Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

復活後の一週間、ミサ聖祭ではVictimae paschali laudesという続誦を歌います。 ラテン語と日本語訳をご紹介いたします。

2019年04月22日 | カトリックとは

天の元后、喜び給え、アレルヤ!
Regina Caeli, laetare, alleluia!

愛する兄弟姉妹の皆様、

復活後の一週間、ミサ聖祭ではVictimae paschali laudesという続誦を歌います。
ラテン語と日本語訳をご紹介いたします。日本語のウィキペディアも参考にしました。

グレゴリオ聖歌によるVictimae paschali laudesの歌い出しが、「君が代」に似ている、と言われています。確かめてみて下さい。

天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)

男女の聖歌隊で歌う続誦

男子修士だけで歌う続誦
Performed by the Benedictine monks of the Abbey of Notre-Dame de Fontgombault (France)

Victimae paschali laudes 過ぎ越しのいけにえに賛美(の犠牲)を
Immolent Christiani. キリスト者たちは屠らんことを。
   
Agnus redemit oves 子羊が羊を贖い、
Christus innocens Patri 罪のないキリストは父と
Reconciliavit 和解させた
Peccatores. 罪びとたちを。
   
Mors et vita duello 死と命とは驚くべき決闘で
Conflixere mirando, 衝突し、
Dux vitae mortuus 命の導師は、死んだが、
Regnat vivus. 生きて統治し給う。
   
Dic nobis Maria マリアよ、私たちに告げよ。
Quid vidisti in via? あなたは道で何を見たのか?
Sepulcrum Christi viventis 生きているキリストの墓を
Et gloriam vidi resurgentis. そして蘇られた方の栄光を、私は見た。
   
Angelicos testes 証しする天使らを
Sudarium et vestes. 汗拭き布と服を。
Surrexit Christus spes mea 私の希望、キリストは復活し、
Praecedet suos in Galilaeam. ガリラヤに御自分の弟子達より先に行った。
   
Scimus Christum surrexisse 私たちは知っている、キリストが
A mortuis vere. 真に死から復活したことを。
Tu nobis victor Rex 勝利の王であるあなた、私たちを
miserere. あわれみたまえ。
   
Amen, Alleluia. アーメン、アレルヤ


火災で燃えたパリのノートルダム大聖堂(聖母大聖堂)のパイプオルガンによる伴奏つき






2019年3月3日(主日)五旬節の主日のミサ サマース神父様御説教(東京)「イエズス様をますますお愛し、完徳へと辿りたい」という望みで聖体拝領しましょう

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月3日(主日)五旬節の主日のミサ
サマース神父様御説教(東京)
同時通訳:小野田圭志神父


【小野田神父】
聖なる日本の殉教者巡回教会にようこそ。
今日は2019年3月3日、第五旬節の主日のミサを捧げています。

今日はアジア管区長のサマース神父様を迎えて、非常に嬉しく思います。

今日の簡単な予定をお知らせします。このミサの後にいつもの通りに御聖体降福式があります。

3月6日の灰の水曜日は夕方の18時から灰の授与式がありますが、ミサはその直後にあります。早めにいらして下さい。

次の主日のミサは、3月17日の四旬節の第2主日です。

四旬節の私たちのカトリックの伝統では、大小斎を行ないます。昔は40日間大小斎を行なっていましたが、今では2日だけになってしまいました、灰の水曜日と聖金曜日です。その日には私たちは、大小斎を捧げなければなりません。21歳以上から60歳までの健康な成人のカトリックの信徒は、男女も、1日に1食だけ十分な食事をするという大斎、そして肉を食べないという小斎を捧げる義務があります。この、是非この機会に、イエズス様に寛大にこれをお捧げする事に致しましょう。

では、今からサマース神父様の御説教を聞いて下さい。


【サマース神父様】
聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

御説教を始める前に、皆さんからの特別なお祈りを求める為に、今からお祈りの意向を申し上げたいと思います。

聖ピオ十世会の総長様の決定によって、「日本に修道院を、聖ピオ十世会の修道院を創立する」という事にGOシグナルを出されました。そして他の神父様が小野田神父と一緒に司祭の共同生活をする為に、司祭が派遣されるのを数ヶ月待たなければなりませんが、それは今年の12月、あるいは来年の1月を期待しています。人間は色々こう計画を立てますけれども、結局は天主様がその計画を実行されなければなりません。

ですから私たちは、その私たちの計画の通りに天主様もその事を望んで下さいますように、お祈り致しましょう。どうぞお祈りをお願い致します。そしてこの計画について、より詳細が分かり次第、皆さんにお知らせ致します。

