聖母小黙想会【その11】 2017年8月14日(月)
小野田神父 霊的講話 [7]
「1917年10月13日の出来事:マリア様の懇願:もう天主様をこれ以上犯してはいけない。」
小野田神父 霊的講話 [7]
「1917年10月13日の出来事:マリア様の懇願:もう天主様をこれ以上犯してはいけない。」
今から、10月の最後の御出現について黙想致しましょう。聖時間を過ごして、その後、最後に、日本とマリア様はどのように結び付いているか、マリア様は日本をどうやって、どれほど愛しておられるか、という事を最後にお話します。
この今からお話する事は、もう皆さん何度も何度も聞いた話なので、新しい事は何もないと思います。
10月13日は、朝から雨が降っていました。
子供たちは皆から 、「さぁ、半信半疑の人たちからもしかしたらこの子供たちが殺されるかもしれない。群衆が奇跡を起こるのを見に何万人とやって来る。もしも奇跡が起こらなかったらどうしよう」と「騙されたと思って、この子供たちを殺してしまうだろう。」
「告解に行きなさい、その準備をしなさい」と言うのだけれども、この子供たちは、「告解に行くのは準備の為に行くけれども、でも必ず奇跡は起こる。 」
「もしも人々が集まってきたら、この全てを台無しにする為に爆弾でテロが起こる」とか色んな噂がありました。「そしたら自分たちはすぐに天国に行けるから良い」等と言っています。
すでに10月12日から多くの人々が、「奇跡が起こる」と言われていたのでたくさん来ていました。子供たちはこの日には真白いドレスを用意して、 ルチアには青のドレス、ジャシンタは真白いドレスを用意して着せました。早めに出発しました。でも外はザーザーどしゃぶりで雨が降っていて、道はぬかるんで、人だらけですけれども、そのような雨の中でも、ぬかるむ道でも、人々は跪いてお祈りをしていました。
子供たちがトキワガシの木の所に着いた時に、群衆に、「傘をすぼめて、ロザリオの祈りを唱えましょう」と言いました。まだ雨はザーザー降っていたのです。
しかし人々はそれに素直に従って、傘をたたんでお祈りします。ずぶ濡れになりながらロザリオをして、泥の中に跪きました。10万人の群衆が集まっていました。
ポルトガルの太陽の正午にあたる、ポルトガルの時間の午後13時30分頃、太陽のある東の方に、いつものマリア様が現れる時のしるしが見えました。「あぁ、ジャシンタ、跪いて、マリア様が来ます。」稲妻を見ました。そしてマリア様がいつものように、雲の輝く球体の光の中に包まれて、ゆっくりと東の方からやって来て、そしてトキワガシの木に止まってお現れになりました。
ルチアは2回ほど深呼吸して、マリア様にお話をします、「あなた様は私に何をお望みですか?」
するとマリア様は、「ここに、私の為に聖堂を建てる事を望んでいます。私はロザリオの聖母です。毎日ロザリオを続けて唱えて下さい。戦争はもうすぐ終わります。兵士たちは自分の家に帰って来るでしょう。私はロザリオの元后です。毎日ロザリオを唱えて下さい。戦争は間もなく終わり、兵士たちは自分の家に帰って来るでしょう。」
ルチアはとても優しいので、他の人たちの事をすぐ考えます、「あなたにお願いしたい事がたくさんあります。ある病人を治して下さい。ある罪人を回心させて下さい。」
「ある人々は癒しますけれども、ある人々は癒しません。その人々は、生活を改めて、罪の赦しを願わなければなりません。」
それからマリア様は最後に、一番大切なメッセージをお伝えになりました。それは非常に悲しそうな様子になって、ますます悲しそうになって、「彼らはもうこれ以上、私たちの主に背いてはいけません。主を犯してはいけません。なぜなら既にあまりにも、既にあまりにも犯されているからです。」
「何か他にお望みの事はありますか?」
「これ以上はありません」と、これでマリア様のお話が終わります。
そうすると、マリア様が雲の上に乗って上がって行かれるのを見ると、ルチアはすぐに「太陽を見て!」と叫びました。マリア様が上がって行かれようとすると、マリア様は両手を広げて、そして光を出して、それを太陽の上に反射しました。そのこのマリア様が光を太陽にかけるのを見て、反射的に「太陽に見て!」とルチアは言ったと言っています。
すると今まで降っていた雨が突然止むのです。雲が急に無くなって、全く雲一つない晴天になりました。顔を出した太陽はギラギラと輝いて、その大観衆の前に太陽は色んな方向で光線を出しました。その為に、空気や、大地や、木々や、人々を、いろんな色に染め上げました。ちょうどステンドグラスの色で、床が、椅子が、私たちが、祭壇が、いろんな色に染まっているかのように、いろんな色で染まりました。赤、緑、黄色、紫、青。
