goo blog サービス終了のお知らせ 

ぼちぼち日記

大切な日々のこと

『はてしない物語』

2007-01-21 12:57:29 | わたしの読書
『はてしない物語』
ミヒャエル・エンデ
 作
上田 真而子 佐藤 真理子訳

こういう類のファンタジーは苦手だった。ナルニアとか、指輪物語とか・・・異次元の物語のようなもの。
一度も読んだことがないのに、苦手というのも変だけれど、読もうという気になれなかったのです。子どものときから、ずっと。
それが、どうして今?なんだろうと思うけれど・・・・・読んでみたくなりました。
息子と一緒に、色々な本を楽しむうちに(苦手な作家さんのものも含め)、挑戦してみたくなったのかもしれません。
そして読み始めたのが、『はてしない物語』でした。まずは、エンデから。何となく、そう思ったのです。

ようやく読了した『はてしない物語』。
この分厚い一冊の本は、半分までは、本の中の世界・ファンタジーエンに、滅びゆくファンタジーエンを救える人間・バスチアンを引き込むための物語。
そして、その後の半分が、物語の中に入り込んだバスチアンの物語。(映画『ネバーエンディングストーリー』は、最初の半分だけの話らしい)
バスチアンは、お母さんを亡くした「いじめられっ子」という設定で、終わり半分の物語は、その心の成長を描いています。

作者の意図が見え隠れする物語は、あまり好きではないということもあり、バスチアンが本の中に入りこんでからは、最初、「これは、何を意味しているんだろう?」「エンデは、何が言いたいんだろう?」などと、勘ぐりながら読んでいる自分がいました。
ところが、いつの間にか、そんな思考はストップ。そんなこと、もうどうでもよくなって、ぐいぐいと本に引き込まれてしまいました。もしかしたら、私も、バスチアンのように、本の世界に入り込んでいたのかもしれない?そんな、不思議な感覚を覚えずにはいられませんでした。
いよいよ、最後の一頁が近づいてくるそのときには、もう、何だかわからないまま、ボロボロと涙がこぼれてしまって・・・。変ですね。悲しい訳でも何でもないのです。とにかく、涙が溢れ出て止まりませんでした。
ああ、子どもの頃に読んでいたら、いったいどんな感動を得ただろう?衝撃を受けただろう?それが残念でたまりません。もう、仕方ないのですけれど。

本を読んだ後、Amazonで、色々な方の書いたレビューを読みました。
我ながら、尋常じゃないのですが(笑)、そこでもまた、感動
ああ、バスチアンの冒険を自分のものとして共有できる人、ファンタジーエンに行って帰ってきた人が、こんなにいるのだという事実が、嬉しくて、嬉しくて・・・。
ファンタジーの世界は、何歳になっても、その扉を開いてくれているのだなあ・・・
すっかり、異次元空間に入り込んでいる38歳。次は、Amazonのレビューを参考に、『モモ』『鏡の中の鏡』の順で読んでみようと思います。ナルニアや指輪物語、ゲド戦記は、また、その後に・・・。まだまだ、忙しい38歳ですな。

『坊ちゃん』

2007-01-12 04:34:50 | わたしの読書

『坊ちゃん』夏目漱石

夏目漱石って、こんなに面白かったかなあ~
何度も、そんなことをツブヤキながらの読書となりました。
「痛快」とは、まさに、こういう小説を読んだ時に使う言葉なんだろうと思う。本当に、胸がスカッとしました。面白いほどに。

多種多様な文章が氾濫している現代に生きる私が、こんなに心躍らせるのだから、きっと、当時の人々は、腰を抜かしたに違いない!なんて、想像してみるのも楽しかった。うふふ。大学で、国文科に進んだ人は、そういうのも研究するのかしら。ああ、もう一度大学に進学できるなら、そういう選択も面白いなあ~なんて。

最初に、この本を手にしたのは、たしか小学校高学年?中学一年生?のとき。
子ども向きのシリーズだったから、きっと、修正が入っているものだったに違いない。けれど、残念ながら、ほとんど覚えておらず・・・。
私にとっての漱石は、まさに今が旬なのかもしれません。文体が、スルスルと入っていく感じがしました。
それに、主人公・坊ちゃんが、とにかく自己完結(自分の中の正義を振りかざすところ)で終わってしまうなんて所が、漱石の偏屈ぶりを表していて、なんとも可笑しい。そんな楽しみ方ができるのも、また、大人になってから読む楽しみだなあ。
ああ、本当に楽しかった!新たな発見が生まれた一冊でした


『ピアノ調律師 』

2007-01-07 07:24:50 | わたしの読書

『ピアノ調律師』
M.B. ゴフスタイン (著) 末盛 千枝子(訳)

