Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

私たちは何のためにこの世で生きているのか?人生の目的は?今日がその答えです。

2020年10月31日 | お説教・霊的講話

アヴェ・マリア・インマクラータ!

愛する兄弟姉妹の皆様、2020年11月1日は諸聖人の祝日です。

「テレワーク」方式ではありますが、皆様にYouTubeで「諸聖人の祝日の説教」の動画をご紹介いたします。

今日の主日を聖として良くお過ごしください。

この動画が気に入ったら、お友達にもご紹介くださいね。

天主様の祝福が豊にありますように!

トマス小野田圭志神父

【説教全文】

そのとき、人々の群れを見たイエズスが、山に登ってお座りになると、弟子たちは、おそばに近よった。イエズスは、話しはじめて、こうお教えになった。「心の貧しい人はしあわせである、天の国は彼らのものだからである。柔和な人はしあわせである。彼らは地を譲りうけるであろうから。泣く人はしあわせである。彼らは慰めをうけるであろうから。正義に飢え渇く人はしあわせである。彼らは飽かされるであろうから。憐れみのある人はしあわせである。彼らも憐れみをうけるであろうから。心の清い人はしあわせである。彼らは天主を見るであろうから。平和のために働く人はしあわせである。彼らは天主の子らと呼ばれるであろうから。正義のために迫害される人はしあわせである。天の国は彼らのものだからである。私のために、あなたたちを罵り、あるいは責め、人々が、あるいは数々の讒言(ざんげん)をいうとき、あなたたちはしあわせである。喜びに喜べ。あなたたちは、天において大きな報いをうけるであろう。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は2020年11月1日、諸聖人の祝日です。それと同時に聖ピオ十世会創立50周年の日です。

諸聖人、これこそ天主の愛が私たちを創造した目的です。天主の愛の結実です。天主がどれほど私たちを愛しているかを示す永遠の至福です。では、一緒に天にいる全ての聖人たちについて黙想しましょう。

【1】【諸聖人の祝日】

教皇ボニファチオ四世は、ローマのパンテオンにカタコンベにあった多くの殉教者たちの遺骸を数年かけて移し、610年5月13日に、異教の全ての神々に捧げられたパンテオンを、聖母と殉教者たちとに奉献された教会として聖別しました。この教会の献堂式の記念日は、聖母と全ての聖人たちの祝日として祝われるようになりました。二世紀後の835年、教皇グレゴリオ四世は全ての諸聖人の祝日を11月1日に移動します。

今日の諸聖人の祝日は、異教の神々にキリストの殉教者たちが勝利したという凱旋の日でもあります。殉教者とはギリシア語でμαρτύριος「証し人」「証言する人」という意味です。諸聖人の祝日のミサも、殉教者のミサをもとに作られています。

【天にいる聖人たち】

教会は、今日の典礼で私たちに天国のヴィジョンを見せてくれます。使徒聖ヨハネは、イスラエルの十二のそれぞれの部族から一万二千人が記されたと言います。一万二千とは、つまり十二の千で、十二は完全な数として考えられています。

さらに、誰にも数えきれぬおびただしい大群衆が見えます。すべての国々と民族と民々と言葉とからなる巨大な人々の群れです。彼らは、王座の御前に、羔(こひつじ)の目前に立って、白衣を着て、彼らの手に棕櫚(しゅろ)を持ち、天主を賛美しています。

キリスト、聖母マリア、九つの階級の天使たちの大軍、使徒たち、預言者たち、紅に染まった殉教者たち、真っ白に輝く証聖者たちや童貞女たち、教皇、司教、司祭、修道者、聖なる王や軍人、その他の一般の多くの聖人たちです。この世で隠れて天主への愛と従順に生き成聖の状態で生活した無数の聖なる霊魂たちです。

旧約の太祖、聖なる預言者、義人たち、この世に来ると約束された救い主(メシア)であるイエズス・キリストを信じ、待ち望んで、聖なる一生を送った全ての人々、そして、ついに私たちのためにこの世に来られた唯一の救い主イエズス・キリストを信じ、礼拝し、希望し、愛し、従順に従った全ての聖人たちが、天国にいます。凱旋の教会です。今ここ地上に生きている私たちは戦闘の教会は、天国の凱旋の教会にいる聖人を祝っています。

この地上の物事から離脱した心の貧しい人々、柔和な人々、罪の機会の多いこの世について悲しみ泣く人々、天主の御旨を行うことに飢え渇く人々、憐れみ深い人々、心の清い人々、天主をその頂点とする秩序を作ろうと平和のために働く人々、天主の御旨を果たそうとするがために迫害される人々、イエズス・キリストの名前ために、罵られ、責められ、数々の讒言を言われた人々、洗礼を受け、例え罪を犯してしまったとしても告解の秘蹟を受け赦され、御聖体を頻繁に拝領し、天主の助けをもって聖なる一生を送ろうと努めた人々がそこにいます

