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ルルドにおける天主の御母聖マリアの御出現150周年記念

2008年02月11日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、
ルルドにおける天主の御母聖マリアの御出現150周年記念、おめでとうございます!

1858年2月11日-2008年2月11日


Première apparition, le Jeudi 11 février 1858
1858年2月11日(木曜日)午前11時頃、ベルナデット・スビルー(Bernadette Soubirous)は、妹のマリ・アントワネット(愛称トワネット)と友人のジャンヌ・アバディー(愛称ジャンヌ)と薪を探しにマッサビエル(Massabielle)の洞窟の側にあるガーヴ川(le Gave)の川岸へと向かった。トワネットとジャンヌがベルナデット・スビルーを離れていったが、ベルナデットは凍てつく川の水を渡る前に、お告げの鐘の音を聞き、跪いてお告げの祈りを唱えた。するとベルナデッタは、アンジェルスの時に祈るのを愛するその女性を見た。

 ベルナデット・スビルーはこう言っている。
「私は、靴下を脱ぎ始めていました。すると突然、雷のような大きな音が聞こえました。私は左右を見渡して、川の木々を見たのですが、何も動いていませんでした。錯覚だったと思いました。私は靴下を脱ごうとし続けると、最初に聞こえたのと似た別の音が聞こえました。あぁ!その時です。立つのが怖くなりました。言葉を失い、何を考えて良いか分かりませんでした。頭を洞窟の方に向けると、岩の裂け目に一つの茂みを見ました。たった一つで、大きな風が吹いていたかのような音。ほとんど同時に、洞窟の内部から金色の雲が出てきました。そして少し後に、若く美しい女性が、私がこれ程の美しさをかつて見たことのない程の特に美しい方が、裂け目の入り口の茂みの上に身を置いたのです。すぐにこの方は私を御覧になり、私に微笑み、私に前に進むように合図をされました。あたかもこの方が私の母であったかのようです。恐れはどこかに行ってしまいました。しかし私がどこにいたのか分からなくなってしまっていたかのようです。私は目をこすり、目を閉じたり開いたりしました。それでもこの貴婦人はつねにそこにおられ、私に微笑み続け、私の錯覚ではないと言うことを分からせようとしていました。
 自分が何をしているのか理解しないまま、ポケットからロザリオの数珠を取り出し、跪き始めました。貴婦人は会釈のしるしで私のすることを良しとされました。貴婦人は右腕に持っておられた御自分のロザリオを指に取りました。ロザリオの祈りを始めようと【十字架の印を切るために】手を額に持っていこうとすると、腕は麻痺したようになりました。貴婦人が十字架の印を御自分で切った後にようやく私も彼女のようにすることが出来ました。貴婦人は、私一人に祈りをさせました。この方は御自分のロザリオの玉はつまぐんでおられましたが、何も言いませんでした。一連の終わりに栄唱をグロリア・パトリ・エト・フィリオ・エト・スピリトゥ・サントと唱えるときには私と一緒に唱えていました。私がロザリオの祈りを唱え終わると、貴婦人は近づくように合図をされました。しかし私はそこまではしませんでした。すると彼女は岩の内部に入ってしまい彼女と共に雲も消えました。貴婦人は十六歳から十七歳ぐらいの少女のようで目は青い色をしていました。彼女は白い服を着ており、服に垂らす青い帯を締めておられました。頭には白いベールを被り、髪の毛はほとんど見えませんでした。ベールは後ろで上半身を被すようにたれていました。この方の足は素足で、足先以外は服の襞で隠れていました。足の指には黄色い咲き誇るバラの花がそれぞれついて輝いていました。貴婦人のロザリオの珠は白で、足の二つのバラの花のように輝く金の鎖で出来ていました。私はこのようなものを見たことがありません。金のように金よりも遙かに輝いていました。」

