肉体の凋落を嘆いて
自殺してしまったヘミングウェイが
いつの頃から
いかなる折節に自分の肉体の、
彼にすれば裏切りを
感じ始めていたかは知りませんが、
いずれにせよ人間はある年の頃ともなると、
やはり自分も年をとったのかな
と感じいるようになるものです。
例えば物忘れするようになったとか、
老眼の兆しがしてきた、
老眼がずいぶん進んでしまった。
しかし、物忘れに関していてば、
それは頭の中に収われた記憶の量が
経験の体積とともに
飽和に近くなってきていて
余計なことは頭が自動的に取捨選択して
記憶の対象から
省いて捨ててしまうからだともいいます。
「老いてこそ人生」
石原 慎太郎 著
物忘れと老眼、
如何ともしがたい切実な悩み
老いるとはなんとも恐ろしい現実
その真っ只中に自分もいる
疲労などという言葉を
持ち合わせていなかった若い頃
どんなに走っても疲れをしらなかったし
2徹、3徹夜など朝飯前だった
著者は物忘れを
記憶量の飽和状態と述べておられるが
僕の頭が飽和状態だとは到底思えない
でも今の今のことを物忘れしてしまう
「今、何をしようとしたのだろう」
「今使っていた筆をどこに置いたのだろう」
こんなことを繰り返して
老いは深まっていくのだろう
そして最近、やたら涙もろくなって
朝のドラマを見るだけで泣けてくるし
高校野球などはあまり見ないようにしている
日曜日、お昼の「のど自慢」でさえ、
合格者の喜びの涙にもらい泣き
きっとこれは老いとともに
情緒豊かになってきたのかもしれない
たしかに左の脳はもう
飽和状態というか老化が激しいけど
右の脳がビンビン活動してきているのではと
都合のよい感じ方をしている今日この頃である
早起き鳥
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