Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

イエズスは、聖寵の超自然の御恵みで、御血を流された功徳によって、私たちに肥やしを与え、超自然の実りを付けるように全てして下さっている

2021年09月30日 | お説教・霊的講話

2021年9月25日(土)九月の四季の斎日 土曜日のミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日の福音では、2つの話が出ました。

1つは、畑に植えられたイチジクの木の例えです。主人がやって来て、「3年ここに木が植わっているけれども、全く用がない、何の実も付けない。切って捨ててしまえ。火にくべてしまえ!」すると、そこで使われてる人がやって来て、「ご主人様、お願いです。勘弁してやって下さい。私が周りに水を掘って、肥やしをやります。水をあげます。もう少し辛抱して下さい。きっと美味しいイチジクの実がなるでしょう。もしもそれでもダメだったならば、切って火にくべて下さい。」

これは、この「木」は、「人類」を表しています。天主の為に実を付ける事ができない、全く不毛の、役に立たない人類です。

しかし、イエズス様が聖寵を以って、御恵みを以って、超自然の御恵みで、特に御血の流された功徳によって、私たちに肥やしを与え、御恵みを与えて、そして何とか超自然の御恵みを、実りを付けるように、と全てして下さる。もしもこれでもダメならば、仕方がありません。

しかし人類は、イエズス様の世話、イエズス・キリストの流された御血という肥やし、その功徳、御恵みがなければ、全く用がなく、切り倒されて火にくべられるしか、価値のないものである、という事を教えています。私たちを生かして下さるのは、実を付けさせて下さるのは、イエズス・キリストしかおられません。

第2の話は、その直後に、18年間、病でサタンに縛り付けられていて、天に目を上げる事ができない、腰の曲がった婦人の話が出ます。18年間、よほど本当に大変だった事でしょう。腰が真っ直ぐにならずに、いつも上を見る事ができなかったのですから。

これもやはり、サタンに影響を受けて、地上の事しか目が向けられていない、私たち人類の悲しい姿を現しています。

しかし、イエズス・キリストがこの人類を癒して、天に目を上げる事ができるようにして下さいます。これをする事ができるのは、イエズス・キリストしかいません。なぜなら、イエズス様は、天から来た御方で、真の天主であるからです。

今日この福音で、「私たちは、イエズス・キリストだけに信頼するように、もしも私たちが実を結びたいのならば、天へと帰る事ができるようになりたいのならば、イエズス・キリストを通すしかない、イエズス・キリストに依り頼むしかない」と教えています。

私たちがそれをする事ができますように、イエズス様の御母、天主の御母マリア様にお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。