私たちは聖伝を守り伝えていかなければならない
We must maintain Tradition and pass it on
Garder la Tradition et la transmettre
聖伝による霊魂の善と、聖伝のない新しい教会とを同時に望むことは不可能だ。
【以下は、2022年1月15日、DICIと提携している「クーリエ・ド・ローマ」(Courrier de Rome)の第16回神学会議の締めくくりに、聖ピオ十世会総長ダヴィデ・パリャラーニ神父がパリで行った会見の全文です。】
私たちが重大な時にいることは確かです。悲しくもあり論理的でもある時です。私たちは、そうなると予見してきたその段階に到達したのです。皆さんがご存じの理由により、自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis custodes)によって、聖ピオ十世会が直接影響を受けることがないことは、その通りです。しかし、すべての現実において、この新しい状況がこれまで以上に示しているのは、"聖ピオ十世会の立場が、実行可能で、全て筋道が通る唯一の立場であるということです。
おそらくそのことを申し上げるには、最適の人物ではないかもしれませんが、しかし、客観的な事実があって、それらの事実は明らかです。
それはなぜでしょうか? それは、この自発教令が直接的に関係している「エクレジア・デイ」(Ecclesia Dei)の下にあるさまざまな団体は、聖ピオ十世会の一部ではないのですが、しかし、それらの団体が存在しているのは、聖ピオ十世会が存在しているからなのです。一般的な観点から見れば、このさまざまな団体の起源は、何らかの形で、聖ピオ十世会の歴史と関連があります。したがって、そのさまざまな団体は、少なくとも間接的には聖ピオ十世会に依存しています。さらに、この新しい状況は、聖ピオ十世会の役割と使命の範囲をさらに強調し、必然的に、聖伝が完全であるために必要であることを強調しています。
信仰が一つである以上、聖伝は単一です。この信仰を妨げられることなく告白する必要性は、今、これまでになく強く感じられます。何よりもまず、天主の子らの真の自由とは、その信仰を告白する自由なのです。
教皇フランシスコの反対
少し話がそれますが、どうしてもエクレシア・デイの団体の話になります。ですから、私は個人的なレベルでは、これらの団体に所属する人々、つまり信者にもそのメンバーにも、何も悪く思っていないことをはっきりさせておきたいと思います。私たちは、個人的な対立の領域から完全に外れています。人間のレベルでは、どこにもいい人もいれば、耐え難い人もいます。これは人類全体に言えることであり、ある意味で私たちにも言えることです。このように、あらかじめ強調してお断りしておくのは、私が発言するに当たって、より自由になれるようにするためです。
問題は、聖ピオ十世会が「エクレジア・デイの団体に攻撃を仕掛ける」かもしれないということではありません。実際、現時点では、教皇フランシスコ自身が、エクレシア・デイの団体に、もっと一般的には、トリエント・ミサに愛着のあるすべての司祭にうんざりしているように見えるのです。
そこで、エクレジア・デイの始まりに立ち返ってみましょう。1988年7月2日付のこの文章[1]は、聖ピオ十世会とルフェーブル大司教への断罪を含んでおり、またエクレシア・デイの団体に手を差し伸べています。
たとえよく知られていることであっても、最近の出来事に照らして、いくつかの箇所を読み上げながらコメントをする価値があります。
自発教令「エクレジア・デイ・アドフリクタ」(Ecclesia Dei adflicta)
まず第一に、ルフェーブル大司教と聖ピオ十世会が断罪された神学的理由は、こうです。「この離教的行為の根元は、聖伝に関する不完全で矛盾する概念にあると考えられる。不完全、何故ならそれは聖伝の生ける性格を充分に考慮していないからである。第二バチカン公会議がはっきり教えたように、『この使徒たちから出る聖伝は、教会において聖霊の援助によって進歩する。実際、伝えられた事物やことばの理解は、それを心の中で思いめぐらす信者たちの黙想と研究によって、あるいは霊的なことがらについての体験の深い理解によって、あるいはまた、司教職の継承とともに真理の確かなたまもの(カリスマ)を受けた人々の宣教などによって、深くなる』」。
