Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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聖母の被昇天の玄義は「イエズス様が伝えて下さった最も大切な事は、天の国の事、超自然の事にある」と教えている

2020年09月10日 | お説教・霊的講話

2020年8月15日(土)秋田巡礼 聖母被昇天の大祝日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、今日は聖母の被昇天の大祝日です。主日と同じ程大切な日ですので、少し黙想する事を許して下さい。

ピオ十二世教皇様は、昔からの使徒から伝えられた信仰でしたが、この被昇天の玄義が現代の人によって忘れ去られる、あるいは、「信じられなくても良いのではないか」という疑問が湧いてきたので、それをはっきりとさせる為に、1950年、今から70年前、11月1日、「マリア様は、その人生の終わりに、その肉体と霊魂をもって天に上げられた」と、宣言しました。

では、このマリア様の被昇天は私たちに、現代の私たちに一体何を教えているのでしょうか?

マリア様は、被昇天の玄義は私たちに、「イエズス様が伝えて下さった最も大切な事は、天の国の事にある」という事を教えています。「超自然の事にある」という事を教えています。

「私たちは超自然の命を、超自然の天主の命を頂いている」という事を信じています。「天主の子供に、養子に遺産相続された」という事を信じています。

この「天上の事を信じている」というのが、私たちの御子イエズス・キリストが天から降って、私たちに伝えて下さった事です。

ですからこの超自然の命を生きる為に、太古から、初代教会から、多くの人たちは全てをしてきました。ある者は隠遁生活、ある者は修道生活、ある者は殉教、ある者は宣教師となって、ある者は司祭となって、ある者は命をかけて、このイエズス・キリストの大切な超自然の命を守ろうと、あるいは伝えようと、広めようとしました。

そして家庭生活は、イエズス・キリストへの信仰で満ちていました。家庭での家族の祈り、あるいは家庭での一番大切なものは、イエズス・キリストの十字架などでした。

このカトリックの教えによれば、私たちにとって信じるべき事は、私たちにとって大切なものは、私たちが自由、自分の面白い事、面白おかしい事を話したという事ではありません。むしろ天の事を求めるあまり、地上の事はあまり関係ない、むしろ軽蔑、地上の事よりももっと天上の事を大切にしたい、という事でした。

ですから、たとえあばら家でも、子供たちがたくさんいる家庭、祈りに満ちた家庭を築く事に、喜びを見出していました。

マリア様の被昇天は、この「天上の信仰」に対するのみならず、「希望」も天に上げていました。

私たちが希望するものは、「永遠の命」です。マリア様のいらっしゃる天国です。「マリア様のすぐ傍に、諸天使と一緒に、天主三位一体を讃美したい。」これです。

私たちの希望は決して、現代の世界の言うように、人類の進歩、あるいは科学技術の発達というものでありませんでした。地上の事ではありませんでした。

マリア様の被昇天が教える事は、「天上への愛」です。

マリア様は、イエズス様を愛するその愛のあまりに、その霊魂は肉体に留めておく事ができませんでした。マリア様が天の事を愛したように、天主を愛したように、そして天主を愛するが為に隣人たちに憐れみと愛で接していたように、カトリック教会は、天国への愛を、天主への愛を、全てに超える愛を教えています。

今のように地上への、地球を大切にするとか、資源を大切にするとか、絶滅危惧種を守るとか、もちろん天主様の被造物ですから大切ですけれども、全てに勝る天主への愛を語らないと、全てに超える天主への信仰と、希望と、愛を語らないという事は、イエズス様がもたらしたその最も大切なものを無視する、あるいは暗黙の内に否定する、という事に繋がってしまいます。

ですから天主の、天上の事を語らない現代では、神学校は空っぽですし、修道院も空っぽですし、カトリックの家庭も、キリストのない家庭となって、十字架のない家庭となって、そして実りのない家庭となってしまって、ただ一緒にご飯を食べる、その場所だけになってしまいます。

では愛する兄弟の皆さん、今日マリア様の被昇天、私たちも、心をいつも天に上げている事ができますように、お祈り致しましょう。そして私たちも遂に、マリア様の被昇天を祝う私たちも遂に、マリア様と共に、永遠の命という最も大切なイエズス様がもたらした事を得る事ができますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


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