小野田神父が先ほど申し上げましたように、四旬節が非常にすぐに、もう間近に迫って来ています。公教会は私たちの償いの日をたった2日にまで減少させてしまいましたけれども、しかし伝統に従って私たちは、できる限り寛大に、40日間の償いと犠牲の日を過ごす事に致しましょう。なぜかというと、初代のカトリック信者たちは、その最初の数百年の間は、非常に厳しい償いの日を送っていたからです。私たちの主を真似して40日間の断食をするのですけれども、その時もただパンと水だけで過ごしました。そして告解の秘跡でも、大罪を犯して痛悔したという人に司祭は頻繁に、「では償いとして3週間、あるいは何ヶ月、水とパンだけで生活しなさい」という償いを命じられていました。

もちろん私たちは今、そのような古代の規律を私たちが今、皆さんに強要する事はできませんけれども、しかしパンと水で生活していた、償いを果たしていた、という事は、私たちにあるアイディアを与えてくれます。

まず「パン」は、イエズス様によって、祭壇のいけにえの材料として、質量として選ばれました。そしてイエズス様の天主の御力によって、このパンを御自分の御体と御血と御霊魂と御神性に変えるのです。

ですから今日は特に、「御聖体」という天からのパンを黙想しましょう。そしてそれによって私たちがますます聖なる四旬節を送る事ができますように、そしてこのたとえ一週間に一度、あるいは二週間に一度、この御聖体をその間隔でしか受けられなかったとしても、イエズス様の御聖体には全能の力がありますので、その力は私たちの日々を聖化する事ができます。

ある日イエズス様は、御聖体の制定について大群衆に予言しました、予告しました、「私の肉を食べ、私の血を飲まなければならない。私はお前たちの中に住み、そしてお前たちは私の内に住む。私の与える肉は永遠の命の為の食べ物である。あなた達は決して死ぬ事がない。」

これの仰る意味は、「もしもイエズス様の御体を、ふさわしい状態で、ふさわしい態度で受けるならば、もしもそうならば、私たちはこの地上で、私たちの命を奪おうという者たちでさえも恐れる事はない」という事です。なぜかというと、私たちの主が、「私はお前たちの内に住む。」天主の命が、「私たちの内に住む」という事を約束されたからです。

たとえ私たちの肉体的には、健康が害されたり、あるいは殺害されたり、死を受けたりするかもしれませんが、本物の命は決して無くなる事はありません。成聖の恩寵の内に、天主の命を生きる霊魂は、決して死ぬ事がありません。たとえ肉体が離れて腐ってしまったとしても、いつかはその肉体が霊魂の元に戻ってきて、完璧な姿で生きる事になります。私たちの主の約束は、決して違える事がありません。

この「四旬節」という大変な時期に入ろうとする私たちにとって、イエズス様の約束は何と慰めに満ちたものであるでしょうか。肉体においても、そして霊魂においても、苦しめられる事があるかもしれません。しかし御聖体を受ける事によって、イエズス様御自身を体に、肉体において持ち運ぶ事になるからです。もちろんイエズス様を受けるという事は、イエズス様は三位一体の第二のペルソナですから、その他のペルソナも一緒にいらっしゃるはずです。もしも三位一体が私たちの内に住まわれるのであれば、私たちは何も心配する事も、恐れる事もありません。

この真理を理解すれば理解するほど、私たちの心には平安と喜びが満たされます。カトリックで、そして御聖体を拝領する私たちは、決して心配する事も恐れる事はありません。もしも天主様が私たちの霊魂に、そして肉体にいらっしゃるのであれば、一体誰が私たちに問題を害を引き起こす事ができる人がいるでしょうか。たとえ何か悲劇的な事が、あるいは悪い事がこの人の身に降りかかったとしても、私たちの霊魂に住まわれる天主様が、これに対応する特別の御恵みと、そしてその祝福を与えて下さるので、それをうまく善に変える事ができます。

私たちはですから御聖体拝領を、「イエズス様と強く一致したい」というその大きな望みを持って受ける事に致しましょう。「イエズス様をますますお愛しして、そして完徳へと辿り着きたい」という大きな望みを持って御聖体拝領し、拝領するたびにその望みを大きく致しましょう。

そしてこの時間は、次の御聖体拝領を受ける時まで、この大きな望みを維持するように致しましょう。それがたとえ一日であろうが、一週間であろうが、ある時には数ヶ月であろうが、天主は私たちにその力を与えて下さいます。

数日後に始まるこの聖なる時期を、御恵みに溢れた、この特に回心の御恵みに溢れたこの時期を始める事に致しましょう。御聖体が私たちに与えるこの栄養分と、その祝福と、その善を以って、私たちは信頼を以ってこの聖なる時期に入る事ができます。

「天使のパン」あるいは「天のパン」というのは私たちに、「イエズス様は真に私たちを養って下さる」という事を確信させてくれます。これこそが、私たちが地上で受ける事ができる最高の、最大の宝物です。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

2019年3月2日(初土)【東京】初土の信心は、世界の平和がかかっています。私たちの霊魂の永遠の幸せがかかっています。

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ

小野田神父様御説教(東京)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

親愛なる兄弟の皆さん、今日は2019年3月2日、3月の初土曜日で、そして今日はサマーズ神父様を迎えて、初土の聖母の汚れなき御心の随意ミサを捧げております。

今日この初土のミサを捧げるにあたって私たちは、一体この初土の信心というのはどのような価値があるのか?どのような意味を持っているのか?どれほど重大なのか?という事を黙想する事を提案します。そして来週の水曜日から、あと一週間で四旬節に入りますので、四旬節の良い決心を立てる機会に致しましょう。


初土の信心は一体どれほど重要なのでしょうか?

