トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

追い立てられるように過ぎていく

2017-05-12 23:55:31 | 
腹が立ったり、嬉しかったり、悲しかったり、
それなりの日々が過ぎていくのに、書こう、書こうと思っているうちに
「なんだっけ?」って思うほどあっという間に過ぎていく毎日。

子供たちはどんどん成長して、
あーちゃんもとっくに私の身長を追い越してしまいました。

お兄ちゃんの精神状態は、今年になってからとても悪く、
毎日「何で生きてるか分からない。意味がない。人が信じられない。死にたい。」などというようになり、
一日中、忘れられない嫌な出来事が頭の中でエンドレスで浮かんでくると言い、とても辛そうだった。

少しでも、悪い思い出を思いださないように、何か別の考える事があったら良いのではないかと考えて
前から「ハムスターなら飼っても良い」と言っていたので、
ハムスターを飼うことにした。

お兄ちゃんだけになついて欲しくて、お兄ちゃんに選んでもらい、お兄ちゃんが名前を決め、
お兄ちゃんの部屋に置いて寝起きするようにした。

お兄ちゃんだけが触れて、餌もお兄ちゃんが与えた。

最初は警戒心が強いハムスターだったけれど、お兄ちゃんが呼ぶと小屋から出てきて
お兄ちゃんに抱かさるようになった。

「俺、やばい。ハムスターなめてた。めちゃくちゃ可愛い。」

今はあまり死にたいと言わなくなった。

仕事の評価も上がって、給料もあがって、自信を取り戻したらしく、
50インチのテレビを買って、同時録画6つできるブルーレイを買って、衛星放送をいろいろ契約してみる。
俺の生活を充実させる。と新しい目標もできたようでホッとしている。


お兄ちゃんはもう何年も父親との交流を絶っている。
もう二度と会うつもりはないという。

あーちゃんだけが父親と会っていたんだけど、
元夫はあーちゃんがもう14歳になった事にきがついていなかったようだ。

たまにしか会わないからなのか、元来の無神経のせいなのか、
会うとあーちゃんの頭をなで、あーちゃんの頬にキスをしたり、腕を組むように要求したり。

小さい頃はおんぶをねだったり、手をつないだりしたかもしれないけど、
14歳の女の子にそれはちょっと危険すら感じ、あーちゃんも気持ち悪すぎる、
身の危険を感じると言い出したので、「会いたくないなら会わなくていいんだよ。あーちゃんが選んで良いんだよ」というと
「よかった。もう会わない。メールも💛マーク何度もつけてきもいから着拒否する」

元夫には「もうあーちゃんも、思春期になり父親の年齢の男性を嫌がるようになりました。
今後しばらく会う事もメールも無理だと思いますので、連絡は私にしてください」と伝えた。

近くのコンビニで待ち伏せされるのも、友達の視線を気にして嫌がるのでやめてください。と伝えた。

元夫は両親も亡くなって、妹も早くに亡くしているので、寂しいのだろうが、それならなぜ
子供に嫌われることをするのか、いまだに変わらないんだなぁ。

そして、私は今年度も、ボランティアの会の仕事が続く。

まだ気になることがあるけれど、今日はこの辺で。
それにしても、ゴールデンハムスターってとっても可愛い。
あんまり触って、私になつくと意味がなくなってしまうので、きゃべつを与える時だけ
「菜っ葉のおばちゃんが来ましたよ~」と声をかけて撫でている。

