Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

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聖伝のミサについて黙考 --- 教会のため私たちに何が出来るでしょうか

2010年12月01日 | カトリックとは

聖伝のミサを通して
無数の聖人達が
天主に対する信心を豊かに養ってきた

「ローマ・ミサ典礼書は、さきに、、トリエント公会議の教令に基づき、1570年、私の先任者聖ピオ五世によって公布されたものでありますが、それが同じ聖なる教会会議を通じて、キリストの全教会に広く行き渡った多くのすばらしい成果の一つであることは、衆人の認めるところであります。
 四世紀に亘って、ラテン典礼の司祭が、聖体のいけにえをこれを基準として捧げてきたばかりでなく、福音の宣布者は、地球のほとんど至る所に、これを携えていったのであります。また教皇グレゴリオ一世がその大部分を企画編集したローマ・ミサ典礼書にある聖書朗読と祈願を通して、無数の聖徒が、天主に対する信仰心を豊かに養ってきたのであります。」

  パウロ六世 1969年4月3日使徒座憲章「ミサーレ・ロマーヌム」
聖伝のミサ


聖伝のミサの典文(=カノン)は、誰も変更廃止することは出来ない
ミサの典文と聖変化の言葉は低い声で唱えなければならない
自国語だけでミサをささげるべきではない

トリエント公会議のミサ聖祭についての規定
6条。ミサの典文は誤りを含んでいるので廃止すべきであると言う者は排斥される(DzS1745参照)。
9条。低い声で(ミサの)典文と聖変化の言葉をとなえるローマ教会の儀式は排斥すべきであるとか、自国語だけでミサをささげるべきであるとか(…)と言う者は排斥される(DzS1746、1748~1749参照)。


聖伝のミサ



現在の教会の危機は
典礼改革の結果(=新しいミサ)である典礼の崩壊が原因

私たちが今日経験している教会の危機は、「あたかも神が存在していないかのような」(etsi Deus non daretur)の原則に従って行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信しております。
(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 164ページ



古代教会の聖体秘跡書以来、何世紀も綿々とつづいてきたミサ典書の使用禁止は、典礼の歴史における断絶を意味するものであり、その影響は計り知れないものです。
(ベネディクト十六世 ヨゼフ・ラツィンガー著 里野泰昭訳『新ローマ教皇 わが信仰の歩み』春秋社 162~163ページ)



第二バチカン公会議後の典礼改革は、
捏造された典礼、平凡で、その場しのぎの産物

第2バチカン公会議後に起こったことは、全く違うことだった。発展の実りとしての典礼の場所に、捏造された典礼が来た。私たちは、数世紀にわたる成長と発展のオーガニックな生きている過程を捨てさり、その代わりに、丁度制作過程で起こるかのように、作り上げられたものを、平凡でその場しのぎの産物を置いた。
ラッツィンガー枢機卿の書いた「序言」---モンシニョール・クラウス・ガンバーの「ローマ典礼の改革」のフランス語版のため



聖伝のミサは神聖で偉大なものであり続ける
わたしたちは皆この聖伝のミサという富を守り
教会においてそれにふさわしい場を与えなければならない

過去の人々にとって神聖だったもの(=聖伝のミサ)は、わたしたちにとっても神聖であり、偉大なものであり続けます。それが突然すべて禁じられることも、さらには有害なものと考えられることもありえません。わたしたちは皆、教会の信仰と祈りの中で成長してきた富を守り、それにふさわしい場を与えなければなりません。
教皇ベネディクト十六世の全世界の司教への手紙


「教皇様は聖伝のミサを世界中の全ての小教区で望んでおられる」
カストゥリオン・オヨス枢機卿

聖伝のミサ

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