初土の信心は、世界の平和がかかっています。私たちの霊魂の永遠の幸せがかかっています。私たちの霊魂のみならず、多くの、数多くの霊魂たちの永遠の至福、その人生の目的を達成する事ができるかできないかがかかっています。この地上が地獄のようになるか、あるいは平和な世界になるかが、私たちの信心にかかっています。

つい最近、ある二つの国の指導者たちが二人で話し合って、「もしもこのような事をしてくれたら、あぁ、あなたの国はきっと豊かになるだろう。世界で最も優秀な国になって、とても繁栄するだろう。とても良い、世界をリードする国になるだろう」というような話し合いがありました。その約束は本当なのかどうか、私にはよくわかりません。この話し合いはどうもうまくいかなかったようです。世界の平和のためには、話し合いは重要ですが、話し合いだけでは足りません。天主様からのお恵みが必要だからです。

しかし今から100年前に、天の御母が私たちに送られて来て、とても重要なお願いをしました、「もしもこれをするならば、この私たちの霊魂は救われるし、多くの霊魂は天国に行くし、そしてこの地上は、地獄のような地上であったとしても、平和になる。もしもそうでなければ、この地上は皆が奴隷のように、地獄のようになって苦しむ。そしてこの世の後も苦しむだろう」と仰いました。これを私たちが受け入れるか受け入れないかは、私たちにかかっています。この聖母の約束は本当です。必ずそうなります。

私たちに要求されているのは難しい事ではありません。例えば、過去の全ての罪を放棄して、そして全ての罪をどのようなものであるかを全世界の前で報告する、などという事ではありません。

そうではなくて、月の初めの土曜日に、5回続けて、「ロザリオを5連唱える事」、「告解をする事」、「御聖体拝領をする事」、そして「15分間、ロザリオの15の黙想の内の1つをする事」、これを『マリア様の汚れなき御心を償う為にする事』、そうすればものすごい御恵みが与えられる。

何という大きな約束ではないでしょうか。そして今日はサマーズ神父様が、その信心をする事ができるように、皆さんの元でミサを捧げて下さっている事を感謝致します。この信心をぜひ実践する事に致しましょう。

そして子供たちは、この5回の信心のみならず、全生涯をこの同じ信心を以って生活しました。3人の小さな年端のいかない子供たちはあっという間に、ファチマのマリア様の御出現を受けて2、3年後に亡くなるのですけれども、大聖人になりました。

まさにこの精神で私たちも、四旬節を送る事に致しましょう。この四旬節をうまく送る事ができる秘訣は、私たちが「マリア様の汚れなき御心をお慰めしたい」、あるいはフランシスコのように、「天主様がとても悲しんでおられる。天主様をお慰めしたい。罪によってかくも悲しまれている、犯されている天主をお慰めしたい。」その為に四旬節を送る事です。

寛大な、そして愛に満ちた、聖なる超自然の四旬節を送る事ができますように、マリア様に、聖母の汚れなき御心にお祈り致しましょう。今日はどうぞ、この御聖体拝領を、この意向でお捧げ下さい。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ説教:イエズス様、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、教皇聖下の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です。

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
Regina Caeli, laetare, alleluia!

2019年3月2日(初土)聖母の汚れなき御心の随意ミサ

小野田神父 説教(大阪)

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年3月2日、聖母の初土の信心、そして聖母の汚れなき御心のミサを捧げています。

このミサの直後に、いつものように御聖体降福式を行ないましょう。また御聖体の前で、シュテーリン神父様が仰ったように、聖ピオ十世会と日本をマリア様の汚れなき御心に奉献致しましょう。

明日は夕方主日のミサがあります、サマース神父様がいらっしゃいます、3月3日、夕方18時からです。
3月10日にもワリエ神父様がいらして、夕方の主日のミサがあります。またその後にも金・土とミサがあります、15・16日とミサがあります。

それから公教会の掟に従って、来週の水曜日は灰の水曜日です。現代の教会法によれば、満21歳以上から60歳になるまでの健康な成人の男女は、この日に大小斎を守らなければなりません。小斎は教会法によれば、14歳以上から終わりまで、それを守らなければなりません。

大斎というのは、1日に1回だけ十分な食事を摂る事で、昔は四旬節の間40日間、大小斎があったのですけれども、現代では灰の水曜日と聖金曜日だけしか義務が残らなくなりました。聖ピオ十世会では、四旬節の全ての金曜日も大小斎を捧げています。皆さんももしも出来る方は金曜日もお捧げ下さい。しかし少なくとも、灰の水曜日と聖金曜日は、私たちは大小斎を守らなければなりません。イエズス様に寛大にお捧げ致しましょう。

“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」

今日は初土曜日で、四旬節の直前の初土曜ですので、私たちは四旬節をどのように過ごしたら良いか、ファチマのマリア様のアドバイスに従う事にしましょう。

今日初土のミサの時に、詠誦でこうマリア様が私たちに語りかけていたかのようです、“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」そして最後には、「私を見出す者は命を見出し、そして救いを汲み取るだろう。」

ですから私たちも、マリア様の仰りたいという事を、マリア様の道の仰る事をよく聞く事に致しましょう。そしてその事によって、超自然的な良い四旬節を迎える決心を、遷善の決心を致しましょう。

そこで今日は、

⑴四旬節というのは一体何なのか?

