アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月9日(金)にティシエ・ド・マルレ司教様が大阪で聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、私にとって最初に日本を訪問して、そして皆さんのこの愛する小教区のこの御聖堂でミサをする事は私の本当に喜びです。
私は今、聖ピオ十世教皇様の随意ミサを捧げています。何故かというと、これが聖ピオ十世会の守護の聖人だからです。今から皆さんに、カトリック教会の為に聖ピオ十世教皇様が一体何をなさったか、という事を説明したいと思っています。
聖ピオ十世教皇様がなさった事をまとめて要点でいうと、
聖ピオ十世教皇様はまず第1に、教会の「美しさ」の為に働きました。
第2に、教会の「善」の為に働きました。
第3には、教会の「宝」の為に働きました。
まず第1に、教会の「美」の為に働きました。まず宗教音楽、聖なる音楽の為に、次に教会の秩序の為に働きました。
聖ピオ十世教皇様は音楽家でした。グレゴリオ聖歌を歌う事もできましたし、オルガンを弾く事もできました。グレゴリオ聖歌は子供の頃からよく歌っていました。教皇様はまだ主任司祭であった頃、教区の人たちが皆グレゴリオ聖歌を歌う事を望んでました、そして歌うようにと教えていました。少なくとも「キリエ(Kyrie)・グロリア(Gloria)・そしてサンクトゥス(Sanctus)・アニュス(Agnus)・クレド(Credo)を歌うように」と。
聖ピオ十世教皇様は、合唱の歌も決してないがしろにする事はありませんでした。特に、古い「パレストリーナやヴィクトリアの作曲した合唱曲を歌うように」と勧めていました。それは教会内の音楽が、演劇の歌のようではなく、何か聖なるものであるという事が分かるように、それを望んでいました。ヴェネツィアの大司教様であった時代に、音楽のマエストロであったペロージさんを知りました。彼は単純な合唱を指導していたのですけども、彼のその音楽の才能を見抜いて、のちに教皇様はローマにこれを呼びました。
聖ピオ十世教皇様は、聖なる音楽に対する自発教令を出してその中で、「信徒たちの能動的な、積極的なミサに典礼に対する参与」という事について話しました。皆さんは、「信徒の典礼への積極的な参加」などと聞くと、「あぁ!近代主義のよく言ってる口にするモットーであって、この名前によってミサを変えてしまって、新しいミサをどんどん作り変えてしまっている」と思っているかもしれません。聖ピオ十世教皇様の考えでは「信徒たちの能動的な参加」というのは、司祭と共にミサを捧げようとミサの祭壇に来たり、書簡を読んだり、或いは御聖体を配布したりするのでありませんでした。そうではなくて、聖ピオ十世教皇様の考えによれば、「信徒たちがミサの時に、グレゴリオ聖歌を、皆が心から一緒に歌う事ができる」、これが能動的な参加でした。聖ピオ十世教皇様がなさった典礼改革というのは、近代主義とは全く無関係で、その反対のものでした。
そして聖ピオ十世教皇様は、教会の中に秩序をもたらしました。教皇様はご自分で新しく教会法のそれを作って、その後継者であるベネディクト十五世がこれを交付しました。そうする事によって、教皇様が教会の全ての法律を一冊の教会法典にまとめたという事によって、司祭たちはどのように信徒たちを導いていったら良いか、という事が明らかに分かり、そしてローマの教会の裁判所でも、正確にどのような法に沿って裁いていったらよいか、という事が分かり、教会に秩序をもたらしました。
これが第1の点、教会に「美」をもたらしたという事であって、教会に「秩序」をもたらした事です。
聖ピオ十世教皇様は第2に、教会に「善」をもたらしました。善というのは第1の善であって、特に「信仰」です。聖ピオ十世教皇様は個人的に悪い嫌な体験がありました。それは近代主義者による嫌な思い出です。ピオ十世教皇様がレオ十三世教皇様によって、モントワの司教様に任命されて、司教様となって最初に任地に行った時に、その時に非常に悪い良くない思い出があるのですが、何故かというと、最初神学校に行っても、司祭として叙階した神学生はたった1人しかいなかったからです。そして多くの司祭たちは、近代主義の影響を受けて信仰を失ってしまい、司祭職を離れて司祭をやめてしまいました。多くの司祭がそうでした。ですからヨゼフ・サルト司教様はその時、「あらら、レオ十三世教皇様は私に何てひどい教区を与えて下さったのだろう。司祭はいないし神学生もいないし、ひどい教区最悪の司教区だ」と思ったかもしれません。しかしそんな愚痴とか不満とかという事は考えるのはやめました。すぐにやめて、「そうではなくて、この教会を自分に与えられた司教区を改革しよう」として、「まず神学校を良くしよう」と思いました。そこで近代主義に侵されていた教授たちは皆追い出して、辞めさせて、本当のカトリックの信仰を持った教授たちを呼んで、「神学生たちに教えなさい」と命令しました。