ピアノ調律師と、その孫娘デビー。
デビーの夢は、おじいちゃんのような「世界一のピアノ調律師」になること。けれど、祖父は、両親と死に別れた可愛い孫娘に、もっと良い暮らしをと望み、ピアニストになるようにと願うのです。
しかし、デビーのピアノの腕は、祖父が願うようには上達せず、彼女の興味は、調律に向けられるばかり。なにしろ、デビーが心奪われているのは、美しいピアノ曲の旋律ではなく、調律の時に奏でられる音たちなのだから・・・

絵が、また素晴らしい。
白黒の絵。単調なペン画。
本を開いたときは、なんて、寂しい絵なんだろうと思った。(この本を自分用に借りてきたのは、絵のイメージが、あまりに暗かったから)
ところが、不思議なことに、物語が進むにつれ、少女デビーの姿が、生き生きと輝きだすのです。本当に不思議。こんなことって、あるんだろうか!
小さな、あどけない少女が、何ともまぶしくて・・・。

幼い時の夢を叶えることが出来る人が、この世に、いったい何人いるだろう?
けれど、夢を持つことの素晴らしさ、それを叶えようとする強い心の大切さは、例え、それが叶わぬ夢だったとしても、決して変わることはない。
「夢は、叶えるもの。」
そんな言葉が、心の中で、何度も響く物語でした。

息子と一緒に、是非、もう一度開いてみたい一冊です。
けれど、こちらは、元日より、ムーミンの3巻に突入中
一度図書館に返してから・・・、また会いましょう!デビー!!
そして、ゴフスタインの他の作品たち。是非、全て、手にとってみたいです。


『三四郎はそれから門を出た』

2007-01-04 19:22:37 | わたしの読書
『三四郎はそれから門を出た』 三浦しをん

軽い。軽すぎる~!!こんな書評もあるのか~と、目からウロコの一冊でした。なんといっても、村上春樹氏の『海辺のカフカ』を、こんなにも明るく、楽しく、下品!?に書評した方は、他にはおられないでしょう。むふふ。
そうです。これは、自他共に認める「活字中毒者」三浦しをんさんの、独断と偏見に満ちた!?本にまつわるエッセイです。

あまりに軽いおかげで、興味のない本の紹介は、読むのをとばしてしまうほどでした。
もちろん、とばしたからと言って、つまらなかった訳ではありません。本にまつわるエッセイは、笑いすぎて泣いてしまった位ですから。笑いすぎで泣いたのって、いったい、いつが最後だっただろう?

特に、『長くつしたのピッピ』に出てくるジンジャークッキーを作ろうと、作者が奮闘するものの、この世のものとは思えない程、まずいクッキーになってしまった件では、もう、涙がボロボロと流れてしまいました
おかげで、「なに?なに?」と寄ってきた息子に、またまた読み聞かせるはめに。。。
それにしても、絵本の中の美味しい食べ物って、ありますよね。うんうん。わかるなあ~

他にも、電車で、隣の人が読んでいる本を読んでみようと決意した作者。カバーがかかっていて、題名が不明なその本を、内容や紙、書体などから出版社を絞り出し、文体などから作者を推理、盗み読みした頁のキーワードを覚えておいて、見事!その本を探し出したりするのです。ここまでくると、もう、病気ですね。
とか言っておきながら、食事を作るときに読む本を探すのに手間がかかり、肝心の食事を作るのが遅くなったりと、何をするにも、本を手にとるところから始めないと気がすまない作者には、自分の姿を重ねてしまったりもします。
なにしろ、旅行に行くときは、その移動距離と場所のイメージを計算して本を選ぶのが、何より楽しみな私ですから!

書評としては、私と趣味が合わずに★の数が少ないですが(笑)、読書にかける情熱(病気?)エッセイとしては、★5つの面白さでした。なにより、作者のとどまる所をしらない、活字への愛情と妄想には、思わず、うるっときちゃうかも。
軽~いエッセイは、実は、久しぶり。たまには、こういう時間も楽しいな!

『少女ソフィアの夏』

2006-12-24 14:46:47 | わたしの読書
『少女ソフィアの夏』
トーベ・ヤンソン作/ 渡部翠 訳(講談社)

『誠実な詐欺師』を読んだときに、教えて頂いた一冊。著者自身が、「自分の書いたものの中で最も美しい作品」と言っていたという作品だそうです。
まさに、その言葉通り。クリスマスイブの日に読み終えたのが、なんだか、運命のように感じてしまうほど、素晴らしい作品でした!