⑵マリア様は私たちに、どうやって四旬節を送ったら良いと勧めているのか?を黙想して、

⑶最後に遷善の決心を立てましょう。


⑴四旬節は、イエズス様が公生活を始める前に40日間、荒れ野で夜も昼も断食を行なったという事を記念して、それを真似て私たちも、復活祭の前に復活祭の準備の為に、私たちの罪の償いとして40日間断食を、そして苦業と祈りをするという時期です。イエズス様に私たちも合わせて、イエズス様のように祈り、イエズス様のように償いを果たす、そしてイエズス様がなさった御苦しみを、私たちも少しでも良いので実感する、という事です。

40日間、ですから私たちは祈りを特に、世の喧騒から、あるいはテレビやラジオや映画やYouTubeや、あるいはFacebookやTwitterなどから離れて、40日間、イエズス様の事に心を上げて、そしてイエズス様へと心を向けて、イエズス様と親しくお話をする、「イエズス様、イエズス様の御苦しみはどれほどだったのでしょうか?イエズス様は私に何をお望みですか?」とお話をする、祈りをする特別の時期が与えられる事になります。

そして教会は、私たちが心をイエズス様に上げる事が容易にできる為に、私たちの祈りの敵から、敵に対して戦うように言います。

1つは、私たちの周りにあるものです。周りにあるもの、つまりこの世の快楽や、これがあると簡単だというものに対して、私たちはそれを放棄して、却って辛いかもしれないような事をします。例えば「寒いなぁ」と思っても不平を言わなかったり、それをお捧げしたり、我慢したり、あるいは私たちが持っているものを貧しい人にあげたり、あるいは寄付したり、そして世のものから私たちは離脱しようとします。施し。

あるいは、私たちの身の周りの持ち物のみならず、私たちの体に関して、「お腹が空いた」とか「疲れた」という時には、それをお捧げします。断食。

あるいは、私たちが今度は肉体のみならず、体のみならず、私たちの心で、「これをしたいな。自分の思い通りにしたい」という事を放棄して、従順にイエズス様に従う、などの犠牲を払います。

ですから私たちにとって四旬節は、ますます心を清めて、イエズス様の方へと向ける、最高の時です。


⑵マリア様はちょうどこの精神を、ファチマで教えて来られました。ファチマでは子供たちに、「天主様が天主聖父が、あるいはマリア様が、どれほど人類の罪によって傷付けられておられるか、悲しんでおられるか」という事を見せました。そして子供たちもその様子を見て、「あぁ、天主様がかわいそうだ。天主様はとても悲しんでおられた。僕も償いをしてお慰めしたい」とフランシスコは言いました。「マリア様がとても悲しんでおられた」というのをシスタールチアは見ています。

マリア様はファチマで子供たちに、「祈りと犠牲を捧げるように」とたくさん励ましました、天主をお慰めする為に、そして霊魂を救う為に。特に7月は、7月13日にマリア様は、子供たちに地獄の様子を見せて、「多くの霊魂たちが地獄に落ちている。これが私の悲しみである。地獄に落ちないように、たくさんの祈りと犠牲を捧げなさい」とお頼みになりました。

私たちはこの四旬節に、まさにこの同じ精神を持つようにと招かれています。ファチマ100周年を祝ってしばらく経ったので、このこれをもしかしたら忘れかけていたかもしれません。しかしこの四旬節を機会に、またファチマの初土の信心を、罪の償いの為の信心を行ないましょう。


⑶では私たちはどのようにしたら良いでしょうか?

