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「助産婦の手記」8章「私は、最初の過ちに対し、二度目の過ちをつけ加えることはできません。」

2020年07月27日 | プロライフ

「助産婦の手記」

8章

『リスベートさん、ほんの一度だけ間違いをしただけなのに、そんなことがあり得るでしようか……たった一度だけなのに……』
工場支配人の一人娘のヒルデガルドは、私の小さな部屋に、私と向いあって坐っていた。私たちはすでに学校時代から知り合っており、一頃は、たびたび自由な日を一緒に遊び暮したものである。彼女の父は、村はずれの森の近くに別荘を持っていた。その後、私たちは少し疎遠になった。彼女は、寄宿学校にはいっていたが、帰って来たときには、若い貴婦人であった。今や彼女の生活は、私のとは別の社会に属していた。その社会の人々は、旅行していることが多かったし、また種々のクラブを持っていた。その日常の生活様式は、彼女を高慢にするというようなことはなかったが、しかし以前の生活樣式に対しては、まさに一線を画したものであった。

さて、ヒルデガルドは、少し以前から婚約していた。
『それは、あり得ることですよ、ヒルデガルドさん。でも、どういうわけで、そう想像するようになったのですか? いつからあなたは、そう思ったのですか?……』
『ちょうど八週間前のことですが、私たちは、その前日、山地へ旅行したんです。私は全く疲れて午後にはベッドに横たわっていましたが、両親は、Zにある劇場へ車を走らせました。そのあとに、全く思いもよらず、私の婚約者がやって来たんです。あの人は、私に何かとても重要な善いことを告げに来たのだと、女中を通じて知らせて来ました。そこで私は、素早く軽い普段着をちょっと引っかけ、髪をなでつけただけで、あの人のいる部屋へ行きました。それは、ほんとに輝かしい暖かい夏でした。
多分、あなたは御存知ないでしようが、あの人は法律家なのです。ところが将来の見通しは、悪いんです。この職業は、もう人が有り余っているものですから、不本意ながらも、ある大きな会社で、とても良い地位を得ることになったのです。将来が私たちの眼の前に開けたわけです。それこそ万歳でした! あの人は、私と夕食を共にしました。私たちは上等のブドー酒を持って来させました――そして両親が早く帰ってくれればいいがと、待っていました。それなのに――運命のいたずらとでもいいましようか――父母は、私たちをなおも待たせて置くのでした……
ああ、人は、ほんのちょっとでも不しだらにしていてはならないということは、しょっちゅう言われることですが、それは全くほんとですね。私の手軽い、打ちとけた服裝が、いつもは私たちの間に立っていた境界線を取りこわしたのです――そして結局、私はあの人のものとなったのです。ただの一度きり。私は、知りつつそうなったんです。そんな不しだらなことは、もう二度としようとは思いません……でも、今は用心するには、遅すぎるのです……』

私は、なお体具合に関する幾つかの質問をした。ヒルデガルドの疑惑は、根拠のあるもののように思われた。しかし、まだ断定を下すことは不可能であった。私は彼女に、どんなことがあっても早く結婚するようにと勧めた、もし将来がいま保障されているのであるならば。そして二ヶ月以內に、もう一度やって来るように、彼女に頼んだ。そうすれば、私は、はっきりしたことを言うことができるであろう。

全く喜ばしげに、その娘さんは帰って行った。しかし、私の心はたちまち非常に重くなった。この事件は、よい結果を得られない! このような予感は、私を欺くことはないのである。たとえどこからこの予感が来たかという証明は、私にはできないが。過ちの機会を避けるということは、幸福な結婚のための第一の、かつ最も重要な掟であるということを、もしも、私が若い人たちに固く信じさせることができるならば、私はそのためには、どんな代償でも払うであろう! いかに多くの人の一生の幸福が、この断崖において早くも打ち砕かれたことであろうか! 人は、何も悪いことを考えない――そして何も悪いことをしようとは思わない――人は、注意を怠る――すると、人は悪いことをするのである。そして、たとえ、そのことが、ほんの一度だけであったとしても――長い一生が損なわれ、亡ぼされるのである……
ヒルデガルドは、二ヶ月後にやって来た。そこで私は、はっきりと彼女が妊娠していることを断定できた。彼女は、それをごく平静に受けとった。二週間のうちに、結婚式が挙げられるそうだ。
『リスベートさん、どうかこのことは、誰にも言わないで下さいね。私の家の人たちは、気違いになるでしょうから。いまは万事都合よく行っているのです。婚約者のエーリッヒは、カトリック信者ではありません――あの人は残念ながら、全くどの教会にも属していないんです。でも、あの人は、私にカトリックの結婚をすることを約束しました。そして子供たちのことは、私の思う通りにしてよいことになりました。子供を養育することは、母親の仕事ですからね。』
『ヒルデガルドさん、私は沈黙を守る義務があるのです。ですから、何も心配することは決してありません。ただあなたのお婿さんが、あなたを欺かなければいいですがね。あなた方は、お子さんの宗教教育についてのお約束を、公証人のところでなさいましたか?』
『いいえ、リスベートさん、それくらいの信頼は、どうしてもお互いに持たなくちゃいけませんわ! さもないと、どうして結婚生活ができるでしょう?』

