トンネルの向こう側

暗いトンネルを彷徨い続けた結婚生活に終止符を打って8年。自由人兄ちゃんと天真爛漫あーちゃんとの暮らしを綴る日記

部活を辞める

2016-05-09 22:23:03 | あーちゃん
時々、自分の意思に反して物事が流れていくことがあります。

自分はそっちに行くつもりはないのに、どうしてもその流れに逆らえず終わりに向かっていく。

いつか読んだ小説で、全ての出来事は空から降ってくる。

雨のように降ってくるのだから避けることはできない。

良いことも、悪いことも、何が降ってくるのか分からない。

ただ、雨が体を濡らすように、出来事を受け止めていくだけなのだと。


避けられたと思った出来事も、結局回り巡って、どうしようもない決められた答えに辿り着いていく。

いつも思うけど。
どうしようもなかったんだ。

そうならないように、努力を尽くしたけれど、やっぱりそうなってしまった。

部活を辞めない。
もう一度頑張る。
そう言ったけど、学校の帰り道に偶然、嫌がらせをする先輩男子と遭遇し、トラブルになってしまった。

あーちゃんは追いかけられて腰をひねって傷めてしまった。

その腰を痛めて部活を休むことになってしまった事で、先生から電話がきた。

「娘さんから事情を聞きましたが、娘さんは話を大げさにしたり、嘘を混ぜたりして、何が本当で、何が嘘か分かりません。
追いかけられた事も一概に相手の男子生徒が悪いわけではなくて、娘さんが挑発してやったと思われて、お互いに呼んで
事実を確認し合いましたが、どっちもどっちでやはり、相手の男子生徒だけを処罰できません。
娘さんは、部活を続けるにあたって、話を大げさにしない。自分の非を認める事。などの態度が改まっていなかったので
今日は両成敗で家に帰しました」と怒りを露わにしていた。

私はまだあーちゃんから話を聞いていないので、聞いて話し合ってみますから。と言った

帰ってきたあーちゃんは、顔が肩に埋まっちゃうんじゃないのっていうくらい、うなだれて帰ってきた。

「先生は私の話を全く信じてくれない。相手が追いかけてきたのに。相手が友達にちょっかい出してべたべた友達を触るから
辞めさせたくて私が砂をかけて怒らせてこっちに向かせたのは挑発だっていう。
私が悪いから突き飛ばされたって。
誰も信じられない。」

無視して通り過ぎることはできなかったの?
遊ぼうって寄って来たときに、走って家に逃げる事はできなかったの?

できなかった。
できなかったの!

家を知られるのも嫌だったし、逃げても追いかけてきたし。
追い払ってやりたかったの。

あたしが全部悪いんでしょ!

涙と汗で顔はぐしゃぐしゃになって。
目は色を失って。

やっぱり限界なんだなっておもった。

「あーちゃん。これからも部活にいる限り、その男子生徒から離れることはできないし、パートのお友達との関係も悪化して
もうあーちゃんが何をやっても気に入らなくて、毎晩電話をかけてきて、やる気がない、練習が足りない。って叱られて。
何かすれば、下手なくせに余計なことするなと馬鹿にされて。
もう友達でもなければ部活仲間でもないよね。
一生懸命教えてくれたけど、どんなに要求されてもそのお友達のいうレベルまで上がることはできないし、
どんなにやっても満足させることは無理なんじゃないの?

あーちゃんの気持ちももうとっくに折れてしまっているんじゃないの?」

じっと俯いていたあーちゃんは
「もう、あそこには行きたくない。吹奏楽好きだったけれど。。。もうあそこへはいけない」
涙も枯れ果てたのか放心したようにポツリと言った。


先生から、あーちゃんから退部したいとの事を聞いたと電話をもらった。
たくさん言いたいことがあったけれど、丁寧にお詫びをして辞めさせてもらった。

なんでこんなにこんがらがってしまったのか。

やる気もあったはずなんだけれど、空回りして、お友達の要求通りにできなくて、
「出来ないんだから、やらなかったのと同じ!」とお友達が言いだしてから力関係が出来上がってしまった。

できないあーちゃんが悪い。
できないあーちゃんは努力が足りない。
できないあーちゃんは言いわけはできない。
できないあーちゃんは私たちの言うとおりにしていればいい。
できないんだから。

