アヴェ・マリア!
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会アジア管区のニュースレターのエディトリアル Editorial : Prayers for Vocationsを、ヨゼフィーナさんが日本語に翻訳して下さいました。実は、ずっと前に訳して下さっていたのですが、私の時間の都合で発表がこんなに遅くなってしまいました。
ヨゼフィーナさんは、この他にもまだまだ別の記事も訳して下さいました。順々にご紹介させて頂きます。では、愛する兄弟姉妹の皆様、ごゆっくりお読み下さい。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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編集者の言葉:召命のための祈り
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親愛なる友人と恩人の皆さん
あなたの家に住む者は幸せ、彼らはたえずあなたをたたえる。(詩編83章5節)
「ああ、なんと悲しむべきことか、自分の使命を果たさず死んだ人々は! 聖となるために呼ばれたのに罪の内に生き、キリストを崇めるため呼ばれたのに軽薄と不信の世に身を投じ、闘うために呼ばれたのに何もせずに留まる人々。才能と賜物を与えられながらそれを用いず、もしくは誤用し、濫用した人々は悲しむべきことかな! 世は時代から時代へと移り変わっても、聖なる天使たちと聖人たちは変わらず『ああ、なんと言うことだ!召し出しの喪失、希望の消滅、天主の愛への侮辱、霊魂たちの荒廃』と大声で叫び、悲嘆にくれているのである」(ニューマン枢機卿)
「善き師よ、永遠の生命を得るためには何をしたらよいのでしょうか?」これは、この世の財産に恵まれていたが、永遠の生命のほうが遙かに貴重な宝であると理解していた一人の青年が熱心に尋ねた問いであった。彼は、努力して得ようとしていた偉大な宝を確実なものとするため、しなければならないことがまだあるのではないかと模索しつつ、天主なる師のもとへと馳せ参じた。彼は若く金持ちであり、地主であり、彼の人生は一点のしみも汚れもなかった。
「十戒ですか?──私は幼い頃からそれらをみな守ってきました」彼は答えた。「善き師よ、私に欠けているものはなんでしょうか?」イエズスはいつくしんで彼を愛を込めてご覧になった。彼の聖心にとってこのような霊魂は愛しいものだから。「もしもお前が完全になりたいならば」、答えが返ってくる。「行って持ち物を売り、貧しい人々に施し、そして私について来なさい」
痛ましい一瞬だった。自然と超自然の恩寵が主導権を巡って格闘していた。招きは与えられ、完徳への道は指し示された。彼をまことの弟子とするために必要なただひとつの、だが大きな、先ほどまで非常に寛大に見えた彼にとって大きすぎる犠牲だった。彼はためらい、狼狽し、そして耳に「私に従え」という言葉がこだましながらも悲しんで背を向ける。彼の「たくさんの財産」への愛着が彼の心を覆ってしまったために。──召し出しは差し出され、そして拒絶された。
『憂鬱の影が』ファーベル神父は言う、『ご自分に従うようイエズスがお招きになった彼の記憶を苦しめずにはいられない。彼は今、地上で悲しみのうちに背を向けた柔和な御顔を、天国において仰ぎ見ているのであろうか?』
あれから二千年近い月日が流れ、同じみ声が大勢の少年少女の耳に、今も絶え間なく囁き続けている。「お前に足りないものが一つある──私について来なさい」ある者は心躍らせてその声を聞き、師の呼びかけに立ち上がった、ある者は耳を塞いで彼らに手招きなさった御方から恐れて逃げ去った、少数が立ちどまって耳を傾け、どういうことだろうと思い巡らし、このような招きは自分たちに対するものなのかも知れないと自らに問いつつも、ナザレトのイエズスが(眼の前を)通り過ぎるまで永遠にその場から動かないのだった。
(ウィリアム・ドイル神父の召命についての冊子より:http://www.sspxasia.com/Documents/Society_of_Saint_Pius_X/Vocations/Vocations.htm#2で閲覧できる)
***
五月一日、聖ピオ十世会創立四十周年の記念日である十一月一日まで、私たちはアジア管区における召命の十字軍を開始しました。主の莫大な収穫の時、特にアジアにおけるその時、大勢の助け手たちを必要とするので、私たちは本当に天を攻め立てる必要があります。召し出しを絶やさないため主がくださったただ一つの手段は祈りです。「そのときおおせられた、『収穫は多いが、働く人は少ない。だから、収穫の主に、働く人を収穫にお送りくださるように願え』」(ルカ十章二節)
実際、召し出しを獲得するため、私たちはなにをなすべきなのでしょうか?
