政婦。博士の病気を理解しながらも、博士への尊敬の気持ちを忘れない、息子「ルート」。

3人の愛情に満ちた日常に、最後まで幸せな気持ちでいられたことが、何より素晴らしかった。やっぱり、ハッピーエンドは、いいなあ。
それでも、俗物の私は、物語の途中で、何度か、家政婦の博士への愛情は、いったい何だろう?と、考えてしまったのだが・・・。そして、その度に、そう考えた自分の愚かさに嫌気がさした。これは、そんなものを通り越した愛の物語なんだ。きっと。
人が人を愛する素晴らしさ。崇高さ。そして、人が、何かを愛する(もちろん、この物語では、数字)素晴らしさ。崇高さ。

恥ずかしながら、超文系の私は、物語の全般を通して、何度も頭をひねった箇所があった。素数?自然数?それ、なんだっけ?どうやって求めるんだっけ?
正直、最後まで、理解に苦しむ箇所もあったのだが、読み終わったあと、なにやら数字が愛おしくてたまらなくなった。28を見つけると、最高にラッキーな気持ちがしてくる。ああ、完全数だ!って(笑)

博士の解く数式を読んでいて、ふと、自分の幼い頃を思い出した。
私が生まれたのは、何もない田舎町だった。だから、洋服を買いにいくにも、本を買いにいくにも、3つ離れた駅まで出かけなくてはいけなかったのだ。まだ硬券だった電車の切符に押された四つの数字。私は、目的地につくまで、それを、いじくりまわすのが好きだった。
足したり、引いたり、かけたり、割ったり。
むちゃくちゃに数字をいじりながら、その4つの数字を10にするという遊びが、私の何よりの楽しみだった。何の意味もなさない計算。でも、それが楽しくて仕方がなかった。簡単に10になってしまうと、妹と切符を交換して、さらに計算した。

高校生になって、数学や物理が、何より嫌いになってしまった私だけれど、数学の元になっているのは、もしかしたら、あの幼いときの私の興味、そのものなのかもしれない。そんなことを、ぼんやりと考えた。
数学をやっている人が聞いたら、大笑いされてしまうかもしれないけど・・・。
昨日の新聞で、数学者のノーベル賞とも言われる章を、ある数学者が辞退したという記事を読んだ。なにやら、数学づいている気がしちゃうなあ。ちょっと、勉強でもしてみようかしら?
あは。この本の数式が理解できないようじゃあ、ちょっと、無理があるかな