迷惑なんだから。

追い詰められたあーちゃんは、大げさに言わないと誰も私の話を聞いてくれないと思うようになり、
嘘を使わないと休むことも早退することもできない
早退しても次の日に何十分も説教される。
自分を守る嘘がエスカレートして、周りを混乱させるようになってしまった。

先生も、その話に振り回され、先生すらも、できないあーちゃんが悪い。
みんなが一生懸命教えてくれているのに努力しないあーちゃんが悪い。
出来ないことを嘘で言いわけすることが反省が足りない。

全てが悪循環になってしまった。

雨は降ってくる。
人生の出来事も降ってくる。

もう無理だよ。
限界だよって雨が降ってきたのかな。


とても痛くて冷たい雨だったね。。。
あーちゃん。


何もかもうまくいかなくて。

2016-04-30 22:18:13 | 
気持ちは消耗するばかり。

疲れて、くたびれて、沈んでいくばかりです。

あーちゃんの部活はもう限界を超えているのに、あーちゃんは部活を辞めずにまた一年頑張るそうです。

あーちゃんは、吹奏楽を初めてまだ1年。
最初は楽譜すら読めず、自分のパートの曲も、誰かに一度弾いて貰わないとどんな曲かも分からない状態でした。
一緒にいる同じパートの子はみんな小学校から、やっているので、とても上手で、あーちゃんのへたくそっぷりが歯がゆくてしょうがなかったのでしょう。

「練習しろ。朝連しろ。」「練習足りない。やる気がない。辞めたら」
「自分は精いっぱいやってるって、あーちゃんの言いわけだから。」
「できない癖に塾で早退とかありえない。」
「早く帰りたくて嘘ついてるし」
「明日もできなきゃ罰ゲームだから」

「はい。できなかったー。罰ゲーム」
あーちゃんを執拗に追いかけまわす男子生徒に
「あーちゃんに罰ゲーム、●君あーちゃんにタッチ」

嫌がって逃げるあーちゃんを「だいじょーぶー?」

家に帰ってごはんも食べずに悔しくて泣くあーちゃん。

「もう辞めたら。もう限界なんだよ」と言っても
「絶対やめない。でも帰り道にまたあいつが追いかけてくる」と泣く

「お母さん、迎えに行こうか」

「ほんと?」ホッとしたように言う。

先生とも話した。
でも先生も「双方ともに自分の都合の良い話しかしないので、どっちの味方もできない」と言う
「私もどこまでが本当かは分かりませんが、帰り道が怖いと言うのでしばらく迎えにきます」でようすを見ることにした

しかし、これが非常にきつい。

仕事に行って、帰ってきて、急いで買い物をすませ、料理をして、あーちゃんを学校まで自転車で迎えにいく

学区の端っこなので徒歩で20分はかかる。

そして、母子会の活動もまた今年度が始まった。

総会。バスレクと行事も次々やってくる。
父の納骨もまだ終わっていない。
子供たちの塾もある。

来ると言ってはこない子供達。
連絡してくださいと言っているのに連絡しない親たち。

私の苦手だった講師もトラブルを起こして、ついに退会となった。
長い間お世話になった講師だったけれど、講師としてはやってはいけない事をしでかしてしまい辞めてもらった。
辞めてもらってホッとしたけれど、とても疲れた。


そして極め付けが町内会の役員。

どうして、今年なのかなぁ。

町内会費ってこんなに集まらないものなのか。

連絡しても、なんの音沙汰もなし。

尋ねてもいるはずなのに出て出こない。

それでもようやく集めて後一軒なのに、集まらない。

相手のドアを思いっきり蹴飛ばして「払え!」って言ってやりたい衝動に駆られる。

あー。辛い。
しんどい。

全てを投げ出してしまいたい。


死んでほしい

2016-04-04 23:28:16 | 
父が生前、デイケアサービスに通うことを、施設に入れられると勘違いし、デイケアに行くことを勧める母に
父は「お前は俺にどうして欲しいんだ」と聞いた。

母は父との毎日の生活に疲れ果てていて、思わず「死んでほしい」と心の中でつぶやいたと私に言った。

死んでほしいと願った父が死んだあと、母は一向に元気にならない。
風邪をこじらせ入院し、退院してもなかなか布団から出られない生活が続いている。

そしてしばらくうちに来て療養させている間、母はもう少しで死ぬところだった。孤独死ってこうやって死んで行くんだとか
誰もいない家ってこんなに静かだったんだとか、
あの時、もっと早く気付いてたらなんとかなったんじゃないかとか。。。

