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2021年10月7日は、レパントの海戦の勝利450周年です。

2021年10月08日 | お説教・霊的講話
2021年10月7日は、レパントの海戦の勝利450周年です。


2018年10月6日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ

小野田神父説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、

今回は特に、マリア様が私たちにロザリオを以て、どうやって異端に対して私たちを守って下さるのか、という事を黙想したいと思っています。

マリア様は特に聖ドミニコにお現れになって、アルビ派の異端に対して戦う為にロザリオを与えました。

イスラム教が侵入してきた時に、レパントの戦いで、1571年、ロザリオのお祈りを以て、キリスト教軍は大勝利を収めました。その勝利の記念に、この10月7日、ロザリオの聖母の祝日が定められました。1571年。

100年前にはファチマで、共産主義に対して、ロシアの誤謬に対して勝利を収める為に、その誤謬が世界に広まらないようにする為に、ロザリオを毎日祈る事、そして初土の信心をする事を、聖母の汚れなき御心に対する信心を行なう事を求めました。

ちょうどレパントの海戦でイスラム教が、トルコ軍がヨーロッパを侵略しようとしてきた時に、弱まっていたヨーロッパを侵略しようとした時に、ヨーロッパは実はプロテスタントの危機を迎えていました。そこでしかし、プロテスタントの異端が、マルチン・ルターがプロテスタントを始めた時に新しい宗教を作った時に、ロザリオの信心があった地域では、カトリック信仰が守られました。

そこで今回特に黙想を提案するのは、

⑴マルチン・ルターの主張が一体何だったのか?プロテスタントというのは一体カトリックとどこが根本的に違って、何がプロテスタントの核心の主張だったのか?

⑵そしてその主張の結果、一体そのそれから派生する結果は、結論は何なのか?

⑶それに対してロザリオは、そのロザリオを通してマリア様は私たちにどのような事を教えて下さって、どうやってカトリックの信仰を守ろうとされているのか?

4最後に、私たちはではどのような決心を立てなければならないか?という事を黙想したいと思っています。


⑴第1は、マルチン・ルターは何を言って、カトリックの信仰を破壊しようとしたのか?

それは今から約500年前、501年前、1517年10月31日に、ヴィッテンベルクという教会の門に、自分の95の主張をドアに張り付けた、そこから始まったとされています。これがマルチン・ルターのいわゆる宗教改革という革命であって、新しい宗教の始まりでした。

そしてその数年後には、たくさんのパンフレットやたくさんの小冊子を書いて、論文を書いて、それを自分の主張を言います。一体何が元々の、一体その主張の核心は何かというと、それは「人間がどうやって義化されるか、どうやって罪を赦されるか」というところにありました。

マルチン・ルターによれば、「人間は罪人であって(確かにこれは本当です)、そして原罪によって人間は堕落してしまった(確かに本当です)、」ところがマルチン・ルターの言うには、「あまりにも堕落したので、天主の聖寵によってそれを癒す事ができないほど腐敗してしまった。だから人間はどのような事があっても、天主はそれを癒す事ができない。人間は罪人であって、罪人のまま残る。だから『罪が赦される』というのは、『人間が浄くなる』という事ではなくて、ただ罪が赦された、という事にしよう。本当は罪人のままだけれども、あまりにも罪人だから、これは『外見的に、外部的に、罪を赦されたという事にする』という、内部からの(これを昔の用語で義化と言うのですけれども、義人とされる義化)内部からによる義化ではなくて、外見だけの外的な義化に過ぎない」と主張しました。

ここにマルチン・ルターの核心がありました。ですから彼によれば、「人間は同時に罪人であって、そうではない。内部で本当に腐りきっていて罪人だけれども、外見的には赦されたとされている事になっている。罪人であって、同時に罪人でないと」いう、それが彼の主張でした。

もちろんこれはカトリックの、イエズス・キリストの教えでもないし、イエズス・キリストから伝えられた使徒たちからの教えでもありません。

天主の教えは、「天主の全能は、その正義は、その憐れみは、極みまで行き、天主が人間となって、そして御血を流す事によって、罪の贖いを全て果たす事によって、私たちを内部的に浄めて下さった。聖寵を注いで下さって、そしてその聖寵によって、無限の功徳によって、本当に罪が赦される、全く浄められる」と教えています。

しかしルターによれば、天主の正義も、これによってただの紙切れ、ただの外見だけに歪められてしまって、そして本物の正義ではなくなって、本物の義化ではなくなってしまいました。


