トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

悪かったなって思うこと

2008-02-04 20:33:19 | 元夫婦
離婚する時、私は元夫に
「別に憎みあって別れるわけじゃない。それぞれがお互いに自立する為に
別々に生活していこう。
子供達のお父さんでいる事は変わりないし、子供達の事は相談していこう」なんて
言っていた。

あの時は本当にそう思っていた。

ご飯だってたまになら食べにいけるんじゃないか。

芸能人が「円満離婚です。今でもご飯も旅行もいきます」なんてコメントを
本気で信じていて、自分もそうなれるなんて思っていた。

でも、時間が立つにつれ、いろんな人と離婚の話をしたり、
結婚生活を改めて振り返ったりしているうちに、自分のダメージは思ったより
大きかった事に気がついた。

元夫の声を聞くことも苦痛になり
メールの返事にすら何日も気持ちが落ち着かなくなることがある。

事務的なこと意外は返信や連絡をしないようになってから
元夫からも感情的なメールが来ることもなくなった。

家に帰ると留守電がチカチカとなっていた。
元夫の叔父からだった。

元舅からの電話は繋がらないようにしているので、元舅の家で
何かがあると叔父の家に連絡が入り叔父から連絡がくる。

叔父には離婚した事を伝えていないので未だに元夫がここに住んでいると思っているのだろう
「○○(元夫の名前)が帰ったら連絡をください」

家に着いたときまだベルはなっていた。
でも名前を見て私は出るのをやめた。

元舅達の事を聞いたところでもう私には何も出来る事などないんだ
それにその事でまた元夫と話をする事も今の私にはとても辛い事だった。

元夫に叔父から連絡が欲しいと留守電が入った事をメールした。

『叔父さんには俺の携帯の電話番号を知らせたのでもうそちらにはかからないと思います』と返事がきた。

離婚する時まだまだ元舅と姑の問題は山積みだった。

今までこの事だけは元夫と必死で乗り越えた出来事だった
介護をした姑の事はとくに気がかりだった。

だから元夫にも「姑さんの事はこれからも相談にのるから」などと言っていた。

共依存自分がべったりと張り付いているような状態だったと思う。

元夫もその気だったろう。
いつでも助けてくれるんだって思ったに違いない。

だけど、私は変わった。
どんどん元夫との間に境界線は引かれ、元夫は裏切られた。騙されたと思ったんじゃないだろうか。

その気にさせて、気が変わりましたと私は鉈のごとく切り捨てたのだ。

元夫からのメールをみて、少しだけ寂しくなった。
でも元夫も境界線を引き始めたんだなって思った。

私も傷ついたけれど、私だっていっぱい傷つけちゃったんだなって思った。