【日本語訳参照】https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/6a361acf2ac11facfa5a707578225d93
「しかし、特に矛盾しているのは、ローマ司教と司教団が持つ教会の普遍的な教導権に反対する聖伝という概念である。キリストご自身が教会における一致の役務を委ねた使徒ペトロという人物との教会的な絆を断ち切りながら、聖伝に忠実であり続けることは不可能である」。
そして、そこに問題の核心があります。
1988年のルフェーブル大司教のこの行為は、聖ピオ十世会の歴史全体がそうであるのと同様に、カトリック教会への忠実を示す行為です。それは教皇、カトリックの位階階級、そして霊魂たちのための忠実な行為なのです。そして、それはローマの当局が何を言おうが言うまいが、関係ありません。彼らが何を考え、何を考えたくないと思っているかに関係ありません。
一方、「生ける聖伝」という概念で、私たちは何に行き着くのでしょうか? 1988年当時、それを予見することは困難でした。しかし、今日では、使徒的勧告「アモーリス・レティチア」(Amoris lætitia)があり、大地への礼拝があり、パチャママがあります。また、私たちがまだ知らない他の結果があります。なぜなら、聖伝についてのこの動的かつ進化的な概念があれば、最後には、いかなる結果にも行き着くことができるからです。実は、それらは別の次元にいるのです。それらは、使徒および天主の啓示に根差し、それ自体が啓示の源泉である聖伝から切り離されているのです。
さらにもう少し言えば、同じ文章の中で、教皇ヨハネ・パウロ二世が、「エクレジア・デイ」グループとなるべき人々に手を差し伸べているのが分かります。
「これまでルフェーブル大司教の運動とさまざまな形で結びついてきたすべての人々に、カトリック教会との一致にあるキリストの代理者との一致にとどまる、という重大な義務を果たし、その運動への支援をいかなる形でもやめることができるように、私は特に荘厳かつ心からの、父としてまた兄弟としての訴えを行いたいと思う。離教を正式に支持することは天主に対する重大な罪であり、教会法で定められた破門の刑罰を伴うことを、誰もが認識すべきである」。
「ラテン語の伝統に基づく以前の典礼や規律の形式に愛着を感じているすべてのカトリック信者に対して、私は、彼らの正当な願望の尊重を保証するために必要な手段によって、彼らの教会での交わりを促進する意志を表明したいと思う」。
ここに問題があることは、簡単にお分かりいただけるでしょう。一致は信仰を通して得られるものです。ある人々にとってはあることを目指し、別の人々にとってはその逆を目指すような、特別許可や特権によって、一致を得ることはできないのです。
トリエント・ミサを守ろうとする司祭や信者にとって、ある形においてではあるものの、聖伝を守る方法だったのです。しかし、ローマの当局にとっては――彼らは今、公然とそれを認めています――、それは、ゆっくりと、しかし確実に、「公会議の教会」を支持させ、教会の現代的な考え方に従わせるための方法だったのです。このすべては、1988年5月5日にラッツィンガー枢機卿とルフェーブル大司教が署名した議定書(プロトコール)に照らして、成立し約束されたものでした[2]。では、ここでルフェーブル大司教の知恵を振り返ってみましょう。
ルフェーブル大司教は、この議定書に署名し、言ってみれば、数時間の間、それを守っていました。しかし、祈りと孤独の中で一晩を過ごした後、大司教は天主がご自分に何を期待しておられるのかを理解したのです。歴史にとって大変重要な、教会と霊魂にとって大変重要な決断をしなければならなかった大司教は、孤独の中の数時間の後、「エクレジア・デイ」の一員である人々が、30年後にも理解できることを理解したのです。
「ベネディクト十六世の経験【実験】」