"J'avais commencé à ôter mon premier bas, quand tout à coup j'entendis une grande rumeur pareille à un bruit d'orage. Je regardai à droite, à gauche, sur les arbres de la rivière. Rien ne bougeait; je crus m'être trompée. Je continuai à me déchausser, lorsqu'une nouvelle rumeur, semblable à la première, se fit encore entendre. Oh! alors, j'eus peur et me dressai. Je n'avais plus de parole et ne savais que penser, quand, tournant la tête du côté de la Grotte, je vis à une des ouvertures du rocher un buisson, un seul, remuer, comme s'il avait fait grand vent. Presque en même temps il sortit de l'intérieur de la Grotte un nuage couleur d'or, et peu après une Dame jeune et belle, belle surtout, comme Je n'en avais jamais vu, vint se placer à l'entrée de l'ouverture au-dessus du buisson. Aussitôt elle me regarda, me sourit et me fit signe d'avancer, comme si elle avait été ma mère. La peur m'avait passé, mais il me semblait que je ne savais plus où j'étais. Je me frottais les yeux, je les fermais, je les ouvrais, mais la Dame était toujours là, continuant à me sourire et me faisant comprendre que je ne me trompais pas. Sans me rendre compte de ce que je faisais, je pris mon chapelet dans ma poche et me mis à genoux. La Dame m'approuva par un signe de tête et amena elle-même dans ses doigts un chapelet qu'elle, tenait à son bras droit. Lorsque je voulus commencer le chapelet et porter ma main au front, mon bras demeura comme paralysé, et ce n'est qu'après que la Dame se fut signée que je pus faire comme elle. La Dame me laissa prier toute seule; elle faisait bien passer entre ses doigts les grains de son chapelet, mais elle ne parlait pas; et ce n'est qu'à la fin de chaque dizaine qu'elle disait avec moi: Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto. Quand j'eus fini de réciter mon chapelet, la Dame me fit signe d'approcher. Mais je n'ai pas osé. Alors elle rentra à l'intérieur de la roche et le nuage disparut avec elle. "La Dame avait l'air d'une jeune fille de seize à dix-sept ans, aux yeux bleus. Elle était vêtue d'une robe blanche, serrée à la ceinture par un ruban bleu glissant le long de la robe. Elle portait sur sa tête un voile blanc, laissant à peine apercevoir ses cheveux, retombant ensuite en arrière jusqu'au dessous de la taille. Ses pieds étaient nus, mais couverts par les derniers plis de la robe sauf à la pointe où brillait sur chacun d'eux une rose jaune, épanouie. Les grains de son chapelet étaient blancs et la chaîne d'or brillante comme les deux roses des pieds. Je n'en ai jamais vu de semblable, ça brillait comme de l'or et bien plus encore."

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 ルルドの御出現150周年を記念して、聖ピオ十世会は、聖ピオ十世会の日本における全てを、聖母の汚れ無き御心に再奉献します。

聖ピオ十世司祭兄弟会を童貞マリアとその悲しみに満ちた汚れ無き御心に奉献する祈り


 汚れ無き天主の御母よ、母なる教会を根底から揺り動かさんとする未曾有の嵐の只中、人類の危急存亡の秋(とき)、我ら御身によりすがり奉る。かつて十字架の下(もと)に佇み、御身の天主なる御子の御受難を共にいたく苦しみ給うた御身は、今日、御子の神秘体なる教会の受難を、共に如何ばかり苦しみ忍び給うや。

 外にては共産主義がどこ彼処にもその誤謬を広めしが、今や教会さえもがこれに感染せる程なり。果てには教会の中心にて、誤てる宗教統一主義の菌が無数の霊魂を毒し、真の信仰の一致と唯一の救霊の箱船とから霊魂を遠ざけ、或いはその外に留めしむるなり。

