2016年5月8日 秋田巡礼 御昇天後の主日
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
シュテーリン神父様御説教
同時通訳:小野田圭志神父
聖父と聖子と聖霊の御名によりて、アーメン。
親愛なる巡礼者の皆さん、私たちのマリア様はこの巡礼をこの最後の日を、特別の日として選びました。もちろん今日は昇天の後の主日であります。
今日実はポーランドでは、ポーランドの守護の偉大なる聖人聖スタニスラオを祝っています。色々な場所では今日は、「全ての聖寵の仲介者であるマリア様」の祝日です。
「マリア様は全ての天主様の聖寵を御手に委ねられていて、そしてその委ねられた聖寵を全ての人々に分配する、その特別の役割を担っている」という、その真理を今日祝うのです。実はこの事は、巡礼の間いつも話していた、その最も基礎のお話しなのです。
この巡礼に於いて、「あぁ、そういうきれいな話しを聞いたなぁ。あぁ、きれいなお話しだけだったなぁ」と言ってそれで家に帰ってはなりません。
聖マキシミリアノ・コルベ神父様は、「行動は反応を引き起こす」と言っていました。もしも誰かがこうやって話しかけたら、それに対応する答えが必要とされます。マリア様はご自分の道具を使って、今回の巡礼の間皆さんに多くを語りかけて下さいました。
皆さんの価値の無いそして不肖な道具は、皆さんの前の司祭たちです。そして更にもっともっと価値のある道具たちは、日本の多くの殉教者たちでした。或いは原子爆弾で被曝されて亡くなった、多くのカトリック信者たちです。また特に聖マキシミリアノ・コルベ神父様です。多くの事を聞きました。皆さんはこの話しをよくお聞きになっていたので、今では心がそのそれに感動して、そして浄められたと思います。
マリア様の涙も皆さんの罪をきれいに浄めて下さいます。秋田の聖母マリア様は皆さんに、新しい慰め、新しい希望、新しい光を下さいます。皆さんマリア様の言葉をお聞きになったのですから、答えは今日、今、出さなければなりません。
マリア様は子供たちに、ファチマで子供たちに現れた時には、こう最初に聞かれました、「あなたたちはこうする事を望みますか?」と。「あなたたちは私の後に従うのを望みますか?私があなたたちの母であるという事を受け入れる事を望みますか?私が女王であるという事を受け入れる事を望みますか?」子供たちは1秒たりとも逡巡する事はありませんでした、「はい、望みます」と。
今私たちがしなければならない事がそれです。これを「聖別」「奉献」と言います。
皆さんの中にはもう去年、或いは過去、マリア様に「はい」と言って奉献をした方々もいます。今日はその奉献を更新して下さい。皆さんはこう言う事ができるかもしれません、「あぁ、マリア様、お母様。私は今年はあまり良い騎士ではありませんでした。でも今回御身は私に、とても特別な仕方で御身の憐れみを示して下さいました。今日は今までかつてなかったような特別の熱心なやり方で、『はい、望みます』と言います。」
今日申込書を書かれた10名の方々は、初めて今日聖母の騎士として入会します。
どうぞ今日初めて、マリア様に「はい、望みます」と仰って下さい。教会はこの奉献のこの日に、皆さんにその入会者には全贖宥を与えます。この全贖宥というのは特別の御恵みです。
昨日申し上げた通り、マリア様は目に涙を溜めて、ほろほろと涙を流しながら、「お願いですから私の頼みを聞いて下さい、叶えて下さい」と頼んでいます。
「子供よ、自分の事を憐れんで下さい。あなたは今砂漠の中で、今何も食べずにもう飢えの為に死のうとしています。さぁ何か飲んで下さい、そうしないと死んでしまいます。でもこの生きる水が流れ出るのはたった1つの泉しかありません。それは私の汚れなき御心です。来て飲みなさい。私の御心に来てそこから飲みなさい。そしてあなたの心に私の心から水を汲んで下さい。そしてその汲んだ水を他の人にも与えなさい。」
ですから皆さんこう言って下さい、「マリア様、私を御身の汚れなき御心の、汚れなき御手における道具として使って下さい。」
この「道具として下さい」というお願いは、マリア様の御心をとても喜ばせます。聖コルベ神父様はこのマリア様に対する奉献をこう書かれましたが、その内容は非常に優れたものです。この聖別の言葉1つ1つを私たちが言う時、その1つの1つの言葉をマリア様は聞いてとても喜ばれます。
お母様というのは母親というのは、子供がお母さんの所にやって来て、「お母さん、お母さんは私の事を本当に愛して下さっているんですね」と言うと、とても嬉しがります。コルベ神父様はそれと同じ事をマリア様に言わせます。マリア様は私たちの事をそれほどまで極めてすごくたくさん愛しておられて、そのマリア様がどれほど愛しておられるかという事を私たちは理解し尽くす事はできません。
それでもその理解する事ができないにもかかわらず、私たちがマリア様に、「あぁマリア様、御身は私たちの事をこんなにも愛して下さっているのですね」という事を言うと、マリア様は天国から大きな微笑みを以て私たちに喜びを見せて下さいます。
「マリア様、御身は私の母だと知っています。御身が私の事を愛して下さっていると昔から知っています。御身が私にとって、私の祖国にとって、教会にとって、とても大切な方だという事を知っています。でも御身が私の事をそれほどまでに愛しておられたという事は気が付きませんでした。ですからこの信じられないほどの大きな愛に、私は愛を以て応えようと思います。でも御身は私がどれほど弱いかを知っています。私はこの生涯、ずっと死ぬまで、ゼロのままです。でももうその事を恐れません。私がもしも弱さの為に倒れてしまったとしても、だからといって自分を怒りません。私が弱ければ弱いほど、マリア様に信頼します。私が倒れれば倒れるほど、私はマリア様の身元に走り駆けます。マリア様が私にお願いした通り、少なくとも1日に1回、できればもっとたくさんマリア様の道具として何かお役に立つ事を致します。マリア様が私に下さったそれほどの憐れみを、私の友に友人たちに、そして私の祖国に配りたいのです。」
親愛なる信者の皆さん、この巡礼の最後において、私たちの心は喜びに満ち溢れて、そして命に満ち溢れて、光に満ち溢れるべきです。
気を付けて下さい、私たちが元のその場所に戻ると家に戻ると、その周りは暗闇です。私たちは無関心と憎しみに満ちた世の中に戻って行きます。悪魔に支配されているこの世にまた戻って行きます。また私たちが孤独や一人ぼっちだという事を感じるこの世の中に入って行きます。
でももう一人ぼっちではありません。何故かというと、皆さんは希望を見い出したからです。私の道を見い出したからです。私は今はしっかりした地盤の上に立っています。私はどこに行くかを知っていますし、何をするかも知っています。たとえ私が弱くて倒れてしまっても、また起き上がって行きます。ちょうど戦いにおける戦場における兵士のように。
これが騎士です。無原罪の聖母の騎士です。マリア様は私にとって全てです。マリア様に於いて私はイエズス様を見つけます。マリア様に於いてなら、たくさん良く祈る事ができます。マリア様と共なら、どんな厳しい試練も通り抜ける事ができます。火の中も。マリア様と一緒ならば、決して倒れません。マリア様と一緒なら、全ての力を受けます。マリア様は、この私の道を導く天の星です。私の避難所、天に導く道です。
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。