むしゃむしゃと両手につかんで頬張るすがたがめちゃくちゃ可愛い。

もし忘れなかったら次回は画像を載せよう。

それではまた。
今日も私の話を聞いてくれてありがとう。

どこか

2017-03-30 21:44:02 | ポエム
時々考える。
辛いことがあったり、悔しいことがあったりすると考える。

今の私はあの頃より幸せだろうかと。

夫の借金に苦しめられた日々。
舅のアルコール依存症と暴力に悩んだ日々。
姑の介護に明け暮れた日々。

あの日々よりも今は幸せだろうかと考える。

あの日々を、めったに思い出すこともなくなった。

誰かと結婚していたころの話をすることもなくなった。

随分、月日がたったのだと実感する。

もう、夫の顔もずっと思い出していない。

あーちゃんが面会に行ったときに「お父さん、お母さんを電車で見かけることあるって言ってたよ」

離婚してしばらく、近所に住んでいる元夫を、無意識に探していたことがある。
遠くから歩いてくる姿に、慌てて横道に入って逃げたこともあった。

いまじゃ、まったく気にも止めていない。
すれ違っても分からないかもしれない。

毎日はとても忙しく、考えることも多いからだ。

結婚生活の頃、出口の見えない悩みや、辛い出来事があると
自分がどこにいるのか。どうしてこうなってしまっているのか分からなくなり
「ここはどこだろうか。自分は何をしているのだろうか」と途方にくれた。

ただ、動けず、押し寄せる出来事に流されて、もがいて、わけもわからない場所に流れていくのを
止めるすべも分からず、流れ着いた先にまた予想もつかない出来事に振り回され、へとへとになっていた。

今の私は、こうして悩んだり苦しんだりしているけれど、ここがどこで、どうしてこうなってしまっているのか
分かっている。

自分が選んだ結果でこうなっていて、この先どうなっていってもどうにかこうにか乗り越えていくのだと分かっている。


道は見えている。

結婚していた頃と比べるなんて馬鹿げている。
日常は過ぎていくのだ。
暮らしは続いていくのだ。
生きているのだ。

道が見えていれば大丈夫。

そう思える。

私とお兄ちゃんとあーちゃんと小鳥と暮らして
明日はもう一匹家族をお迎えに行くのだ。

我が家は生きている。

ここまでずっと応援してくれたみなさん本当にありがとう。


我が家が再出発して明日で10周年です。
おかげさまで10周年。

どうでも良くなってしまいました。

2017-03-01 23:07:28 | 
もう、虚しさしかない。

どんなに自分に言い聞かせても、
どんなに自分を納得させても

結局、この気持ちの答えにはならないんだ。


ボランティア。
誰かのためではなく自分の為にやっている。

そう思おう。

どんなに尽くしても、感謝もされず。
送ったメールも迷惑がられ。

頼んだメールや郵便の返信すら無視され。

お願いしたレポートの提出すら、返事すらない。

いったい私はどうしたらいいんですか?って聞きたい。

塾で、子供の靴が一足なくなった。
間違って履いて行ったなら残っている靴があるはずなのに、
まるまる一足ない。

雪道を帰るための靴がない。
親はまだ仕事で連絡がつかない。
仕方なく私の靴を家から持ってきて、履かせて帰した。

夜、親に電話して謝ったけれど、
結局その日から子供は塾に来なくなった。

なぜ靴がなくなったのかはわからない。
塾は町内会の集会所でやっているから、町内会の人も出入りするから鍵はかけていない。

生徒が持って行ったとは考えにくいが、町内会の人が持って行ったとも考えにくい。
犯人を捜すことはできないと結論で、予防策で子供たちには靴を足元にビニール袋にいれておいてもらうことにした。

それくらいしかできない事を詫びる手紙をだしたけど、返事もなければ、貸した靴も返ってこない。

靴がなくなってしまってショックなのだろうけど、大人なんだから、借りたものは返そうとは思わないのだろうか。

いろんなことを考えると疲れる。

職場のなんでも口出ししてしまう、男性社員。
相変わらず、私のすべてを見張っている。

友達と少しの会話もじっと見つめて聞き耳を立てている。

彼がお昼に上がっているうちに、彼が「やらなくていいよ」って言った事が気になって
別な社員に「本当にこれはやらないんですか」と聞いたところ、
「それはやらないとだめ」と分かり、やらないでおいた分が発覚してしまった。

彼がいない時に私が社員に再度確認したこと、その事で彼のミスが見つかってしまったことが
不快だったらしく、
今は昼休みも取らずに私が席に座っているときは片時もそばを離れない。

私が電話を掛けようとしていると、一度用事をしにほかの部署へドアまで出かけても、私が受話器を取る姿に
気付くと、一度戻ってきて、「どこに電話するの?何に電話するの?」としつこく聞く。