村はずれの別荘では、婚礼の準備が進められた。こんな慶事は世間に知られないではいない。間もなく、村中はその噂で持ちきった。どんなに素晴らしい婚礼が行われるだろうかと、老いも若きも非常な好奇心をもっていた。こんなことは、私たちの村ではまだ経験したことがなかった。大百姓が結婚して、宴会が三日も続いたことは、もうたびたびあった。そして小百姓がその真似をしようと思って、遂にはカナの婚宴のような大げさなことになってしまった――ただ無くなってゆくブドー酒を奇蹟で増やすことだけはできなかったが――ということは、私はこの村で、もうすでに経験していた。その滑稽なことは、今日でもなお語られている。

婚礼の三日前に、ヒルデガルドが夕方、私のところへ来た。十年も一度に年を取り――眼を泣きはらし途方に暮れて。
私は、びっくりした……
『万事おわりです、リスベートさん……万事……』
彼女の話によると、こうである。お昼頃、一人の公証人が、彼女の婚約者の委託を受けて、首府からやって来た。そして美辞麗句を沢山ならべながら、婚姻契約書を彼女に差し出して署名を求めた。公証人の話によると、その委託者は、この契約は最良のものと考えるから、明日中に、その婚姻契約を結んでほしい……とのことであった。
『私たちは、お互いに話し合って、意見が一致したのです。私は、何に署名せねばならぬのか、訳がわかりません。それに、もしそうだとするなら、こんな大事な用件のためには、なぜエーリッヒが自身で来ないんですの……?』
『しかし、お嬢さん、今になってそんな難しい問題に触れることは、私の委託者にとっては非常に不愉快なのですが、あのお方の地位や、また種々な関係上、そのように、せざるを得ないことを御了解願わねばなりません。』
「そのように、とは何ですの? あなたは一体何について話していらっしゃるんですか?」
「さよう、この契約で主要な事柄は、この婚姻は、ただ法律上においてのみ結ばれ得るということです。宗教上の婚姻は、事実上、ある信条を承認することであり、ある宗教団体に対して敬意を払うということです。このことは、あなたの配偶者の社会的地位を、すべて危険に陥れるでしょう。あのお方が、一層出世されるために必要とする、種々な社会での活動を不可能にするでしよう……」
『エーリッヒは、私にカトリックの結婚を約束したのです。私は、あの人の言った言葉をお返しするわけには参りませんわ。』
『あなたは、そんな形式的なことを主張することはできませんよ……』
『私は、それを主張します。そればかりでなく、カトリック的な子供の教育を。』
『私は、あなたにこの件を、もう一度熟考して下さるよう切にお願いしなければなりません。さもないと、私の依頼人は、この結婚から手をひかざるを得なくなるでしょう。あのお方は、そんな気まぐれのために、自分の全存在、全経歴を賭することはできないのです……』
『あなたが、私の宗教的確信を気まぐれだと言われることは、お断りせねばなりません! 私たちは、これ以上何も話し合うことはありません。もし私の婚約者が、何か契約書を作ろうと思うのでしたら、自分でそれを持って来るべきです……』
『お嬢さん、私は、もう一度あなたにこのことを御注意申上げねばなりません。というのは、もしもあなたが、この婚姻をただ法律上においてのみ結ばれるべきこと、そして子供は教会の信条によらず教育さるべきであるということに、同意する旨を宣言せられないならば、私の依頼人は、婚約を解消することを余儀なくされたものとみなす、ということです。』
以上のようなわけであった。
『リスベートさん、婚礼の三日前です! 村中のものは、もうその噂をしています。それなのに、子供が……子供が……』と、その娘さんは泣いた。
『ねえ。そう言われたとき、激しい怒りが、私をつかまえました……私自身よりも、もっと信賴していたあの男、私が責任のもてる以上に、もっと信賴していたあの男に対する軽蔑の念が… で今としては、もうどうなってもいいんです。私は、最初の過ちに対し、二度目の過ちをつけ加えることはできません。私は、私の信仰を否定することはできないし、また子供が生れぬうちに、その霊魂を売ることもできませんわ……
私は、その公証人に婚約の指輪をつき返し、そして言ってやりました。「そんな無人格な男との結婚は思い切りますと、あなたの依頼人に伝えて下さい。むしろ死んだ方がいいのです――一生涯を、そんな無節操な人に縛られているよりは……」』
すすり泣きながら、その娘さんは顔を手の中に埋めた。さて、どうしたらいいか?
私は、女の一生の上に横たわる非常な悲劇の下に、それほどまでひどく悲しんだことは、いまだかつてなかった。そこでは、双方が同様に罪を犯している、男と女が。そして男の方は、あたかも、何事も起らなかったかのように、自由に平気で立ち去るのに反して、女の方はその一生涯中、子供のために重荷と心労とを背負わねばならぬのである。どうして、片方のものだけが、共同の罪悪の結果を堪え忍ばねばならぬのであろうか? 私は時々、自然の法則を変更できる力を持っていたら、と思うのであるが……
『御両親は、このことを御存知ですか、ヒルデガルドさん?』
『いえ、父も―― また母も……』
『それでは、私が御両親のところへ行って相談することにしましょう。』
『父は恐ろしく怒ることでしょう、リスベートさん。』
『まさか私を殺すようなことはないでしょう。心配しないでいらっしゃい。私はじきに、生きたまま帰って来ますからね。その間、ここに待っていて下さい。もしあなたが御一緒だと、口論は一層ひどくなるだけですから……』

