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小さな「松本聖香ちゃん」たち

2009年05月25日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 小さな小さな「松本聖香ちゃん」たちのことを考えています。お母さんのおなかの中の小さな家にいる「聖香ちゃん」たちです。

 でも生まれてくる前に「ベランダ」に追い出されるように、無理やりお母さんのおなかの中の小さな家から追い出され、ズタズタにされ、闇に葬られてしまった「聖香ちゃん」たちのことです。

 日本には、今までに三千六百万人以上の小さな「聖香ちゃん」たちがいます。

 どうか天主の御母聖マリアよ、「聖香ちゃん」たちのお母さんたちに、自分が孤独ではないことを、「聖香ちゃん」たちを助けたいと思う多くの人々がいることを知らせてください。

 聖母マリア様、日本中の「聖香ちゃん」たちと、そのお母さんたちを憐れんでください。

 聖母マリア様、世界中の「聖香ちゃん」たちと、そのお母さんたちを助けてください。

 天主の御母聖マリアよ、我らのために祈り給え!我らを憐れみ給え!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

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3 コメント

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「赤ちゃんポスト」 (Recit)
2009-05-26 17:23:53
 胎児のうちに「合法的に」抹殺される命。
 無事に生まれたのに、生みの母親(父親・家族)によって遺棄される命。

 2年ほど前、カトリック系の熊本の病院で「赤ちゃんポスト」という制度ができました。実際に何人かの乳児・幼児がそこに連れてこられた(置いていかれた)という報道がありました。

 無責任極まりない親を助長するだけの制度だと思いました。たとえ本当に育てられない事情があるとしても、現在の日本では、公的な社会福祉の支援を受ける等、親の責任においてなすべきことがあるのに、その責任を全く放棄することを許してしまう制度だと思いました。

 “自然的な命”を抹殺するものではないですが、子どもが「この自分に賦与された預かりもの」であるならば、「匿名で」子どもを置いていくことが許されるのでしょうか。
                          
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憐れみの制度 (Fr Thomas Onoda)
2009-06-01 17:35:07
アヴェ・マリア!

Recit さん、こんにちは!
ご質問をありがとうございました。

 以下は私の個人的な感想です。

「赤ちゃんポスト」は、確かに、無責任な親を助長する危険をはらんでいると思います。

 確かに、日本という物質的に豊かな国では、公的な福祉支援を受ける状況が整っています。

 親の経済的状況、社会的境遇、精神的状況も様々にあることでしょう、物理的な家の状況も様々でしょう、しかし、何故、匿名で子供を置き去りにしなければならないのか? 私たちには理解しにくいこともあります。

 しかし、おそらく、その子を育てたくても育てられないそれなりの重大な理由があったのだろう、親として涙にむせびながら子供を生かさせるために匿名で無ければならなかったのだろう、と私たちは想像するしかなすすべがありません。

 もしかしたら親は本当に無責任だったのかも知れません。しかし、だからといって、泣く泣く子供の命のためにそれ以外の方法が無かった場合の憐れみの救済策を閉ざしてしまうのは、残念なことだと思います。

 天主様である私たちの主イエズス・キリストも、告解の秘跡を制定したとき、告解が「秘密」であったり、何度でも罪が赦されるということで、無責任きわまりないキリスト者の天主様の憐れみの乱用を助長するだけの制度だとためらわれたかも知れません。

 しかし、私たちの主イエズス・キリストの全知全善は、悔悛の秘跡を私たちに与えさせました。

 私は、この「赤ちゃんポスト」も、本当はない方がよいのだけれども、最悪を避けるための、次善の策、憐れみの制度なのだと思います。

 カトリック系の熊本の病院で「赤ちゃんポスト」という制度を作った方々に天主様の祝福が豊かにありますように!

童貞聖マリアよ、我等のために祈り給え!

愛する兄弟姉妹の皆様に天主様の祝福が豊かにありますように!

トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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最悪を避けるための、次善の策、憐れみの制度… (Recit)
2009-06-03 01:40:42
 小野田神父様

 “つぶやき”にお答えいただき、ありがとうございます。

 最悪を避けるための、次善の策、憐れみの制度…。そうですね。

 そんなところに連れて来られる赤ちゃんが一人でも減ることを願って、将来親になるかもしれない一人の人間が生まれたときから、その子の心が正しく豊かに育つように、周囲の大人は深い愛をもって接するべきなのでしょうね。
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