「書類が届かないので、送ったか聞こうと思って」と答えると
突然、電話を勝手にかけて「送ってないなら早く送れ」と自分の名前すら相手に告げず電話を叩き切って
「言ったから!」と捨て台詞を残して、ほかの部署に走っていく。

頼んでないのに。

毎日見張られて、息が詰まる。

私の周りがどんどん変になっていく。

私も変になっていく。

どうでも良い。
どうでも良い。

投げやりな言葉を自分に吐きかけなければ
壊れてしまう気がする。




何も言わなかった

2017-01-22 23:13:10 | 
今回は何も言いませんでした。

お兄ちゃんに対して言いたいことがたくさんあったけど、

忠告したいこともいっぱいあったけれど、

メールにしたり、顔を合わせたりしたときに話そう、言おうと思ったけれど

言葉にならなかった。

間違っている方向に向かっている。

間違った考えに固執している。

醜いお兄ちゃんになっている。

そう思うんだけど、お兄ちゃんのしようとしていることに口出しできなかった。

最近、体の不調もそうだけど、自分が死んだあとのお兄ちゃんのことを考える。

私はいつまで生きられるかわからない。

明日かも、明後日かも、10年?20年?

何か起きるたびに私がしりぬぐいしてあげられるわけじゃない。

何か起こるかもしれないことを、防いだり、予測して伝えてあげられるわけじゃない。

私がいるかぎり、困らないお兄ちゃんの生活は、これからのことを考える力を奪ってしまうことになりかねない。

もしかしたら、大変な事になってしまうのかもしれない。

もしかしたら、困った事態になってしまうのかもしれない。

その時のことも全部引き受ける覚悟をして私はお兄ちゃんを手放していかないといけないんだと
思う。




不調の原因は

2016-12-17 00:20:07 | 
更年期かと思っていたら、甲状腺の病気にかかっていました。

まだそれほど悪くなっていなくて、大きな症状はないものの、

自然治癒するものでもなく、経過観察をすることになってしまいました。

疲れも、イライラも、先生は、とくにそれほど症状が出るほど悪くないから
この病気のせいではないと言いました。

じゃあ。更年期なのか。
でもやっぱりちょっとは影響しているかなと自分では思っています。

原因の一端を、病気のせいにできると、少し気も楽になったりします。

お兄ちゃんの暴走は、暴走する前に道が切れてしまったため、大きく崩れることはなくて
ホッとしています。

それでも、お兄ちゃんの中にある問題は、のんびりしていてはいけないかなと感じました。

少しの刺激で危うくなってしまう。

来年はその辺のことをしっかりやろうと思います。

先日、自閉症の青年のドキュメントを見ました。

彼は言葉を話すことが難しいけれど、文章で表す言葉はとても心に響きます。


「もし人生がバトンのように誰かに渡していくものだとしたら、バトンを渡せない人はどうするのでしょうか。バトンを持ったまま途方に暮れるのでしょうか。僕は、人生は完結するものだと思います。残された人がその完結された僕の人生を見て、何かを感じたらそれを繋いでいってくれるのだと思う」

こうして、父も死に、元舅も姑も死に、もう子供たちには私の母しか祖母と呼べる人はいません。

私がいなくなってしまうことがあっても、私が残した何かを受け取って、繋いでいってくれたら良いなって思います。

今年も残り少なくなりました。

なかなか忙しく、更新できませんでしたが、今年一年もブログを終える事ができそうです。

私の話を聞いてくれてありがとうございました。

良いお年を

余裕なし

2016-11-17 21:57:53 | 
もともとこういう性格だった気もするし、これが更年期なのかって思える時もあるし。

とにかくすべてに余裕がない。

休日に行事があって、忙しくても。
休日に予定が全くなくて、一日家でゴロゴロしていても、
どっちもすごく疲れます。

すべてがストレスになっていく。

一緒にお昼を食べている、女性の職員がいる。
この人は毎朝、わざわざ、私の席まできて丁寧に「おはようございます」と頭を下げてくれる。

「気にすることないです。挨拶は基本ですから」という。

素晴らしいことだと思う。
が。いつも、なぜか、スマホでゲームをしながら会話をする。
そして、私が目の前にいるのに「○○さんを待っているのにこない。どうして来ないのかしら。待っているのに」と
スマホと入口と周りを見ながら、私の話にあいまいに返事をする。