 かくも多くの破壊と背信との只中で、己の無力をよくわきまえつつ、力ある童貞、キリスト信者の助けなる御身に今日(こんにち)向い奉る、この我らが兄弟会を復興者の小さき軍隊となし給い、古(いにしえ)の範に従い、全能の天主がこれを嘉(よみ)し給わんことを。陣立を整えた軍勢の如く恐るべき威光を具えし童貞女よ、我らは我らに委ねられし責務の重大なるを顧み、己に頼らず、むしろ、蛇の頭(こうべ)を踏み砕くべく原初(はじめ)より約束されし御身の母なる力ある保護に、我らの身を委ねんと欲し奉る。我らに迫り来る危険の只中にて、我らをして天主の教会に奉仕させんとかたじけなくも召し出し給いし天主にひれ伏し奉る。願わくは御身によりて、我らの召命を聖なるものとして固め給わんことを、おお、契約の櫃よ。

 それ故、汚れ無き童貞よ、今日御身の聖寵の玉座の前にひれ伏し奉る。おお、いとも甘美なる我らが御母よ、御身の賛美と栄光とをいや増さんと望みつつ、御身の御子キリストが御身を愛し給うたその愛に、我らが拙き愛を加え捧げ奉らんが為、今ここに、我らが聖ピオ十世司祭兄弟会を、その司祭、神学生、修道士、修道女、奉献修道女、第三会会員、及び全ての霊的家族共々、御身に、とりわけ御身の悲しみに満ちた汚れ無き御心の称号に、取り消し得ざるべく、我らは奉献し奉る。

 御身は今や、この我らが兄弟会の元后にてましますが故に、我らが財産と住処を永久に御身に、御身の御手のうちに、捧げかつ委ね奉る。そは我らが財産と住処が真に御身のものとならんが為なり。また、我らが肉体と霊魂、我らが全てを御身に引き渡し、奉献し奉る。そは御身が御身の思いのまま、我らを司り給わんが為なり。我らに委ねられし霊魂をも、御身に委ね奉る。そは御身がこれら霊魂を母なる保護の下(もと)に置き給わんが為なり。更には我らが使徒職をも御身に任せ奉る。そは我らが使徒職が御身の使徒職とならんが為なり、おお、使徒の元后よ。

 しかれば、今後我らが兄弟会は御身の支配に属したり。ダヴィドの塔よ、我らが兄弟会が決して道から外れることの無きよう堅く守り給え。忠実なる童貞よ、会員の一人一人が揺るぎなく堅忍すべく守り給え。いと清き童貞よ、御身は全世界においてあらゆる異端を撲滅すべき権能を受け給いたれば、我らが信仰を無辜の童貞の如く守り給え。聖寵満ち満てる御者よ、教会の為、古(いにしえ)より伝わる、尊ぶべき、聖寵をもたらすローマ典礼に則ったミサの犠牲を守り給い、またその為我ら信者を守り給え。諸聖人の元后よ、司祭、修道者、家庭の聖徳を我らの間に咲き乱れさせ給え。天主の聖寵の御母よ、我らが兄弟会を、聖なるローマ・カトリック教会の実り豊かな常に活ける枝として守り給え。教会の御母よ、より多くの霊魂を救わんが為、我らがより従順でより相応しい、天主の御手の中の道具となるべき聖寵を、我らに得しめ給え。慈愛深き童貞よ、天主なる刈り入れ主が御自分の刈り入れに呼び給う多くの働き手を我らに送り給え。そは御身が我らの祈りを聞き容れ給いしを、我らが知る為なればなり。至高にして永遠なる司祭の御母よ、またカトリック司祭職を復興させ給い、司祭なるキリストの霊魂の輝きをカトリック司祭職に取り戻すべく我らがうち働き奉り、遂にはこの輝ける光によりて、主の堅固なる御国を、各人、家庭、諸民族が受け入れ奉るべき聖寵を我らに与え給え。

 殉教者と証聖者の元后よ、イエズスとマリアの使徒の名を誇りとし、全てをキリストにおいて復興させ、主の御国を広め、また御身の悲しみに満ちた汚れ無き御心の栄えある凱旋を準備し奉らんが為、我ら最後の息の尽くるまでうち働き奉らんことを、ここに約束し奉る、おお、マリアよ。アーメン。

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