理解するのが重要な一つのことがあります。それは今朝【別の講話者の話の中で】言及されていたものですが、私が簡単に「ベネディクト十六世の経験【実験】」と呼ぶものに立ち返ることが重要です。つまり「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)[3]のことです。これは、ベネディクト十六世の教皇在位中の大きな軸である「継続性の解釈法」に照らして理解しなければなりません。
そのとき、「スンモールム・ポンティフィクム」によって、トリエント・ミサは、より広い権利が与えられることになりました。そして、多くの司祭がこのミサを発見し、このミサを捧げることによって、――このことは認めなければなりません――多くの司祭は今までの自分たちの司祭職を疑問に思い、公会議と新しいミサを疑問に思い始めたのです。バチカンが恐れたのは、まさにこのような過程でした。しかし、欠陥の残るこの自発教令がもっていた見方は、「二つの形式を持つ同じミサ典礼」という誤謬に基づいていたのです。そして何よりも、私が付け加えておきたいのは、現在の危機において、その原因を論じることなく何かを改善しようという錯覚に基づいていたということです。これが教皇ベネディクト十六世の誤謬であり、この自発教令の限界でした。それはうまくいくはずがありませんでした。一時的にはうまくいったとしても、遅かれ早かれ、今回のような事態に至ったことでしょう。
間違いを間違いと認めず、間違いを否定しなければ、間違いを正すことはできません。これは非常に重要なことです。継続性の解釈法は、これらの問題を「克服する」か、あるいは短絡的に解決しようとしました。教会は、ここに将来への教訓を得るのです。
私たちは、これまで何度、こう自問したことでしょうか? 「公会議はいつ正されるのか?」「公会議は否定されなければならないのか?」「公会議は単に忘れることができるのか?」「公会議の良いところはすべて保存されるのか?」。結局のところ、公会議は誤謬だけを含んでいるわけではありません…しかし、ここで私たちは現実的にならなければなりません。公会議が誤謬だけを含んでいるわけではないのはその通りで、――それは形而上学的に不可能です。誤謬は常に真理と混在しています。
しかし、正直かつ現実的になりましょう。第二バチカン公会議を本当に第二バチカン公会議としているもの、公会議――本当の第二バチカン公会議――の根幹は、新しいミサ、エキュメニズム、人間の尊厳、信教の自由でした。これらは、教会を変えた本質的な要素であり、かつ誤謬でした。これらが、カトリック教会を変えた本当の公会議の中心的な要素なのです。
公会議の文書にある他のすべてのものは――私は少し物事を単純化していますが――教父たちからの引用や以前の公会議からの引用はすべて、絵を囲む額縁のように、本質的な中心要素の周りに置かれる詰め物に過ぎないのです。繰り返しになりますが、私たちは正直でなければなりません。
本当の第二バチカン公会議、それは否定されなければなりません。否定されなければ、カトリック教会は自ら再生することができません。教皇ベネディクト十六世の実験がありますが、それはうまくいくはずがありません。真理を誤謬の隣に置くこと、二つのミサを隣同士に置いて、一方が他方を「豊かにする」ようにすること、「継続による改革の改革」…これは全くの錯覚です。
このすべてを、私たちは知っています。私たちは、これらの原理を、理論および推測によって知っています。しかし、今、私たちは、将来に極めて役立つ具体的証拠を手に入れているのです。
誤謬と真理が手を取り合って協力することはできない
エクレジア・デイの団体を監督・指導する責任を担っていた教皇庁エクレジア・デイ委員会は、ちょうど3年前の2019年1月に廃止されました。以下は、この決定を発表した教皇の書簡からの引用です。
「教皇ヨハネ・パウロ二世が、教皇庁エクレジア・デイ委員会を制定するに至った状況が今日変化していることを考慮し、また、慣習的に特別形式でミサを捧げている団体や修道会が今日、数と生活において適正な安定を見いだしたことに注目し」。
言い換えれば、エクレジア・デイの団体は十分に【公会議後の教会に】再統合されており、この理由で、その団体を保護するとされている委員会が廃止されたのです。
典礼秘跡省長官であるアーサー・ロッシュ大司教【の文章】[4]がしばしば引用されているのは、公的権威者がこれほど明示的かつはっきりと述べたことがこれまでなかったからです。ウェストミンスター(英国)大司教ヴィンセント・ニコルズ枢機卿への回答[5]の中で、ロシュ大司教はこう書いておられます。
