トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

母との時間

2010-12-12 16:23:18 | 
あーちゃんが風邪をこじらせて、一週間寝込んでいた。

私は仕事仲間がひとり入院してしまったため、休む事ができず
結局母に頼んだ。

途中、治ったと思って学校へ行かせたら、学校でまた発熱して呼び出しを
されて、とんぼ返りで母に戻ってきてもらった。

離婚して、母との時間がずっと増えた。

子供の頃の母は、私に話しかける事はめったになかった。

叱られる事もなかったが、笑いかけられることも、普通の会話すらなかった。
母とは何か知らずに育った。

就職した時、母親と凄く仲の良い同僚がいて
『お母さんに相談してから』が口癖で、洋服一枚でも母親と買い物に
出かけていた。

その時私は『母親に相談する』という意味が分からず、
子供は1人で何でも考えて育つものでしょ?と思った。

『お母さんが。お母さんに』と常にいう彼女を見て

『なにひとつ自分で考えられないなんて』とイライラした反面、強烈に
嫉妬した記憶がある。

寝ているあーちゃんを2人で覗き込みながら
『ごめんね。無理させて。』と謝った。

『ちっこはさぁ、小さい頃から手がかからなくて、ほんとう楽だった。
姉は精神的に脆くてとにかくつきっきりで結婚するまで本当に大変だったし、
弟は、定職につけず10年も引き篭もってしまって、今の家庭を持つまで大変だったし、ちっこは中学でもう1人で高校も決めて、就職も決めて、結婚式も自分で貯金して
さ。』

遠くを見るように母は話していたがふと口をつぐみ。。。。

『最近、やっぱり、子供は同じだけ手をかけるように産まれてきてるんだなぁって思ったよ。今まで楽した分、今度はちっこの番なんだなぁって。でもね、全然、苦労だなんて思ってないんだから、困ったらいつでも言いなさい』

私は小さい頃、もし私がこの家からいなくなったとしても、家族は私を探さないだろう
と思っていた。

ずっとずっと消えない壁を間に挟んで母との関係を作ってきた。

幼い頃、寝る時にどうしようもない寂しさに襲われて、幾度も自分で自分を
抱きしめ背中を自分でトントンと叩き『ねんねこ。ねんねこ』と歌った。

雨の音を聞きながら、どうしようもない孤独感に押しつぶされそうになり
押入れの布団の間にもぐりこみ、母体の中にいる赤ん坊のように小さくまるくなって
『大丈夫。大丈夫』と自分で自分をなぐさめた日々。

あの頃に戻れたなら。
言ってあげらるのに。
『あなたは、いらない子なんかじゃなかったよ』って