『博士の愛した数式』 小川洋子
ようやく、私の順番がまわってきた!『麦ふみクーツェ』を読んで以来、ずっと、求めてきた本。もちろん、図書館員さんの「次に予約が入っていますから。」の一言つきだったのだが、私は、ようやく、この本を手に入れることができた。
でも、読み終われるかなあ・・・。図書館員さんの一言に、一瞬、たじろいだ私だったが、なんの!2日間で読み終えてしまった。まるで、「博士」の数式の世界に引っ張られるように、あっという間に、最後の一頁にたどり着いてしまったのだ。
これは、記憶が80分しか持たない博士と、家政婦、そしてその息子の√(ルート)の日常について描かれた物語。
身体に貼り付けられた「僕の記憶は80分しかもたない」というメモ。毎朝、そのメモを見つけ、自分の病気を知り、絶望に打ちひしがれる博士。そして、その80分を大切に、博士と向き合う家政婦。博士の病気を理解しながらも、博士への尊敬の気持ちを忘れない、息子「ルート」。
3人の愛情に満ちた日常に、最後まで幸せな気持ちでいられたことが、何より素晴らしかった。やっぱり、ハッピーエンドは、いいなあ。
それでも、俗物の私は、物語の途中で、何度か、家政婦の博士への愛情は、いったい何だろう?と、考えてしまったのだが・・・。そして、その度に、そう考えた自分の愚かさに嫌気がさした。これは、そんなものを通り越した愛の物語なんだ。きっと。
人が人を愛する素晴らしさ。崇高さ。そして、人が、何かを愛する(もちろん、この物語では、数字)素晴らしさ。崇高さ。
恥ずかしながら、超文系の私は、物語の全般を通して、何度も頭をひねった箇所があった。素数?自然数?それ、なんだっけ?どうやって求めるんだっけ?
正直、最後まで、理解に苦しむ箇所もあったのだが、読み終わったあと、なにやら数字が愛おしくてたまらなくなった。28を見つけると、最高にラッキーな気持ちがしてくる。ああ、完全数だ!って(笑)
博士の解く数式を読んでいて、ふと、自分の幼い頃を思い出した。
私が生まれたのは、何もない田舎町だった。だから、洋服を買いにいくにも、本を買いにいくにも、3つ離れた駅まで出かけなくてはいけなかったのだ。まだ硬券だった電車の切符に押された四つの数字。私は、目的地につくまで、それを、いじくりまわすのが好きだった。
足したり、引いたり、かけたり、割ったり。
むちゃくちゃに数字をいじりながら、その4つの数字を10にするという遊びが、私の何よりの楽しみだった。何の意味もなさない計算。でも、それが楽しくて仕方がなかった。簡単に10になってしまうと、妹と切符を交換して、さらに計算した。
高校生になって、数学や物理が、何より嫌いになってしまった私だけれど、数学の元になっているのは、もしかしたら、あの幼いときの私の興味、そのものなのかもしれない。そんなことを、ぼんやりと考えた。
数学をやっている人が聞いたら、大笑いされてしまうかもしれないけど・・・。
昨日の新聞で、数学者のノーベル賞とも言われる章を、ある数学者が辞退したという記事を読んだ。なにやら、数学づいている気がしちゃうなあ。ちょっと、勉強でもしてみようかしら?
あは。この本の数式が理解できないようじゃあ、ちょっと、無理があるかな
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もう本当に驚きました。
まさか同じ幼稚園のお母さまだったとは・・
どなたなのかは今の時点ではわからなくて
すみません。。
同じ市内ですからきっといつかお会いできる
機会もありますよね。
それまではブログでのおつきあいのほど
どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m
残暑が厳しいです。お体の方、大切になさって
くださいね。
また遊びにきます♪
(でも、この本読んだ訳ではないので心配ですが・・・同じ病名ですよね?)