すると、その光を出し終えて、いきなり揺れ始めたのです。天から支えが無くなったようにグラグラグラグラして、ぐるぐるぐるぐる回り始めました。それから、あっという間にこの太陽が、その天井から転げ落ちるかのように、ぐるぐる大回転する大車輪となって、人々の上に落ちかかって来るようになりました。その太陽の動きにあっけにとられていたので、人々は「キャー!」と叫んだり、泣き出したり、わめいたり、地面に平伏したりする人がいました。
見てください、私たちの空、太陽が、ギラギラと輝く太陽がいきなり色んな光線を出して、この大阪の街中をいろんな色とりどりに彩らせて輝けて色を付けて、「あぁ、きれいだなぁ」と言ううちに、太陽がくるくる回り出し、どんどん大きくなって大阪に落ちて来ようとしている、「もうこれで世の終わりだ!」
そうやって、太陽が地上に追突しようとするその時に、太陽は動きを止めて、元の位置に戻って行きました。「あぁ、よかった。」
そしてその時に、そこの人々は服がカラリと乾いていました。
「今まで信じなかった人も、これは信じないわけにはいかない。誰がどんなに手品をやったとしても、太陽をこうやって動かす事はできないのだから」と言う人もいます。
反カトリックの新聞、報道機関も、この事を記事に載せます。司祭のでっち上げとか、教会の妄想とか、子供のたわごと等と今まで書き立ててきても 、10万人が一斉に太陽の奇跡を見ると、どうしようもない事実として、これを受け入れざるを得ません。
この太陽の奇跡があったダンスがあった間、子供たちは別のものを見ていたのです。
それは、聖ヨゼフ様が幼きイエズス様を連れて、そしてマリア様は真白い服を着て、青いマントを羽織って、太陽の側に立っていたのです。聖家族がやって来られました。そしてヨゼフ様と幼きイエズス様は、それぞれ御自分の手で十字架を切って、この世を祝福されていました。これは喜びの玄義でした。
その次には、御悲しみの聖母がイエズス様と現れて、苦しみのイエズス様と現れて、御受難のイエズス様が現れました。これは悲しみの玄義でした。
最後には、カルメルの聖母も出てきました、お現れました。
太陽の奇跡の間、子供たちはこのロザリオの3つの玄義をマリア様のお姿で見ました。
このファチマの太陽の奇跡は、マリア様がなさった、あるいはイエズス様が御昇天の後になさった奇跡で最大のものです。これを見ると、その後ご出現とかメッセージとか偽のメッセージ等がたくさん出てくるのですけれども、それらが本当に、「マリア様の汚れなき御心に対する信心を確立したい」という天主の御旨を邪魔する、それをそれから気を散らそうとする手口にしか過ぎない、という事がよく分かります。
どのような嘘の出現があるかといえば、例えば「聖父の信心をする。」非常にエキュメニカルな信心で、「イエズス・キリストもなければ、秘跡もない、マリア様もない。ただ聖父を父と呼べばそれで救われる」というメッセージとか、あるいは「イエズス様の御血の流れる血潮の刻印のメッセージ」とか、皆さんこのお聞きになった事がないかもしれませんけれども。
あるいは堕胎に対するメッセージで、天主の似姿に創られた人間の、天主の似姿であるから、その天主の命令によってどのような胎児も人間であるから、殺してはならない、と言うのではなく、「子供たちには、この『権利』と『尊厳』の為に」、あるいは「イエズス様の付けられた十字架と同じほど、この堕胎された胎児のこの堕胎は崇高なものであって、彼らは皆列聖されなければならない」とか、あるいはカトリック信仰から非常に離れているようなメッセージもたくさん出ています。
でも真の天主からの御出現であるファチマでは、もう誰もが否定する事ができない、天主のみがする事ができる大奇跡をもって、「これこそが、私たちに与えられた最後の手段。『ロザリオ』と『聖母の汚れなき御心』の2つの最後の手段で、私たちの救霊をしなければならない。これをもしも無視するならば、もう他には手段がない。その最後の手段、それが与えられた」という事が分かります。
マリア様は言います、最後の最後に、ご自分が一番望まれる事を言います、「私はロザリオの元后である。毎日ロザリオを唱えなさい」という事も、「ここに御聖堂を建てて下さい」という事も、実はこの為にあります。