何の予感も持っていないその両親に対し、露骨に言うことは容易でなかった。彼らが遂に事の次第を知ったとき、父親は怒りのために我を忘れた。彼は、私に二度と再び自分の家に入って来ることを禁じた。あたかも、私にこの事件の責任があるかのように! でも私は、私が避雷針となって、あの憐れな娘さんがこの嵐に逢わなくてもよかったことを喜んだ。父親は、あの娘は、自分にとってはもはや無いも同然だ! 娘はもう二度とこの家に帰って来ようなどとしてはならない、と言った….
それから、父親は考え直した。娘は早速、結婚すべきだ! どんな犠牲を払っても! こんな切迫した状態にあっては、他に方策はないんだと……
幸いにも、彼女は丁年〔満20歳〕に達していた。そこで、私はその父親に尋ねた、あなたは、ただ一人のお嬢さんをそのような不幸に陥らせる責任を負うことができますかどうかと。カトリック信者として、あなたはあんなルンペンを――そうです、人はそのような人間をルンペンと呼ぶ、たとえその者がいかに大学卒業生であっても!――そのような大ルンペンをお婿さんにしたいとお思いになるかどうか?と。
そこで、父親は、またその計画を取り止めた。私たちは、夜になるまで議論した。私は、あらゆる可能な解決策を考えようとしたが、どれも適切なものはなかった。そこで、私は最後に、その娘さんを、私の知人の経営している小さな助産院へ連れて行こうと言った。というのは、私はこう考えたからだ。その御両親が、生れて来る子供の親となり、そしてその子は、たとえ不仕合せの身ではあるけれども、親に対する子としての権利を持たせてもらうことができるようになればよいが、と。
数ヶ月後に、ヒルデガルドは、立派な丈夫な男の子を生んだ。しかし、かの年老いた工場支配人は母と子を引き取ることを頑強に拒んだ。娘だけなら、いつでも家へ帰ってもよい―しかし、瘤つきではご免である。彼は、その子供のために、身分相応の金額の口留料を出す用意があったようである。しかし、ヒルデガルドは、それに同意しなかった。彼女は、自分の子供を否定することを欲しなかった。そして、その気丈夫な娘は、どこかに就職して、子供と一緒に暮すことにした。彼女は語学がよくできたお陰で、外国語係りの通信員としての勤め口をたやすく見つけ出した。そして子供と一緒でも部屋を貸してくれる善良な家庭を見いだすことにも成功した。子供は、母親が稼ぎに出かけている間は、その家庭でよく面倒を見てもらった。かつては非常にあまやかして育てられた独り娘のヒルデガルドにとっては、いま、毎日、人に使われて、勤め仕事をし、そして親子二人分としては乏しい給料をよく節約して、いろいろの経費に割り当てて暮してゆくことは、恐らく非常につらいことであったであろう。しかし、彼女は、それをよくなし遂げた。そして、私は彼女から、一言も悲欺の言葉を聞いたことはなかったのである。

子供のパウルは、立派な若者になった。彼が十歲になったとき、私は彼を学校の休暇の間、一度、田舎の私のところに引き取って、少しばかり世話をした。すると、お祖父さんの胸には、まさしく愛情の火が燃えついた。で、彼は娘に対して、その子をフェルドキルヒにあるイエズス会の学校で教育する費用を、引き受けようと申し出た。そして、その子の母親もまた、自分の子のために、それを承諾して、しばらく子供と別れる犠牲を捧げた。その学校では、その子は、母親のもとで勤務のかたわら養育されるよりも、一層よく世話をされたのである。

そのうちに、世界戦争が起って、多くの変化が生じた。今日では、その母と子は、両親の家に帰って来ている――そして誰も、もはや、あの頃のことについては、何も話さないのである……





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