正直、何いってんのって思った。

父が死んで遺品を整理した。
父の誰にもぜったい見せなかったかばんも出てきた。

自営で店をしていたころのかばん。
誰も中を見たことがない。

空けてみたけど、何もなかった。
宝石店をしていたのに指輪ひとつ出てこなかった。

父は母に何も残していなかった。

父は自営の店を開いた時も母は朝からパートに行き、夕方店にでて、夜遅くまで店を手伝い、家に帰り食事のしたく、洗濯の全てを
こなした。
父は店で得たお金を母には渡さなかったし、いくら店の利益がでても母に服一着プレゼントすることもなかった。

店を畳むときも、店の商品を処分する時も、母には何も渡さなかった。
「ありがとう」の言葉さえも。。

その父が、死んだのに、母は全く元気がなくなってしまった。

私たちに「あんたたちにもあの気ちがいの血が流れている。あーなる可能性があんたたちにもある」と言い続け
憎んで、嫌っていたのに。

私は母に「あーすっきりした」と言ってほしかった。
元気に「清々した」と言ってほしかった。

なのに母は父の痴呆の進みが早く立てなくなってからの一年を懐かしそうに振り返る。

辛かった。
酷かった。
めちゃくちゃだった。と言いながらも

私はずっと腹がたっていた。
冗談じゃない。
小さいころから父を憎み、私たちに汚物を垂れ流すように父の悪口を言い続け、呪われた子供のように言われ続けた私たちはどうなるのだ。

あげくは入院した病院から「気落ちしてお母さんも痴呆が始まっているかもしれない」などと。

やっと自由になれたっていうのに「ボケたり、死んだりしている場合なの!しっかしりてよ!このまま死んでいいの?」

腹がたって仕方がない。

がっかりだ。

私は心の中で何日も怒っていた。

でも私も気がついた。
ぽっかり穴が空いてしまっていることに。

そして二度と埋まらない事に。
もう二度と埋まる機会が訪れないことに。

父は、母にも何も残さなかったけれど、私にも何も残さなかった。

最後まで私の誕生日を覚えていることも、おめでとうということもなかった。
小さなころから、手をつないだことも、頭をなでられたことも、なんの思い出もない。

私は父親とは何かを教えて欲しかった。

私にも父がいたんだと、少しでも良いから思いたかった。

いつかは埋まるかもしれない。
私の中の欠けている何かが分かるかもしれない。

でも、もう
二度と
その機会は訪れない事にどうしようもない無力と虚しさを消せない。

いや。それとも違う。
失った喪失感さえもない。

何もない。
言葉にできない。

母も同じなのかもしれない。
私は何のためにこの人の傍にいたのか。

何の言葉もなく、何を思って母と暮らしたのかも分からないまま逝ってしまった。

母の耳には今も聞こえるという。
真冬に雪かきをして凍える体で家に入ると
「ごくろうさん」とのんびり声をかけてくる声が。

母も毎日、問うているのかもしれない。
「どうして」
「なんで」って。

父はまるで私たちなど出会ったことなどなかったかのように、サヨナラすらも言わずに逝ってしまった。
いった私はあなたのなんだったのでしょうか。
なんだったのでしょうか。

もうその答えを知ることはぜったいにできないのだ。
ねえ。
父さん。


誰かを愛するということ

2016-03-30 00:10:08 | ポエム
自分には恋愛に対する大きな何かが欠落しているんだと気がついた。

誰も愛せない。

誰にも愛されない。

当然だと思う。

だって私にはないのだ。

とっても大きな何かがないのだ。

恋愛に必要な圧倒的ななにか。

何がいけなかったのだろう。

どこで失ってしまったのだろう

それとも最初から持っていなかったのか


結婚がうまくいかなかったのも当然だって思える。

だって

私は

誰も愛したくないし

誰にも愛されたくないのだから



バタバタ

2016-03-15 21:29:51 | 
やっぱり今年ってそういう年?

