アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
アシジⅢ<第三回アシジ平和祈祷集会>に関するフェレー司教による最初の説教をご紹介します。
2011年1月9日の御公現の荘厳祭に、聖ニコラ・デュ・シャルドネ(St. Nicolas du Chardonnet)教会で与えられた説教中にあった御公現の大祝日についての発言。
聖主イエズス・キリストを礼拝する為、異教世界という最も遠い東の果てから旅をした東方の三博士の到来を説明した後で、フェレー司教は東方の三博士の信仰によるこの例を、ヘロデの不信仰や2011年10月にアシジで開催される世界平和祈祷集会の発表と対比して引き立たせている。
==説教の引用開始==
理論上では、彼らは認めています。理論上では彼らは信じています。
しかし現実に彼らは信じているでしょうか? 彼らは本当に私たちの聖主が天主であると信じているのでしょうか? 彼らは実際に人間や、国家の間の平和が聖主の御手の内にあると信じているでしょうか? 彼らは聖主の神性の直接的で、絶対的な結果の全てを実際に信じているのでしょうか? 彼らは、東方の三博士なる三人の王たちの様に、真の天主を礼拝し、あの平和を彼に期待して、彼にそれを願うつもりなのでしょうか? 彼らはレックス・パチフィクス(Rex Pacificus)、つまり平和の王のもとへ行くつもりでしょうか?
おお、如何に歴史は繰り返す事でしょうか、悲しい事です!
そうです、私たちはとても憤慨しており、このアシジでの数日の繰り返しに対して激しく抗議します。私たちが述べたことの全てを、またルフェーブル大司教様が[1986年のアシジに於ける第一回世界平和祈祷集会]当時に仰った事すべてを、私たちは自分たちの名で繰り返します。親愛なる兄弟たちよ、このような行為には償いが要求される事は明らかです。何たる神秘でしょうか!
礼拝とは、どういう意味でしょうか? 礼拝するとは、何よりも先ず認める事、要するに神性を認める事なのです。礼拝は天主にだけ捧げられるものです。さらに天主の神性を認める事は、即座に服従を当然の事ながら伴います。それは天主の主権に対する服従の宣言なのです。天主は私たちに対する一切の権利をお持ちであり、私たちが全く完全に依存しているのだと、つまり自分の存在や命、また活動する事、考える事、願う事、望む事のできる能力について本当に天主に依存しているのだと認める事なのです。すべての善、私たちに起こるすべての良い事は、天主の善良さから来ます。しかもこれは‐信じる人々だけではなく、キリスト教徒だけではなく‐本当の事です。これは全被造物に、無条件にすべての被造物に当て嵌まるのです。見えるものと見えないもの全ての創造主である天主は、さらにこの世を治める御方であり、その聖言葉<御子>の御力によって万物を維持される御方であり、万物が自らの安定性をその中に持っている御方でもあるのです!命と死の聖主、個々人と諸国の聖主であります!全能永遠なる天主に、全ての誉れと栄光が当然与えられるべきです!そうです、礼拝するとは、天主の諸権利を認めるという謙遜な態度に我が身を置く事なのです。
ですから行きましょう、私たちの聖主のもとへ行こうではありませんか。例え彼がその神性をお隠しになっているとしても、仮に彼がその母の腕に抱かれた幼子であるとしても、彼は本当に天主なのです!彼は私たちを救う為に、善き天主の御憐れみが送って下さった真の天主なのです。何故なら、彼は人となられ、また人となる事で救い主となったからです。そして天主御自身によって与えられた名前はイエズス、つまり救世主だからです!天の下で与えられ、それによって私たちが救われ得る唯一の名前なのです。唯一の救い主なのです!唯一の聖なる御方、つまり「御身は唯一の聖なる御方」[グロリアで唱える様に]であって、前代未聞の何かを私たちにもたらそうとやって来られるのです。それは天主からの永遠の幸福への招待状です。
人々が主を侮辱する時、主を無視する時、主の権威を下げる時、彼らはどうやって主の祝福を受けられるよう希望する事が出来ますでしょうか? それは愚の骨頂というものです!人は自ら天主を嘲る時、どうやって人間世界に平和を希望する事など出来るでしょうか?
今や現代思考は実に風変わりな計画を立ててくれます。全ての宗教は、最終的に、唯一の同じ神を礼拝するのだとそれは主張するのですから。それは完全に間違っていて、<聖書の>啓示の中にさえあるもので、私たちはそれを既に詩篇書、詩篇96.5に見出すのです。「異教の神々はみな悪魔である!」と。異教の神々は悪魔なのです。ですからアシジは悪魔で一杯になることでしょう!これは天主の啓示です。これは公教会の信仰です。これは公教会の教えです!
今日、<カトリック信仰の>継続性は一体どこにあるのでしょうか? 今、どこかに断絶があるのではないでしょうか? 何たる神秘でしょうか!
