【質問】
聖ピオ十世会について、カストゥリヨン・オヨス枢機卿がトレンタ・ジョルノ誌で「本当の離教ではなかった」とか、イタリアのテレビで「私たちは異端を前にしているのではありません。正しい、正確な、厳密な意味で離教があるとは言うことは出来ません。教皇の許し無く司教聖別をすることの中には、離教的な態度があります。しかし彼らは教会の内部にいます。」 と言っているそうですね。
ところでヨハネ・パウロ二世は、1988年7月2日付けの使徒的書簡 "ECCLESIA DEI" (http://www.vatican.va/holy_father/john_paul_ii/motu_proprio/documents/hf_jp-ii_motu-proprio_02071988_ecclesia-dei_en.html) で「破門された」と言っています。
どう理解したらよいのでしょうか?
【答え】
アヴェ・マリア!
ご質問をありがとうございました。
ヨハネ・パウロ二世教皇様の自発的使徒的書簡について考察してみたいと思います。教会法的に専門的になりますがご容赦下さい。
自発的使徒書簡「エクレジア・デイ」によれば、次のようにあります。
「・・・
3. この行為(=教皇許可無しの司教聖別)は、それ自体において、教会の一致のために極めて重大な最高の重大性の事柄におけるローマ教皇への不従順の行為であり、このような不従順は実際的にローマ首位権を拒否することを暗示し、離教的行為を構成する。(注3:カトリック教会法典751条)このような行為を執行することにより、昨6月17日に司教聖省の長官枢機卿によって送られたカトリック教会法典に基づく公式の警告にも関わらず、ルフェーブル大司教と司祭ベルナール・フェレー、ベルナール・ティシエ・ド・マルレ、リチャード・ウィリアムソン及びアルフォンソ・デ・ガラレッタらは、カトリック教会法典で予定された重大な制裁(注3:カトリック教会法典1382条)が適応された。
4. この離教的行為の根元は、聖伝に関する不完全で矛盾する概念にあると考えられる。不完全、何故ならそれは聖伝の生ける性格を充分に考慮していないからである。第二バチカン公会議がはっきりと教えたように「この使徒たちから出る聖伝は、教会において聖霊の援助によって進歩する。実際、伝えられた事物やことばの理解は、それを心の中で思いめぐらす(ルカ 2・19 および 51参照)信者たちの黙想と研究によって、あるいは霊的なことがらについての体験の深い理解によって、あるいはまた、司教職の継承とともに真理の確かなたまもの(カリスマ)を受けた人たちの宣教などによって、深くなる。」(注5:神の啓示に関する教義憲章8)・・・
5.
b) ・・・実に、第二バチカン公会議の広がりと深さは、第二バチカン公会議が聖伝と継続しているということを明確に明らかにするためにより深く研究する決意を刷新することを求めている。特に、教えの幾つかの点が新しいものなので、おそらく教会の一部においてよく理解されていなかったその諸点について特にそうである。・・・」
【1】まず注意したいことは、「聖ピオ十世会」を組織として一度も破門だと宣言したことはないし、離教だと言ったこともない、ということです。
だからこそ、ニューヨーク大司教区のジェラルド・マーレイ神父(Fr. Gerald E. Murray, J.C.D.)は、グレゴリオ大学で「故マルセル・ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会との平信者の教会法上の地位:彼らは破門されているか、或いは離教状態なのか」というテーマで教会法の博士号を獲得し、次のように言ったのです。
「私は教会法の博士号を獲得しました。私の博士号論文のテーマとしてルフェーブル大司教の破門を取りました。・・・彼ら(=聖ピオ十世会)は離教者として破門されていません。なぜならばバチカンは彼らが教会を離れたとは一度も言わなかったのですから。」
「聖ピオ十世会の内部について、バチカンは一度もいかなる司祭も、平信徒も離教的である[教会を離れている]と宣言したことがありません。」
「聖座は、誰かが聖ピオ十世会の司祭が捧げるミサに与っただけで教会を離れたことになるなどとは一度も言ったことがありません。」(Latin Mass Magazine, Fall, 1995)
(!ポイント!)バチカンは聖ピオ十世会が教会を離れたとは一度も言っていない。
【2】次に「エクレジア・デイ」の論理は、次の通りであると指摘できます。
大前提 「教皇許可無しの司教聖別」は「離教行為」である。
ところで 「離教行為」は「破門」に相当する。
結論 「教皇許可無しの司教聖別」は「破門」に相当する。
これをイコールの記号(=)を使って書くと、
「教皇許可無しの司教聖別」=「離教行為」
「離教行為」=>「破門」
「教皇許可無しの司教聖別」 =>「破門」
となっています。
しかし、カトリック教会法典によれば、「教皇許可無しの司教聖別」1382条は、カトリック教会法典の第2部「刑罰の部」の第3項「教会の権能の横領とその執行における犯罪」TITULUS III "DE MUNERUM ECCLESIASTICORUM USURPATIONE DEQUE DELICITIS IN IIS EXERCENDIS" の項(カトリック教会法典1378-1389条)に含まれるものであり、「離教行為」であるとは想定されていません。
カトリック教会法典によれば「離教行為」に関する罰則は、それとは別に「刑罰の部」の第1項「宗教及び教会の一致に反する犯罪」TITULUS I "DE DELICTIS CONTRA RELIGIONEM ET ECCLESIAE UNITATEM" で扱われているからです(カトリック教会法典1364-1369条)。