この今年の四旬節を、マリア様と共に、ヨゼフ様と共に、お捧げ致しましょう。超自然の意向で、つまり「天主をお愛しし、天主を信じ、天主をお慰めし、そしてマリア様をお慰めする」という超自然の意向でお捧げ致しましょう。

第2に、私たちの超自然の信仰と、超自然の希望、超自然の愛は、私たちに天主様のどんでん返しについて教えてくれます。この世で一番最低のものが与えられたと思いきや、実はそれが最高のものに変わるという事を、変える事が天主様はできる、という事です。超自然のやり方によって、それができるという事です。

イエズス様の「十字架」は、「復活」の手段となりました。弟子たちはそれを、残念ながら弟子たちでさえも、使徒たちでさえも、それを信じる事ができなかったほどでした。あまりにもあり得ないような苦しみ、死を、イエズス様が遂げられたからです。「一体なぜこんな事が許されるのか。」

しかし、マリア様だけはそれを信じていました。その超自然の信仰を是非、私たちもこの四旬節に乞い求めましょう。ですからマリア様は唯一、聖金曜日から復活の主日まで、地上で唯一、信仰の灯火を、超自然の信仰を持ち続けた唯一の方でした。ですから土曜日がマリア様に特に捧げられているのは当然の事です。

「私たちになぜ一体こんな辛い事が、こんな酷い事が、こんな苦しみが与えられるのか。なぜこのような事になっているのか」という時には、まさにマリア様と同じこの信仰を乞い求めましょう。

「これには深い理由があって、私たちの最高の善の為に、今は分からないけれども、後にはっきりとわかる理由の為に、これが今、この試練が与えられているのだ」と、「この試練が与えられたが為に、私たちはより多くの栄光を、イエズス様とマリア様に帰す事ができる。そしてより多くの霊魂たちを救う事ができる」と。

では特に小さなお友達に、四旬節をどのように僕たちは過ごしたら良いでしょうか?

特にお祈りを捧げて下さい。もしかしたら、お祈りよりも他のものの方が面白い、というゲームをやったり、他の事が面白おかしいというものがあるかもしれません。しかしイエズス様の御受難や、イエズス様にお話しする為にできるだけ時間を使うようにして下さい。特にゲームよりもよっぽど有意義な時間を迎える事ができます。お友達はテレビなどはもう全く見ていないと思いますけれども、テレビを見たり他の娯楽をするよりも、よっぽど私たちにとって益になります。あるいは勉強する時にも、お母さんのお手伝いをする時にも、あるいは学校に行く時にも、いつもイエズス様にお話をしながら、射祷を唱えながらして下さい。

マリア様は言いました、「子供たちよ、あなた達が犠牲を捧げる時には、こうやって捧げなさい、『イエズス様、これは御身を愛する為、罪人の回心の為、教皇聖下の為、またマリアの汚れなき御心に対して犯される罪を償う為です』と。」

小さなお友達はまだたくさん食べなければならないので、断食をする事はできません。でもお母さんが、「これを食べなさい」と言ったものを、好き嫌いを言わずに全部食べて下さい。それから、もしかしたらコカコーラや、あるいは甘いソーダや、砂糖だらけのお菓子は、イエズス様にお捧げする事ができるかもしれません。おやつはちょっとだけにして、イエズス様にお捧げする事ができるかもしれません。それもファチマの子供たちは、私たちの目から見ると、「あぁ、やりすぎじゃないかな」と心配するほどの犠牲を捧げていました。

お母さんの仰る通りに、それに従順に従う犠牲を捧げて下さい。勉強の宿題の犠牲も捧げて下さい。「早く寝なさい」とお母さんから言われたら、「はい」と従って下さい。そうすると、イエズス様がどれほど祝福して、その従順の心を、犠牲の心を、何倍にも返して祝福して下さる事でしょう。

マリア様に最後に、良い四旬節を送る事ができるように、お祈り致しましょう。

“Nunc ergo filii, audite me,”「さぁ子供たちよ、私の言う事を聞きなさい、」

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2019年1月18日(金)御公現後の平日のミサ説教:マリア様とヨゼフ様との生活、私たちの日常の隠れた生活

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2019年1月18日(金)御公現後の平日のミサ

小野田神父 説教

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年1月18日、御公現後の第1主日のミサをしています。

このミサは非常に古くからあるミサですが、聖家族の祝日が100年ほど前に作られたので、レオ13世に制定されたので、このミサは平日でしか捧げる事がなくなってしまいました。

このミサにおいて教会は、聖家族の福音と同じ福音を私たちは読むのですけれども、別の角度で、御公現の角度でこれを黙想致しましょう。

そして私たちに教会は今何を伝えようとしているのか、それを黙想して、良い遷善の決心を立てる事に致しましょう。

このミサにおいて強調されているのは、イエズス様が御自分の事を「天主である」という事を明らかに示した御公現、「天主であるという事を公に示す」という事が、12歳の時にも行なわれた、という事です。

東の国の博士たちに、御自分を天主であるという事を現した。クリスマスの時には、ユダヤの羊飼いたち牧者たちに、天使たちを通して現しました。1月6日の御公現には、星を通して異邦人に、御自分が天主であるという事を公に現しました。2月2日には御誕生から40日目には、イエズス様は熱心なユダヤ人たちに、救い主を待ち望んだユダヤ人たちに、御自分の事を聖霊を通して現しました。

12歳の時には、神殿にいた学者や、博士や、旧約の掟やその預言に通じた人たちを、そのイエズス様の御答えや知恵によって驚かせます。イエズス様は成人されてそしてその最初の仕事として、聖父の為に、聖父の栄光の為に、聖父の仕事をする為に、敢えて神殿に残りました。それは聖父の栄光と、御自分が天主であるという事を、その知恵を以って、その御行動を以って現す為でした。