教皇様となってからは、自発教令「ラメンタビリ」、また回勅「パッシェンディ」によって近代主義を排斥しました。「近代主義はここが間違っている。これは教会の教えではない」とはっきり教えました。その中で教皇様は、「信仰というのは、私たちの良心から出る内的な産物ではなくてそうではなくて、外的な、天主によって私たちに啓示された教えが、それが信仰である」とはっきり教えました。つまり、信じる、「信仰する」という事は、「天主によって啓示されて教えられた真理」を、私たちがそれを「真理であると認める」事、そして「信じる」事です。従って信仰の内容というのは、客観的な対象であって、天主によって啓示された真理であって、決して私たちの内面から来る主観的な私の思いではないのです。
教皇様は、ただペンを取って回勅や書簡を書いたのみならず、行動に移しました。そして司教様たちに全世界に向けて命令して、「近代主義の教授などは、神学校から全て大学から全て追い出すように、蹴り出すように」と言って、そして「神学生神学校の教授、或いは全てカトリックの学校で教える立場にある人々は、『反近代主義』の宣誓、近代主義に反対する宣誓をしなければならない」と命令しました。これが聖ピオ十世教皇様がなさった教会の「善」の為の仕事であって、教会の本質的な善というのはつまり、「信仰の善」です。
第3の点は、教皇様は教会の「宝」の為に働きました。教会の宝とはつまり、「御聖体」です。教皇様は、「若い子供たちが理性を使う事ができるようになった年齢に達するならば、つまり7歳頃から、もはやすでに御聖体を拝領する事ができる、初聖体をする事ができる」と命じました。ご自身は子供の頃、10歳になって初めて御聖体を拝領する事を許されました。そこで教皇様は、「そうではない。もっと若い時から御聖体を拝領するようにしてあげなければならない。そうしたら、この子供たちの中に聖人たちが生まれるだろう」と教えました。これは「御聖体十字軍」と言われる教会の中の団体運動によって明らかにされています。子供たちが若い子供たちが、犠牲の精神を、そして宣教の精神を持って御聖体を拝領する事によって、多くの実りをもたらしています。
教皇様はしかも、「誰もが、毎日御聖体拝領する事ができる」と決定しました。教皇様の前では、「毎日御聖体拝領するなど畏れ多い」として、毎日御聖体拝領する人は非常に少なかったからです。しかし、今ローマでやろうとしているように、離婚したそして同棲している人や、大罪の状態にあるような人々にさえも御聖体拝領をして良い、などという事は決してありませんでした。教皇様は、「御聖体を拝領する為には、私たちは成聖の状態になければならない」という事をよく知っていました。ですからその為にも、「頻繁に悔悛の秘跡、告解を受ける事」を教えていました。
以上が、教皇様が教会の為にやった仕事です。つまり教会の「美」の為の仕事、そして「善」つまり「信仰」の為の仕事、それから教会の「宝」「御聖体」の為の仕事でした。
愛する信徒の皆さん、現在、このような聖なる教皇様がどれほど私たちに必要な事でしょうか。これは私たちの祈りにかかっています。
天主様に、このように素晴らしい教皇様を教会に与えて下さった事を心から感謝致しましょう。私たちは教皇様が残して下さったからガイドラインに従って道を進めましょう。
教皇様が持っていたものと同じマリア様に対する信心を私たちも持ちましょう。マリア様に対して個人的に非常に深い信仰を持ち、回勅もマリア様について書かれました。教皇様は特にその回勅の中で、「マリア様が共贖者である」という事、その共贖の業、イエズス様と共に贖いの業をしたという事、第2に、「マリア様は全てのお恵みの聖寵の仲介者である」という事を強調して教えました。
もしも私たちが、マリア様のその全能の祈りの力、取り次ぎの力に確信を持っていたら、その事を信じてさえいれば、私たちはもう毎日ロザリオをマリア様にお祈りせざるを得なくなります。この、マリア様に毎日ロザリオを信頼を持って唱える、という事は私たちの今日の決心の1つとなり得るかもしれません。それはその決心をする事によって、教皇様の良い弟子となる事ができるでしょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここにも掲載されています。
愛する兄弟姉妹の皆様、
2016年9月9日(金)にティシエ・ド・マルレ司教様が大阪で聖伝のミサを捧げてくださいました。その時のお説教をご紹介いたします。