「以前の諸教皇が限定的に譲歩したに過ぎないこれらの(聖伝の典礼の)テキストの使用法を誤って解釈して進展させることは、公会議の改革とは異なる典礼(これは実際、教皇パウロ六世によって廃止されました)および教会の教導権の一部ではない教会論を促すために利用されてきたのです。(中略)進展という方法ではなく、例外的な譲歩という方法による、以前の典礼のテキストの使用許可を規定する新しい法についての主要な注釈が、添付された教皇フランシスコから司教への書簡であることは明らかです。また、この例外的な譲歩が、第二バチカン公会議の典礼改革の有効性と正統性、および教皇の教導権を受け入れる者にのみ与えられるべきものであることも明白です。新しい法にあるものはすべて、第二バチカン公会議が定めた典礼に立ち返って安定させることを目指すものです」。―これで十分に明らかだと私は思います。
話を少し戻しましょう…2016年にローマによって任命され聖ピオ十世会との交渉に当たったバチカン側の司教は、こうおっしゃったと記憶しています。「公会議を皆さんに押し付ける理由が分かりません。結局のところ、小教区の教会のミサに行く信者に公会議を受け入れるかどうかは問わないのですから。ですから、なぜ皆さんに押しつけなければならないのでしょうか?」。ところが、ロシュ大司教は今、正反対のことを言っておられるのです。実際、交渉の際は、現実と完全に一致してはいないことを聞くことがありますし、守れない約束も聞くこともあります。
では、今日語られたり強調されたりしたこと全体の中心ポイントは何でしょうか? 「トラディティオーニス・クストーデス」について直観的に分かることは主に何でしょうか? 私たちは、そのすべてを、以下の原則で要約することができます。「トリエント・ミサは、真のカトリック教会による表現として、また真のカトリック信仰による表現として挙行されることはあり得ない」ということです。
さらに次のように付け加えることさえできます。「その挙行は、『トリエント・ミサが本当にそうであることのため』(for what it really is)に挙行するのではない、という条件のもとでなら許され得る」ということです。これによって、皆さんは、この逆説を理解することができるでしょう!すべての問題はそこにあるのです。
【トリエント・ミサを挙行するのは「真のカトリック教会による、真のカトリック信仰の表現として」ではないという条件でなら、トリエント・ミサを捧げる許可を得ることができる、という逆説】
実際、エクレジア・デイの団体は、1988年と同じ状況に戻ってきたのです。今日、彼らは同じ選択に直面しており、これまで以上に、以下の二つの選択肢のうちの一つを緊急に選択しなければなりません。
- まず、信仰を全面的に告白する無条件の自由を保持すること、そして相応の手段を講じ、その結果は天主の御摂理に委ねることです。これはルフェーブル大司教と共に聖ピオ十世会が行った選択です。
- あるいは、(トリエント・ミサを挙行するという)この可能性を、反対の方向に向かっている権威者、しかもそれを認め、公に発言している権威者の意志に委ねることです。
しかし、後者の選択は行き止まりです。意志の一致なくして前へ進むのは不可能です。意志が反対の方向に向いている二つの存在をつなぐことはできません。遅かれ早かれ、今回の危機のような状況に行き着くでしょう。彼らは、特権を与え、特別許可を与え、特定の、しかし不安定な状況を作り出し、そして約一世代の間、約30年も待ったのです。しかし、ある人々にとっては、与えられたものは特別な意味を持ち、特定の目標を目指すものであり、他の人々にとっては、その目標は正反対なのです。聖伝による霊魂の善と、聖伝のない新しい教会を同時に望むことは不可能です。
歴史は最高の教師
歴史は人生と思慮分別についての偉大な教師であります。エクレジア・デイの団体は今日、一つの選択に直面しています。しかし、彼らには有利な点があります。ルフェーブル大司教が当時持っていなかった後知恵を、彼らは持っているのです。50年後、善意ある人々は、教会で起こっていることを評価するのを助けてくれる、新たな要素を手に入れています。彼らは今、打ち立てられた原則がもたらす長期的な結果さえも評価することができるのです。
