八 日 契 約 の 櫃 と 聖 母 の 聖 心
箱を造り、純金を以て内外共に掩(おお)い、わが汝に与うる掟(おきて)を其の箱に納(おさ)むべし。
(出埃及記二。五)
これは天主がモイゼに仰せられた御言葉であるが、ここに箱というのはエルザレムの神殿で最も聖(とうと)しとされていた契約(けいやく)の櫃(ひつ)に他(ほか)ならぬ。この契約の櫃(ひつ)には二つのものが納めてあった。
その第一は、天主がモイゼに手づから授け給うた、十(じゅう)誡(かい)を刻(きざ)んだ二枚の石板(せきばん)。その第二は、昔イスラエルの民がエジプトを遁(のが)れてアラビアの曠野(あれの)を彷徨(さまよ)うていた頃、天から降って彼等を養った、マンナという不思議な食物を入れた黄金の器(うつわ)。この二つである。
そして天主はモイゼに聖(み)旨(むね)を伝え、或はイスラエル人に多くの恵(めぐみ)を与え給う時、いつもこの契約の櫃(ひつ)を通じてせられるのが常であった。
我等は連祷(れんとう)に於いて聖マリアを契約の櫃(ひつ)と呼び奉るが、誠にこの聖(せい)櫃(ひつ)は聖母の象徴(かたどり)である。聖マリアの完全無訣(むけつ)な聖心(みこころ)は、如何にも純金で内外を飾られた聖(せい)櫃(ひつ)に喩(たと)えるに相応(ふさわ)しい。のみならずその聖心(みこころ)には、始めから天主の誡(いまし)めが、かの石板(せきばん)の面(おもて)よりも深く刻(きざ)み込まれてあった。
されば天主の聖(み)旨(むね)に従順(じゅうじゅん)で、その聖式(せいしき)に与(あずか)る事などは、よくその御性質に適(かな)い、むしろ已(や)みがたい聖心(みこころ)の御要求であった。故に聖マリアは御幼少の時から熱心に聖教(みおしえ)を学(まな)び、十二分に天主の十(じゅう)誡(かい)に通暁(つうぎょう)されたけれど、本来から云えばユデア人や我等の如く、己(おのれ)を律(りっ)する外部的な掟(おきて)などは必要でなかったのである。
然し我等に於いては大いに異(こと)なる。我等の心は天主の聖(み)旨(むね)よりも、原罪(げんざい)に歪(ゆが)められた本性に従い易(やす)く、その為、善に赴くには絶えず努力や勧告を要する。けれどもそれにも拘(かか)わらず我等の心も洗礼の時から聖(せい)櫃(ひつ)になった。
そして天主の聖(み)旨(むね)はその時から十(じゅう)誡(かい)を以て明らかに示された。故に聖母を
熱心に崇敬(すうけい)する者は、その麗(うるわ)しき御鑑(おかがみ)に倣(なら)い、行(おこな)いを改(あらた)めてその尊敬(そんけい)の心を
表(おもて)に現(あらわ)さねばならぬ。
次に契約の櫃(ひつ)には不思議な天の食物なるマンナが納めてあった。此の点から云ってもこの櫃(ひつ)は聖母の象徴(かたどり)である。
何となればイエズスは或る時ユデア人に向かい「我は生けるパンなり。汝等の先祖は砂漠にてマンナを食して死せしが、人、若(も)しこの我パンを食せば永遠に生くべし」と仰せられたが、このパンは御托(ごたく)身(しん)によって聖母の内にやどり給うた。
されば聖母が天のパンを納める契約の櫃(ひつ)と呼ばれ給うのは誠に適切で、我等に降(くだ)り給う聖体と如何に深い関係を有し給うかも悟(さと)られよう。
聖体は世の終りまで信者を養う霊魂の糧(かて)で、逐謫(ちくたく)の身に此の上ない力(ちから)であり慰安(なぐさめ)であるが、聖マリアも主の御昇天後は始終(しじゅう)聖体を拝領されて、懐(なつ)かしい御子(みこ)と一致されそれを力(ちから)にナザレトのつつましい御生活を続けられた。
故に我々も聖体拝領のたび毎(ごと)に聖母を思い出して、その芳(かんば)しき御徳を鑑(かがみ)とし、聖会の勧告(すすめ)に従い、心を改め行いを正し、御跡(みあと)を慕(した)い奉ろう。かように努(つと)めるならば、此の世から天国にいますイエズス・キリストと親しく交(まじ)わる事が出来るのである。
祈 願
ああ、聖(きよ)き御母マリアよ、我等は誠(まこと)に拙(つたな)き者なれども、洗礼によりて主の聖(せい)櫃(ひつ)とせられし事を深く感謝し奉る。
我等は御身の麗(うるわ)しき範(のり)にならい、主のよみし給う性質となり、犠牲と善徳の花を手向(たむ)けて、主の聖心(みこころ)を休ませ奉る者とならん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度
繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