その人じゃなくて申し訳ありませんね。
無理に一緒に食べなくてもいいのに。
と。読みかけの本の続きを読みたくなる。

だけど、一緒に食べているのに目の前で本を読む気になれない。
相手はスマホでゲームをしていたとしても。

挨拶は基本と胸をはっていうなら、もう少し礼儀を勉強したらって思う。

お兄ちゃんの悪い兆候が出てきています。

とても不安です。

今の私にはお兄ちゃんのトラブルを受け止める余裕がない。

ずっと大人しくなんて無理なんだろうけど、
何度も痛い目にあっているんだから、いい加減気付いてほしい。

いやいや。
気付いていても、スイッチが入ってしまうのがお兄ちゃんなのです。


あー。どうか。思いとどまってくれますように。

どうか。無謀に走り出したりしませんように。

いつだって、私の気持ちとは真逆に走り出してしまう。

辛い。
きっと。今度は耐えられないっていつも思うのです。



我慢できない

2016-10-21 22:14:13 | ポエム
このイライラはどこからくるのだろうかと考えていた。

この憂鬱さはなんだろうか。

更年期なのか。

いや。

原因はわかっていた。

認めたくなかった。

許せない気持ち。

吐き出せば引き返せない。

そう思って、心にしまっていた気持ち。

不快感。
嫌悪感。

軽蔑。

大切な友達だった。

恩人と思った時もあった。

尊敬し憧れでもあった。

だけど。
変わってしまった。

平気でうそをつくようになってしまった。

家族を危険にさらしているのに、振り返ろうともしない。

「全部は嘘じゃない。言わなかっただけ」

そう言った。

それは過去に元夫がいつも使った言い訳と同じだった。

言わないことは嘘じゃないのか。

裏切りじゃないのか。

「あのことは、嘘じゃない。あの人とは関係ないのに疑われた。」

それも、元夫とがいつも言っていた。

「あれは、嘘じゃない。お前は疑うのか」

ひとつの真実はすべての嘘を隠せると思っている。

ゆるぎない真実がひとつあれば、それを蓑に隠せると思っている
相手を責める武器になると信じている。

自分の欲望だけを貪り食う人は、みんな同じ思考に変わってしまうのだろうか。

私はイライラしていたのではなかった。

残念で、残念でならない。

私は友達に失望してしまった気持ちを認めることが、辛くてたまらない。

悔しくてたまらない。

転属した部署の事

2016-10-02 21:52:53 | 
7月に長年いた部署から異動した。

仕事の内容は変わらないものもあったけれど、新しくやらなければいけない仕事も増えた。

減った仕事もあるけど、前よりも忙しくなった。

仕事が忙しいことはそれほど辛くない。

3か月が過ぎてだいぶ部の雰囲気にもなれた。

だけど、毎日ちょっとだけ憂鬱なことがある。

一緒に異動した男性社員。

この男性とは付き合いが長い。

途中、別な課になったけれど、またここ数年同じ仕事をしている。

とにかく、慌ただしい。
落ち着きがない。
常に物を探している。

何か打ち合わせをしても、常に結論を急ぐ。
自分だけで結論を出して、終わってしまう。

一番困るのは、私が電話でお客と話している電話を横から「良いから、変わって!」と言い続けて
電話をとってしまう事。
何の電話の話なのかも、ほとんど聞かず、お客の話も「はい。はい。はい。でそれで。それで。はい」と
急かすように話し、お客さんが聞きたかった説明とは全く違うことを言って「はいはい。」と言って電話をガチャ切りする。

私が「それでは、調べて折り返します」と言って電話を切ると
「なんだって?なんだって?」と聞き
「なんか、請求書送ってるか調べてって聞かれました」

「で。送ってるの?」
「はい。でも今何日に送ったか調べて折り返そうと思って」というと

「送ってるならいいよ。そこまで親切にすることないから」

というと
勝手に電話をかけて自分の名前も言わず
「送ってるから!」がちゃん!

