Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

「兄弟たちよ、先に私があなたたちに告げ、あなたたちが受けてそれにふみ止まった福音を、私はふたたび示そう。あなたたちが空しく信じることなく、私が伝えたままを守るなら、それによって救われる。」

2022年10月15日 | お説教・霊的講話

2022年8月21日聖霊降臨第十一主日
トマス小野田神父説教(東京)

聖なる日本の殉教者教会へようこそ。

「兄弟たちよ、先に私があなたたちに告げ、あなたたちが受けてそれにふみ止まった福音を、私はふたたび示そう。あなたたちが空しく信じることなく、私が伝えたままを守るなら、それによって救われる。」

父と子と聖霊と聖霊との御名によって、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、

今日は2022年8月21日聖霊降臨第十一主日です。今日の書簡で聖パウロは「あなたたちが空しく信じることなく、私が伝えたまま【福音】を守るなら、それによって救われる」と断言しています。

【「私が伝えたままを守る」】
「私が伝えたままを守るなら、それによって救われる」なぜかというと、「私がまずあなたたちに伝えたことは、私自身受けたことであるから、私自身キリストから受けたことであるから」と、説明しています。なぜかというと、福音はイエズス・キリストが天主の権威で教え始めて、それを直接受けた使徒たちの権威で私たちに伝えられているからです。

聖パウロはヘブレオ人たちの手紙のなかでこう書いています。「主によってはじめて告げられて、それを聞いた人々から確実に私たちに伝えられたことである」と。

「私が伝えたままを守らなければならない」ということは、同じ聖パウロは、ガラチア人への手紙のなかでも何度も繰り返して力説しています。引用します。「私たち自身であるにせよ、天からの天使であるにせよ、私たちがあなたたちに伝えたのとはちがう福音を告げる者には呪(のろ)いあれ。私は前にいったことを今また繰り返す。あなたたちが受けたのとはちがう福音を告げる者には呪いあれ。…私はあなたたちに宣言する。私が告げた福音は人間によるものではない。また、人間から受けたものでも、教えられたものでもなく、イエズス・キリストの啓示によるものである。」

非常に厳しい言葉です。呪いあれ。なぜかというと、この教えはイエズス・キリストから直接私たちが受けたのであって、使徒たちを通じて受けたのであるから、私たちにはそれを変えることができないからです。

今日の書簡を読むとはっきりとわかることは、伝えられたままを守る、伝えられたままの福音・信仰を、私たちはそのまま踏みとどまってそれを守らなければならない、ということです。そのまま伝えられたままを守るならば、私達はそれによって永遠のいのちを受けることができるのです。そのために聖パウロは命がけでこの福音を、そのままの福音を、伝えようとしました。夜も昼も働き骨折って労苦した、と聖パウロは言っています。

【天主の教会を迫害していたが、恩寵で回心したパウロ】

このような使徒聖パウロですけれども、実はもともとは天主の教会を迫害したものでした。そのことを思って、自分の過去の行ないを考えて、聖パウロは使徒と呼ばれる価値のない、使徒のうちでもっとも小さいものであると、告白しています。ほかの使徒たちは教会を迫害することはありませんでした。しかしパウロは自分でこう言います。極めて激しく天主の教会を迫害し荒らしていた、と。そしてさらにこうもいいます。先には冒涜者、迫害者、暴力者だった、でも特別のお恵みを受けて天主の聖寵を受けて、私はいまの私となった、といいます。突然天からの光が輝きだして、それがパウロを包み、地上に倒れたパウロはイエズス様の声を聴きます、『サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するのか』。

聖パウロの回心は今日の福音のイエズスの奇跡の話のようです。イエズス様は一人のどもりで耳の聞こえない人を群集の中から呼び出して、その耳に指を入れて唾をつけて舌につけて天を仰いで吐息をついて、『エッフェタ!』(開けよ)というと、耳は開けて口のもつれは取れて正しく話せるようになったからです。イエズス様は、どもりで耳の聞こえない人を癒すこともできれば、教会を迫害していたような人を改心させることもできます。

聖パウロは恩寵の力を讃えてこういっています。私は福音の奉仕者となった。それは天主の力ある業によって私に与えられた恩寵の賜物によることである。私はすべての聖徒の中で最も小さな者よりも小さな者であるが、キリストの底知れない富を異邦人に告げ、万物の創造主である天主のもとに天主のうちに世々に隠されていた奥義の分配とはなにかということを皆に示す恩寵を受けた、といっています。イエズス様の指つまり天主のお恵みが、使徒聖パウロに働いてその憐れみの業を全世界に告げる使命を受けました。特別のお恵みを受けました。

【恩寵で、信仰の恵みを受けた私たち】

聖パウロは、洗礼を受けた私たちと全く同じ境遇です。ちょうど聖パウロに起こったことと同じようなことが私達にもお恵みで与えられました。信仰の恵みを受けました。ちょうど福音の中で福音の癒された人のように私達も主のことを聞くことができず主のことについて話すことができなかったのですけれど、それが癒されました。ですから、このお恵みを受けたのですから、聖パウロが私達に注意するように、この受けた福音をそのまま変えずに、このまま清く保たなければなりません。教えられたままをそのまま信じ続けなければなりません。

【信仰の恵みをまだ受けていない現代の多くの人びと】

では第二に、今日私たちはミサで何を考えなければならないでしょうか。現代の私たちは改心以前の聖パウロがそうだったようなもしかしたらイエズス・キリストの教えを知らないで聖伝の使徒伝承のカトリック信仰を迫害する側に立っているような多くの人々のことを、知っているかもしれません。あるいはもしかしたら、私たちがかつてそうだったということを思いだすかもしれません。