年が明けて、父が急死して、ずーっとばたばたしています。

母が風邪をこじらせて入院してました。

今は退院して我が家で療養中。。。のはずが、そろそろ帰ろうかなって時に

あーちゃんがインフルエンザにかかり、

お兄ちゃんも半月以上も風邪が治らず、熱が下がったり、上がったりを繰り返し

また今日も寝込んでいます。

町内会の班長の仕事もあり。

運営している子供たちの塾もなんだかんだと問題がふつふつとあります。

だんだん私の心もマヒして、起こる出来事をただ対処しているだけの状態で

何も考えたり、悩んだりする気すら起きません。

最近、お兄ちゃんがこの先どこで暮らすのかって言うのを相談しに、成人の相談施設に行きました。

お兄ちゃん自身は、施設に入らず、ひとりで暮らしたい。

お兄ちゃんも就労して今年で3年目になります。

毎年、色々あるけれど、少しずつトラブルの起きる回数も減ってきて、
ときどき、一人でもサポートがあればできるんじゃないかって思う時がある。

でも根本的なところはやっぱり変わっていなくて、相談員の人と話していると
やっぱり、常に相談できる人がいる施設が良いんじゃないかと思えてくる。

相談員の人は、施設で暮らした方がいい、今から施設を探した方がいい、練習したり、週末だけ入居したり
一人暮らしなんて絶対難しいと考えているようだった。

私の考えはやっぱり甘いんだな。

無防備で騙されやすいお兄ちゃんに一人暮らしは難しい。。。

時間をかけて説得していきましょうって言われた。

私も気持ちの整理をしてどっちにするか覚悟を決めなくちゃね。

あーちゃんにも、どうにもならない部分があるらしい。

中学に入っての成績は、全く良くない。
最初は環境が変わったせいかと思っていたけれど、どんなに勉強をさぼっても
授業だけや教科書を眺めるだけで理解できそうな部分も全く分からないようだ。

5教科合わせても10点いかなかったお兄ちゃんほど酷くはないけれど、
ボーダーぎりぎりの学力しかないのでないかと思う。

運動神経も鈍いというレベルではなくて、自分の思った通りに体が動いていない気がする。

人のまねをするのも逆になってしまったり、
腕の力も極端に弱かったり、
反射神経が鈍くて良く転んだりする。

この一年「勉強しなさい」と言い続け、びっしりつきっきりで勉強につきあい、塾も行ってみたりしたけど
わずかの成果に対して、あーちゃんへの精神的負担は相当かかっていたらしい。

問題行動も目立ち、精神的にもものすごく不安定。
部活の両立もあーちゃんを追い詰めていることに気がついた。

だから、勉強は辞めることにした。
とにかく中学は部活だけなんとかやりきる。

あとは入れそうな高校を探し、どんな高校でも卒業の資格を得て、何かひとつだけできるようにする
その何かはこれからじっくり考える。

お兄ちゃんのように、手帳をもらえるほどには障害は重くない。
なんらかの不自由を抱えながらも自力で生きていかなければいけない分、あーちゃんには過酷になるだろう。

だからこそ、何か一つだけの勝負できる物を探して磨く。

こんなにバタバタ日常は動いていても、子供たちは待ってはくれない。

あー。今年の冬は雪が少ないのに、とても長く感じる。

もう3月。
でもまだ3月。

すでに疲れはピークに達している。
乗り切れるか今年。

がんばれ私。

落ちてます

2016-01-30 19:39:25 | 
まだ一月が終わったばかりなのに、もう一年が過ぎたかのように疲れがでてます。

今年のお正月、初詣に行きました。
毎年、元旦の早朝に行くのですが、楽しみにしていることがあります。

それはお守り付きおみくじ。
小さな縁起物のお守りがついています。

今年も姉一家と初詣をし、おみくじを引きました。
生まれて初めて「大吉」でした。

「おー!大吉!初めて!」と興奮していると、隣にいた姉も「私も大吉だー!」と言いました。

書いてあることも、良いことばかり、「今年は幸先が良いね」とふと姉の大吉のおみくじをみると
私と全く同じ内容が書かれています。

「あれ?私と全く同じおみくじだね」と言って合わせてみると、大吉とおみくじ番号まで同じでした。

沢山あるおみくじの中から、二人で同じ番号のおみくじを引くなんてなんて偶然。

本当にびっくりしました。
そして、ふっと「もしかしたら、今年は私たちいろいろあるけど乗り越えられるよ」という意味ではないかと
思ったのでした。

そして二週間後に突然の父の死。

人が亡くなったあとの手続きって、本当にたくさんあります。
母は父のあまりの死に興奮状態が止まりませんでした。
脈略のない話を延々としたり、突然へんな冗談を言って笑ってみたり。