そう、親愛なる兄弟の皆さん、もし私たちが救われる事を望むなら、道は一つしかありません。そしてその道とは聖主イエズス・キリストという道であります。
==引用終わり==
愛する兄弟姉妹の皆様、
アシジⅢ<第三回アシジ平和祈祷集会>に関するフェレー司教による最初の説教をご紹介します。
2011年1月9日の御公現の荘厳祭に、聖ニコラ・デュ・シャルドネ(St. Nicolas du Chardonnet)教会で与えられた説教中にあった御公現の大祝日についての発言。
聖主イエズス・キリストを礼拝する為、異教世界という最も遠い東の果てから旅をした東方の三博士の到来を説明した後で、フェレー司教は東方の三博士の信仰によるこの例を、ヘロデの不信仰や2011年10月にアシジで開催される世界平和祈祷集会の発表と対比して引き立たせている。
==説教の引用開始==
理論上では、彼らは認めています。理論上では彼らは信じています。
しかし現実に彼らは信じているでしょうか? 彼らは本当に私たちの聖主が天主であると信じているのでしょうか? 彼らは実際に人間や、国家の間の平和が聖主の御手の内にあると信じているでしょうか? 彼らは聖主の神性の直接的で、絶対的な結果の全てを実際に信じているのでしょうか? 彼らは、東方の三博士なる三人の王たちの様に、真の天主を礼拝し、あの平和を彼に期待して、彼にそれを願うつもりなのでしょうか? 彼らはレックス・パチフィクス(Rex Pacificus)、つまり平和の王のもとへ行くつもりでしょうか?
おお、如何に歴史は繰り返す事でしょうか、悲しい事です!
そうです、私たちはとても憤慨しており、このアシジでの数日の繰り返しに対して激しく抗議します。私たちが述べたことの全てを、またルフェーブル大司教様が[1986年のアシジに於ける第一回世界平和祈祷集会]当時に仰った事すべてを、私たちは自分たちの名で繰り返します。親愛なる兄弟たちよ、このような行為には償いが要求される事は明らかです。何たる神秘でしょうか!
礼拝とは、どういう意味でしょうか? 礼拝するとは、何よりも先ず認める事、要するに神性を認める事なのです。礼拝は天主にだけ捧げられるものです。さらに天主の神性を認める事は、即座に服従を当然の事ながら伴います。それは天主の主権に対する服従の宣言なのです。天主は私たちに対する一切の権利をお持ちであり、私たちが全く完全に依存しているのだと、つまり自分の存在や命、また活動する事、考える事、願う事、望む事のできる能力について本当に天主に依存しているのだと認める事なのです。すべての善、私たちに起こるすべての良い事は、天主の善良さから来ます。しかもこれは‐信じる人々だけではなく、キリスト教徒だけではなく‐本当の事です。これは全被造物に、無条件にすべての被造物に当て嵌まるのです。見えるものと見えないもの全ての創造主である天主は、さらにこの世を治める御方であり、その聖言葉<御子>の御力によって万物を維持される御方であり、万物が自らの安定性をその中に持っている御方でもあるのです!命と死の聖主、個々人と諸国の聖主であります!全能永遠なる天主に、全ての誉れと栄光が当然与えられるべきです!そうです、礼拝するとは、天主の諸権利を認めるという謙遜な態度に我が身を置く事なのです。
ですから行きましょう、私たちの聖主のもとへ行こうではありませんか。例え彼がその神性をお隠しになっているとしても、仮に彼がその母の腕に抱かれた幼子であるとしても、彼は本当に天主なのです!彼は私たちを救う為に、善き天主の御憐れみが送って下さった真の天主なのです。何故なら、彼は人となられ、また人となる事で救い主となったからです。そして天主御自身によって与えられた名前はイエズス、つまり救世主だからです!天の下で与えられ、それによって私たちが救われ得る唯一の名前なのです。唯一の救い主なのです!唯一の聖なる御方、つまり「御身は唯一の聖なる御方」[グロリアで唱える様に]であって、前代未聞の何かを私たちにもたらそうとやって来られるのです。それは天主からの永遠の幸福への招待状です。
人々が主を侮辱する時、主を無視する時、主の権威を下げる時、彼らはどうやって主の祝福を受けられるよう希望する事が出来ますでしょうか? それは愚の骨頂というものです!人は自ら天主を嘲る時、どうやって人間世界に平和を希望する事など出来るでしょうか?
今や現代思考は実に風変わりな計画を立ててくれます。全ての宗教は、最終的に、唯一の同じ神を礼拝するのだとそれは主張するのですから。それは完全に間違っていて、<聖書の>啓示の中にさえあるもので、私たちはそれを既に詩篇書、詩篇96.5に見出すのです。「異教の神々はみな悪魔である!」と。異教の神々は悪魔なのです。ですからアシジは悪魔で一杯になることでしょう!これは天主の啓示です。これは公教会の信仰です。これは公教会の教えです!
今日、<カトリック信仰の>継続性は一体どこにあるのでしょうか? 今、どこかに断絶があるのではないでしょうか? 何たる神秘でしょうか!
そう、親愛なる兄弟の皆さん、もし私たちが救われる事を望むなら、道は一つしかありません。そしてその道とは聖主イエズス・キリストという道であります。
==引用終わり==
そして宗教的世界の平和を望むなら、何故無差別テロの様に宗教的な大量殺人が増え続けるのでしょうか?何故テロを起こす思想を持った宗教の信者が増え続けるのでしょうか?
この世での平和を望む為だけに天主様を蔑ろにすることで、この世で多くの試練や困難が増え続けているように感じます。