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聖ピオ十世会(SSPX)創立者 ルフェーブル大司教の伝記 18.1.6.自由主義のエキュメニズム

2010年04月26日 | ルフェーブル大司教の伝記
自由主義のエキュメニズム

 エキュメニズムは(キリスト教)諸教会を近づけて、結合する計画を有している。それは全聖伝によって排斥され、特にピオ十一世によって断罪された危険な試みなのだ。ピオ十一世は、エキュメニズムではなくむしろ、教会を離れている者たちがカトリック教会との一致への立ち返りを説いた。

 それ故に、ルフェーブル大司教はエキュメニズムを非難した。彼はしばしば“誤ったエキュメニズム”について語ったが、シグマリンゲンの聖フィデリス(Fidelis of Sigmaringen)や、サレジオの聖フランシスコがどが持っていた、教会を離れた者たちの改宗という宣教精神以外には、真のエキュメニズムを知らなかった。

「エキュメニズムとはカトリック教会の使命ではありません。カトリック教会はエキュメニカルではなく、宣教的です。宣教的なカトリック教会は改宗を目的とします。エキュメニカルな教会は、誤謬の中に、誤ってはいないものを見出し、その水準に留まろうと努力ことを目的とするのです。それは、カトリック教会の真理を否定することです。このエキュメニズムのお陰で、いまではカトリック教会には一つたりとも敵が存在しません。誤謬に漬かっている人々は、そのままでいるべき兄弟だ、だから誤謬と戦う必要性が全くない、敵意を持つことを止めよう!と。(エコンで1978年4月14日に行われ霊的講話)」

 だからこそ大司教は、パウロ六世によるエキュメニカルな行為を非難した。それは、教皇パウロ六世が“一般信徒であってフリー・メーソン、さらに異端者である”英国国教会の主席“総主教”ラムゼイに頼んで、城壁外の聖パウロ大聖堂に集まった枢機卿及び司教たちを祝福させたからである。大司教は、パウロ六世の“姉妹なる諸教会”という考えを拒絶した。何故ならそれは“教会それ自体が分裂していること”を含意するからだ。

 しかし間もなく、“自由主義のエキュメニズム”が、宗教というもの全てに接触しようと試みた。大司教はそれに対応しなければならなかった。カトリック教会は、聖伝に従って、“霊魂を救いに導くことが出来、天主の聖旨に従いたいという超自然的な心構えに成立する暗黙の望みの洗礼”を認めている。しかし、イスラム教徒たち、あるいは仏教徒達が、彼らの信奉する宗教によって救われると考えるのは間違っている。“もしかしたら、彼らの宗教 の中に いながらも救われるかもしれないが、彼らの宗教 によって 救われるのではない。”何故なら、聖霊にとって(他宗教という)誤謬は障害物であるからだ。もしも人間がどんな宗教の中にも救霊を見出し得るなら、何故聖主は御自分の使徒達に対し、「諸国の民に教えなさい」と仰ったのか?

 「私達の聖主イエズス・キリストの神性を信じる事において、容赦ない論理があります。それは、もしも天主の神性を信ずるなら、彼こそが人となった私達の天主であると信じなければならないからです。ですから私達には、イエズス・キリストの宗教だけが真の宗教だと信じる義務があるのです。その理由は、彼は天主であり、この天主が創立した唯一の宗教は、カトリックの宗教だからです。従って、他にある様々な宗教は本当の宗教ではないのです。それは偽りの宗教であり、悪魔が真の宗教から何百万という霊魂を連れ去って、誤謬の中で奴隷にする為の手段だったのです。(1978年6月8日、エコンでの霊的講話)」

聖ピオ十世司祭兄弟会 (FSSPX) 創立者 ルフェーブル大司教 伝記 目次
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