フィンランドの多島海に浮かぶ小さな島。短いフィンランドの夏を、そこで暮らす少女ソフィアとパパ、そして、おばあちゃん。その小さくも美しい日々の営みが、生き生きと描かれています。まるで日記を綴るかのように、日常をスケッチした作品・・・。

やはり教えて頂いた「ku:nel」という雑誌の「ムーミンのひみつ」という特集。そこで観た美しい島の写真を、何度も頭に思い描きながら読み進めました。
不思議なのですが、この本を読んでいると、まるで、目の前に、その小さな島が浮かんでくるかのようなのです。
美しく、ときに、その絶対的な力を見せ付ける、厳しい北欧の自然。その描写の美しさといったら!もう、私の稚拙な言葉などでは、とても表現できません。

そして何より、想像力豊かなソフィアとおばあさんの「やり取り」は、ときに、可笑しく、可愛らしく・・・読んでいるだけで、心に火が灯るかのようでした。
そうそう、「みみず」について、二人が研究論文を書く章は、思わず、声を出して笑ってしまった程でした。
私があまりに笑うので、息子が読んで欲しいと言い出してしまい・・・。息子も一緒に大爆笑。お得意の「在りえねえ~」の連発でした。
そうなんです!「在りえねえ~」ことを想像するって、
なんて馬鹿らしく、なんて楽しいんでしょう!

ああ!そんな当たり前のこと・・・いつの間に、忘れてしまっていたのかしら!!
まさに、ファンタジーの原点は、この作品にあり!?なんてね・・・。
ヤンソンさんは、こうやって、自然の声に耳を澄ませ、想像力をフル回転させながら、暮らしていたんだろうなあ・・・。とにかく、この本が愛おしくてたまらないのです。
自分で自分がおかしくなってしまうのですが、読んでいる途中、何度か本を抱きしめてしまいました(笑)。トーベ・ヤンソンという作家を、ますます、好きになってしまった作品です。

さあ、クリスマスイブ!
旦那さまは、お仕事。サンタがやってくる時間まで、帰ってこれないでしょう。息子は、いつもと全く変わらず、外で元気に遊んでおります。寒いのにねえ・・・また、半袖だわ。
一人、家に取り残された私は、これからクッキーの生地づくり。息子が帰ってきたら、一緒に型をぬいて、ケーキも飾りつけなくちゃね(でも、スポンジは市販品)!!
イブの夜。ヤンソンさんのおかげで、息子に負けない位、素敵な夢を見れそうな予感です
メリー・クリスマス

『グレート・ギャツビー』

2006-12-19 08:07:15 | わたしの読書

『グレート・ギャツビー』
スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳

60歳になったら訳したいと、春樹氏が語っていた本(実際は、前倒しで訳されたようですが)。それだけ想い入れがあるのでしょう。今回、愛蔵版として出版されました。
この本と出会えなかったら、小説を書いていなかったかもしれないという彼の言葉が、ずしりと心に響きます。実は、何度も挫折しそうになったこの本を、その言葉が支えてくれました。

なぜなら、正直に言って、私の感想は・・・。???という感じなのです。
上手く言葉にできないのですが、お金とか、自由とか、そんな民主主義独特の空虚みたいなものが、物語全体を覆っていて、心に響いてくるのは、虚しさばかり。
同じような空気を感じたのが、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』だったのですが、そのときに感じた、(それから逃れようともがく)主人公の心の動きみたいなものが、この物語には、ない。だから、どこに焦点をおいて読んでよいのか戸惑ってしまい・・・戸惑っている間に、終わってしまいました。(つまり、物語に入り込めなかった)

ずっと、感じていたのは、ピーカンの青空。眩しすぎて、逆に、空しくなる様な青空。ただただ、それが心に残っています。結末は、まさに「悲劇」なのに、なんで青空なんだろうなあ。

春樹氏が、この物語への批判に対して、
「英語で一行一行丁寧に読んでいかないことにはその素晴らしさが十全に理解できない」のかもしれないと、あとがきで書いていました。あ~あ。英語で読めないことが悲しい。
でも、彼が想いを込めた訳。いつか読み返したら、また違う感想を得られるかもしれない。
せっかくの愛蔵版だもの。いつか、必ずもう一度!


『冷血』

2006-11-24 16:43:37 | わたしの読書

『冷血』 トルーマン・カポーティ

隣町の映画館には、ときに、びっくりするような映画がやってくる。東京の小さな映画館でしかやらないような、そんな映画が。
『フラガール』を観に行ったときに、その映画・『カポーティ』が、やってくることを知った。

トルーマン・カポーティ。
私にとっては、村上春樹が訳さなければ、読むことは、
なかったかもしれない作家。
村上春樹の訳した、〈クリスマス三部作〉と呼ばれる作品の中で、彼は、繊細で、壊れてしまいそうな少年を描いている(私は、この作品が大好きなのです)。
きっと、この少年はカポーティだ。作品を読んでいる間中、ずっと感じていた。映画は、まさに、そのカポーティ、その人を描いた作品らしい。
あの繊細な少年が、再び、私の心を惹き付けた。よし!絶対に映画を観に行くぞ!!