*アジア管区の司祭たちは、信仰弘布のための随意ミサからとられた祈りを、典礼法規に従って週三日(月水金)、その日の祈りに加えています。
*すべての巡回教会で配布されている、司祭と修道者の召し出しのための特別な祈りのついた小冊子を印刷しました。
*さまざまなロザリオの祈りの集いと公の信心、徹夜の聖体礼拝において、召し出しのための特別な呼びかけがなされました。同じことが、家庭での祈りでも行われるべきです。
*多くの若者たちが神の呼びかけに耳を傾け、全霊を挙げてそれにお応えするよう天に乞い願うため、すでに数多くの巡礼団が起こされました。
*断食と犠牲:この意向のため数回の断食ができます、例えばご昇天と諸聖人の祝日の前日、九月の四季の斎日にです。犠牲の際にもこの意向を付け加えましょう。
*聖体拝領:主を拝領する栄誉に浴するときはいつでも、ご聖体のうちにまします主に召し出しの恵みを願うことを忘れないように。「求めよ、さらば与えられん!」
この十字軍を始めてから、すでに五人の青年たちが、フィリピンのイロイロにある修練院を訪れました。天主に感謝し奉る!
この六月に、兄弟会は各神学校で二十名の叙階を行う予定です。これは確かに素晴らしく、関心の的となる出来事です。しかしながら、それは神の癒しと天上の恵みを大変必要とするこの世間という大海の中に落ちる、たったひとしずくなのです! これからの四ヶ月間、特別に努力することにしましょう。
Oremus! 祈りましょう!
祝福を送ります。
管区長 ダニエル・クチュール神父
愛する兄弟姉妹の皆様、
聖ピオ十世会アジア管区のニュースレターのエディトリアル Editorial : Prayers for Vocationsを、ヨゼフィーナさんが日本語に翻訳して下さいました。実は、ずっと前に訳して下さっていたのですが、私の時間の都合で発表がこんなに遅くなってしまいました。
ヨゼフィーナさんは、この他にもまだまだ別の記事も訳して下さいました。順々にご紹介させて頂きます。では、愛する兄弟姉妹の皆様、ごゆっくりお読み下さい。
愛する兄弟姉妹の皆様の上に天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)
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編集者の言葉:召命のための祈り
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親愛なる友人と恩人の皆さん
あなたの家に住む者は幸せ、彼らはたえずあなたをたたえる。(詩編83章5節)
「ああ、なんと悲しむべきことか、自分の使命を果たさず死んだ人々は! 聖となるために呼ばれたのに罪の内に生き、キリストを崇めるため呼ばれたのに軽薄と不信の世に身を投じ、闘うために呼ばれたのに何もせずに留まる人々。才能と賜物を与えられながらそれを用いず、もしくは誤用し、濫用した人々は悲しむべきことかな! 世は時代から時代へと移り変わっても、聖なる天使たちと聖人たちは変わらず『ああ、なんと言うことだ!召し出しの喪失、希望の消滅、天主の愛への侮辱、霊魂たちの荒廃』と大声で叫び、悲嘆にくれているのである」(ニューマン枢機卿)
「善き師よ、永遠の生命を得るためには何をしたらよいのでしょうか?」これは、この世の財産に恵まれていたが、永遠の生命のほうが遙かに貴重な宝であると理解していた一人の青年が熱心に尋ねた問いであった。彼は、努力して得ようとしていた偉大な宝を確実なものとするため、しなければならないことがまだあるのではないかと模索しつつ、天主なる師のもとへと馳せ参じた。彼は若く金持ちであり、地主であり、彼の人生は一点のしみも汚れもなかった。
