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カトリック教会の聖職者たちがイエズス・キリストの教えをはっきりと教えなくなると、別の宗教がカトリック教会の代わりに場所を占めようとする

2021年07月10日 | お説教・霊的講話
2021年6月19日(土)童貞聖ユリアナ・ファルコニエリのミサ
聖ピオ十世会司祭 トマス小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟姉妹の皆様、今日は6月19日土曜日、聖ユリアナ・ファルコニエリの祝日です。



この聖女は御聖体の聖女であって、また、6月はイエズス様の聖心の月、19日は聖ヨゼフの日、土曜日はマリア様の日ですから、イエズス様とマリア様とヨゼフ様と聖ユリアナとに祈りましょう。
私たちの祖国日本、そして全世界のカトリック教会の為を思って、このミサの直後に御聖体降福式を御捧げ致しましょう。
特に罪の償いの為に、カトリック教会の為に、教皇様の為に、日本の司教様や司祭、聖職者たちの為に御捧げ致しましょう。

思ってみれば、今から約1年半ぐらい前、2019年10月に、バチカンでパチャママという異教の母なる大地の女神が、教皇様の前で、崇敬の異教の儀式をした事がありました。パチャママの女神像を持って、枢機卿や司教たちが聖ペトロ大聖堂に行列で入堂して、宗教行事を異教の行事を行なった事がありました。

それ以後、教会は全世界で門を閉じられてしまって、公式のミサも捧げられなくなってしましました。信徒はミサにも与る事ができずに、秘跡にも与る事ができずに、終油の秘跡を受ける事もできずに、告解もできずに、あるいはミサを立てていると警察が来て、罰金を払わなければならない、という事態になりました。
復活祭も、公式のミサはローマで行われなかった、という2000年カトリック教会始まって以来の出来事が起こりました。
聖ペトロ大聖堂では、教皇様のミサが行なわれなくなりました。おかしな事が行なわれるように、私たちの目の前で起こるようになってしまいました。

今までカトリック教会を非難していた人は「地獄などは中世のおとぎ話だ。『地獄がある』と言って人々を恐れさせて、人々を民衆をコントロールしようとしているのだ」と言っていました。

しかし、今度は、マスコミなどで教会を非難していた人たちが、「さぁ、疫病がうつるぞ。さぁ、恐ろしいぞ。感染者は何名出た。陽性が何名出た」などと言って、民衆を恐れさせているではないでしょうか。

教会が、イエズス様の仰った通りに、「全世界に行って、聖父と聖子と聖霊との御名によって洗礼を授けて、洗礼の水によって天主の子供となる。清められる」と教え、「天国に行く」という事を教会が教えていることを非難していた人が、今度は口を揃えて、「ファイザーとモデルナの名前によってワクチンを受けなければ、全世界に行ってワクチンを受けなければ、私たちは救われない。」とさえ言っているようです。

カトリックの司教様でさえ「あぁ、これで、ワクチンが日本に来たので、これで私たちも安心だ」とさえ言っているほど、おかしな時代になっているのではないでしょうか。

御聖体は、私たちはイエズス様の真の体であるから、跪いて、礼拝して、口で拝領してきました。しかし、「感染があるから」と、おかしなやり方で聖体拝領をしなければならないとなっています。

私たちは「人間は、天主の似姿とそしてその象に従って創造されたのであるから、そして天主から頂いた命は誰も、天主以外には手をつける事ができない。私たちは、『汝、殺すなかれ』と、たとえどんな胎内に、お母さんの胎内にいる子供であっても、人間であるから、誰も手をつける事ができない」と教えてきました。

ところが、新しい世界統一宗教を作ろうとしている人々は、「今、環境問題だから、地球温暖化があるから、二酸化炭素が多すぎるから、人口を削減しなければならない。人口は多すぎる。だから何としてでも人口を減らす。その手段は選ばない」とでも言っています。

あるいは今まで、「人間の自由が大切だ。なぜカトリック教会は子供に洗礼を授けるのだ。子供が大きくなるのを待たなければならないではないか」などと言った人が、乳幼児にも、必要とはないと思われるような子供たちにも、「ワクチンを受けなければならない」と主張しています。

これらのことは新しい「宗教」のようです。何故ならドグマがあって、それを信じなければならないからです。イエズス・キリストが天主であること、御聖体、聖母については、どのような冒涜も許されています。しかし、コロナやワクチンに関することについて、それが科学的なデータであっても、すこしでも疑いを挟むことは許されておらず、異端審問を受け、ソーシャルメディアから抹殺され、信仰箇条として信じなければならないからです。そのようなおかしな話はまだまだたくさんあります。そうした色々ありますけれども、ここでは私は申し上げません。

しかしこれを見ると、カトリック教会がその教えをはっきりと言わなくなればなるほど、あるいは教会の聖職者たちがイエズス・キリストの教えを伝えようとしなくなればなるほど、別の宗教がその代わりに、そのカトリック教会の代わりに、場所を占めようとしているかのようです。

私たちは一体、どうすれば良いでしょうか?