そんな訳で、映画のHPやブログを検索して、ちょっとだけ予習!
ううむ。カポーティは、この『冷血』という本を出版してから、作品を出していないとか(精神も病んでしまったらしい)。。。
映画は、その問題作『冷血』を執筆するカーポティを、描いているのだそうだ。
『冷血』。実際にアメリカで起きた、一家四人の惨殺事件を取材した作品。

そんなに、のめり込んで取材した題材って、何だろう?
取材の中で、執筆の中で、彼の中に、何が起きたんだろう?

そんな興味がムクムクと湧いてきて、映画を観る前に、是非とも、問題作『冷血』を読まなくては、と心に決めた。
図書館からやってきたのは、ちょうど2週間前。開いた瞬間、メマイを起こしそうになった。なんて小さい字!溢れる文字!うわあ。こんな本を開いたのは、何年ぶりだろう・・・

正直に言うと、何度もくじけそうになった。小説と違って、こういった作品は、くじけそうになる落とし穴が一杯ある。おまけに、題材が殺人事件なんだもの。。。憂鬱な気持ちになる。
犯人の屈折した心理状態は、私にとっては、全く理解不能。それなのに、読んでいて、同情しそうになる瞬間が襲ってくる。
淡々と綴られていく中で、事件そのものの残虐性が失われているからなのか?
犯人の一人の身の上に、自分を重ねてしまったというカポーティの想いが、伝わってくるんだろうか?
なんとも言いがたい、不思議な本だった。

それでも、映画の興行期間内に読み終わらないといけない!という脅迫観念が、私を、いくつもの落とし穴から助け出してくれた様で・・・終わってみれば、きっかり2週間で読了!
こんなに、長い時間を本に割いたのは、本当に久しぶりだ!!

それにしても、インタビューした人々を、上手にパッチワークしていく手法は、まさに、巧妙!さすが、天才だなあと唸ってしまう。
ますます、興味が湧いてきた。さあ、どんな人だったのだ?カポーティ。

読了したことだけで、燃え尽きた感もありますが・・・
映画、今週末には、行ってきたいと思います。
ただ、予告編をちらっと見たところによると、カポーティと犯人とのやりとりのシーンもあるような・・・。「羊たちの沈黙」が頭に浮かんできて、ちょっと腰がひけてます(笑)。
サスペンスじゃないって、と、自分に言い聞かせる毎日です!
(そこまでして観たいのかっ、私!と、自分自身に突っ込んだりして


『誠実な詐欺師』

2006-11-12 14:38:38 | わたしの読書

『誠実な詐欺師』 トーベ・ヤンソン

なんて、静かで、冷たい文体なんだろう。
それは、読んでいる者を、静かで、冷たいフィンランドの森へと誘う。深い深い森。そして、暗雲漂う長い冬。文章から漂う雰囲気で、これだけ魅せる作家がいるだろうか?もう、タメイキしか出ない。
図書館から借りてきた文庫本の背表紙には、この作品は、ポスト・ムーミンの作品の中でも、No.1の傑作と謳われているが、まさに、その言葉通りだった。

冷静で、数字に強いカトリ・クリング。彼女は、決して嘘をつかない。その代わり、ヒトカケラの融通さも持ち合わせず、愛想もなく、誰かに、媚を売ることも追従することもない。
村の人々は、そんな彼女を恐れ、軽蔑し、けれど、ある意味で一目置いている。
カトリは、一つの夢を持っていた。知恵遅れの弟・マッツに、彼が設計したボートを持たせてあげること。その望みを叶えるために、カトリは、ある女性に近づく。
目をつけたのは、兎屋敷に住む老画家アンナ・アエメリン。
お金に不自由することなく、穏やかに暮らしてきたアンナ。自然を愛し、空想を愛する彼女は、世の中の醜さのようなものに目をふせて、生きていた。お人よし、純粋無垢。しかし、言い換えれば、おめでたい人間。曖昧でルーズな人間。