役所での手続きも全然わからないみたいで、ずっと付き添ってやりました。

疲れているのに、なんだか眠れません。
父の死がショックなのかと言われれば「全然」です。

もともと私の中に存在感が全くなかったので、突然いなくなっても、生活自体も、気持ちも全く変わらないです。

それでも、もうあの家に父はいないのだと考えたりします。
変な気持です。

人は本当に死ぬんだななんて漠然と納得したりします。

友達が「人は死んだら何もなくなっちゃうんだよ。あの世なんてないし、無しかない。」そう言いました。

「わたしは、あの世はあると思わなければ、怖くて死ねない」と言うと
「どうして?だってあの世なんてどこにあるっていうの?空?どこ?それは心の中に残るっていう意味でしょ」

「私は心の底から、あの世はあるって信じているんだよ。これは考え方の違いだけど、あの世で誰かが待っていてくれる
って思わないと怖くて生きられない。あなたは生きられるの?」

「だから、今を生きるんでしょ。死んだら無!だよ」

正直、強いな。って思いました。

だって今あるものが全て無になってしまうなら、なんのために生きているのでしょうか。
死んだあと、自分の残してきたものを見守る事ができなかったなら、自分の生きる意味があるんでしょうか。

考え方の違いだし、死んだこともないので、友達とそれ以上議論する気にもなれませんでした。

今年は、いつもの役員のほかに、今日は団地の班長も頼まれました。
順番せいで去年から分かっていましたが、会費集めとか憂鬱です。

まだひと月しか過ぎていない平成28年は私には長い一年になりそうです。。。



子供を見失う時

2016-01-29 23:07:32 | 子供
我が子を見失って途方に暮れる時がある。
この子は私が思っていた子と全く違う子なのではないかと思うことがある。

私の知っているわが子はどこへ行ってしまったのか。
最初からいなかったのか。


じっと見つめた我が子は、ずっと俯いていた。
言葉がのどに詰まって声がでない。

この子はなんて言うだろうか。
どんな顔で、どんな言葉を発するだろうか。

ひょうひょうとまた嘘をつくだろうか。
酷い。私を信じないのと大げさに泣いて見せるだろうか。

神様、私の知っている子はどこでしょうか。
この子でしょうか。

「さあ。なんて言うのかな。どんな顔でお母さんに話をするんだろう。そこまで人間落ちたのか。」
のどに詰まった声は低く、呻くように絞りでた。

ずっと。俯いていた体が、崩れるように床に伏せた。
「ごめんなさい。。。。」その声もしぼり出たようにか細く力なかった。

でも、その声は私の知っているあーちゃんの声だった。

「そうだね。それがお母さんの知っているあーちゃんだね。」
そう言葉にだすと、泣くまいと思っていた涙があふれ、嗚咽となって
「お母さんの知ってるあーちゃんだね。お母さんの知っているあーちゃんはいなくなってしまったのかと思ったよう」
と二人で声をあげて泣きました。

嘘をついたあーちゃんも悲しかったのでしょう。
間違いを犯さなければいけなかったあーちゃんも辛かったのでしょう。

お母さんは、あーちゃんの話を聞いていませんでした。
あーちゃんをちっとも見ていませんでした。

あなたの暮らしが変わっていたことも、あなたが暮らしの中でもがいていたことも、
お兄ちゃんが一番で何も気づこうともしていませんでした。

あなたは小さい時から「お母さんが大好き」といつも言っていました。
今もいつも言います。

「困った時は、どうするかわかる?」と泣きながら聞くと
あーちゃんは「我慢する?」と言いました。

あーちゃんの中には大好きなお母さんに「相談する」という選択肢がなかったのです。

だってお母さんを困らせてしまうから。。
お母さんはきっとだめだというから。
お母さんに相談しても無駄だから。


いつからこんなにあーちゃんの信用を失ってしまっていたのでしょうか。

あーちゃん。困った時は「相談するんだよ」
お母さん聞くから。
ちゃんと見るから。

あーちゃんは無言のまま、ずっと泣いていました。
私もずっと泣きました。


父が死んだ

2016-01-20 18:33:14 | ポエム
今、思うと、父には悪気はなかったんだと思う。

困らせようとか、意地悪しようとか、そういう気持ちはなかったんだと思う。
私たち家族が嫌いだとか、憎いとかそういう気持ちもなかったんだと思う。

自分以外に興味が持てない。
自分以外の人の気持ちがわからない。
自分以外のルールは変えられない。

父はお兄ちゃんと同じ自閉症だったのではないかと、ここ数年思うようになっていた。

朝起きる時間から、昼ごはん、夜ごはんと食べる時間はいつもきっかり同じ。
食べる物はひとつの物を食べ始めると何カ月も何年も同じものを食べ続ける。

新しい電気製品を買う。
説明書通りに使うことができない。
自分のルールで使い、それが電気製品によかろうが悪かろうが自分の使いたいようにつかう。
使い方によっては一か月持たず壊れる。