⑵その結果、その論理的な結果、何が起こったかというと、3つの点があります。

1つは、「天主が人間を外的に義化するので、人間が義人と認証されるか否か、というのは、天主とその人間との間の関係の事だけであって、そして他に仲介者は必要ない。だから人間は言ってみれば、全てが司祭である。洗礼を受ける事によって、全て天主によって外的に義化とされたと認められて、その他には司祭はいらない。」

次には、「人間はあまりにも腐敗しているので、良い行ないをする事ができないし、良い行ないをする、善行をして功徳を積む事などできない。」

最後には、「だから人間には、道徳というものは守る事ができない。何をしても、天主が『この人は救われる』と思えば救われるし、『救われない』と思えば救われない。」ですから「道徳というものはない。ただ救われたと信じれば良いし、そして信じれば救われる。善業などというものによって何か功徳を積むというのは、傲慢であって間違っている。イエズス・キリストが全てをしたので、私たちは何もする必要がない。私たちはいつまでも罪人のまま残るので、もしも救われたいなら、より強く罪を犯して、更により強く信じれば良い。」「信じる内容というのは、自分が思った事であって、そして唯一信じなければならないのは、自分が救われているという事だ。」

これがルターの主張でした。ですから彼は、自分は最初はアウグスチノ会の修道司祭でした。三つの誓願(清貧・貞潔・従順)を立てていました。ミサにも与っていたはずでした。ミサもサボっていなければ立てていたかもしれません。マルチン・ルターの伝記によると、あまりにも忙しかったので、聖務日課もミサも立てた事がなかったと思われます。

そしてその修道誓願を立てた司祭であったはずが、その革命を起こした後には、ある修道女と一緒に同棲をして、そして酒飲みの生活をして、冒涜と、口汚い、自堕落な生活を送って、死んでいきます。

最後には、あまりにも自分の教えによって多くの人々が常軌を外したような生活をしているのを見て、「これを救うには、世の終わりが早く来るしかない」と思っていました。

ルターにとって、「自分の教えとカトリック教会は全く違うものだ」という事をよく認識していました。そしてその「自分の教えが正しくて、そしてそのカトリックの教えが間違っている」という事を主張して、その間違いは『三重の壁』によって、ちょうどイエリコが、旧約聖書のイエリコの町が三重の壁によって守られていたように、「それを取り囲んで、それを壊してしまわなければならない」と思っていました。

そしてその教会を守っていた『三重の壁』というのは、「司祭職」であって、これが天主への礼拝への一致を守っていました。もう一つは「聖伝」であり、「教皇様」でした。「聖伝の教え」という客観的な教えは、信仰の一致を守っていました。また教皇様は、「不可謬の教え」によって教会の統治の一致を守っていました。

「これらを破壊しなければならない。」ですからミサに対して、あるいは聖伝に対して、教皇様に対して、非常な憎しみを持っていました。「聖書のみあれば十分だ」と主張するようになりました。


⑶ではカトリック教会の教えは、ロザリオによって、どのように守られたのでしょうか?

聖ドミニコが特にマリア様からのこのロザリオ受けた後に、多くの教皇様によって、ロザリオの祈りが勧められて励まされてきました。聖ピオ5世教皇様は特に、ロザリオの祈りを皆にお願いして、レパントの戦いでの大勝利を受けました。その後多くの教皇様たちによって、この祝日が特別な大祝日に高められいてきました。ますますロザリオが広がっていきました。励まされていました。

教会はいつも、公式な教皇様の声や、公会議の声を通して、私たちにどのようにするべきか、どのように祈るべきか、何を信じるべきかを教え続けてきました。

そのロザリオは私たちに何を教えるかというと、「イエズス・キリストの御業が、その御託身と贖いの御業によって、私たちの霊魂が内的に聖化される、義化される」という事です。

そして「その内的に義化される為に、まずマリア様がその業に協力された。その最初からマリア様が、『我は主の婢女なり。仰せの如く我になれかし。』そして第2のエヴァとして協力された。それと同じように、ロザリオの神秘を通して、私たちも救いの御業に協力するように招かれている」という事です。

そしてマリア様の御生涯を通して、「善業というのには価値がある、功徳がある。そしてこの功徳の御恵みによって、私たちは御恵みを得る事ができる」と教えています。

ロザリオの特に喜びの玄義は私たちに、「この地上でイエズス様がその30年間、従順の生活をされた。清貧・従順・貞潔の生活をされた」という事で私たちに、「道徳、あるいは倫理、善業というものは存在する」という事を教えています。「私たちはそれを、掟を守らなければならない」という事を教えています。