イエズス様は更に、ヨルダン川での洗礼を以って、聖ヨハネから洗礼を受ける事によって、御自分が天主である事を現します。カナでの婚姻の奇跡によって、最初の奇跡によって、マリア様を通しての奇跡によって、御自分が天主である事を現します。

また多くの奇跡や、御復活、御昇天によって、そして天主聖父の右に座す事によって、御自分が天主であるという事を現します。

そしてそのイエズス様の御生涯の中で、御自分を、真に救い主であり、この世の創造主であり、全能の天主である、という事を現したその1つが、この12歳での出来事でした。
教会はそこで、その典礼のモチーフに、入祭唱と福音とそして御聖体拝領の3つを繋げます。時を越えて、イエズス様が私たちに「天主である」という事を示す、そのライトモチーフにそのバックグラウンドに、「私は、天主聖父の仕事をしなければならない、という事を知らなかったのか。」イエズス様の最大の関心は、「聖父の為に働き、そこの、聖父の栄光の望む所に居るという事だ。」

その「天主の栄光の望む所に居る」どこかというと、それは入祭誦に出てくる、「天のいと高き所の玉座に、一人の男が座っているのを見た。この人は、多くの天使たちの大群が礼拝しているその男である。」そのイエズス・キリスト、天主聖父の右に座し給うその玉座の事を入祭誦で歌います。

そして私たちにも、御聖体拝領の時に同じように、「私は聖父の利益の所の仕事をしているのを知らないのか。」つまり究極は、「私は聖父の右に座している者である。そこに居るのだ。」御聖体拝領する時には、私たちはイエズス様をどこに探さなければならないか、という事を知ります。イエズス様を探すのは聖父の右であって、そして御聖体の中です。

マリア様は教会の典型であり、その教会の代表です。マリア様のように教会はイエズス様を探します、私たちもイエズス様を探します。しかし御聖体拝領の時に私たちは、イエズス様を見出します、「あぁ。」エルサレムの神殿、このミサの中において、イエズス様を見出します。イエズス様はいつもこの御聖体に於いておられます。

その後イエズス様は私たちに、福音のように天主であるという事を示した後に、マリア様とヨゼフ様に全く服従します。30年間、服従の生活をして、そして「人と天主の前に成長、年齢も聖寵もいや増した、年もいや増した」とあります。

そうすると私たちも、天主を見出して御聖体を拝領した後に、「一体私たちにとって何が大切なのか?イエズス様は私たちに何を望んでおられるか?」という事がよく分かります。

それは、「マリア様とヨゼフ様との生活」であって、「私たちの日常の隠れた生活である」という事です。そして「それこそが、天主聖父の利益に最も関わるものである」という事です。

今日、その御公現の第1主日のこのミサを捧げながら、イエズス様のいらっしゃる所はどこか?イエズス様の果てしない願いは何か?「聖父の栄光である」という事をもう一度確認して、そしてそのイエズス様が従ったマリア様とヨゼフ様、そしてイエズス様が非常に大切にされた隠れた御生活を私たちも探し求める事に、イエズス様と一緒に生活する事ができるようにお祈り致しましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。


2019年1月4日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ イエズス様、あなたは一体どなたですか?

2019年04月22日 | お説教・霊的講話
アヴェ・マリア・インマクラータ!

2019年1月4日(初金)至聖なるイエズスの聖心の随意ミサ

小野田神父 説教

聖母の汚れなき御心聖堂にようこそ。
今日は2019年1月4日、初金曜日の信心で、イエズス様の聖心の随意ミサを捧げています。

今日のこのミサの後には、いつもの通りに感謝の祈りをしますけれども、1月ではいつも私たちの御聖堂では、幼きイエズス様に、愛と感謝のしるしに、接吻の行事があります。皆さんも是非イエズス様に接吻をなさって下さい。誰でもイエズス様に、小さなイエズス様は、「誰でも近くに来て欲しい」と思っていらっしゃるので、誰でもイエズス様の御手や足や、どこでも接吻なさって下さい。

そしてもしも時間があれば、その後で初金曜日にはいつも私たちは聖時間を行なっています。聖時間というのは、「御聖体の前でイエズス様にお祈りをする」という時間です。それもいつもの通り行ないたいと思っています。もしもできればいらして下さい。

明日は初土曜日で、特に2019年の新年の初土曜日ですので、去年したように今年もマリア様の、ファチマのマリア様の聖母行列を皆さんと一緒にしたいと思っています。

なぜかというと、特に去年の今頃は、もう日本にたくさん北朝鮮からミサイルが飛んできて、「戦争が起こるのではないか。マリア様、戦争が起こらないようにして下さい」と言っていましたが、聖母行列をしたら、そしたらもう今までなかったのような事が起こって、そのミサイルもピタリと止まってしまいました。