天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
2016年9月9日(金)教皇証聖者聖ピオ十世の随意ミサ
ティシエ・ド・マルレ司教様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
ティシエ・ド・マルレ司教様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
親愛なる信徒の皆さん、私にとって最初に日本を訪問して、そして皆さんのこの愛する小教区のこの御聖堂でミサをする事は私の本当に喜びです。
私は今、聖ピオ十世教皇様の随意ミサを捧げています。何故かというと、これが聖ピオ十世会の守護の聖人だからです。今から皆さんに、カトリック教会の為に聖ピオ十世教皇様が一体何をなさったか、という事を説明したいと思っています。
聖ピオ十世教皇様がなさった事をまとめて要点でいうと、
聖ピオ十世教皇様はまず第1に、教会の「美しさ」の為に働きました。
第2に、教会の「善」の為に働きました。
第3には、教会の「宝」の為に働きました。
まず第1に、教会の「美」の為に働きました。まず宗教音楽、聖なる音楽の為に、次に教会の秩序の為に働きました。
聖ピオ十世教皇様は音楽家でした。グレゴリオ聖歌を歌う事もできましたし、オルガンを弾く事もできました。グレゴリオ聖歌は子供の頃からよく歌っていました。教皇様はまだ主任司祭であった頃、教区の人たちが皆グレゴリオ聖歌を歌う事を望んでました、そして歌うようにと教えていました。少なくとも「キリエ(Kyrie)・グロリア(Gloria)・そしてサンクトゥス(Sanctus)・アニュス(Agnus)・クレド(Credo)を歌うように」と。
聖ピオ十世教皇様は、合唱の歌も決してないがしろにする事はありませんでした。特に、古い「パレストリーナやヴィクトリアの作曲した合唱曲を歌うように」と勧めていました。それは教会内の音楽が、演劇の歌のようではなく、何か聖なるものであるという事が分かるように、それを望んでいました。ヴェネツィアの大司教様であった時代に、音楽のマエストロであったペロージさんを知りました。彼は単純な合唱を指導していたのですけども、彼のその音楽の才能を見抜いて、のちに教皇様はローマにこれを呼びました。
聖ピオ十世教皇様は、聖なる音楽に対する自発教令を出してその中で、「信徒たちの能動的な、積極的なミサに典礼に対する参与」という事について話しました。皆さんは、「信徒の典礼への積極的な参加」などと聞くと、「あぁ!近代主義のよく言ってる口にするモットーであって、この名前によってミサを変えてしまって、新しいミサをどんどん作り変えてしまっている」と思っているかもしれません。聖ピオ十世教皇様の考えでは「信徒たちの能動的な参加」というのは、司祭と共にミサを捧げようとミサの祭壇に来たり、書簡を読んだり、或いは御聖体を配布したりするのでありませんでした。そうではなくて、聖ピオ十世教皇様の考えによれば、「信徒たちがミサの時に、グレゴリオ聖歌を、皆が心から一緒に歌う事ができる」、これが能動的な参加でした。聖ピオ十世教皇様がなさった典礼改革というのは、近代主義とは全く無関係で、その反対のものでした。
そして聖ピオ十世教皇様は、教会の中に秩序をもたらしました。教皇様はご自分で新しく教会法のそれを作って、その後継者であるベネディクト十五世がこれを交付しました。そうする事によって、教皇様が教会の全ての法律を一冊の教会法典にまとめたという事によって、司祭たちはどのように信徒たちを導いていったら良いか、という事が明らかに分かり、そしてローマの教会の裁判所でも、正確にどのような法に沿って裁いていったらよいか、という事が分かり、教会に秩序をもたらしました。
これが第1の点、教会に「美」をもたらしたという事であって、教会に「秩序」をもたらした事です。
聖ピオ十世教皇様は第2に、教会に「善」をもたらしました。善というのは第1の善であって、特に「信仰」です。聖ピオ十世教皇様は個人的に悪い嫌な体験がありました。それは近代主義者による嫌な思い出です。ピオ十世教皇様がレオ十三世教皇様によって、モントワの司教様に任命されて、司教様となって最初に任地に行った時に、その時に非常に悪い良くない思い出があるのですが、何故かというと、最初神学校に行っても、司祭として叙階した神学生はたった1人しかいなかったからです。そして多くの司祭たちは、近代主義の影響を受けて信仰を失ってしまい、司祭職を離れて司祭をやめてしまいました。多くの司祭がそうでした。ですからヨゼフ・サルト司教様はその時、「あらら、レオ十三世教皇様は私に何てひどい教区を与えて下さったのだろう。司祭はいないし神学生もいないし、ひどい教区最悪の司教区だ」と思ったかもしれません。しかしそんな愚痴とか不満とかという事は考えるのはやめました。すぐにやめて、「そうではなくて、この教会を自分に与えられた司教区を改革しよう」として、「まず神学校を良くしよう」と思いました。そこで近代主義に侵されていた教授たちは皆追い出して、辞めさせて、本当のカトリックの信仰を持った教授たちを呼んで、「神学生たちに教えなさい」と命令しました。