着替えない。
風呂に入らない。

肌触りがいやだから。

気に入らないことは絶対にやらない。
好きな事しかやらない。

父は家にお金を入れない人だった。
必要以上に働かず、自分の好きな車は現金で買ってくるのに、子供には靴一足買うのも嫌がった。
母が一人で私たちの生活のすべてを支えていた。

私が離婚したとき「俺に何か迷惑かかるのか」と聞いた父。

母が具合が悪い時、「俺の食べる分はあるから買い物行かなくても良い」と言った父。

すべてが自分。自分しか見えなかったかわいそうな人。

誰ともかかわらず、誰との思い出もない父。

私たち兄弟も父との思い出は全くない。
もちろん孫たちともかかわろうとしなかった父

どんなに小さい孫だろうが、気に入らなければ怒鳴りつけて怖がらせていた。

棺の中に何か思い出の品をと言われても「何にも趣味のない人でした。大事にしていた時計もなければ、
おしゃれもしない。テレビも見なければ、本も読まない」

一日中、食卓テーブルに座って、ただ窓の外をみて、時計を見て。時間になればごはんを食べて。
椅子に座ったまま寝て。

何もしない。話もしない。笑いもしない。

一日中座っているから、足はゾウのようにむくんで腫れあがっていた。

父は体が丈夫だった。
風邪もひいたことがない。
少し傷んだ物を食べてもおなかも壊さない。

足がむくんで紫色に変色して驚いて病院へ連れて行っても、「どこも悪くありません」と言われる

突然、倒れて意識がなくなって、救急車で運ばれた時も、数日入院して全身を調べても「どこも悪いところはありません。」

一年前から、歩けば転び、座っていても椅子から落ちる。
転んでも自力で起き上がることができない。
風呂にも入れない。

外に出ることを嫌がった父だけれど、半年前からデイサービスに通うようになった。

食いボケが始まり、目につくものはなんでも食べてしまう。
母が留守の間に隣の人が届けたヨーグルトジュースを一リットル一気飲みをして、おなかがゆるくなって
トイレも、部屋も、ベットも汚物だらけになったしまっても、自分では気付かない。

立てないことを忘れ、歩けないことを忘れ、熱い物を持ったまま立とうとする。

立てないはずなのに夜中にラーメンを作って食べようとする。

お正月に帰った時も、父は一人で歩こうとして転んでしまう。
留守番していた弟の嫁さんと私に起こしてトイレに行かせてくれという。

しかし立たせようとしても足に力が入らず、ひっぱった方向にまた倒れて行く。
いくら「おむつしているから、おトイレはあきらめよう」と言っても
「立てる!立たせてくれ」と言って杖に捕まって立とうとしては転ぶ。

「ごめんね。私たち女の力じゃ無理。這ってベットまで行ってくれる?」
父は這うこともできず、ずるずると体を引きずってようやくベットに辿り着いた。

こんなに転んでも「脳が委縮して痴呆が進んでるだけ、どこも体は悪くありません」と医者に言われる。

父は医者の言うことも聞かなかった。

出された薬も飲まない。
決められた量も自分の判断で倍飲んだりする。

転ぶのにお酒も止められなった。

そして、夜中にトイレに行こうとして倒れて、朝、母に発見され、病院に運ばれたけど、
病院に着くときには心臓が持たない状態だった。

私が会社で報告を受けたのは、父が亡くなった後だった。

病院へ行って説明を聞くと、「お父様は、死亡の原因が分からない。MRで撮ったけれどどこも悪くありません。
このままでは死亡診断書が書けないので、警察が自宅を調べます」と言われ、警察が自宅を調べたけど特に
変わったこともなく、結局原因不明の不整脈の死となった。