「十戒ですか?──私は幼い頃からそれらをみな守ってきました」彼は答えた。「善き師よ、私に欠けているものはなんでしょうか?」イエズスはいつくしんで彼を愛を込めてご覧になった。彼の聖心にとってこのような霊魂は愛しいものだから。「もしもお前が完全になりたいならば」、答えが返ってくる。「行って持ち物を売り、貧しい人々に施し、そして私について来なさい」
痛ましい一瞬だった。自然と超自然の恩寵が主導権を巡って格闘していた。招きは与えられ、完徳への道は指し示された。彼をまことの弟子とするために必要なただひとつの、だが大きな、先ほどまで非常に寛大に見えた彼にとって大きすぎる犠牲だった。彼はためらい、狼狽し、そして耳に「私に従え」という言葉がこだましながらも悲しんで背を向ける。彼の「たくさんの財産」への愛着が彼の心を覆ってしまったために。──召し出しは差し出され、そして拒絶された。
『憂鬱の影が』ファーベル神父は言う、『ご自分に従うようイエズスがお招きになった彼の記憶を苦しめずにはいられない。彼は今、地上で悲しみのうちに背を向けた柔和な御顔を、天国において仰ぎ見ているのであろうか?』
あれから二千年近い月日が流れ、同じみ声が大勢の少年少女の耳に、今も絶え間なく囁き続けている。「お前に足りないものが一つある──私について来なさい」ある者は心躍らせてその声を聞き、師の呼びかけに立ち上がった、ある者は耳を塞いで彼らに手招きなさった御方から恐れて逃げ去った、少数が立ちどまって耳を傾け、どういうことだろうと思い巡らし、このような招きは自分たちに対するものなのかも知れないと自らに問いつつも、ナザレトのイエズスが(眼の前を)通り過ぎるまで永遠にその場から動かないのだった。
(ウィリアム・ドイル神父の召命についての冊子より:http://www.sspxasia.com/Documents/Society_of_Saint_Pius_X/Vocations/Vocations.htm#2で閲覧できる)
五月一日、聖ピオ十世会創立四十周年の記念日である十一月一日まで、私たちはアジア管区における召命の十字軍を開始しました。主の莫大な収穫の時、特にアジアにおけるその時、大勢の助け手たちを必要とするので、私たちは本当に天を攻め立てる必要があります。召し出しを絶やさないため主がくださったただ一つの手段は祈りです。「そのときおおせられた、『収穫は多いが、働く人は少ない。だから、収穫の主に、働く人を収穫にお送りくださるように願え』」(ルカ十章二節)
実際、召し出しを獲得するため、私たちはなにをなすべきなのでしょうか?
*アジア管区の司祭たちは、信仰弘布のための随意ミサからとられた祈りを、典礼法規に従って週三日(月水金)、その日の祈りに加えています。
*すべての巡回教会で配布されている、司祭と修道者の召し出しのための特別な祈りのついた小冊子を印刷しました。
*さまざまなロザリオの祈りの集いと公の信心、徹夜の聖体礼拝において、召し出しのための特別な呼びかけがなされました。同じことが、家庭での祈りでも行われるべきです。
*多くの若者たちが神の呼びかけに耳を傾け、全霊を挙げてそれにお応えするよう天に乞い願うため、すでに数多くの巡礼団が起こされました。
*断食と犠牲:この意向のため数回の断食ができます、例えばご昇天と諸聖人の祝日の前日、九月の四季の斎日にです。犠牲の際にもこの意向を付け加えましょう。
*聖体拝領:主を拝領する栄誉に浴するときはいつでも、ご聖体のうちにまします主に召し出しの恵みを願うことを忘れないように。「求めよ、さらば与えられん!」
この十字軍を始めてから、すでに五人の青年たちが、フィリピンのイロイロにある修練院を訪れました。天主に感謝し奉る!
この六月に、兄弟会は各神学校で二十名の叙階を行う予定です。これは確かに素晴らしく、関心の的となる出来事です。しかしながら、それは神の癒しと天上の恵みを大変必要とするこの世間という大海の中に落ちる、たったひとしずくなのです! これからの四ヶ月間、特別に努力することにしましょう。
Oremus! 祈りましょう!
祝福を送ります。
管区長 ダニエル・クチュール神父