教皇様となってからは、自発教令「ラメンタビリ」、また回勅「パッシェンディ」によって近代主義を排斥しました。「近代主義はここが間違っている。これは教会の教えではない」とはっきり教えました。その中で教皇様は、「信仰というのは、私たちの良心から出る内的な産物ではなくてそうではなくて、外的な、天主によって私たちに啓示された教えが、それが信仰である」とはっきり教えました。つまり、信じる、「信仰する」という事は、「天主によって啓示されて教えられた真理」を、私たちがそれを「真理であると認める」事、そして「信じる」事です。従って信仰の内容というのは、客観的な対象であって、天主によって啓示された真理であって、決して私たちの内面から来る主観的な私の思いではないのです。
教皇様は、ただペンを取って回勅や書簡を書いたのみならず、行動に移しました。そして司教様たちに全世界に向けて命令して、「近代主義の教授などは、神学校から全て大学から全て追い出すように、蹴り出すように」と言って、そして「神学生神学校の教授、或いは全てカトリックの学校で教える立場にある人々は、『反近代主義』の宣誓、近代主義に反対する宣誓をしなければならない」と命令しました。これが聖ピオ十世教皇様がなさった教会の「善」の為の仕事であって、教会の本質的な善というのはつまり、「信仰の善」です。
第3の点は、教皇様は教会の「宝」の為に働きました。教会の宝とはつまり、「御聖体」です。教皇様は、「若い子供たちが理性を使う事ができるようになった年齢に達するならば、つまり7歳頃から、もはやすでに御聖体を拝領する事ができる、初聖体をする事ができる」と命じました。ご自身は子供の頃、10歳になって初めて御聖体を拝領する事を許されました。そこで教皇様は、「そうではない。もっと若い時から御聖体を拝領するようにしてあげなければならない。そうしたら、この子供たちの中に聖人たちが生まれるだろう」と教えました。これは「御聖体十字軍」と言われる教会の中の団体運動によって明らかにされています。子供たちが若い子供たちが、犠牲の精神を、そして宣教の精神を持って御聖体を拝領する事によって、多くの実りをもたらしています。
教皇様はしかも、「誰もが、毎日御聖体拝領する事ができる」と決定しました。教皇様の前では、「毎日御聖体拝領するなど畏れ多い」として、毎日御聖体拝領する人は非常に少なかったからです。しかし、今ローマでやろうとしているように、離婚したそして同棲している人や、大罪の状態にあるような人々にさえも御聖体拝領をして良い、などという事は決してありませんでした。教皇様は、「御聖体を拝領する為には、私たちは成聖の状態になければならない」という事をよく知っていました。ですからその為にも、「頻繁に悔悛の秘跡、告解を受ける事」を教えていました。
以上が、教皇様が教会の為にやった仕事です。つまり教会の「美」の為の仕事、そして「善」つまり「信仰」の為の仕事、それから教会の「宝」「御聖体」の為の仕事でした。
愛する信徒の皆さん、現在、このような聖なる教皇様がどれほど私たちに必要な事でしょうか。これは私たちの祈りにかかっています。
天主様に、このように素晴らしい教皇様を教会に与えて下さった事を心から感謝致しましょう。私たちは教皇様が残して下さったからガイドラインに従って道を進めましょう。
教皇様が持っていたものと同じマリア様に対する信心を私たちも持ちましょう。マリア様に対して個人的に非常に深い信仰を持ち、回勅もマリア様について書かれました。教皇様は特にその回勅の中で、「マリア様が共贖者である」という事、その共贖の業、イエズス様と共に贖いの業をしたという事、第2に、「マリア様は全てのお恵みの聖寵の仲介者である」という事を強調して教えました。
もしも私たちが、マリア様のその全能の祈りの力、取り次ぎの力に確信を持っていたら、その事を信じてさえいれば、私たちはもう毎日ロザリオをマリア様にお祈りせざるを得なくなります。この、マリア様に毎日ロザリオを信頼を持って唱える、という事は私たちの今日の決心の1つとなり得るかもしれません。それはその決心をする事によって、教皇様の良い弟子となる事ができるでしょう。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。
聖ピオ十世会日本のお説教・講話がここにも掲載されています。