ここで私たちは、30年以上前にルフェーブル大司教が行ったこの選択と決断について沈黙しているわけにはいきません。1988年は聖ピオ十世会の歴史の中で最も重要な時でした。
人間的に言えば、私たちはそれを説明することができません――単なる人間の経験、人生の知恵、文化、人間の理解では、1988年にルフェーブル大司教が下した決断の知恵の深さを真に説明することはできません。それらの要素では不十分です。他の多くの解釈がまだ考えられ、考慮されたかもしれないのに、聖霊に動かされて物事をはっきりと見ることができるというこの能力は、不可謬的な聖性のしるしとしか言いようがありません。
それは、聖ピオ十世会、大司教自身、そしてある意味ではカトリック教会全体と教会における聖伝の役割を、取り消せない方法で方向づけることになる、そんな一つの決断を下す勇気を持つことです。全能の天主の御前で、たった一人で祈りながら、その妥当性、正確さ、見通しの深さが、30年以上たった今も正しかったと確認されている、その決断を下したことです! このことはすべて、聖霊の賜物、中でも賢慮の賜物を考慮しなければ、説明することができません。その賜物によって、霊魂は、それが聖である限り、また純粋である限りにおいて、従順になるのです。私たちにその答えを与えてくれるのは、人生の教師である歴史です。
信仰の必要条件の上に築き上げる
しかし、エクレジア・デイの団体の話に戻りましょう。一世代の時を経て、また私たちが言ったように、彼らは、十分すぎるほどの後知恵を持っていますが、今、選択に直面しています。この選択は、「スンモールム・ポンティフィクム」と「トラディティオーニス・クストーデス」のどちらかの選択ではありません。確かに、その二つのうちのどちらかではありません。私たちはこの人工的な論理から抜け出さなければなりません。
すでに、これら二つの異なる措置の間にある基本的な連続性が明らかにされました。たとえ内容的には大きく異なっていても、両者には共通の基盤があります。なすべき選択は、「スンモールム・ポンティフィクム」か「トラディティオーニス・クストーデス」かでもなく、「特別許可A」か「特別許可B」か「特権C」かでもないのです。私たちはそのような観点から抜け出さなければならないのです。
選択すべきは、1974年の宣言[6]――永遠のローマによりすがり、無条件で無制限に忠実であるという宣言――か、あるいは、特定の特別許可という譲歩――その結果はすでに知られている――か、です。エクレジア・デイの団体は、決定的な行き止まりという危機に瀕しています。ここでは、その諸団体は、獲得した権利に寄りすがることはできません。信仰の必要条件に頼らなければなりません。
それはなぜでしょうか? なぜなら、自分の修道会に特定の権利、特権[7]、あるいは特定の「たまもの」(カリスマ)を持つことができるかもしれませんが、ローマは会憲を変えることができますし、さらに、ローマは修道会を廃止することもできるからです。かつてローマはイエズス会を廃止し、聖ピオ十世会を廃止しましたから、他のどんな修道会や団体も――慎重を期して名前を伏せます――問題なく廃止できます。ローマにはそれが可能です。そして、特定の修道会に与えられた特別な特権だけに基づいて、何十年も戦ってきたとしても、すべてが廃止される可能性があるのです。
では、何が永遠であり、私たちの戦いを無敵にするのでしょうか? それは信仰です。「Verbum Domini manet in æternum」[主のみ言葉は永遠に残る](ペトロ前書1章25節)。
現在の戦い、つまり聖伝のためにしている私たちの戦いに必要な土台となるのが信仰なのです。信仰の戦いであって、いかなる特権の戦いでもありません。
教皇聖ピオ五世のミサの道具的使用
また、「トラディティオーニス・クストーデス」には、もう一つ強調すべき面があります。それは、聖伝のミサ典礼書が道具的に使用されているという非難です。教皇フランシスコは、「皆さんはこのミサ典礼書を、別の教会、別の信仰、皆さんが真の信仰と呼ぶ信仰の旗として使っている」と非難しています。しかし、実際のところ、このミサ典礼書を道具的に使用しているのは誰なのでしょうか?