http://www.codex-iuris-canonici.de/liber6.htm#0101
従って、カトリック教会法典を厳密に見る限り、大前提となる「教皇許可無しの司教聖別」は「離教行為」である、は正しくありません。
カトリック教会法典では「罰を与える時には厳密でなければならない」odiosa sunt restringenda ので、特に「破門」という重大な罰則の適応については極めて正確で厳密でなければなりません。
従って、
「教皇許可無しの司教聖別」はすなわち「離教行為」だから「破門」に相当する、という論理は成立しません。
つまり、イコール記号(=)を使って書くとこうなります。
「教皇許可無しの司教聖別」≠ 「離教行為」
「離教行為」=>「破門」
「教皇許可無しの司教聖別」 ≠>「破門」
だから「教会法の正当解釈のための教皇庁立委員会」の委員長カスチーヨ・ララ枢機卿(Castillo Cardinal Lara, J.C.D.) も、
ミュンヘン大学神学部教会法学者のゲリンガー(Geringer)教授も、
パリのカトリック学院教会法学部長パトリック・ヴァルドリニ(Patrick Valdrini)も、
フロレンス大学の元教会法教授、ネリ・カッポーニ伯爵も
「ルフェーブル大司教の司教聖別は離教行為ではない」と最初から発言していたのでした。
(!ポイント!) 「エクレジア・デイ」の論理は、厳密な意味では、カトリック教会法典に基づいていない。
カトリック教会法典を正確に見ればこうなる。
「教皇許可無しの司教聖別」≠ 「離教行為」
「離教行為」=>「破門」
「教皇許可無しの司教聖別」 ≠>「破門」
(!ポイント!) 単なる司教聖別だけでは、離教行為ではない。従って破門もあり得ない。
【3】さらに「エクレジア・デイ」では、「教会法典で予定された重大な制裁(注3:カトリック教会法典1382条)が適応された」と言って、「自動破門」という自動的に(=ipso facto)制裁が適応された、と「確認する」する形を取っています。
しかしこれは、刑罰に関するカトリック教会法典の他の条項を無視している、と指摘できます。つまり「自動破門」(1382条)について語っている同じカトリック教会法典(1323条の4)によれば、いかなる刑罰も成立しませんし、少なくとも、いわゆる「自動破門」は成立しません。
何故なら、
(あ) 必要の状態(緊急状態)に迫られて法を犯す人は、刑罰の対象にならない(カトリック教会法1323条の4)
(Can. 1323 - Nulli poenae est obnoxius qui, cum legem vel praeceptum violavit:
4°metu gravi, quamvis relative tantum, coactus egit, aut ex necessitate vel gravi incommodo, nisi tamen actus sit intrinsece malus aut vergat in animarum damnum)
とあるからです。
カトリック教会法典の英訳は次をご覧下さい。
http://www.vatican.va/archive/ENG1104/_INDEX.HTM
(!ポイント!)「必要の状態に迫られて法を犯す人は、刑罰の対象にならない」(カトリック教会法1323条の4)
(!ポイント!) 教会の危機という緊急状態のため必要に迫られて司教聖別を執行したルフェーブル大司教は、カトリック教会法典での刑罰の対象とはならない。
しかもカトリック教会法典には、次の規定もあるからです。
(2)、そもそも、客観的に見て「必要の状態」などというものがたとえ存在しなかったとしても、
(2- a) もしも誰かが必要の状態があると過失なく思いこんで、その行為を行った場合、
----> 刑罰を受けない(カトリック教会法1323条の7)。
(Can. 1323 - Nulli poenae est obnoxius qui, cum legem vel praeceptum violavit:
7°sine culpa putavit aliquam adesse ex circumstantiis, de quibus in nn. 4 vel 5.)
(2)さらに、そもそも、客観的に見て「必要の状態」などというものが存在しなかった、しかも、
(2- b) 必要の状態があると、過失的に思ったうえで、この行為を行った場合、
----> 自動的刑罰は受けない(カトリック教会法1324条§3及び§1の8)
(Can. 1324 - § 1. Violationis auctor non eximitur a poena, sed poena lege vel praecepto statuta temperari debet vel in eius locum paenitentia adhiberi, si delictum patratum sit:
8° ab eo, qui per errorem, ex sua tamen culpa, putavit aliquam adesse ex circumstantiis, de quibus in can. 1323, nn. 4 vel 5;
Can. 1324 - § 3. In circumstantiis, de quibus in § 1, reus poena latae sententiae non tenetur.)