私たちは、カトリックのままで留まらなければなりません。信仰を、教会の為に、そのまま保持しなければなりません。そしてイエズス様に、ひたすら御憐れみを乞い願いましょう。イエズス・キリストは真の天主、マリア様は真の天主の御母、聖ヨゼフはその天主の御養父であります。

御聖体の中において、真の創造主が私たちと共におられます。私たちにとって何も恐れるものはありません。天主が私たちの傍にこうやって、愛して傍におられるのであれば、地獄から鎖を放たれて悪魔がうじゃうじゃしていようと、天主が守ってくださるからです。イエズス様が「フッ」とやれば、あっという間にろうそくが消えるように消えてしまうからです。

ですから、私たちはこのままイエズス様をお愛しし、御聖体を礼拝し続け、カトリックの教えを信じ続けましょう。

そしてこの災難がより短く縮められるようにお祈り致しましょう。それによって多くの方々が、永遠の命に、信仰に、目を覚ましてくださるように祈りましょう。
「あぁ、やっぱりカトリック、やっぱりイエズス・キリストだ。やはりイエズス・キリストが王でなければ、私たちは悪魔を王として支配してしまう事を許してしまうのだ」と、気が付く日が来ると、多くの方々が目覚めて下さる日が来ると、信じております。

イエズス様の聖心の無限の功徳、マリア様の汚れなき御心の無限の功徳によって、多くの主を知らない人々が、主を知る恵みを頂きますように、お祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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2 コメント

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恐れるべきはワクチン接種 (ヨハネ)
2021-07-12 23:59:54
「恐れるな」とイエズス様がおっしゃったことがあるように覚えていますが、本当にそうですね。感染症専門家とマスコミの煽りのために、新型コロナウィルスを恐れに恐れてしまった方々は喜んでワクチン接種を受け入れていますが、これはとても危険なことです。作っただけで安全性の検証ができていないワクチンを接種することは、安全性を検証する実験台になることです。テレビや新聞は報道しませんがワクチン接種後に多くの方が亡くなっています。厚労省に報告が上がっているのは560件ほどですが、それ以外に老衰や持病の悪化などと処理されているケースがかなりあるようです。どちらも、ワクチン接種との関係はほとんど認められていません。ワクチン接種をきっかけに亡くなった方は、実際は2桁ほど多いのではないでしょうか。

某週刊誌の編集部に、昨年4月・5月・6月の死亡者数と今年の4月・5月・6月の死亡者数を比較し、今年は死者が急増していることを記事にしてはどうかとメールを出しました。死因は不明でも死者数は事実です。急増しているのはほぼ確実ですが、その理由はワクチン接種以外に考えられません。自然災害も大事故も戦争もペスト並みの疫病もないのだから。

新型コロナウィルスで亡くなった方はインフルエンザで亡くなる方と同程度しかいません。そんなに恐れるほどのことはなく、ましてや出来立てほやほやの検証もされていないワクチンに頼らなければならないほどのウィルスではありません。でも恐いから、ワクチン接種を喜んで受け入れてしまう。その結果は、最悪の場合は死です。今の状況は、政府による国民の連日無差別テロでしょう。きつい表現ですが、それ以外にどう受け止めればいいのでしょう。

今起きていることは、そんなに恐れる必要がないものを過剰に恐れたからです。ウィルスを恐れてワクチンを接種するのではなく、私たちカトリックにはイエズス様に信頼して毎日を過ごすようにすることが最も効果があるのではないでしょうか。本当に心から、そう思っています。
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Unknown (跡部浩正)
2021-07-16 18:11:11
神父様、たしかにコロナ禍は我々人類の大きな罪なのかもしれませんが、そのコロナ禍で苦しむ罪なき子羊たち(医療従事者、救急隊、保健所関係者、飲食店、職を奪われた人々、コロナに罹患した方や後遺症に苦しめられている方)の事にもっと目を向けて下さい。
そんな子羊たちを神様に救っていただける様祈る事が、まず現在我々信者がするべきことでは無いでしょうか?
大きな罪に向き合うのは、彼らが救われた後でも出来ます。
神様の代理人たる小野田神父様なら、イエス様がまず第一に何をするかがお分かりでしょう?

当方、大阪府北部にある箕面市の介護施設に勤めていますが、コロナで医療が逼迫した時には救急搬送してもらうにも箕面市内はもとより隣接自治体の病院全てで断られて大阪市内でようやくだったり、慢性的な持病が原因での入院にも陰性証明が出ていないと受け入れられなかったりなど。
その病院も断りたくて断ったわけではありません。
医者の中には赤ひげ先生を自分もと志した者もいるでしょう。そんな彼らが限界だと言わせる逼迫具合が起きていましたし、これから第5波でまた起こるでしょう。
そして入居者も愛する家族に会えずに孤独に感じている。
オンラインやガラス面会などで対策をしていますが、それでも対面という温度のある面会に比べてどうしても限界がある。対面が不可能なのは非常に心苦しいですし、なんとかコロナが落ち着くのを祈る毎日です。
また、当方の勤める施設では無いですが、受け入れが出来なくて、コロナに罹った方を医療資源が整っていない介護施設で看なければいけない施設も存在しました。
同じ介護従事者としては他人事では無いし、相当な過酷な環境で、しかもその努力虚しく亡くなった方がいるという状況にコロナの恐ろしさを再認識しました。
そういった塗炭の苦しみを味わっている人達がいる事を神父様、忘れないでください。
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