今朝【別の講話で】見たように、トリエント・ミサはそれ自体、本質的に、カトリック教会についての【新しいミサとは】異なる概念、霊的生活についての異なる概念、司祭職についての異なる概念を表現しています。これは必然的なことです。ですから、そのため、トリエント・ミサは、教会、霊的生活、司祭職についての新しい概念に対応することのできる、別のミサに置き換えられなければならなかったのです。したがって、教会でこの聖伝のミサ典礼書を使用することは、道具的な使用ではなく、キリスト教的生活のカトリック的概念を育むために、ミサを普通に使用することだったのです。
一方で、ローマ当局が行った聖ピオ五世のミサ典礼書の道具的な使用があります。保守的なカトリック信者たちがある特定の道を歩むのを促すために、自分たちの目的のためにそれを利用したのです。しかし、ミサ典礼書をもてあそぶことはできません。秘跡をもてあそぶことはできません。「はい、私たちは、皆さんが教会の支配的な流れの中で使用されている概念に徐々に移行できるように、30年あるいは40年の間、このミサ典礼書を与えました…でも、もう移行の時間は終わっています」などと言うことはできません。
ミサをこのように使用することはできません。私は、これはホメオパシー療法的な使い方だと言おうとしましたが、ホメオパシー的な濫用だと言った方がいいでしょう。ホメオパシー療法の原理は、病気の原因そのものを使って病気を治療することで、それは治療したい病気に対して免疫系が徐々に反応するように仕向けるためです。ローマの当局は、聖ピオ五世のミサ典礼書を使ってこれを行いました――そして彼らはそれを認めています。しかし、そんなことはできないのです。問題視されているミサを、信者の問題を解決するために使うことはできません。それはまったくの道具的な使用であり、許されることではありません。
贖いは一つしかない
ですから、もう結論を出すことができます。どうすれば聖伝を受け継ぐことができるでしょうか? どうすれば聖伝を維持できるのでしょうか? 聖ピオ十世会の役割は何でしょうか?
人間的に言えば、私たちは他の誰よりも優れているというわけではありません。人間的に言えば、私たちは他の人々よりも価値があるというわけではありません。しかし、私たちの強さ、それは個人の資質ではなく、別のところにあるのです。私たちの強さは、私たちがあきらめることのできないものの中にあります。私たちの強さは、信仰と聖伝にあります。私たちの強さはミサにあります。信仰と聖伝の旗であり錦の御旗、軍旗であるミサにあるのです。
教皇フランシスコは、その自発教令の中で、いくつかのある面を無視することができれば、非常に正しいことを言っておられます。カトリック教会にはミサが一つしかないことはその通りです。教会が唯一の礼拝形式を持っていることはその通りです。しかし、この唯一の礼拝の形式は、新しいミサではありません。それが問題のすべてなのです。
この唯一の礼拝形式は、全時代のミサです。それはなぜでしょうか? それは、贖いは一つしかないからです。
旧約聖書を見ると、すべてのことが、十字架、カルワリオに向かって集中していることが分かります。ユダヤ人が捧げたさまざまな犠牲は、何らかの形で十字架の犠牲を表しており、この犠牲は、その唯一の完全性をもって、それらすべての犠牲を総合しているのです。主の全生涯は、十字架とご受難に向けられていました。そのため、このような特別な統一性があったのです。このように言うならば、私たちの主イエズス・キリストの全生涯は、すべて「十字架に到達する」という一つの考えの周りに組み立てられていたのです。そして、この十字架の犠牲は、あまりにも完全であるため、私たちの主は、ただ一度だけその犠牲をお捧げになるのです。
今、教会の生命は、一人一人の霊魂の生命と同様に、単純に、すべてを一致させるこの中心思想の延長線上にあります。教会の生活と贖われた霊魂の生活は一つであり、まさに十字架と贖いの一致そのものから引き出されたものです。唯一のキリストがあり、唯一の十字架があり、それらを通して、私たちは全能の天主を礼拝することができ、聖化されることができるのです。したがって、ミサに見いだされるのは必然的にこの同じ一致であり、それは教会の生活と霊魂の生活に贖いを適用することです。
その理由は、完全な贖いの行為はただ一つしかなく、完全であるからです。したがって、この贖いを永続させ、それを霊魂に適用するために間に合うように実現する方法も、また一つしかありません。この私たちの贖いの延長線上にあるものは一つです。なぜなら、それは、私たちの主イエズス・キリストの霊魂から流れ出し、主の全生涯を一致させた、唯一の中心となる意向を永続させるだけだからです。
