goo blog サービス終了のお知らせ 

Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

12月3日は、聖フランシスコ・ザベリオの祝日「信仰は聞くことによる Fides ex auditu」

2019年12月03日 | カトリックとは
アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は、聖フランシスコ・ザベリオの祝日です。聖フランシスコ・ザベリオ(1506 - 1552)は、ナバラ王国のザベリオ城に王族の家柄の息子として生まれました。パリ大学で教えている間、聖フランシスコ・ザベリオは聖イグナチオと出会います。
あるとき、聖イグナチオは、若き教授フランシスコにキリストの言葉を繰り返しました。「よし、全世界をもうけても、自分の霊魂を失ったら、それが何の役にたつだろう。」(マテオ16章)
この言葉に深く動かされた聖フランシスコ・ザベリオは、霊操を行い、より大いなる天主の栄光のために ad majorem Dei gloriam 1534年8月15日、聖母の被昇天に、聖イグナチオとその他五名の同士らと、パリのモンマルトルの教会で霊魂の救いのために働くために誓願を立てます。
その直後に、ローマに向かって旅立ちます。ポルトガルの王ヨハネ三世は、ローマ教皇に願って、聖イグナチオの弟子をインドに宣教師として送ることを頼むと、聖イグナチオは、シモン・ロドリゲスとニコラス・ボバディジャをインドに送ることにしました。しかし、聖イグナチオは、ニコラスが病に倒れたことを知ると、すぐ隣にいた聖フランシスコ・ザベリオに代わりにインドに行くように命じます。聖フランシスコは、ロレットの聖母の家に立ち寄って聖母に祈った後、すぐに旅立ちます。
聖フランシスコ・ザベリオは、教皇大使の資格で、十字架像を胸に、シモン・ロドリゲスをリスボンに残して、インドに向かいました。ゴアでは使徒職に専念します。マラッカにも宣教旅行をします。ついに聖フランシスコ・ザベリオは、1549年8月15日、日本に上陸しました。

聖パウロのローマ人への手紙より
「聖書は、「かれを信じるすべての人は辱められない」といっている。まことに、ユダヤ人とギリシア人との区別はない、キリストは、よび求める全ての人に対して、豊かな同じ万民の主だからである。「主のみ名をよび求める全ての人は救われる」とある。
それなら、かれらは、まだ信じなかったものを、どうして呼び求められよう?そしてまだ聞かなかったものを、どうして信じられよう?宣教する者がなければ、どうして聞けよう?遣わされなかったら、どうして宣教できよう?「よい便りをもたらすものの足は、美しい!」と書きしるされている。しかし、みなが福音にしたがったのではない。イザヤは、「主よ、だれが私たちの宣教を信じたか?」といっている。したがって、信仰は聞くことにより Fides ex auditu、聞くことはキリストのみことばによる。auditus autem per verbum Christi.」

+マルコの福音書より
「あなたたちは、全世界に行って、すべての被造物に福音をのべ伝えよ。praedicate Evangelium omni creaturae.」



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。