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ルフェーブル大司教の伝記 20.6.1.死ぬほど退屈だったり魅惑的だったりする講話

2013年04月20日 | ルフェーブル大司教の伝記
Ⅵ. 講師であり説教師


死ぬほど退屈だったり魅惑的だったりする講話

  ルフェーブル大司教の霊的講話は高尚かつ彼特有のもの(sui generis)であった。キリストの有する4種の知識や、あるいは位格的結合【ヒポスタシスによる結合。聖三位一体の第二のペルソナ(イエズス・キリスト)が、聖母マリアの処女懐胎を通して人性を摂取して成し遂げた神人両性の結合‐訳者】について彼が説明する時、薄っぺらな精神の持ち主たちは密かに思った。
「でも、それは神学【の授業‐訳者】で全部勉強しましたよ!」

 彼らは大司教の理解していた具体的な応用を直ぐには理解しなかったのだ。それに比べると、聖人たちの模範を例に挙げた話が満載のバリエール神父との話しの方が、活気に満ちていて、興味をそそるように思われた。マルセル・ルフェーブルは、特殊な類の講演者に属していた。彼の話しぶりには、潤いがなかった。しかし、抽象的でもなければ、難解でもなかった。とんでもない!だが、印象的で魅力的なものを欠いていた。彼は感情に訴えることはせず、もっぱら信仰に訴えた。その結果、彼の講話はどれほど物事の本質に達する、深遠で、ひと際観想的なものとなったことか!

  厳格な論理を求め屁理屈をこねる、あるいは強い感動と熱中を強烈に求めるような神学生たちの知性にとって、大司教の黙想的な考察は、自然に従う傾向を打ち切り、論争の水準を高め、ものごとを高く天主や聖主イエズス・キリストの玄義に照準を合わさせた。この平易さこそが彼らをまごつかせたが、より一層の実りを与えたのである。

 演説者としての話振りについては、一切の身振りがない事や、目立たせたところがない控えめな声のために、彼は損をしていた。聴講者たちの注意をほとんど引かなかった。彼は自分でもそのことを認めていた。
「自分が退屈な話し手という評判を持っているのは百も承知です。」と彼は言っている。神学生たちはこの意見を面白がった。何故なら、少し現実を言い当てていたからである。

  しかしながら、多くの神学生たちにとって、ルフェーブル大司教は決して退屈させる人ではなかった。奇をてらうことのない、全くの平易さの内に、彼は日頃、自分自身が観想している事を神学生たちに観想させた。聴講者たちに彼が伝えたのは、そうとは言わずに実は正に自分の霊魂と祈りの生活だった。それは、彼らを信仰の簡素な観想に連れて行き、キリスト教の玄義に関する出来る限り全ての実用的意義を引き出すよう招いていた。

「『イエズスが肉体をとって下られたと宣言するものは皆天主から来る。』(ヨハネの第一の手紙4章2節)この聖言葉の影響は計り知れないものです。つまり、人々の間にある全ては、イエズスとその神性に関して決定されるのです。聖パウロのヘブレオ人及びコリント人への手紙では、イエズスと聖言葉との区別が一切されていません。厳密に言うなら、これが玄義です!であれば、どうしてこの方の存在が、預言者や、司祭、あるいは王でないことがあるでしょうか? 如何にして私たちのうちに天主の聖言葉が住み給うことについて、被造物が無関心でありうるのでしょうか?」

  数ヶ月後、大司教は前述の主題に戻り、ある暗黙の異論に答えた:

「私の講話はやや思弁的だと言われています!ですが、もしも私たちの主イエズス・キリストが天主であるならば、そこからあらゆる種類の影響が、その結果として、社会、個人、そして全ての事に及ぶのです。マドリッドで私が行った講話などは、全く思弁的ではありませんでした。私の講話が開始する前でさえ、通りには5千人の人々が「王たるキリスト万歳!」と表明していました。私の講話の間中、近くの通りで「アリバ・クリスト・レイ【Arriba Christo Rey! 王たるキリスト万歳!】」と叫ぶのを止めませんでした。もしキリストが王ではなければ、社会主義を通して、家族を破壊させて、悪魔がスペインに君臨してしまうでしょう。スペイン人たちは、聖主がもうスペインの王ではないと感じていますが、スペインの人々は私たちの聖主イエズス・キリストの王としての君臨という伝統をもっているのです。」

「ですから、もし私たちがこの事に確信を持っていないなら、人々が期待する事を守ると共に、主張する力を持たないでしょう。この真理が国家や家族、さらには個人の道徳に対して持つこの影響力をもって助けることが出来ないでしょう。 」


  ここで分かるように、大司教による大衆のための演説は、退屈なものでは全くなかった。さらには、彼が神学校で行う講話もまた同様であった。とりわけ大司教が、最新の出来事に関する事柄に原理を適用するときはそうだった。政治や宗教界に関する時事は、(恐らく最も理解されてもいない)信仰の最高の真理に非常に生き生きとした材料を提供してくれたのだ。

 人前では、講演者としての彼の話しぶり、つまり表現は変化に富み、イメージをよく使い、時には嘲笑的で皮肉交じりでさえあった。彼は、弁舌がさわやかなとき、あるいはメディアの人々と立ち向かうときには、強烈になった。立場を政治的に取ることによって関係を切ったり、レジスタンスの戦士としての姿を取ることで心をとらえたりすることを知っていた。かれは同時に困惑させ魅了させた。

 彼の言い回しは、巧みに自分が考え出したものだった。例えばこの聖母に関する使われたことのない描写にあるように。

「[聖母マリアは]自由主義者でもなく、近代主義者でもなく、エキュメニカルでもない。[聖母は]全ての誤謬に対してアレルギー体質であり、異端や離教に対してはましてそうだ。」

別の機会に彼は言った。

「母親というものは、自分の子供が生きたいのか、あるいは死にたいのかを決めるまで、自分の母乳を取り上げてしまうのだろうか?」

 彼は、自分自身で選択出来る年齢になるまで、洗礼を延期する司祭たちに向ってこの冷やかしを浴びせた。

  ドイツのエッセンにあるグルーガ・ホール(Grugahalle)に集まった6千人の聴衆を前にした彼は、“真理に対する敬意と同じ敬意を表して誤謬を考える”自由主義的エキュメニズムを風刺するたとえ話を語った。「今やもはや敵はなく、兄弟のみだ!もう戦う必要などない!敵意に終わりをつげよ!」 ところで、これこそまさしく第2バチカン公会議が行ったことであるという:

「2500人の医者から成る世界会議を想像してみて下さい。その会議の最終結論では、こう発表されたと考えてみて下さい。“つねに、病気と戦うなどとは、実に容認できない!きっぱりと病気を終わらせなければならない。これまで何世紀もの間、私たちは病と戦って来た。これからは、病気とは健康のことだと定めよう!病人とは健康な人だと主張しよう!医科部の必要は一切なくなる。医者は家に帰る事が出来る。病院は不必要になる。病気とは健康なのだ! 」

  聴衆は面食らってしまい、それからホールの天井を持ち上げんばかりの拍手喝采をした。メディアと新聞雑誌のアンケート調査が、大司教には“むしろ好感を持てる”と伝えたが、どうして意外なことでだろうか? 新聞記者たち自身、大司教の魅力に惹かれ、“炎の中に彼を叩き落す事”を忘れてしまい、自分たちの仕事を必ずしもいつも達成したわけではなかった。ル・フィガロ紙の“孤独な騎士”であるアンドレ・フロッサール氏は、この孤立した反順応主義における自分のライバルへの賞賛を隠しはしなかった。


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