「死んでるのにどこも悪くありませんだって」

「こんなに人を振り回して、結局わかりません」だって。

なんて父らしいんだろうって思った。

そして父が死んだ日。
次の日から私は職場で丁度冬期休暇をとっていた。
休暇前の引き継ぎも終わって、後は休みに友達とバーゲンでもと楽しみにしていた。

遠くに住む姉も、丁度娘の受験でこっちに来ていた。
姪っ子は葬式場から試験に出かけた。

姪っ子は「おじいちゃんとの思い出はないけど、この葬式だけは忘れない」と言った。

他の人もなぜか休みが丁度重なって。。。
「タイミングが良いんだか悪いんだか」とため息ともあきらめともつかない言葉となって
気付けば、誰も「全てが父らしい」と口々に言った。

天気予報は葬式の次の日から大荒れだった。

だけど、手続きを終えるまで、空は青く、冷たく、静かに過ぎて
「じいちゃんが、晴れにしてくれたのかね」と母が言うと
「じいちゃんが、そんなめんどくさいことするはずない。偶然よ。偶然」

存在感が全くなかったのに、いなくなった気がしない。
誰ともかかわりがなかったのに、父の話をすると「変わった人だった」と話題につきない。

誰の記憶にも残らないかわいそうな人と思っていたけれど、
父はちゃっかり人の心にその存在を残して逝ってしまった。

その事に私は少し安堵したのだった。
だってやっぱり父だから。



合わない人

2015-11-27 21:49:50 | 
あまり、人を嫌いになったりすることはない。
どんなに『嫌な感じの人』とか『苦手なタイプ』と思っても、気持ち的に修復出来なくなるほど、
嫌悪する前に距離を取るか、どうしても付き合わなければならなければ、壁を作ってそれ以上は踏み込まないように
表面上付き合っていけるようにしてきた。

もめ事が大嫌いなので、我慢できるならたいていの事は我慢して相手に合わせてしまうようにしている。

それでも、どうにも合わない人はいる。
会った後に何日も不快な気持が残ってぬぐえない、心の中で「やっぱり駄目だ」と感じてしまう人。

話し方。考え方。ひとつひとつが心に不快感を与える。


本人が嫌がっているのだから遠慮してくださいと言っているのに「僕がやりたいんですから、大丈夫です」と言う。

嫌がっていても、僕がやれば大丈夫ですから。
と言って無理やり生徒を自分の席に座らせ、いつも教えている生徒を「お前、今日はあっちで勉強しろよ」と言う。

いつも教わっている生徒がそのあと、ものすごくがっかりした顔をして、その人を見つめているのを、他の先生が
「あれ?●ちゃん恐い顔して▲先生見つめてどうしたの?」と言われるまで、自分が相手を傷つけた事に気づかない

そして、終わった後に、今日はいつも教えていない生徒に、どうしても教えたかった事ってなんですか?と聞いてみると
僕が教えても、無口な彼女は笑うかなって思って。
彼女も僕が教えたら笑ってくれました。
やっぱり難しいことばっかりじゃ駄目なんですよね。明るくやることも必要なんですよ。

と意味不明な事を言っていた。

後から考えると、先週、若い学生が無口な彼女を教えた時に、ニコニコしていて、学生さんが「彼女はあんな風に
笑顔をみせてくれることもあるんだな」と驚きました。
と言っていた。

無口な彼女をいつも教えている先生は、中学を定年退職した女教師で、とても熱心でまじめ、勉強と遊びは分ける
タイプ。
▲先生がいつも大声でげらげらと生徒と笑っていると「他の生徒が勉強できない。先生が先にたって騒いでいたら
生徒もうるさくなって当然だ」といつも終了会議で抗議していたのがおもしろくなくて、
無口な生徒が女教師といるときは笑わない事を強調したかったのか。

当てつけなのがすごく伝わって不快でしょうがなかった。

そんな事の為に、他の生徒を悲しい顔にさせて、自己満足の為にするなんて。
本当に嫌なやつだ。

あーちゃんは昔からその▲先生を知っていて、教わってきて、小さい時はその▲先生を慕って
「あーちゃんは俺の事は一番好きだって言ってくれたんですよ。帰り道一緒になると追いかけてきて可愛かった」
って何度も言うけど、8歳の頃のあーちゃんは今はもう13歳になって反抗期まっさかり。