それは、「もう天主様をこれ以上、犯してはいけない。天主に背いてはいけない。なぜならば、もうすでにあまりにも多く犯され続けているから。あまりにも多く背かれているから。あまりにも多く罪を犯されているから。もうこれ以上、天主を悲しませてはいけない。天主に背いてはいけない。もうこれ以上、あまりにもなされてしまっている。もう天主に背いてはいけない。」
これを最も核心のメッセージとして、マリア様はお願いしました、「天主はあまりにも多く背かれている、犯されている、冒瀆されている、屈辱されている。あまりにも多く。」
太陽を着飾った女性、夫人であるマリア様、太陽をあたかもヨーヨーであるかのように、太陽をおもちゃであるかのように扱う事のできる、その大自然に命令を下す事ができる力を天主から受けたマリア様が、「もうお願いだから、もうこれ以上天主を、これ以上悲しませないように。天主を犯さないように。」
あまりうまい日本語がないのですけれども、「天主に対して罪を犯す」と「天主を犯す」という言い方があります。昔、日本国憲法では、「天皇陛下は神聖にして、これを犯すべからず」と言って、もしもこれに何か少しでもしたら、不敬罪になる。そのような時に犯されるような罪。そのような用語で、「天主が犯されている。屈辱されている。天主の御稜威を傷付けている。それがあまりにもやりすぎだ」とマリア様は嘆いています。
「言葉において、考えにおいて、行いにおいて、あまりにも罪を犯し続けている。天主はもうこれ以上、忍耐できないほど、憐みの天主であっても、もうやり過ぎだ。天主の聖性をあまりにも侮辱し過ぎている、いい加減にしてほしい。もう、もうこれ以上やらないでほしい。私は一生懸命天主をおなだめして、天主に讃美をお捧げして、何とかおなだめして、何とか憐れみを乞うて、何とかしたけれども、でも、我が子らよ、ちょっとやり過ぎだ。あまりにも罪を犯し過ぎている。もしも今、罪を犯し続けるのをやめないならば、もう手遅れになってしまう。」
非常にマリア様は私たちの事を心配して、「もうこれ以上、罪を犯すのはやめなさい。あまりにも多く、天主様はもうこれ以上してはいけないほど、あまりにも犯され続けているから。」
天主の愛は無限です。天主は愛であるから。愛して、愛して、愛して、愛して、愛するのですけれども、しかし人間の罪は更にやりすぎのほど、この愛を馬鹿にして、冒瀆して、無視して、罪を犯し続けている。
マリア様は私たちに仰っています、「あぁ、我が子らよ、御子イエズスは無限の愛なのですよ。その無限のいとも尊き御血を、お前たちに全て流されたのですよ。御自分を本当に無にして、御聖体の内に隠れて、パンとして私たちに食される為に、私たちの間に留まる為に、日夜御聖櫃の内に、御聖体の内に真に在すのですよ。御子はあなたたちを愛して、お恵みを与えて、永遠の命、永遠の栄光、最高の幸せ、無限の喜び、天主の命、天国の遺産を相続させようと、天主の御血をお前たちの中に流して、そして本当の天主の子供の養子として、三位一体はお前たちの心に宿り、永遠の報いの為に、今功徳を積む事ができるようにしているのですよ。」
「でもこのイエズス様は忘れられて、馬鹿にされて、無視されて、信じられもせず、捨てられて、冒瀆されて、冷淡に取り扱われている。そのようなイエズス様を何とかお慰めようとして、母の心をもって一生懸命してきました。天主に対する愛を皆の心に付けようと、お恵みをたくさん祈り続けてきました。しかし人々はあまりにも多くの罪を犯し続けて、私の母の心も恵みも拒否し、そして罪を犯し続けています。心は野獣のように獰猛になり、汚ならしいゴミを漁り、不潔とくだらない事に身を焦がし、天主を悲しませています。」
マリア様は仰いました、「もうこれ以上罪を犯してはなりません。」
マリア様は、「私はロザリオの元后です」と言ったので、「ロザリオの聖母です」と仰ったので、ロザリオのこの喜びの玄義、悲しみの玄義、そして栄えの玄義、これを支配する、これをそのお恵みを私たちに与えるものとして、ファチマで現れました。ロザリオによってたくさんの奇跡が起こりました。ルチアは言います、「ロザリオの祈りをもって解決できない問題はない」と。
では、マリア様は6回、5月13日から10月13日まで現れた時に必ず仰った事があります、「毎日ロザリオを唱えて下さい。ロザリオを唱えて、平和の為に祈って下さい。」日本が平和を得る為には、私はこれは確信している事は、核を持つ事ではなくて、ロザリオを持つ事であって、天主を持つ事だと。
では20分ほど黙想致しましょう。