本人の辛さはもちろんのこと、周りの人の愛情っていうのが大きいように思う。でも、物語ってすごく綺麗です。
私の友人は、ご主人が事故に遭い10分前の記憶がないという体になりました。先方のご家族の勧めもあり彼女自身が心を病んでしまったこともあり、結局離婚しました。きっと本や映画にならない現実です。自分と置き換えて考えるのは恐ろしいような現実が、きっとたくさんあって、耐え続けている人たちがたくさんいるんだなぁって思います。
あ、会社なのに語ってしまった(笑)
「素数」がわからないので、あえて数式には触れません(苦笑)
4+6=10になる算数より、10になる式を考える算数の方が好きです。
数字の世界はいつでも完璧で、私達人間が持つよこしまな心や損得勘定が入り込む余地のない美しい世界だよね。
まるで亡霊の様な虚数の世界を知った時の感動をありありと思い出しました。
数字は人間が言葉として認識したものだけれど、博士の言うように私達が認識する前から数は存在する。
まるで私達の命のようではないでしょうか!
昨日お休みだったので図書館に行って「妊娠カレンダー」「密やかな結晶」を借りてきちゃいました。妊娠カレンダーは恐怖していたほど怖くなかったです。今晩読む予定のドミトリィに期待。
私も若い女性作家の本ってあまり得意じゃなかったけどおかげさまで苦手意識克服できそうです!
やっぱり人に紹介してもらって読む本っていいですね。安心して読めます。
博士が、記憶がリセットされるたびに『僕は記憶が80分しかもたない』という張り紙をみて、悲しい事実を認識する、というくだりに、とても切なくなりました。
映画はまだみてないのだけど、ぜひ見てみたいです。
それに、私は、あの頃、病気の娘にかかりっきりで、息子は、いつも「お預かり」だったし、行事にも参加できませんでしたから。たぶん、パパとおばあちゃんの顔の方をご存知かも!(笑)
双葉書道会では、不思議な出会いやツナガリが、数々報告されているようです。これも、何かの縁ですね!きっと。
これからも、よろしくお願いします!
この本でも、家政婦を雇うのは、たぶん(想像だけど)、数学者を愛している義姉さんなのです。ずっと、一緒にいたら、きっと耐えられないんだろうなあと思う。
物語では、家政婦を雇う訳ですが、実際は、そうできない人も多いんでしょうね。そうやって、家族を支える仕組みや風土が、日本という国は、遅れていますね。
会社なのに、語って頂いてありがとうございます(笑)!私って、語るの大好きな人なのです。つられて長文失礼しました
でも、そうかもね。私たちは、目に見えぬDNAの配置によって出来ている訳だから?、すべては、数式によって存在するのかもしれませぬ。
そういう世界を身近に感じられる人たちって、どんな視点で世界を見つめているんだろう。
結局、文系人間の私は、そこに興味がそそられてしまう訳で、そういう想像で終わってしまう訳なんですが(笑)
小川洋子、なかなかヒットだよねえ。
私は、「アンネフランクの記憶」に進みました。そしたら、やっと、「西の魔女」の予定です。パンダくんの応募期日が迫ってきましたね。早く出さなくちゃ
原作があまりに良かったんで、私も、今更ながら、見たくなりました。でも、原作読んだ後では、ちょっと、寺尾さんじゃあ、かっこよすぎかなあ~と思ったりして(笑)
例えばネコは自分の命や心を認識しているだろうか?それでもネコは生きているしイヤダナとかウレシイナとか心もある。
2個のりんごは私達が数を知らない赤ん坊だとしてもやはり2個そこに存在するんです。
人間にもたらされた物や出来事や意思や気持ちに「言葉を与える」という作業がそうさせているんだろうな、と思ったわけです。
そしてそれは固体を数えるという原始の数学「数字の発見」(発明でなく発見)と同じだな、と思ったわけなんです。
そして、本題ですが。この登場人物のつながり方に、こんな関係もありだなと不思議に新鮮な感覚でした。
切なさを越える気持ち、なんでしょう?わたしも28という数字がとても好きになりましたよ。