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マルセル・ルフェーブル大司教 近代主義の教会の中への侵入の略史 (その4)

2008年01月26日 | ルフェーブル大司教の言葉
アヴェ・マリア!
近代主義の教会の中への侵入の略史 (その4)

マルセル・ルフェーブル大司教の講演の記録
「信仰を守りなさい。あなたたちの信仰を捨てるよりもむしろ殉教者となりなさい。」
1982年 モントリオール(カナダ)にて

L’infiltration du modernisme dans l’Eglise --- Brève histoire ---
conférence prononcée par Monseigneur Lefebvre, en 1982 à Montréal (Canada)

L'infiltration du modernisme dans l'Eglise
- Conference prononcee par Mgr Lefebvre en 1982 a Montreal -


(続き)


教会の革命

 これが公会議で起こったことです。公会議の全ての論説とテキストとがリベラルな枢機卿たちとリベラルな委員会によって影響を受けたということは明らかです。第二バチカン公会議のテキストが曖昧であり、ものごとを変えるのに都合よくできていること、教会内部で本当の革命を起こすように都合よく出来ていることは、驚くに足りません。

 私たち、司教たちと枢機卿たちの伝統的一翼を代表していた私たちが、何かすることができたでしょうか?率直に言って、私たちはほとんど何もすることができませんでした。聖伝維持を支持し、教会における大きな変化、つまり、誤った刷新、誤ったエキュメニズム、誤った司教団制度 (collegialite) に反対していたのは、250人でした。私たちはこれらすべてのことに反対しました。これら250人の司教たちは、明らかにいくらかの影響力を行使し、そしてある場合にはテキストを修正させることに成功しました。悪はいくぶん制限されました。

 しかし私たちはいくつかの誤った意見が採用される、特に信教の自由に関する論説が採用されるのを阻止することに成功することができませんでした。この信教の自由に関する文書は、5回も書き直しを受けました。

 しかし5回とも、同じ説がそのまま戻ってきました。私たちはいずれの機会にもそれに反対しました。反対投票はいつも250票でした。

 そこで、教皇パウロ六世は、このテキストに二つの小さな文章を付け加えさせたのです。それにはこうありました。「このテキストには、教会の伝統的な教えに反することは何もない、そして教会は常にキリストの真の、唯一の教会であり続ける」と。

 すると、特にスペインの司教たちがこう言いだしたのです。
「教皇がこれを付け加えたのだから、もはや何の問題もない。伝統に反するものは何もないのだから」と。

 もしもこれらの事柄が(過去の教会の教えと)矛盾するならば、この小さな章句は、テキスト内部に書かれてあることに全て矛盾します。これは一つの内部矛盾を抱えた概要文書です。それを受け入れることはできません。最後には、私の記憶が確かならば、ただ74人の司教だけが反対者として残りました。この文書は、これ程までの反対に遭遇した唯一の概要です。しかし、2500票のうちの74票というのはほとんど何でもありません!

 このようにして公会議は終わりました。私たちはそれ以来導入されてきた諸改革に驚くべきではありません。自由主義の全歴史を通して、リベラル派は公会議内部で勝利したので、彼らはパウロ六世が彼らにローマ聖省のよい地位を与えることを要求したのです。

 そして事実、諸々の重要な地位は進歩的な聖職者に与えられました。一人の枢機卿が死ぬとすぐに、あるいはある機会が生ずるやいなや、教皇パウロ六世は伝統的な枢機卿たちを脇へ押しやり、直ちにリベラルな枢機卿が彼らに取って代わるようにしました。

 このようにしてローマはリベラル派によって占領されました。これは否定できない事実です。また公会議の諸改革がエキュメニズムの精神を呼吸し、プロテスタントの精神を吸い込んだ改革であった、それ以上でも以下でもないということも否定することはできません。

(続く)

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