私にかけてきたのに。。。

他の人と書類を調べていても、突然遠くから走ってきて
「はい!全部渡して!」と言って書類を持っていって、自分の机に置いて「俺があと引き受けるから」

で引き受けてやってくれるなら良いけどずっと時間たってから
「あ!忘れてた。ごめん」
そしてやってくれると間違っている。

どんな話も聞き耳を立てていて、突然人の話に入ってきて、「この人忙しいから、その話後にして」とか
「それなら、こうすれば良いんだから、ごちゃごちゃ話すことないから」と勝手に私の打ち合わせを打ち切ってしまう。

いったい。この男性は何がしたいんだろうか。

私だけじゃなくて、部に移った周りの人にも同じようにしてしまうため、ひどく嫌われてしまっている。

付き合いが長いけど、最初はこんな男性ではなかった。

マイペースだけど落ち着きのない人ではあったけど、こんな人ではなかった。
良識や常識を分かっている人だった。

最近は電話も自分で受けず、彼にすぐ渡すようにしている。

ずっと気にしないようにしてきたけれど、彼と仕事することがとても苦痛になってきた。

彼はどうしてしまったのだろう。

明日もまた横で「あれがない。」「これがない」とあちこちひっくり返し、
狭い事務所の中をよく見ずに走り回り、私のゴミ箱を蹴っ飛ばすことだろう。

見ているだけで疲れる月曜日が始まるのだ。。。

やだ。


うんざり

2016-08-09 21:18:11 | 
心底、嫌になった。

もう、彼女に怒鳴られることも、呆れたように鼻で笑われることも、蔑むように馬鹿にされることも、
つくづく嫌になった。

自分にもうんざりだ。

どうしてこうも機転が利かないのか。

忙しい合間のバス旅行の幹事の仕事。

夏の恒例の母子会の行事だ。

だけど去年も本当に大変だったし、私はメモをたくさん書いて電話で聞き忘れがないようにしても、どこか抜けていて
後から何度も修正したり、電話をしたりと気の休まる暇がなくて今年は別の人にやってほしかった。

だけどみんな夜勤続きだったり、出張続きだったり、体を壊して入院したり、やれる人は私しかいなかった。

私も、塾のボランティアが生徒が増えて、先生の管理、生徒の管理、帳簿付け、おまけに職場も変わって新しい仕事に
本当にいっぱいいっぱいの状態だった。

だけど、言い訳にはならない。
引き受けたらちゃんとやらなくちゃいけないって思っていた。

だけど、貰った団体バス旅行のチラシには一人3000円、バス、ランチ、温泉、果物狩りつきと書いてあった。


格安だったけれど、去年より募集人数が限られてしまった。

そして果物狩りもブドウ狩りでブドウ狩りは行ったことがなかったけれど、いろいろなブドウを一粒づつ食べるのかと思っていたら
人房ごととって食べるブドウ狩りだった。


一人3000円、バスは大人も子供もひとりと数えますと電話で言われ、大人も子供も3000円なんだと思った。
それでも格安だったからそう思ってしまった。

だけどチラシの下に小さく大人料金表示です。という文字をみつけ、電話で確認すると、子供の設定料金がちゃんとあった。

子供は2000円で済むことになり、修正する旨を彼女に伝えると
「どーしていっつもあとから修正されるの?は?自分は向かないってつくづく実感した?ちっこさんがそう思ってるなら私いう事ないわ。」
「今度から私に何でも聞いて。私なら完璧にできるから。ブドウ狩りも私が行ったことあるブドウ狩りは好きなブドウを一粒ずつ食べれたよ。
人房ごと食べるなんて、そんなブドウ狩りなら行きたくないわ。
今年は募集人数も少なくなったんでしょ、。それだって来年はもう少し気を付けて全員いけるように企画してよ。

今年はいけない人に説明して謝ってね。」


まだ、入会して2年もたたないうちに「特に何も頼んだりしないから、名前だけ」と言われ副会長になり、
彼女が病気になり、辛い治療の合間に会長職をこなしていることを気の毒に思い、
「会議にでたり、書類作ったりはできるから」と引き受けただけだった。

