アヴェ・マリア!
カトリック司祭とは一体何か?
いけにえを捧げるために天主に聖別された人か?
それとも??
カトリック新聞「〝宣教する〟山口ブラザーズバンド神父ら 本格デビュー
東京・高円寺のライブハウス」より
音楽を通じての宣教活動を目指す、東京・赤羽教会の音楽グループ「山口ブラザーズバンド」(以下・YBB)が6月22日、東京・高円寺のライブハウスに出演。
YBBは、街の若者を対象に〝宣教するバンド〟として本格的にライブハウスに飛び込んだ。
山口神父(左から2人目)はローマンカラーで登場
会場では若者たちが思い思いに酒やタバコを手にステージを眺める。
その中を、YBBメンバーの山口雅稔神父(36/コンベンツアル聖フランシスコ修道会)がギターを手に、ローマンカラーの司祭服姿で登場。あえて司祭服を身に着けたのは、若者たちが教会に来るのを待っているのではなく、信仰による音の力を信じて、自分たちが若者たちに〝教会を〟届けようという意気込みの表れだ。
8月には、東京の大塚や代官山のライブハウスでの〝宣教演奏〟も計画している。
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●聖ピオ十世会韓国のホームページ
●トレント公会議(第19回公会議)決議文
●第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
●グレゴリオ聖歌に親しむ会
いけにえを捧げるために天主に聖別された人か?
それとも??
カトリック新聞「〝宣教する〟山口ブラザーズバンド神父ら 本格デビュー
東京・高円寺のライブハウス」より
音楽を通じての宣教活動を目指す、東京・赤羽教会の音楽グループ「山口ブラザーズバンド」(以下・YBB)が6月22日、東京・高円寺のライブハウスに出演。
YBBは、街の若者を対象に〝宣教するバンド〟として本格的にライブハウスに飛び込んだ。
山口神父(左から2人目)はローマンカラーで登場
会場では若者たちが思い思いに酒やタバコを手にステージを眺める。
その中を、YBBメンバーの山口雅稔神父(36/コンベンツアル聖フランシスコ修道会)がギターを手に、ローマンカラーの司祭服姿で登場。あえて司祭服を身に着けたのは、若者たちが教会に来るのを待っているのではなく、信仰による音の力を信じて、自分たちが若者たちに〝教会を〟届けようという意気込みの表れだ。
8月には、東京の大塚や代官山のライブハウスでの〝宣教演奏〟も計画している。
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●トレント公会議(第19回公会議)決議文
●第一バチカン公会議 (第20回公会議)決議文(抜粋)
●聖ピオ五世教皇 大勅令『クォー・プリームム』(Quo Primum)
●新しい「ミサ司式」の批判的研究 (オッタヴィアーニ枢機卿とバッチ枢機卿)Breve Exame Critico del Novus Ordo Missae
●グレゴリオ聖歌に親しむ会
ある方の「人格」と「行動・考え方」を、分けて考えればいかがですか?
「行動・考え方」については、自分の行ったことに対して責任を持つという意味において、大人なら(キリスト者なら)、たとえ神父様であっても、批判を受けるべきでしょう。
自分の「行動・考え方」はすべて主の目にさらされている、という信仰を、お持ちの方なら・・・・(もちろん私も含めて)
しかし、それは、決して、その方の人格を否定するものではない、と。つまり、どんなことがあっても、主はその方を、大切に思っておられ、恵みを注がれ、愛されている。
いかがですか? 人(人格)を憎まず、罪(行動)を憎む といいますよね!(出典不明)
がんばりましょう!