【2】【人生の目的をえる諸聖人】

カトリック教会は、私たちの目の前に人生の究極の目的をはっきりと示します。私たちは天国に行くために、聖人と成るために、この地上に生きている、ということです。

「よし、全世界をもうけても、自分の命を失ったら、それが何の役にたつだろう。」(マテオ16:26)

「狭い門からはいれ。亡びに行く道は、広く大きく、それを通る人は多い。しかし、命に行く門は狭く、その道は細く、それをみつける人も少ない。」(マテオ7:)

「私にむかって、主よ、主よ、という人がみな天国にはいるのではない、天にまします父のみ旨を果した人だけがはいる。」(マテオ7:)

「実に、招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」(マテオ22:14)

「恐れおののいて、自分の救いをまっとうせよ。」(フィリピ2:)

【天とは】

秋晴れの青い空のもとで太陽に照らされてくっきりと浮かぶ紅葉の山脈、十三夜の月と天に輝く星々、大自然の光と色が織り成す美しさを、生まれつき目が見えない方にどうやって説明すればよいでしょうか?天国の凱旋の喜び、果てしない幸福、全ての善の源である最高の善である天主を直接見奉る至福直感、自然の限りある喜びを無限に超える幸せ、天主の喜びの中に入りそれに与る楽しさを、天主の喜びを、この地上に生きる私たちにどうやって説明すればよいでしょうか?

天国の聖人たちは、もはや、天主に背く罪を犯すこともありません。罪からの完全な自由を得ます。何故なら、あまりにも善で美である天主を見てしまい、天主以外のことを欲する気すらなくなってしまうからです。天国とは、愛の生活です。私たち人間の心、人間の存在全てが天主の愛で満たされます。

「天主が、私たちの光栄のために、この世のはじまる前から予定されたもの …「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心にまだ思い浮ばず、天主がご自分を愛する人々のために準備された」ことを私たちは告げるのである。」(コリント前2:9)

【諸聖人は天主に光をす】

この短い地上の生活の間、天主のために、天主の御旨を果たして聖なる生涯を終えたのちに、私たちには天国での永遠の栄光が待っています。これこそ私たちの地上での最も重大な事業です。天国での無数の大聖人たちの大群は、天主の聖なる恩寵のなした傑作の数々です。

彼らのもっていた天主への固い信仰、天主が必ず助けてくださり天国に生けるという希望、天主を愛するために忍んだ迫害と苦しみと屈辱の数々、天主を愛するために行った英雄的な隣人愛、王たるキリストへの完全な従順、深い謙遜、柔和、貞潔、清貧、寛大な赦しの心、などなど、これらは、全て天主の恩寵の結果です。諸聖人たちは、天主の憐みと愛徳と恩寵の偉大さを賛美しています。

私たちが、天主の恵みで救いを果たすなら、天国にたどり着くなら、つまり聖人になるなら、それは天主の恩寵に栄光を帰することです。何故なら、天主の憐れみ深い恩寵によって、私たちの弱さやみじめさや罪の数々にもかかわらず、聖性を得ることができたことになるからです。私たちは、天主の恩寵の助けにより、聖人になることができる、これを今日、私たちに教えています。

希望の徳である望徳唱では私たちはこう祈ります。「恵みの源なる天主、主は約束を違(たが)えざる御者にましますが故に、救世主イエズス・キリストの御功徳によりて、その御約束の如く、われに終りなき命とこれを得(う)べき聖寵とを必ず与え給わんことを望み奉る。」

【諸聖人は私たちを天で待っている】

「今の時の苦しみは、私たちにおいてあらわれるであろう光栄とは比較にならないと思う。」(ローマ8:18)

私たちの生きている今の時の短さを考えてください。この浮世の儚(はかな)さに思いをはせてください。この涙の谷にいる間の苦しみは、あっという間に過ぎ去ってしまいます。

【私たちのために祈る諸聖人】

しかも、天主は、私たちに天にいる全ての諸聖人たちを私たちのための取次、仲介として与えてくれています。天の全ての聖人たちが、つまり天主の心に適う友人たちが、私たちのために、天主に熱烈に祈ってくれているということです。聖人たちの取次で、歴史上、様々な奇跡も起こりました。全ての聖人たちは、私たちが天国にたどり着いたとき、天主の憐みを賛美し、私たちを大歓声をもって喜び歓迎することでしょう。

「恐れるな、小さな群れよ、あなたたちに御国を下さるのは、あなたたちの父のみ旨である」(ルカ12章32節)。

【カトリック教会の聖性を輝かす諸聖人】

カトリック教会が祝う全ての聖人たちは、私たちにカトリック教会の持っている聖性の輝きを示しています。それと同時に、カトリック教会こそ、一、聖、公、使徒継承という、キリストの真の教会が持つ四つの印のうちの一つである「聖性」があるゆえに、キリストの立てた真の教会であると識別することができるようにしてくれます。