苦しみの玄義によれば、「私たちは、イエズス様の苦しみに自分の苦しみを合わせる事によって、自分の十字架を担って、イエズス様に付いて行かなければならない。私たちはシレネのシモンにならなければならないし、ベロニカにもならなければならないし、そしてヨハネ、マリア様のように、十字架の下に居なければならない」と教えています。

栄えの玄義によれば、「私たちは、イエズス様の復活と御昇天、そして聖霊の降臨、カトリック教会、聖母の被昇天などを信じなければならない。つまり教会の権威を信じなければならない」という事を教えています。「聖書のみではない」という事を教えています。


⑷では、私たちは一体どのような遷善の決心を立てなければならないでしょうか?

私たちは教皇様の、歴代の教皇様の仰ったように、ロザリオを毎日唱えましょう。教会が認めた御出現、例えばルルドや、あるいはファチマや、あるいは新潟の司教様が認めた秋田の御出現では、「ロザリオの祈りを唱えるように」と勧められています。これは、私たちが自分でそう思うから、この御出現が正しい、マリア様がそう言ったのだ、と私たちが決めたのではありません。教会が、司教様が、「そうだ」と言ったので、私たちはそれを信じるわけです。教皇様たちが「ロザリオを唱えるように」と仰ったので、私たちもロザリオを唱えようとするのです。

もしも私たちが聖伝のミサを捧げているのも、教皇様がそう仰ったからです。聖ピオ五世教皇様が、このレパントの教皇様が、「このミサは、永久に有効であって、全ての司祭がこのミサを立てる義務と権利を持っている。そして誰もこのミサを変えてはいけない。このミサにはいかなる誤りもない。」(1570年7月14日 聖ピオ五世教皇 大勅令『Quo Primum(クォー・プリームム)』)

もしも私たちが、「プロテスタントの教えが間違っている」と言うのは、「プロテスタントの義化の教えが間違っている」と言うのは、それは教皇様たちが、公会議が、そのように宣言したからです。昔からの教えがそうであるからです。

もしも「正教会が、フォチウス、あるいはミカエル、というコンスタンティノープルの総大主教によって始められた離教が間違っている」と言うのも、教会がそのように言ってきたからです。

もしも「イギリスの英国教会での司祭の叙階が無効である」と言うのは、それは私たちがそう考えついた、そう思ったからではなく、教会が客観的にそのように研究して、そう判断したからです、「叙階の秘跡の言葉が変えられている。有効性はあり得ない。」

私たちはルターの、「自分がそう思ったから、それが正しい」ではなくて、「カトリック教会の教えがそうだから、歴代の教皇様たちが公会議が教えているから、私たちはそれを信じる」という立場をとっています。

そしてロザリオの祈りは私たちに、そうするその教会の教えを信じる事がより良くできるように、助けてくれます。

ですから、私たちはもしも突然、ある時突然、2000年間の教えに、2000年間の教皇様たちの教えや声にいきなり反対するような事を誰かが言ったとしたら、私たちは戸惑ってしまいます。一体、一体マルチン・ルターは正しかったのか?あるいは間違っていたのか?イギリス英国教会の司祭は本当に有効な司祭なのか?司祭ではないのか?

あるいはその他色々な、教会の当局者であったとしても、あるいは空から来た天使であったとしても、何かイエズス様からの福音、あるいは教会の2000年間の教えに反対するような事、あるいは私たちがロザリオでこう唱えて、それから学ぶような、私たちの信じている事と反対するような事を主張するなら、私たちは何をするべきか、1つしかありません。

私たちは、マルチン・ルターを取る事もできないし、アルビ派を取る事もできないし、共産主義も取る事もできないし、イスラム教も取る事もできないし、教会が「異端だ」と排斥した教えを「21世紀では、それは昔の話になったから」と言って、排斥された異端を信じる事もできません。

ロザリオの祈りは私たちに、正しい、使徒継承の、聖伝の信仰を信じ、そしてそれを実践するように助けてくれます。

ですから私たちはこの初土にぜひ、10月の初土にぜひ、ロザリオの祈りをますます愛して、これを熱心に黙想しつつお祈りするように、その決心を立てる事に致しましょう。その為にも、ファチマのマリア様に、特別の御恵みをお願い致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。









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1 コメント

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Unknown (aachiiknos6751)
2021-10-08 21:40:27
とてもよく判る御説教です。ロザリオを祈りたいという気持ちがよりつよまりました。
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