あーちゃん自身は「▲せんせい、あーちゃんは俺が一番すきだって言ったんだよね」っていっつも言って気持ち悪いんだよね。」
と避けている。

なのに「あーちゃんに、今日はじっくり話があるんですよ。今日はあーちゃんは僕に教えさせてください。」って言って
またいつもの生徒を「お前はあっちね」と言う。

私が「今、あーちゃんは難しい年頃なんで、話とかあんまり聞かないから、いつもの先生で良いです」と言っているのに
「僕なら大丈夫、大丈夫」と聞き入れてくれない。

結局、あーちゃんは来なかった。

先週の出来事ですごく嫌な思いをして、その不快感が消えないうちにまた今週がやってくる。
毎週会うから、気持ちがずっと嫌なままなのだ。

明日もまた「あーちゃんに話がある」とか言い出したらどうしよう。。。

「お前。嫌われてんだよ」って言いたくなる。。。

言わないけど




もうすぐ1年

2015-10-31 20:36:41 | 
引越ししてもうすぐ1年。
インフルエンザ薬のひどい副作用になってからもうこんなに月日が流れていたとは。

あっと言う間ですね。

お兄ちゃんは最近は落ち着いていますが、時々びっくりするような事をしてしまうのは
相変わらず変わりません。

仕事場でお兄ちゃんはお金を盗まれてしまいました。
仕事場の主任がすぐ対処してくれてお金は見つかりました。
盗んだ犯人も分かり、同じ障害をもつ仕事仲間でした。

入所した時、明るく話しかけてくれて、仲良くしてくれていたのでとても残念でした。
その日のうちに退所されました。

こういう時、呼び出された親御さんの気持ちを考えてしまいます。

お兄ちゃんも欲しいものが我慢できず、家のお金を持ち出した事があります。
衝動を抑えられず、人の物を盗ったり、万引きしたりするようになったら。。。
どんなに仕事ができても、手癖が悪いと施設も職場も受け入れてはもらえません。

それだけはしないように、今まで養護学校でも厳しく指導してもらい、家でも必死で教えて理解して
善と悪だけはわかるようにと、その親御さんもきっと一生懸命されてきたと思うのです。

それでも、やっぱり、こうなってしまう事にどれほどがっかりされただろうと考えると
他人ごとではないと思うのです。

が。。盗まれた時お兄ちゃんに「鍵のかかるロッカーを一人ずつ与えられているでしょ。ロッカーのカギはどうしたの?」

「鍵はあるけど、鞄をロッカーに入れてない。弁当がでかすぎて、ロッカーが閉まらないから、ロッカーの外に置いてある。」

「え?じゃあ。お財布も鞄に入れっぱなしで外に置いておいたの?」

「そうだよ。だって盗まれると思わないもん」

「いやいや。鞄は入らなくて外に置くなら、お財布だけはポケットに入れたりするでしょ。貴重品は自己管理だよ。。。絶対手元から離しちゃ駄目なんだよ。お財布持って仕事し辛いなら、せめてお財布だけでもロッカーに
鍵かけてしまうんだよ」

お兄ちゃんの危機管理のなさは、常に悩みの種です。
お財布にお金が入っていないからといって、一円も持たずにお財布を置きっぱなしに仕事に行ったりします。

知らない人を信用してしまうのもあんまり変わってないです。

新しい家には人を呼ばないというルールにしているので、高校時代の友人しか遊びに来ませんが、
ルールを甘くすればたちまち、誰でも連れてこようとしてしまいます。

友達は「盗んだんじゃないから良いじゃない」と言うけど、そういう問題ではないのです。

痛みに鈍く、体調の変化を正しく感じる事ができない部分もあります。

仕事に集中してしまうのを止められないと言います。
集中しすぎて暑さのなか、水分を取ることを忘れてしまったり、疲れてるのに何時間もやり続けてしまったり
家に帰ってきても、異常に食べている事に気づかずついに数年前の胃潰瘍の時のように、何日も続く吐き気に
まったく物を口にすることができなくなってしまいすっかり痩せてしまいました。

そして最近は人の目を気にするようになり、病院で変な事を言ったり、分からない事を質問されるのが恐いと
言って、一人で病院に行けなくなってしまいました。

人の目を気にするようになったのは進歩なのか、後退なのか。。。

あーちゃんも思春期真っただ中
色々ありました。

自分も一つ区切りの決断を迫られて岐路にたっています。


やらなくちゃいけない出来事も山積みなのに、考えてばかりでちっとも進みません。
イライラしたり、落ち込んだり
あっという間に過ぎる日々に、色んな事が積み重なっていきます。