では、実のところ、私たちは何を望んでいるのでしょうか? 聖ピオ十世会は何を望んでいるのでしょうか? 私たちは十字架を望んでいるのです。私たちの主イエズス・キリストの十字架を望んでいるのです。私たちはその十字架をたたえ、その十字架の神秘に入っていきたいのです。その十字架を自分たちのものにしたいのです。二つの十字架があるのは不可能であり、二つの贖いも、二つのミサも不可能なのです。
他方で、この唯一無二のキリスト教的生活に代わるものは何でしょうか? それは、人間の本性に、無益で失望させるような適応をさせようとすることです。現実には、人間本性はいつも同じであるにもかかわらず、です。言い換えれば、現代思想です。つまり私たちは、つねに変化している人間本性に、常に新しいものを必要とする人間本性に適応しなければならないという思想です。しかし、この思想は間違っています。なぜ間違っているのでしょうか? なぜなら、罪の源は常に同じであり、常に同じ方法でしか治すことができないからです。
これは嘘です。現代人は今日、別の方法でアプローチし、ケアしなければならないというこの嘘は――嘘であるがゆえに――嘘の果実を生み出します。嘘は、教会の生活の崩壊を生み出します。贖いをこのように適用しないなら、教会の生活は一致の原則を失います。
ですから、ミサの聖なるいけにえが、まさに私たちの旗であり、私たちの軍旗だというのは、この意味です。そして、戦いにおいて、この軍旗は絶対に倒してはならないものです。
また、最後にもう一つ、聖ピオ十世会が手に入れなければならないものがあります。これは極めて重要です。私たちはこのミサを、自分たちのためだけでなく、普遍教会のために望んでいるのです。私たちは、単に教会の脇祭壇を望んでいるのではありません。また、他のすべてが許可されている円形劇場に、私たちの軍旗を掲げて入る権利を望んでいるのではありません。もちろん、そうではありません。
私たちは、このミサを自分たちのために、そして同時にすべての人のために望んでいるのです。私たちが望んでいるのは、ちょっとした特権ではありません。このミサは、私たちのための、そして例外なくすべての霊魂のための権利です。
こんなわけで、聖ピオ十世会は、カトリック教会の生ける一部であり、これからもそうあり続けます。それは、聖ピオ十世会が教会の善を目的としているからです。聖ピオ十世会は特定の特権を得ることを目的としているのではありません。もちろん、天主の御摂理は、その時、その方法、段階、状況を選びますが、私たちに関する限り、私たちはこのミサを今すぐ、無条件で、すべての人のために望んでいるのです。
そして、私たちは、特定の特権を求めるという人間的な見方に入りすぎないようにしつつ、このことを望んでいるのです。私たちは、自分たちが少しずつ譲歩していくような交渉には入りたくありません。例えば、ここで教会が与えられ、そこでミサの時間が与えられ、マニプルやビレタ、聖ピオ十世教皇時代の聖週間の典礼を使うことができ、…そんなことを望んではいません。絶対にノーです! 私たちは、そんな筋書きに入るつもりはさらさらありません。
簡単に言えば、私たちが望むのは二つです。つまり信仰とミサです。私たちは、霊魂の霊的生活と道徳的生活を育むカトリックの教理と十字架を望んでいるのです。私たちはそれらを今、無条件に、すべての人のために望んでいます。
私たちがこの見方を持ち続けるなら、聖ピオ十世会は常に、そして完全に、カトリック教会の活動であり続けるでしょう。聖ピオ十世会は常に、教会において、教会のために、霊魂の救いを得ること以外に目的を持たない、教会のまさに中心で活動していくことでしょう。【了】
【フランス語のテキストから翻訳された英語をもとに訳された。このテキストは、講話という特別な性格を維持するために口語体を維持している。】
注
[1]1988年7月2日にローマで、自発教令として発表された教皇ヨハネ・パウロ二世の使徒的書簡「エクレジア・デイ・アドフリクタ」(Ecclesia Dei adflicta)。
「司教、教皇庁の各省、関係する人々と協力して、ルフェーブル大司教が創立した兄弟会に、現在さまざまな形でつながっている司祭、神学生、修道会、あるいは個人で、ラッツィンガー枢機卿とルフェーブル大司教が昨年5月5日に署名した議定書に照らして、彼らの霊的、典礼的伝統を維持しながら、カトリック教会のペトロの後継者に一致し続けることを望む者の完全な教会的交わりを促進することを目的とする任務を持つ委員会を設立する」(エクレジア・デイ・アドフリクタ6番a)。