確かに、ある方のいないところで、その人のことを話してはいけません、と30年前カトリック校のシスターから教えられ、守っていた時期はあり、今40代後半の主婦ですが、基本的に、うわさ話はきらいですし、このシスターの教えは人間関係の深い知恵を含んでいると思います。
しかし、ある現実(状態)がよくなくて、よくしたいと考える時、「批判的に分析し論考する」事は、避けられないのでは・・・? 対象が、化学や物理ではなく、教会のあり方である場合、そこに神父様初めさまざまな人間が登場しますから、その方々の行動に言及するのは、やむをえないですよね・・・と、正当化はここまでにして・・・・
「神父様のご存じないところで、悪口めいたことを書いてしまった自分は、卑怯だなと思う気持ちもあります
」というお気持ちは、謙虚で、とても尊いと思います。いつまでも、こういうお気持ちを持ち続けてください。
フォークとロックに戻りますが・・・このY神父様なら、黙想会の打ち合わせの段階で、限られた時間ですし年齢層が高いので、ギターよりも、フランシスコの霊性についてのお話がお聞きしたいのですが・・・とか、わざわざ楽器をお持ちになるのは大変ですから・・・とか、申し上げられる雰囲気です。
しかし、一般的には申し上げにくいですね。私は、教会のシスターには、こう考えますがいかがですか? と、指導を仰ぐ気持ちで、話します。問題になる事は、典礼のあり方、「福音宣教」という名のもとに行われる教会の私的利用、エキュメニズムetc.・・・ですね。
ほとんどの場合、同感だといわれます。聖堂のありかたについては、神父様が賛同してくださり、ここ数年の悪習(?)が、変わりました。典礼もラテン語聖歌が一部復活しました。ある、お祈りは、文語に戻しました。でも、新しい妙な考えは、あとを絶たず、入り込みます。
がんばりましょう!
この神父様も、黙想会でギター弾き語りのクチですか・・・_| ̄|○
>それに、好きなことに精を出す修道者の方を、私は尊敬できません。口に出されなくても、犠牲をささげておられる方こそ、尊敬できます。
本当におっしゃるとおりです!
わたしもそう思います。
文章の上手な方がそれを通して宣教するとか、絵の上手な司祭が教会報等にちょっとした挿絵を描くとか、そういうのは良いと思うのですが・・・
あまり好きなことばかりに精を出す方は、尊敬できませんね。
>信者の方も神父様を批判しない事が、ことを悪化させているような気がします。
そうなのかもしれませんが、でも神父様を批判するというのは、とても難しいです。
わたしはこのコメント欄に、黙想会でギター弾き語りをした神父様を非難するコメントを書きましたが、面と向かってご注意申し上げることは、とてもできません。
ここに書いても、その神父様には伝わらないでしょう。その神父様のご存知無いところで、悪口めいたことを書いてしまった自分は、卑怯だなと思う気持ちもあります。
ギター弾き語りに限らず、神父様が間違ったことをおっしゃったときでも、それを正すことが出来ないチキンハートなのです。
黙って避けるくらいしか出来ません(T_T)
残念ながら、この若い(36)コンベンツアル聖フランシスコ修道会召命推進担当である、Y神父様も、数ヶ月前の黙想会で、聖堂内でフォークギターの弾き語りをし、素人レベルの安っぽい歌を、ご自分のギター伴奏で参加者に歌わせました。(修道服で)
自分がフォークが好きだからといって、教会に来る人は必ずしも好きではない・・・指導神父様だから、文句も言わず我慢してるのですよ、と修道会の長上が教えるべきですよね。それに、好きなことに精を出す修道者の方を、私は尊敬できません。口に出されなくても、犠牲をささげておられる方こそ、尊敬できます。
私はミサ中、Org.席から神父様の所作を拝見したのですが、聖器の扱いやお辞儀・声の出し方など、祈りが感じられなかったです。声が大きければいいというものではないですから。
根本的には、神学生の養成・修道会の養成に問題があり、目上の方が苦言を遠慮して言わないこと、信者の方も神父様を批判しない事が、ことを悪化させているような気がします。私は歌いません。静かに目を閉じて待ちます。
心配するのは、カトリック新聞がこういう記事を好意的に取り上げると、これが「福音宣教」だ、とまねをする人たちがでる事です。
ジョンレノンのイマジンがアメリカで放送禁止になったとき
日本のあるコメントエイタは「なんでイマジンまで!?」ってコメントしてたぞ
「考えてみよ!天国など存在しない。空があるのみ」と歌う無神論者のこの歌が放送禁止になるのは当然ではないか!
「愛」をうたうバンドなんて、掃いて捨てるほどたくさんあるのに。
この神父様は、ただ自分の趣味を人に披露したいだけとしか思えません。それなら、せめてローマンカラーを脱いで個人の資格でやってほしいものです。
「宣教」という宣伝文句無しで、勝負できるほどの演奏技術があれば、の話ですが(ちょっとイジワル言ってみました^^;)
でもこの神父様はライブハウスで演奏するだけマシです。わたしは降誕節の黙想会で神父様のギター弾き語りを聞かされたことがあります。おまけにその神父様は、演奏が終わった後、ご自分のCDの宣伝までして帰られました・・・