からです。
(!ポイント!) 「教会の危機という緊急状態のため必要に迫られて」というのが、実は個人的な思い込みであって本当は存在しなかったとしても、
==>> 個人的過失がなく、そう思った場合、---> ルフェーブル大司教は、刑罰の対象とはならない。(カトリック教会法1323条の7)
==>> 個人的過失があって、そう思った場合、---> ルフェーブル大司教は、自動的な刑罰の対象とはならない。(カトリック教会法1324条§3及び§1の8)
(3) また同じカトリック教会法典によると、教会法による刑罰は、悪意や怠慢などにより、主観的に罰せられるべき大罪を犯したときに限られる(カトリック教会法1321条§1、1323条の7)とあります。
(Can. 1321 - § 1. Nemo punitur, nisi externa legis vel praecepti violatio, ab eo commissa, sit graviter imputabilis ex dolo vel ex culpa.
Can. 1323 - Nulli poenae est obnoxius qui, cum legem vel praeceptum violavit:
7° sine culpa putavit aliquam adesse ex circumstantiis, de quibus in nn. 4 vel 5.)
つまり、たとえ客観的に見て大罪であっても、主観的に罪ではないと信じ込んで行った、善意で行った「犯罪」の場合、カトリック教会法典による刑罰は受けることはできないのです。
ところが、ルフェーブル大司教は、カトリック教会の緊急状態に迫られて司教聖別を行わなければならない良心上の義務があったと考えて善意で司教を聖別しました。
ルフェーブル大司教は、カトリック司祭職が継続するため、天主に従順であるため、必要の状態に迫られて司教聖別を行わなければならない良心上の義務があったことをはっきり宣言しているので、カトリック教会法によれば、ルフェーブル大司教も司教聖別された司教たちも、刑罰を受けることはありえないからです。
(!ポイント!)「教会法による刑罰は、悪意をもって行ったが故に大罪を犯したときに限られる」(カトリック教会法1321条§1、1323条の7)
(!ポイント!) 教会の危機という緊急状態のために、善意で司教聖別を執行したルフェーブル大司教の場合、カトリック教会法典で罰を受けることはできない。
【4】残念なことに、1988年7月2日、ヨハネ・パウロ2世教皇は教令「エクレジア・デイ」において、以上のことから分かるようにカトリック教会法典を誤って適応させてしまいました。(カトリック信仰によれば、教皇は、誰かを刑罰をする時に不可謬権は無い。)
だから、そのことをよく知っているバチカンは、聖ピオ十世会をいつもカトリック教会内部にいるものとして取り扱ってきたのでした。
だから、カストゥリヨン・オヨス枢機卿は、
「(聖ピオ十世会は)本当の離教ではなかったとも、
(聖ピオ十世会について)「私たちは異端を前にしているのではありません。正しい、正確な、厳密な意味で離教があるとは言うことは出来ません。教皇の許し無く司教聖別をすることの中には、離教的な態度があります。しかし彼らは教会の内部にいます。」とも発言したのでした。
だから「キリスト者の一致のための教皇庁立委員会」委員長エドワード・カッシディー枢機卿は次のように書いたのでした。
「聖ピオ十世会は宗教統一運動(エキュメニズム)のリストの中には入っていません。この会の会員の状況はカトリック教会内の内部問題に過ぎないのです。聖ピオ十世会は、このリストの中でつかれて言う意味においての別の教会や別の教会的団体ではないのです。もちろん、この会の司祭によって執行されているミサは秘蹟は有効です。司教達は非合法ですが有効に聖別されています。」(1994年5月3日の手紙)
だからジェラルド・マーレイ神父は、
「ルフェーブル大司教彼自身破門されていなかったと証明することが出来ます。ですからその他の人も誰も破門されていません。私の結論は、教会法上、彼は教会法によって罰せられるべき離教行為を罪を犯していません。彼は教皇に対する不従順の罪を犯したかも知れません。しかし彼は教会法がその行為に対して自動破門の制裁をすることがないように行為したのでした。」
(Latin Mass Magazine, Fall, 1995)
と発言したのでした。
(!ポイント!)バチカンは聖ピオ十世会が教会を離れたとは一度も言わなかった。ルフェーブル大司教自身、カトリック教会法典によれば破門されていなかった。
【5】最後に、私たち聖ピオ十世会は、最近のカストゥリヨン・オヨス枢機卿の発言があった、そら見たことか、といって、今まで聖ピオ十世会を悪し様に言ってきた人々について憎しみや非難を投げかけようなどと言う意図はさらさらありません。私たちはむしろ、カストゥリヨン・オヨス枢機卿始め、バチカンの方々が勇気を持って事実を認めてそれを率直に発言して下さったことを感謝します。
以上で、何故、聖ピオ十世会について、カストゥリヨン・オヨス枢機卿が「本当の離教ではなかった」などと言ったのか、ご質問にお答えできたと期待します。
また同時に、ヨハネ・パウロ二世教皇様の、1988年7月2日付けの使徒的書簡 "ECCLESIA DEI" の内容が、何故カトリック教会法典にもとったものであったということができるのかがご理解いただけたかと思います。
(!ポイント!)聖ピオ十世会は、事実を率直に発言して下さった枢機卿たちに感謝する。
これは明確な規定ではないでしょうか。仰る、離教云々という解釈の問題ではなく。それに「エクレジア・デイ」では離教といっているのではなく理教的」といっています。