[2]1988年4月15日から5月5日にかけて、ルフェーブル大司教は、自分の仕事の安定性と継続性を保証する良い合意を得たとみなしていた。こうして、5月4日にアルバノで最終的な協議に参加し、5月5日の聖ピオ五世の祝日に、ローマで合意議定書の宣言に署名した。ルフェーブル大司教が署名に同意した合意議定書には、「実際的、心理的理由から、聖ピオ十世会のメンバーを司教に聖別することが有益と思われる」(5条2項)と記載されている。しかし、日付は設定されていない。この議定書に署名しているとき、ラッツィンガー枢機卿は、ルフェーブル大司教に1988年4月28日付の書簡を渡し、この書簡が、この偉大な教会人の心に混乱と失望の種をまいたのである。
その翌日の5月6日の金曜日、ルフェーブル大司教は、ラッツィンガー枢機卿に次のような文章を書き送った。「昨日、私は、この数日間に作成された議定書に署名し、本当に満足しました。しかし、枢機卿様が私にくださった手紙を読んで、司教聖別に関する教皇様のご回答を知り、私が深く落胆しているのを枢機卿様ご自身が目撃されました。事実上、私は、司教聖別を不特定の後日まで延期するよう求められています。これは4回目の延期となります。6月30日という日付は、私の以前の手紙のうちの一通で、最終候補日として明確に示していました。候補者についての書類は、すでにお渡ししてあります。命令書の作成にはまだ2カ月あります。この提案の特殊な状況を考慮すれば、教皇様は、6月中旬頃に命令書が私たちに伝達されるよう、手続きを短縮されることは十分に可能です。否定的な回答があった場合、私は良心に従って、聖座によって議定書で与えられた、本会の会員である一人の司教の聖別の許可を頼りにして、聖別を進める義務があると認識するでしょう」。
参照:https://fsspx.news/en/news-events/news/30-years-ago-operation-survival-story-episcopal-consecrations-3-39154
[3]2007年7月7日にローマで、自発教令として発表された教皇ベネディクト十六世の使徒的書簡「スンモールム・ポンティフィクム」(Summorum Pontificum)。
[4]2021年2月20日、ロベール・サラ枢機卿が年齢制限により辞任した後、典礼秘跡省長官の職は空席となった。2021年5月27日、教皇フランシスコは、当時の同省次官アーサー・ロッシュ大司教を長官に任命した。大司教は1950年に英国で生まれ、主にスペインで教育訓練を受けた後、1975年にリーズ教区(リバプールの教会管区の一部)の司祭に叙階された。1991年から1996年までローマに滞在し、グレゴリアン大学で学び、英国人神学校(English College)で霊的指導者として奉仕する。1996年、イングランド・ウェールズ司教協議会事務局長に就任。
[5]2021年7月28日付の書簡で、ヴィンセント・ニコルズ枢機卿は、「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis custodes)の適用について、六つの質問で明確化を求めた。この書簡は2021年11月5日に、8月4日付のロシュ大司教の回答とともに、ウェブサイトGloria.tvによって公開された。この書簡のやりとりがあったことは、ニコルズ枢機卿が2021年11月8日、カトリック・ニュース・エージェンシー(Catholic News Agency)に対して確認した。
[6]1974年11月21日のルフェーブル大司教の宣言は、次の言葉で始まる。「私たちは、心の底から全霊を上げてカトリックのローマに、すなわちカトリック信仰の保護者でありこの信仰を維持するために必要な聖伝の保護者である永遠のローマ、知恵と真理の師であるローマによりすがる」。
参照: https://fsspx.org/en/1974-declaration-of-archbishop-lefebvre
日本語訳参照:https://blog.goo.ne.jp/thomasonoda/e/0194578c842ea15b6da4647630366d7e
[6]ラテン語では、privata lex、私法。
共産圏からイタリアに感染が広がりヨーロッパへ・・・
そうならない様に祈るばかりです。