だからといって安心はできないので、もっともっと平和がしっかりと守られますように、という意味で、聖母行列をしたいと思っています。
もしもいらして下さる事ができたら、明日ミサの後にあります。



聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

愛する兄弟の皆さん、そして小さなお友達、今日は皆さんいらしてくれてとても嬉しく思います。まず今日のこのミサは、新年の最初のミサなので、その新年の慶びを皆さんに申し上げたいと思います。

それで今日、この初金曜日のイエズス様の聖心のミサは、幼きイエズス様が人間として小さな聖心を動かして、私たちに何を、どんなメッセージを何を仰りたいのか、というイエズス様の、小さな幼きイエズス様の胸に耳を押し当てて、「イエズス様、イエズス様は何と仰りたいのですか?イエズス様、お話したい事は何ですか?」と耳を傾けてみる事にします。

⑴「イエズス様、あなたは一体どなたですか?」

⑵「イエズス様、イエズス様は一体何の為にお生まれになったのですか?」

⑶「イエズス様は、私たちに何をして欲しいですか?」

と、3つの質問をしてみます。そしてその聖心から、小さな心臓の赤ちゃんのイエズス様の鼓動から、その答えを聞いてみます。


⑴「イエズス様、あなたは一体どなたですか?」

このイエズス様には深いお話があります。でもそれを全部を私たちは今言う事ができないので、その要点を言うと、イエズス様が生まれる4000年前から、アダムとエヴァの時代から、この赤ちゃんの誕生についての預言がありました。1回だけではなく、何回も何回も何回も何回も、色々な預言者を通して、色々な場所で、色々な時に、「どうやって生まれるのか」、「どのような家系で」、「いつ」、「どこで」、「何をして」という事が、詳しく預言されていました。

そしてこのクリスマスに、今から2000年前に生まれたこの赤ちゃん、イエズス・キリスト様の御誕生は、そしてその御生涯は、その預言が全てその通りに成就した、その通りに生まれて来た方です。ですからこの赤ちゃんは私たちにこう言っています、「私は、人類が最初からずっと待ち望んでいた救い主だ。この天と地を創造した、創り上げた、全能の天主が人間となって生まれて来た者だ」という事を言っています。

神父様は昨日、日本に来る時に新聞を見ていたら、その記事の中に、「科学者は、この昆虫たちがあまりにも上手い造りをしているので、今それを見て、そのそれからヒントを得て、ロボットを作って、人間の生活に役立てようとしている」という記事を読みました。

それには、例えば「蛾」という、蝶に似た昆虫が虫がいますけれども、蛾の両目は、光を当てても光を反射しないように、目にコーティングが付けてあるのでだそうです。それで、「誰が一体、そういうコーティングを付けたのか」その科学者はよく分からないにもかかわらず、「すごいアイディアだ、デザインが素晴らしい。もしも光が反射すれば、蛾が捉えようとする獲物が分かって逃げてしまうので、それが分からないようにしてある。一体誰が考えたのか、誰がそんな事を。でも真似しよう。これはこんな事考え付かなかった。良いアイディアだ。」

あるいはある虫は、手に吸盤のような小さな物がたくさん付いているのだそうです。それなので、それを使うとピタッと、そうやって重い物でも、自分の体重の何十倍の重い物でも掴む事ができる。鉤で引っ掛けるのもありますけれども、「あぁ、すごい考えだ。人間もこれを真似しよう。」

あるいはある昆虫には、目がたくさん、「複眼」と言って目がたくさんあって、「あぁ良い考えだ。目が1つよりも、たくさんあったほうが360度分かる。すごい考えだ」等々。

あるいは、「蝶はこの花粉が付いていて、蝶の羽っぱには水が濡れても水がしみ通らないようになっている。すごい考えだ。良いアイデアだ。真似しよう」等と、科学者が自然界を見て、それを真似するのだそうです。

或るフランス人は、その名前は忘れましたけれども、木の葉っぱを見て、「あぁ、素晴らしいデザインだ。その木のデザインを真似して、この電気を起こすようにしよう」と、私たちが今まで当然のように思っていた物を、よく見るとその中には深い知恵があって、深い素晴らしいデザインが含まれている、というのが人間はますます発見していますが、その全てを創った大宇宙の設計者、創造主が、人間となって生まれて来ました。全ての預言を果たして、人間となって生まれてきました。


⑵「ではイエズス様、一体何で赤ちゃんになって生まれて来たのですか?」

するとイエズス様は、「ドキ、ドキ、ドキ」と言いながら、こうお答えします、「なぜかというと、これは皆さんと私を愛する為。」

この世では、辛い事や悲しい事がたくさんあります。なぜかというと、死があったり、別れがあったり、病気があったり、辛い事があったり、暑かったり、寒かったり、お腹が減ったりするから。「何でこんな事があるのだろうか?なぜ天主様はこの宇宙をもっと良く創って下さらなかったのだろうか?」