そんなアンナに近づき、まんまと共同生活をすることになったカトリ。そして、彼女の財産を管理し、利益をあげていく。その利益は、カトリの正当な配分となるはずだった。決して嘘はつかず、騙さず、いたって誠実に、カトリは、夢の実現にむけて着実に進んでいくのだ。
ところが、そうは上手く運ばない。数字しか信用しないカトリとの生活の中で、アンナの精神が徐々に破壊されていくのだ。
曖昧さが排除されることにより、明らかになっていく、今まで見えなかった人々の醜さ。自分の愚かさ。アンナは、誰も、何もかも、信じることが出来なくなってしまうのだ。そして、今まで見えていた自然の美しさ、彼女しか描けなかった北欧の森の土壌を失ってしまう。

一方、カトリもまた、冷静さを保つことが出来なくなっていく。壊れていく二人の女性。

淡々と語られるその文体が、恐ろしさをひきたてる。私は、その恐ろしさに何度も息を飲み、物語の中の張り詰めた空気に耐え切れず、何度も本を閉じた。
物語の舞台は、北欧の冬。厳しく、深く・・・すべてを飲み込んでしまうような冬が、二人を象徴している。
しかし、冬は、いつまでも続かない。すべてを失ってしまったような不気味な静けさの下で、確実に、生命は育まれているのだ。息をひそめ、それでも確実に息づいている。

花柄の兎に象徴されるアンナの心。いつもカトリの隣にいる狼犬に象徴されるカトリの心。
アンナの中で、何が起こったのか?カトリの中で何が起こったのか?
アンナは、トーべ・ヤンソンその人を象徴しているのだとか。
彼女の中で、何が起こったのか?
ムーミン大作の途中頃から、大人を主人公にした作品が目立つようになったという、彼女の執筆の歴史。そんな、「あとがき」を読んでいたら、ますます、トーベ・ヤンソンという作家に興味が湧いてきた。他の作品も、いつか是非、手にとってみたい。
そして、この本。またまた、いつか購入したい一冊になった。


『ロスチャイルドのバイオリン』

2006-11-07 13:00:13 | わたしの読書
『ロスチャイルドのバイオリン』
アントン・P・チェーホフ作
イリーナ・ザトゥロフスカヤ絵
児島 宏子 訳

昔、昔。ドストエフスキーに挫折してから、「ロシア文学=暗い・難しい=私には無理」という勝手な方程式が、頭に刻み込まれてしまった。
(『カラマーゾフの兄弟』を、借りては返している姉を許してね、妹よ。)
けれど、いつもおじゃましている書評ブログで、この本を見つけたとき・・・
どうしてか、挑戦してみたくなった。表紙の絵にも、何故か惹かれた。

小さな町で棺桶屋を営むヤーコフ。貧しい彼は、その仕事の傍ら、小さなオーケストラでバイオリンを演奏し、わずかな収入を得ていた。彼は、優秀なバイオリニストだったのだ。
けれど、彼は、凝り固まった偏見と、人生における損失の勘定のおかげで、バイオリニストとしての才能を開花させることもなく、人間としても、最悪の人生を送っていた。
ただ、尽くすだけの妻を思いやることもなく、毎日のように、莫大な損失を計算しては嘆き、オーケストラのフルート奏者・ロスチャイルドを、ユダヤ人だというだけで蔑んだ。
そんなヤーコフが、妻の死をきっかけにして変わっていく。
・・・・そして、訪れる己の死。
憎しみや悪意がなければ、互いに睦み合え、大きな利益を得ることができたであろう。そのことを、死を間近にして、ようやく悟ることができたヤーコフ。
そして、ヤーコフは、変わるのだ。死の直前に変わるのである。

自分にとって本当に大切なものは、何だろうか?
日々の忙しさで見失っているものは、ないか?
マイナスの部分を見つけては、その損失を嘆いてばかりいないか?

どうしようもないもののように映る、ヤーコフの人生。けれど、人は、誰しも、そういう部分を持ってはいないか?
けれど、人は変われるのだ。いくつになっても、どんな状況であっても、必ず、変われる。そして、誰かの中に、明るい未来を残して、死ぬことができるのだ。
絶望と、人の心の醜さを描いたような、この小さな物語は、最後に、明るい希望の光を灯して終わる。

絵本という形をとるこの物語は、まさしく、大人のための絵本。
あっという間に読んでしまったけれど・・・・・何度も何度もかみしめて読んだら、また、新しい何かを見つけられるような気がする。そんな不思議な、小さな物語だった。
返す前に、もう一度読もう。

『檸檬のころ』

2006-10-26 06:29:22 | わたしの読書

『檸檬のころ』 豊島ミホ

書評ブログで見つけた本。
それにしても、ブログのライターさんは、どの方も、読みたくなるように書いてくれるから困りモノ。だって、次から次へと、読みたい本が溢れてくるんだもの!
そんな、たくさんの読みたい本の中から、いざ選ぶとなると・・・決め手は、装丁だったりする。そう。私は、めっぽう装丁に弱いのです。