何故なら、カトリック教会だけが、みじめな私たちに英雄的な聖徳にまで到達することができる恩寵を与えることができ、このような数多くの諸聖人たちを生み出すことができるからです。

【3】【聖ピオ十世

11月1日は、聖ピオ十世会の創立の記念日でもあります。今から50年前の1970年11月1日、ジュネーブとフリブール司教区のシャリエール司教は、聖ピオ十世会の会則に教会法による認可を与え、聖ピオ十世会をカトリック教会の正式な修道会として承認しました。

聖ピオ十世会の目的は、カトリック司祭の聖化と養成です。カトリック司祭職とは、天主がキリスト者たちの聖化のために特別に立てた手段・道具です。司祭とはラテン語でsacerdos と言いますが、その語源は sacra dans、つまり「聖なるものを与える」という意味です。聖ピオ十世会が私たちに与えられたことを、天主に感謝いたしましょう。

カトリック司祭は、第二のキリストです。イエズス・キリストの特別の愛の対象です。約2千年前、十二名の司祭が世界を聖化しました。二十一世紀の現代でも、イエズス・キリストへの愛に燃えた十二名のカトリック司祭が、天主の御恵みにより、世界を変えることができるはずです。

ますます多くの聖人たちを天国に生み出させることができます。司祭たちの持つ武器は、イエズス・キリストの愛と真理です。天主の無限の憐みの愛と真理です。

天国の諸聖人を増やすためにこそ、カトリック司祭は、ますますイエズス・キリストを愛し、イエズス・キリストに従順でなければなりません。キリストの花嫁であるカトリック教会を愛さねばなりません。カトリック教会の二千年の変わらない信仰とその教えに忠実でなければなりません。歴代の教皇たちの不可謬の教えに忠実に従わなければなりません。

イエズスの至聖なる聖心は、御自分の愛の炎を、カトリック司祭を通して人々に示したいと望んでいます。司祭の執行する秘蹟を通して、聖化の恵みを分け与えたいと欲しています。イエズスは、諸聖人を作り出し続けるために、カトリック司祭たちを必要としています。

何故なら、司祭を通して行動することを欲されるからです。私たちの救い主の愛の支配を拡張するために、カトリック司祭はイエズスの聖心の愛に満たされていなければなりません。司祭は、「御血のカリス」である聖心から、愛徳の炎を飲まねばなりません。

司祭の持つ最高の手段は、ミサ聖祭です。十字架のいけにえの祭壇における再現です。この聖伝のミサを捧げ続けることこそ、カトリック教会に対する最高の奉仕です。何故なら、この十字架の神秘にこそ、天主の愛の神秘が凝縮されており、聖化の秘密があるからです。

【聖性とは?】

聖性とは、天主の聖性に恒常的に与ることです。天主が聖なる方で完全であるように、私たちも天主の恩寵で、そのようになることです。天主を信じ、礼拝し、天主に希望し、天主を愛し、天主に仕えることです。そして天主を愛するがために、隣人をわが身のごとく愛することです。これは聖伝のミサによってはっきりと明示されています。

残念ながら「第二バチカン公会議の精神」による「聖性」は、そうではありません。新しいミサにおいて典型的に示される新しい「聖性」とは、人間を信じ、人間に希望し、人間を全てに越えて愛する、のようです。

公会議の精神は、真の天主への信仰と礼拝が不在の、エキュメニズムと話、イエズスキリストのこの世における普遍的な王を否定することで成り立っています。フランシスコ教皇さまの個人的な意見によれば、空気や水をきれいにして地球を救うことが、聖性だとされています。

【4】【聖母こそが私たちにイエズスキリストをえてくださった】

もしも私たちが天国に諸聖人を持つことができるなら、それは、私たちに救い主イエズス・キリストが与えられたからです。もしも私たちに唯一の救世主イエズス・キリストが与えられたなら、それは聖母マリア様が天主の御計画に「はい」と答えたからです。聖母こそ、天主三位一体の最高の大傑作です。諸聖人は天国で、聖母にも特別の感謝と賛美を捧げています。聖母は、天国の中央に、最高の場所に、イエズス・キリストのすぐ隣におられます。

諸聖人の元后である聖母に祈りましょう。610年5月13日、パンテオンが聖母と全ての殉教者たちの教会に献堂された日から、十三世紀の後、1917年5月13日にファチマで最初に聖母が私たちに現れて、私たちに天国への道をもう一度示してくださいました。聖母の汚れなき御心に祈りましょう。ファチマの聖母はこういいました。「私の汚れなき御心はあなたたちの避難所であり、天主への道です!」と。

「幸いなるかな、心の清い人々、彼らは天主を見奉るであろう。

幸いなるかな、平和を作る人々、彼らは天主の子と呼ばれるであろう。

幸いなるかな、義のために迫害を受ける人々、天の国は彼らのものである。」



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