はい、天主様はこの宇宙を、全世界を、完璧に創ったのですけれども、それを人間が破壊してしまいました。罪を犯したからです。そして人間は罪を犯すので、犯罪を犯すので、天主の聖心を傷付けるのみならず、この世界は悲しい事や不幸がたくさんあります。裏切りがあったり、戦争があったり、憎しみがあったり、意地悪があったり、嫌がらせがあったり、嫉妬があったり、みんな罪のせいです。

イエズス様は私たちに、「本当の幸せを与えよう。罪の赦しを与えよう」と来られました。人間同士が戦って解決しようと思っても、どうしても解決できない問題があります。どうしても難しい、世界の一番頭の偉い博士や、学者や、政治家が知恵を絞っても、どうしても難しい問題もあります。人間の心があまりにも折れなかったり、あるいはうまくいかない事があり、一方だけでは難しいものがあり、でもイエズス様はその全てを、うまく解決する事ができるようにして下さいます。その力を持っています。

イエズス様が来られた時に、「その名前は、『平和の君』と呼ばれる。」そして「王が来る」と預言されていました。私たちに本当の、この地上では味わう事ができない幸せを与える為に、永遠の命を与える為に生まれて来ました。


⑶「ではイエズス様、そうやって私に幸せと、赦しと、本当の平和と、本当の喜び、本当の命、永遠の命を与える為にお生まれになったイエズス様、ありがとうございます。私はイエズス様に何かする事がありますか?イエズス様は私に何をして欲しいですか?」

イエズス様が御望みになる事は、たった1つなのです。とても簡単なのです。イエズス様は私たちに宝物を、プレゼントを、幸せを与えようと来たので、私たちが、「あぁ、」イエズス様からそのプレゼントを受け取る事を御望みになっています。イエズス様が与えようとするこの幸せを貰ってもらいたい、イエズス様が私たちの心のドアをノックして、「こんにちは。あけましておめでとうございます。今日はクリスマスのプレゼントを持ってきました。このたくさんの幸せを受け取って下さい。今まで人類が待ち望んでいた、約束された幸せを持ってきました。平和をもたらす為に来ました。どうぞこのプレゼントを受け取って下さい。」

その時に、小さなお友達の皆さんが、「あぁイエズス様、ようこそ。ありがとうございます。イエズス様、来てくれてとても嬉しいです。私の心に来て下さい。イエズス様、どうぞ貧しい家ですけれども心ですけれども、入って下さい。イエズス様、どうぞプレゼントを全部下さい。」

すると、幼子のイエズス様はとても喜んで、「じゃあ、全てあげよう。幸せになってほしい。もっと幸せになって下さい」と言います。

でも残念な事にイエズス様は、多くの人はイエズス様の事をこうやって受け止めようとしません。生まれた時もそうでした。イエズス様が真の救い主であるにもかかわらず、「来るな、あっち行け。シッシッ!」そして生まれたのは、貧しい馬屋でした。人々から捨てられて、最も捨てられて、辱められて、生まれて来ました。寒い、本当の王様にもかかわらず、寒い所で、暖房もなく、凍えて生まれて来ました。

誰も、イエズス様のプレゼントを取ってくれようとしません。それにもかかわらずこの幼子のイエズス様は、「あぁ、でも、皆さん小さなお友達と私を愛している。私は自分を全て与える為にやって来た。さぁプレゼントを持って来たよ」と言って生まれて来ました。

ですから皆さんもどうぞ、特に小さなお友達はイエズス様を、心を大きく開けて、「イエズス様、どうぞいらして下さい。感謝します。イエズス様、私の心に来て下さい」と言って下さい。どれほどイエズス様は嬉しく思うでしょうか。そしてイエズス様からのプレゼントをたくさん頂いて下さい。超自然の御恵み、超自然の、人間がお金で買う事ができない御恵みと、祝福と、喜びが与えられます。

特に、大きくなって辛い事や、悲しい事、あるいは宿題や、あるいは自分に与えられた義務や、「こうしなさい」という命令や、色々な事があるかもしれません。でもそれもイエズス様にお捧げなさって下さい。「イエズス様、イエズス様は私の為にこうやって生まれて来て下さいました。辛い思いもたくさんしてくれました。だから私も、この辛い事も、イエズス様にお捧げします。友達から嫌な事を言われても、失敗しても、あるいは成功しても、イエズス様、どうぞこれを受け取って下さい。」

あぁ!イエズス様はどれほどお喜びになる事でしょうか。

イエズス様が私たちの心に来て下さいますように、マリア様にお祈り致しましょう。
マリア様はイエズス様のお母様です。と同時に、私たちのお母様でもあります。それで、イエズス様がお生まれになった時に、誰もこの救い主を受け取ろうとしない人々を見て、とても悲しみました。でも天使たちの歌声を聞いて、多くの牧童たちが羊飼いたちがやって来て、イエズス様の所に近寄って、礼拝に来ました。その時にそれを見て、マリア様はとてもお喜びになりました。マリア様に是非、私たちもイエズス様の近くに行く事ができる御恵みを乞い求めましょう。

聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

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