なぜかというとマスコミやテレビがいろいろゴミのような情報を流しているからです。その情報にどのような価値があるのか疑問に思うかもかもしれませんが、そのような宣伝をそのまま鵜呑みにしてしまって、そしてマスコミとその教えるそのイデオロギーとそれにマッチしていないものは、例えば宗教やカトリックの信仰があたかも悪であるかのように思いこんでしまっているかもしれないからです。そのようなものを無批判に受け入れるような現代の私たちはますますマスコミの毒に犯されてしまって、死の文化、嘘の文化、あるいは嘘の帝国を築きあげようとするそのような悪魔的な計画に、もしかしたら知らずに賛同しているかもしれません。

「死の文化」とか「嘘の文化」というのは、これは教会の教皇様やあるいはある司教様が言った言葉です。どんな内容かというと、たとえば、人間というのは天主から天主の似姿に沿って作られた創造の作品です、ですから誰も無辜の人間の赤ちゃんの命を自分勝手にすることはできません。わたしは男の子が嫌だから、女の子が嫌だから、わたしは病気の子が嫌だから、あるいはその他の理由で、殺害することはできません。しかしそれを、人間の命を抹殺することがあたかも権利であるかのように、嘘の文化は教えています。嘘の帝国を作ろうとしています。

【天主の教会を迫害し荒らそうとするイデオロギー】

あるいはジェンダー論というのがあります。男と女以外にも何かがある、これは嘘です。聖書にも何回も出てきます。イエズス・キリストも何度もおっしゃいました。お前たちは読まなかったのか、初めに天主は男と女を作って、その二人は父と母を離れて一体となる、それが婚姻だ。天主が合わせたものを誰も壊すことができない。しかし新しいジェンダー論によると、男と女以外の何かもあるし、さらには自分が男とだと思えば男だし、女だと思えば女で、それを他の人も認めなければならない、と主張します。もしも認めてあげなければそれは差別だ、それは尊厳を冒している。ですからそのようなことを認めてあげるためには、温泉も銭湯もあるいは自衛隊もそれに開かれていなければならなくて、そのようなことを子供たちにも学校で教えなければならない。もしもそれに反対するならば逮捕される、罰金を払わされる。そのような世界が今作り上げられようとしています。

ですから、神学校もなぜ女性が神学校にはいることができないのか、不当だ、といわれる日が来る危険があります。将来神学校はどうなってしまうのでしょうか。女子修道院はどうなってしまうのでしょうか。修道会はどうなってしまうのでしょうか。女性が司祭になれないのは差別だとか、男性が女子修道院に入れないのは不当な差別だ、ということになってしまうのではないでしょうか。このような動きに、日本におけるカトリックの指導者はどのような声をあげているのでしょうか。

あるいは、あるいはこの大自然、あるいはこの大地が神聖化されて、もっとも尊いものであるかのように、この大自然を守るためであるならば人間が犠牲になってもよい、人間の命がなくなってもよい、かまわない、ただ絶滅危機の種が守られて、あるいは水がきれいであれば太陽空気がきれいであればその方がもっと大切だ、という世界を今マスコミが作ろうとしています。そして残念ながら教会もそれを教えなければならないかのようなことの雰囲気です。

しかしカトリック教会はエコロジーを教えるためにイエズス・キリストから福音を委ねられたのではありません。そうではなくて私たちはもっと、地球からなくなってしまう動植物よりももっと大切なものを守るために、教会に福音をゆだねられました。それは私達の霊魂です。永遠の救いです。私達が罪を犯して地獄の火に落ちないように、天国の永遠にまで導かれるように、そのために教会に福音をゆだねられました。そのために聖パウロは改心しました。その奇跡を受けましたし、そしてそのために一生懸命働きました。

【遷善の決心】

私達は今日どのような遷善の決心をとるべきでしょうか。聖パウロは既にこう警告しています。『人々がもはや健全な教えを忍ばず、私欲のままに耳に快いこと聴かせる教師を集めて、真理から耳を背け、作り話に耳をかたむける時が来るであろう。』

愛する兄弟姉妹の皆様、ですから、私たちはきょう特にお祈りいたしましょう。私達がそのような汚染から守られて変わりない福音をそのまま保持することができますように。またそのようなものに毒されて福音に耳を閉ざしてしまって、あるいは正しい福音を伝えることが、あるいは言うことができなくなっているような人々にも、イエズス様の恵みありますようにお祈りいたしましょう。特に教会の指導者たちのためにお祈りください。司教さまたちがはっきりとイエズスさまの伝えられたままの福音を、霊魂の救いについて、超自然のお恵みについて、説教することができますように、はっきりとものを言うことができますように、お祈りください。

聖パウロは言っています。この伝えた通りを守らないならば私たちは救われることができないから、福音によると、イエズスさまが誰にも言うなといわれれば言われるほど人々はますます言い広めたとあります。

聖アウグスチヌスによると、これは私達に模範を示すためだ、もちろん主は言うなと言えば彼らがもっと言うというということを、言うなと言っても言い広めることを知っていました。知っていながら言うなと言ったということ、禁じたということは、言えと言われた、伝えよと命じられた、ということだ、と。私たちがさらにもっとイエズス様の教えを伝えなければならないということをよく理解することができるためだ、と聖アウグスチヌスは解説しています。ですから私たちも主の教えを恐れることなく伝える力と智慧を請い求めましょう。

明日はマリア様の汚れなき御心の大祝日です。日本の主要の最上位の守護の聖人の祝日です。どうぞマリア様が日本にいる私たちを守ってくださいますように、信仰を守ってくださいますように、私たちの多くの兄弟姉妹同胞が天国に導かれますように、マリア様の御保護で導かれますように、お祈りいたしましょう。

父と子と聖霊の御名によってアーメン



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