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箱を造り、純金を以て内外共に掩(おお)い、わが汝に与うる掟(おきて)を其の箱に納(おさ)むべし。
(出埃及記二。五)
これは天主がモイゼに仰せられた御言葉であるが、ここに箱というのはエルザレムの神殿で最も聖(とうと)しとされていた契約(けいやく)の櫃(ひつ)に他(ほか)ならぬ。この契約の櫃(ひつ)には二つのものが納めてあった。
その第一は、天主がモイゼに手づから授け給うた、十(じゅう)誡(かい)を刻(きざ)んだ二枚の石板(せきばん)。その第二は、昔イスラエルの民がエジプトを遁(のが)れてアラビアの曠野(あれの)を彷徨(さまよ)うていた頃、天から降って彼等を養った、マンナという不思議な食物を入れた黄金の器(うつわ)。この二つである。
そして天主はモイゼに聖(み)旨(むね)を伝え、或はイスラエル人に多くの恵(めぐみ)を与え給う時、いつもこの契約の櫃(ひつ)を通じてせられるのが常であった。
我等は連祷(れんとう)に於いて聖マリアを契約の櫃(ひつ)と呼び奉るが、誠にこの聖(せい)櫃(ひつ)は聖母の象徴(かたどり)である。聖マリアの完全無訣(むけつ)な聖心(みこころ)は、如何にも純金で内外を飾られた聖(せい)櫃(ひつ)に喩(たと)えるに相応(ふさわ)しい。のみならずその聖心(みこころ)には、始めから天主の誡(いまし)めが、かの石板(せきばん)の面(おもて)よりも深く刻(きざ)み込まれてあった。
されば天主の聖(み)旨(むね)に従順(じゅうじゅん)で、その聖式(せいしき)に与(あずか)る事などは、よくその御性質に適(かな)い、むしろ已(や)みがたい聖心(みこころ)の御要求であった。故に聖マリアは御幼少の時から熱心に聖教(みおしえ)を学(まな)び、十二分に天主の十(じゅう)誡(かい)に通暁(つうぎょう)されたけれど、本来から云えばユデア人や我等の如く、己(おのれ)を律(りっ)する外部的な掟(おきて)などは必要でなかったのである。
然し我等に於いては大いに異(こと)なる。我等の心は天主の聖(み)旨(むね)よりも、原罪(げんざい)に歪(ゆが)められた本性に従い易(やす)く、その為、善に赴くには絶えず努力や勧告を要する。けれどもそれにも拘(かか)わらず我等の心も洗礼の時から聖(せい)櫃(ひつ)になった。
そして天主の聖(み)旨(むね)はその時から十(じゅう)誡(かい)を以て明らかに示された。故に聖母を
熱心に崇敬(すうけい)する者は、その麗(うるわ)しき御鑑(おかがみ)に倣(なら)い、行(おこな)いを改(あらた)めてその尊敬(そんけい)の心を
表(おもて)に現(あらわ)さねばならぬ。
次に契約の櫃(ひつ)には不思議な天の食物なるマンナが納めてあった。此の点から云ってもこの櫃(ひつ)は聖母の象徴(かたどり)である。
何となればイエズスは或る時ユデア人に向かい「我は生けるパンなり。汝等の先祖は砂漠にてマンナを食して死せしが、人、若(も)しこの我パンを食せば永遠に生くべし」と仰せられたが、このパンは御托(ごたく)身(しん)によって聖母の内にやどり給うた。
されば聖母が天のパンを納める契約の櫃(ひつ)と呼ばれ給うのは誠に適切で、我等に降(くだ)り給う聖体と如何に深い関係を有し給うかも悟(さと)られよう。
聖体は世の終りまで信者を養う霊魂の糧(かて)で、逐謫(ちくたく)の身に此の上ない力(ちから)であり慰安(なぐさめ)であるが、聖マリアも主の御昇天後は始終(しじゅう)聖体を拝領されて、懐(なつ)かしい御子(みこ)と一致されそれを力(ちから)にナザレトのつつましい御生活を続けられた。
故に我々も聖体拝領のたび毎(ごと)に聖母を思い出して、その芳(かんば)しき御徳を鑑(かがみ)とし、聖会の勧告(すすめ)に従い、心を改め行いを正し、御跡(みあと)を慕(した)い奉ろう。かように努(つと)めるならば、此の世から天国にいますイエズス・キリストと親しく交(まじ)わる事が出来るのである。
祈 願
ああ、聖(きよ)き御母マリアよ、我等は誠(まこと)に拙(つたな)き者なれども、洗礼によりて主の聖(せい)櫃(ひつ)とせられし事を深く感謝し奉る。
我等は御身の麗(うるわ)しき範(のり)にならい、主のよみし給う性質となり、犠牲と善徳の花を手向(たむ)けて、主の聖心(みこころ)を休ませ奉る者とならん事を、恭(うやうや)しく天使祝詞(しゅくし)三度
繰(く)り返して願い奉る。
(天使祝詞 三度)
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