この本も装丁が気に入った。
淡い色使い。なんとも、殺風景な風景・・・。なんとなく惹かれた。

これは、高校生を主人公(あるいは、高校の先生)にした短編がつまった、一冊だ。
物語同士には、全く関連性がないのだが、ふと気づくと、主人公同士は、同じクラスだったり、友だちだったりして繋がっている。
あ、この子、さっきの話に名前が出てきた子だ。なんて、思いながら、読み返す。
大事件が起こる訳でも、決定的に傷ついたり、傷つけられたりする訳でもない。友だちのことだったり、彼氏のことだったり、将来の夢だったり、そんなことを、高校生たちが、色々と考えている。そんな物語たちだ。

私にとっての高校時代は、何故か、とても印象が薄い。
クラブの友だちと楽しく過ごした日々は、嫌なことの方が多かった中学時代に比べたら、ずっと心地良い場所だった。今でも付き合っている友だちは、ほとんどが高校時代の友だち。
ついこの間までは、高校時代が、一番の思い出だったはずなのに・・・
年をとったせい?
不思議なことに、傷つきやすかった中学時代の私の方が、懐かしく、愛おしくなってしまう。今にも壊れそうだった自分が、愛おしくてたまらなくなる。
(だから、最近、毎日のように流れてくる、自殺のニュースには、とても胸を痛めているのです)

そんな訳で、この本を読み始めたときの感想は、「ああ。そうだね。そんなこともあったね。」なんていう、ちょっと冷めたものだった。
友だちとの距離関係、異性への興味、将来への漠然とした希望。どれも、どこかで自分の思い出と重なるのだけれど、熱くはなれない。
でも・・・・・いつの間にか、夢中になって読んでいた。

胸がキュンとなったり、そんな激しい感情はないのだけれど、なんだか、懐かしくて、ほろ苦い感じに、夢中になっていた。
まさに「思春期」真っ只中!目の前のことで精一杯!の中学時代に比べて、結構、すべてのことに距離をおいて、冷静に自分を分析できる(今思えば、まだ青臭い分析だけれど)高校時代。そんな頃を思い出していた。

「著者紹介」によると、著者は、まだ大学生。だからかな?
そんな青臭い頃の心模様が、リアルに迫ってくる。淡々とした文章が、さらに、その頃をリアルに表現しているのかもしれない。
自分が、進学のために家を出たときのことも、久しぶりに思い出したりしてね。

本を閉じたとき、無償に、外の空気が吸いたくなって、窓をあけた。びっくりする位、空気が青臭く感じて、何度も、大きく深呼吸した。
あの頃の夢は、かないましたか?なりたかった自分に、なっていますか?
自分に問いかけてみた。


『被爆のマリア』

2006-10-22 11:01:49 | わたしの読書

『被爆のマリア』 田口ランディ

jasuminさんのブログで見つけた一冊とにかく、題名が、心に飛び込んできた。
田口ランディ。以前、知り合いがプレゼントしてくれたエッセイを、一冊だけ読んだことがある。きっと、サバサバした男みたいな人なんだろうな・・・そう思った。
でも、この一冊でイメージが一新した。ひどく、作者に親近感を覚えたのだ。
この人、私と似てるかも?そんなことを、ぼんやりと考えた。

親近感を覚えたのは、彼女の文体が、びっくりする位、自分に馴染んだせいもあるかもしれない。
この本に収録された、3編の小説。読んでいると、どうも、胸がムカムカしてたまらないのに、なぜか、文章が、自分の中に、すっと入ってくる。あまりに、すっと入ってくるから、さらにムカムカしてきたりして・・・
ムカムカの原因は、たぶん、登場人物たちのせい。
弱かったり、無関心を装うとしていたり、自虐的だったり、不器用だったり・・・出てくるのは、そんな、人間ばかり。
「原爆」という最大の悪と、現代を生きる人間の心に潜む悪。それが、不思議なほど上手くリンクし、描かれている。

世界が「平和」であって欲しいと思うけれど、何かしようなんて思わない。自分の目の前の生活が壊されるなんて、まっぴらごめん。そんな主人公。
被爆者たちに同情しつつも、自分の方が、可哀想だと思っている病弱な主人公。
前に進みたいのに、幸せになりたいのに、何故か、からまわりしてしまう主人公。
そんな主人公たちの中に、いつの間にか、自分の姿を見つけていた。
こんなにムカツク彼らと、実は、同じ?そんなことを考えて、また、ムカムカした。

ああ、なんともいえない読了感。なんだろう、このモヤモヤは?
3編の小説の合間には、取材旅行先のエッセイが収録されている。その中に、取材した被爆者の方の言葉があった。
「人間は、神であり、悪魔ですから。」

