家庭を持った俺は
その年の3月に俺自身の店を出す決心をし、
飯田橋近くの大通りに
材木屋の店と倉庫を買い取って
間口20間の当時としては
かなり大構えの店を新築し、
それをきっかけに
急速に事業を拡大していった。
昭和17、18、19の三年間は
俺にとって画期的な年となった。
第一にに今までの個人企業を
田中土建工業株式会社に変更し、
年間の施工実績では全国の50社の内に
数えられるようにまで育てた。
そして長男に次いで長女も生まれ
二児の親ともなった
「天才」
石原 慎太郎 著
わずか25、6の若さで第一子を亡くし、
そして起業、さらに
事業展開を個人から株式会社に
年間施工実績は全国50位以内
こんな飛ぶ鳥を落とす勢い!は
どこから生まれてくるのか
単にお金を稼ぎたいというだけの目標で
達成できることではなさそうである
きっと、とてつもない目標があったに違いない
どんな目標というか、志を抱いて起業したのだろう
第一子を亡くして遮二無二!
というだけでもないと思う
この国を変えてやる...!
くらいの志があったのかもしれない
それにしても全国ゼネコン50位の
年間施工実績といえばどれくらいの
売り上げ実績があるのだろう
想像もつかないけれど、
半端な営業利益ではなさそうである
ともかく角さんには若い時から
お金が集まるようになっているのかもしれない
それは使い方を知っているからに
ほかならないのはあきらか...!
お金があろうがなかろうが、
どんどんお金を投資して、
留めおくことなくお金を回していたに違いない
他人からみれば
若い大富豪のように見えていたことだろう
早起き鳥
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