あれから4年たち、彼女の病気も落ち着き、元気になったようだし、
私がやれば完璧にできると言うのなら

「本当に、あなたがやった方がきっと上手くいくはずです。私は器じゃないってつくづく思いました。
向かないのに無理してやっていると、みんなに迷惑おかけするばかりですから、もう4年も会長職を務めさせてもらったんで
そろそろお返ししようって思っているんですよ」
「それに仕事も変わって忙しくて大変で、ボランティアの塾も毎週あって、その生徒と先生の管理だけでいっぱいいっぱい、その合間を縫って
幹事の仕事は、ただですら気が利かないんですから、見落としがあって迷惑ばかりかけてしまいます。

ぜひ、完璧にできるあなたにお任せしたいわ」

とまくし立てるように言葉がでた。

彼女は、私は後ろでアドバイスしてやる、私を手足のように動かそうと思っていたみたいで
「え?私に変われって話?」

「えー。そうです。私に後ろから指図してやるより、ご自分でやった方が間違いないです。私気が利きませんから。」

「え?私はもう65になったら引退しようって決めてるのよ」

「いえいえ。まだまだ65まで年数ありますよ。できますよ。完璧にできるんですから」

「。。。。いや。今きっとちっこさんも動揺しているのよ。ちっこさんが大変なのよくわかったわ。今日は話だけ聞いたっていう事で
金額、安くなったんだし修正しておくわ。じゃあ」
そうそうに電話が切れた。

言いたいこと言ったけど、ぜんぜんすっきりしない。

役立たずの自分と、無神経な彼女に本当に嫌になった。


転機

2016-06-25 21:44:31 | 
もう、大きな変化はないだろうなんて思っていたら、生きている限り転機は訪れる。

引っ越しして、父が死んで、そして今度は職場が変わることとなった。

転勤なんてないはずだったけれど、会社自体が大きく形態を変えるんだそうでたくさんの人が移動した。

行く人、残る人、職場は急な移動に毎日忙しい。

私も数人の仲間とともにもうすぐ移動する。

新しい職場はどんなところなのか。
仕事の内容はそれほど変わらないということだけど、行ってみないとわからない。

この職場にきて十年目。

入った頃は電話の受け答えすら満足にできなかった。

昨日まで専業主婦で暮らしていた私に、職場の人はとても親切に教えてくれたけど、
どこまで仕事ができるのか信用してもらえるまで、なかなか仕事がもらえず、毎日ただ座っているだけの毎日に
針のむしろのようだと、思っていた日々があったとは思えないほど、今はとても忙しい。

あのころあーちゃんはまだ4歳で、保育園に走って迎えにいき、重い荷物を抱えながらあーちゃんを抱いて帰った。

入社してすぐに、お兄ちゃんの異変に気付き、検査、相談所、病院と回って、自閉症と診断された。

それから支援クラス、高等養護学校と進み、今は働いてわずかだけど食費を家に入れてくれる。

「俺の頭は腐っているんだ」と壁に打ち付けて泣いたお兄ちゃんは、
「俺ってこだわりが。。。。強い。パソコンしないと仕事がはじめられないという習慣がやめられない。自閉症だからさーーー」

「あんたその自虐ネタやめてよね」
なんて障害のあることを笑い話にして話したりするようになった。

お兄ちゃんの中で自分の障害のことはすっかり受け入れることができたんだなって思う。

それは今の職場で、自分が認められて満足いく仕事ができていることがおおきいのだと思う。

あーちゃんも部活をやめて、新しく美術部にはいった。

やめたころは「楽器を吹くのは楽しかった。やめたくなかった」と言っていたけれど
今は楽しい仲間に囲まれて後悔はないようだ。


そうそう、うちの小鳥ちゃんが、ガラス窓に激突して、羽をけがしてしまった。

今はかごの中で絶対安静中。

父が死んで臥せっていた母も、「なかなか一人暮らしもいいね」と元気になった途端、あっちこっちと飛び回って
一人暮らしするほど実家にいない。

どこで暮らしていても元気になってくれたなら、良いと思う。

親も子供も、結局元気で笑ってくれていたら、自分は安心して暮らせるんだと実感する。

きっと子供たちも、母も同じ気持ちだと思う。

私が元気で笑っていたら、安心してくれるんだろう。

どこで、何をしていても。