私の中にも存在している、善と悪。強さと弱さ。
いつ、それが逆転するとも限らない。


『西の魔女が死んだ』

2006-09-05 12:17:42 | わたしの読書
『西の魔女が死んだ』 梨木果歩

主人公・まいは、中学校に通えなくなってしまった女の子。そんな多感な少女が、西の魔女のもとで過した日々が、大切に大切に描かれている。
西の魔女。それは、大好きな英国人のおばあちゃん。ママのママ。
まいは、おばあちゃんがから魔女の手ほどきを受けるのだが、魔女修行で一番重要なのは、何でも自分で決める、ということだった。そして、その日々が彼女を支え、成長させていく。これは、そんな少女の心の物語だ。

中学生か・・・。自分のことを思い出してみる。どうして、あんなに感じやすく、もろく、危うかったのだろう。今思えば、何でもないようなことに敏感になり、不潔だと感じたり、不快に思ったり。そういう頃だった。
自分が大嫌いで、父親を忌み嫌い、友だちと群れたかと思うと、その関係にうんざりしたりもした。本の世界という逃避場所がなかったら、私は、あの時代を乗り越えられなかったように思う。
とにもかくにも、私には、本があり、まいには、西の魔女がいた。まいは、自分を確立し、乗り越えることができる。

本の中で、一番印象的だったのは、まいが「人間は、死んだらどうなるのか?」とたずねる場面だ。
ああ、これは、私が、ずっと抱いてい質問じゃないか。全く同じことを考えていた人がいるのだなあ・・・と、ちょっと作者に親近感を感じたりして。
私も、母親に、何度も同じ質問をし、そして、まいが父親から受け取った答えと、同じようなものを受け取った。まいと違うのは、私は、そんな答えを返した母親に、失望しなかったことかな。
母親の答えに納得できずに、ずっと、ずっと、一人で考え続けていた。考えすぎて、眠れない夜もあった気がする。そういえば、いつの頃から、考えなくなったのだろう。

「人間は、死んだらどうなるのか?」
考えなくなってとき、私は、大人になったのかもしれない。長田弘の詩じゃないけれど・・・。
そして、中学生の頃。誰もが、それぞれ形を変えて、そういう質問を抱えているのかもしれない。大人になるための問題みたいなもの。

なつかしいような、切ないような・・・そんな想いで読了した、夏も終わりの日でした。夏の新潮文庫100冊。yonnda?パンダちゃんは、まだ、届かず

『アンネフランクの記憶』

2006-08-28 14:44:58 | わたしの読書
アンネ・フランクの記憶』 小川洋子

実家で読んだ、読売新聞の記事。戦争を語る数々の特集の中で、この本が紹介されていた。ちょうど、小川洋子を読みあさっているときだったから、なんだか嬉しくなって、早速、『博士の愛した数式』と一緒に借りてきた。

これは、アンネ・フランクの日記を読み、影響を受けてきた小川洋子の、アンネを巡る旅のエッセイだ。
彼女は、アンネを真似て日記を書き始め、それが今でも続いているという。彼女の書くことの原動力は、アンネ・フランクからもらったものなのだそうだ。
アンネ・フランクの生涯、ナチスドイツのユダヤ人迫害について、詳しく知りたいという思いがある人には、不向きかもしれない。とにかく、アンネ・フランクという女の子の文才にほれ込んだ(アンネフランクを心の友人としてきた)作家の、感傷的な旅日記だった。

それでも、同じように、中学生のとき「アンネ・フランクの日記」に出会い、それに触発されて日記を書き始めたことのある私には、なかなか、面白いものだった。
残念ながら、私の日記は、小川洋子のように長続きはせず、半年も続かないでやめてしまったのだけれど・・・。でも、日記帳を親友として名前をつけ、手紙を書くように綴っていく日記に、ひどく驚き、憧れたのは、はっきりと覚えている。たしか、私も日記帳に名前をつけたはずだったけれど・・・なんだったかなあ。

この本。「戦争モノ」と思って読み始めたので(新聞記事から受けた先入観って怖い)、その点では、ちょっと期待はずれだったけれど、中学生の多感な少女だった頃のことを思いだし、胸が熱くなった一冊でした。
ふと考えると、アンネフランクもまた、特別な人なのではでなく、小川洋子や私と同じ、多感な少女だったのですよね。悲惨さを直接描いた文章を読むのとは、また違った角度で、戦争の悲しみを感じずにはいられない、そんな一冊なのかもしれません。
アンネ・フランクは、永遠に少女であり続け、私は、もう、その頃のことを思い出し、胸を熱くする年になっているのですから。

