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悲しみのマリア様とヨハネと一緒にイエズス様の十字架の元に行きましょう

2021年04月06日 | お説教・霊的講話
2021年3月26日(金)聖母の七つの御悲しみの祝日のミサ

聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

七つの御悲しみの聖母は、御受難の主日の後の金曜日は「記念」ですが、しかし聖ピオ十世会では、聖ピオ十世会のシスター会、また奉献修道女の為の特別の守護の聖人なので、私たちは「一級の祝日」でお祝いをしております。今日は、ですからこのミサではクレドがあります。

では、マリア様の御元に、今日は、心で馳せ寄りましょう。死刑の裁判を受けて、十字架を担わなければならなくなったイエズス様の元に、マリア様は愛弟子、御弟子ヨハネと共に行かれます。私たちもマリア様の招きに応じて、一緒に、マリア様とヨハネと一緒に、イエズス様の担がれる十字架の元に行きましょう。

マリア様は、赤ちゃんの頃からイエズス様の事をよくご存知でした。どれほど優しい、清らかな、聖徳のある方であったか。その御子が、遂に、シメオンの預言の通り、全く罪がないにも関わらず、断罪を受けて、十字架を担っています。

血に塗れたその御顔。茨の冠から滴る御血。傷だらけの鞭打たれた御体。重い十字架。あえぎあえぎ歩むイエズス様の御姿。それを、マリア様はご覧になります。

イエズス様も、このマリア様の御姿に気が付いて、マリア様の眼差しを見ます。変わり果てたイエズス様を御覧になった時のマリア様の御苦しみは、心は、その心は、剣で貫かれたようでした。

一体、イエズス様が何の悪い事をしたのか。周りでは、イエズス様を罵る、冒瀆する屈辱の言葉、根も葉もない悪口、嫌がらせ、嫌味、それを耐え忍ぶイエズス様。

マリア様は、そのイエズス様をお慰めしようとしたいのですが、それはできません。イエズス様も、そのようなマリア様をお慰めしたいのですけれども、それはできません。深い悲しみ、マリア様は、イエズス様の十字架の後を従って歩まれます。私たちも一緒に歩みます。

マリア様が聞かれた十字架の釘付け。衣服を脱がれるその御姿。あるいは人々の乱暴な取り扱い。どれほど心が傷んだ事でしょうか。

十字架の上に釘付けにされて、高く上げられたイエズス様。マリア様と私たちは、一緒に立ち留まって、イエズス様の御姿を仰ぎ見ましょう。


イエズス様は、私たちの方を御覧になっています。

イエズス様の仰る言葉を聞いて下さい。「聖父よ、彼らを赦し給え。彼らはその為すところを知らざるが故なり。」

盗賊には、「今日汝、我と共に楽園にあらん。」

そしてイエズス様は、マリア様に何かを仰ろうとしています。あえぎあえぎ、一生懸命、苦しい中で何かを言われようとします。マリア様は耳を傾けます。

そしてイエズス様は、私たちの方を合図して、「女よ、これ汝の子なり。」

そして、私たちの方を向いて、「汝の母、ここにあり。」

マリア様を、私たちの母として下さいました。

マリア様、イエズス様はなぜこのように、これほどまで苦しんだのでしょうか?

それは、私たちを超自然の命において生み出す為です。天国の命を与える為でした。地獄の火から私たちを守る為でした。私たちの受けるべき罰を、イエズス様とマリア様が一緒になって耐え忍んで下さいました。

イエズス様の苦しみを見たマリア様。そのマリア様の御心は、剣で貫かれておられました。マリア様にどうぞ、その御悲しみをお慰めする言葉をかけてあげて下さい。

イエズス様を十字架から降ろして御覧になったマリア様の悲しみ。お墓に葬られた時のマリア様のその御心痛。

マリア様の傍に居て、「お母さん、イエズス様は、私の罪の為にこれほど苦しまれました。お母様もこれほど苦しまれました。これ以上苦しませる事がないように、力を与えて下さい。」

ではこのミサを、マリア様の御心のこの悲しみを少しでも分け与えて下さる事ができますように祈りつつ、御捧げ致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。








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