『博士の愛した数式』

2006-08-24 14:18:11 | わたしの読書

『博士の愛した数式』 小川洋子

ようやく、私の順番がまわってきた!『麦ふみクーツェ』を読んで以来、ずっと、求めてきた本。もちろん、図書館員さんの「次に予約が入っていますから。」の一言つきだったのだが、私は、ようやく、この本を手に入れることができた。
でも、読み終われるかなあ・・・。図書館員さんの一言に、一瞬、たじろいだ私だったが、なんの!2日間で読み終えてしまった。まるで、「博士」の数式の世界に引っ張られるように、あっという間に、最後の一頁にたどり着いてしまったのだ。

これは、記憶が80分しか持たない博士と、家政婦、そしてその息子の√(ルート)の日常について描かれた物語。
身体に貼り付けられた「僕の記憶は80分しかもたない」というメモ。毎朝、そのメモを見つけ、自分の病気を知り、絶望に打ちひしがれる博士。そして、その80分を大切に、博士と向き合う家政婦。博士の病気を理解しながらも、博士への尊敬の気持ちを忘れない、息子「ルート」。

3人の愛情に満ちた日常に、最後まで幸せな気持ちでいられたことが、何より素晴らしかった。やっぱり、ハッピーエンドは、いいなあ。
それでも、俗物の私は、物語の途中で、何度か、家政婦の博士への愛情は、いったい何だろう?と、考えてしまったのだが・・・。そして、その度に、そう考えた自分の愚かさに嫌気がさした。これは、そんなものを通り越した愛の物語なんだ。きっと。
人が人を愛する素晴らしさ。崇高さ。そして、人が、何かを愛する(もちろん、この物語では、数字)素晴らしさ。崇高さ。

恥ずかしながら、超文系の私は、物語の全般を通して、何度も頭をひねった箇所があった。素数?自然数?それ、なんだっけ?どうやって求めるんだっけ?
正直、最後まで、理解に苦しむ箇所もあったのだが、読み終わったあと、なにやら数字が愛おしくてたまらなくなった。28を見つけると、最高にラッキーな気持ちがしてくる。ああ、完全数だ!って(笑)

博士の解く数式を読んでいて、ふと、自分の幼い頃を思い出した。
私が生まれたのは、何もない田舎町だった。だから、洋服を買いにいくにも、本を買いにいくにも、3つ離れた駅まで出かけなくてはいけなかったのだ。まだ硬券だった電車の切符に押された四つの数字。私は、目的地につくまで、それを、いじくりまわすのが好きだった。
足したり、引いたり、かけたり、割ったり。
むちゃくちゃに数字をいじりながら、その4つの数字を10にするという遊びが、私の何よりの楽しみだった。何の意味もなさない計算。でも、それが楽しくて仕方がなかった。簡単に10になってしまうと、妹と切符を交換して、さらに計算した。

高校生になって、数学や物理が、何より嫌いになってしまった私だけれど、数学の元になっているのは、もしかしたら、あの幼いときの私の興味、そのものなのかもしれない。そんなことを、ぼんやりと考えた。
数学をやっている人が聞いたら、大笑いされてしまうかもしれないけど・・・。
昨日の新聞で、数学者のノーベル賞とも言われる章を、ある数学者が辞退したという記事を読んだ。なにやら、数学づいている気がしちゃうなあ。ちょっと、勉強でもしてみようかしら?
あは。この本の数式が理解できないようじゃあ、ちょっと、無理があるかな


『ブラフマンの埋葬』

2006-08-15 11:05:52 | わたしの読書

『ブラフマンの埋葬』 小川洋子

『博士の愛した数式』は、まだ予約の順番がまわってこなくて・・・・・。もう一冊、別の作品を読んで待つことにする。
「創作者の家」という、芸術家のための家の管理人と、ある日傷ついて迷い込んできた奇妙な森の生き物・ブラフマンの物語。決して、物覚えが良いとはいえないブラフマンの悪戯に翻弄されながらも、愛さずにはいられない主人公。主人公とブラフマンの一夏の思い出が、淡々と描かれている。淡々と。本当に、淡々と。

これでオシマイ?
そんな声が、頭のどこかから響いてくる。この小説もまた、賛否両論、分かれそうな本だなあ。私は・・・・・どっちかなあ。
正直に言って、冷静に判断できそうにありません。なにしろ、最近、小川洋子の文章に傾倒気味なので、とにかく、その世界に浸っているのは、良い気持ちなのです。そう、彼女の文章の中に、何も考えず、ただ身を委ねている感覚。そんな作品でした。
ああ、早く、『博士の愛した数式』が、やってこないかなあ。