Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

2024年から贖いの業の2000周年(33 - 2033)のノベナの年(2024-2033)が始まります

フランスのカトリック信徒

2007年01月19日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

 フランスの月刊誌「Le Monde des Religions」1月号には、フランスのカトリック信徒の方々のアンケート調査があった。
 その結果は酷いものだった。客観的な失敗の現実を突きつけられた。
 教皇様は「私たちが今日経験している教会の危機は、「もし天主が存在しなかったとしても」(etsi Deus non daretur)の原則にしたがって行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信している。」と言われたことがあるが、正に、典礼改革は「毒入りのお菓子」ではなかっただろうか。毒が入っている食べ物は、毒の多少に関わらず捨てなければならないだろう。

 これはフランスだけの問題ではない。

洗礼数: 1975 年: 578 212 (総出産数 724 000 )
     2004 年: 357 262 (総出産数 767 816 )

婚姻の秘跡 1975 年:281 786 (民法による結婚 387 400 )
      2004 年: 96 863 (民法による結婚 271 600 )

初聖体 1994 年: 241 601
    2003 年: 85 722

堅振の秘跡を受けた数 1994 年: 164 613
           2003 年: 52 663

(Source : Annuaire statistique de l’Eglise et INSEE)

司祭の数 1970 年: 45 059
  1980 年: 38 876
     1990 年: 32 267
  2000 年: 25 353
     2004 年: 22 185
(Source : Annuaire statistique de l’Eglise)

神学生の数 1990 年: 1219
  2005 年: 784

修道女の数 1980 年: 77 994
  1990 年: 60 202
      2000 年: 44 985
      2005 年: 36 995
(Source :Conference des Superieures majeures)

フランス人のうち 51 % は自分のことをカトリック信者であると言う。
この 51 % の内 8 % だけが主日にミサに与る。
この 51 % の内 52 % だけが天主の存在を信じている。

フランス人カトリックの内で、この天主の存在を信じている52 % のほとんどは天主を「力、エネルギー、霊の一種」であると見ており、「人格的な関係にはいることのできる天主」として見ているものは 18 % だけであった。

これらのカトリック信者のうち、死後「何もない」と思うものは 26 % ;
死後「何かあるけれども私は知らない」と答えた者は、 53 % ;
「輪廻転生がある」と答えた者、 8 % ;
「死者の復活がある」と答えた者、 10 %


▲ ローマでベネディクト十六世教皇様が登位してもうすぐ2年になろうとしている。教皇様は、今日、カトリック教会内に危機があることを理解しておられ、典礼の崩壊がその原因であると確信しておられる。

 教皇様は、枢機卿時代にこう書いていた。

「全教会史をとおして、正当な典礼の形が廃止されたり禁止されたりしたことは決してなかったし、そのようなことは教会の精神そのものにとって極めてよそ者である。」

「私は、古いミサ典書が禁止されるということについては、深い驚きを感じざるをえなかった。これは全典礼史を通じて一度もなかったことである。しかし、それは、まったくあたりまえのことであるかのような印象が与えられた」

「いままでの、そして、いままで合法的であると見倣されてきたミサ典書の使用が禁止されたわけではなかった。古代教会の聖体秘蹟書以来、何世紀も連綿とつづいてきたミサ典書の使用禁止は、典礼の歴史における断絶を意味するものであり、その影響は計りしれないものだ。・・・ 古い家を壊して新しい家を建てたのだ。」

「私たちが今日経験している教会の危機は、「もし天主が存在しなかったとしても」(etsi
Deus non daretur)の原則にしたがって行われた改革の結果である典礼の崩壊が原因であると、私は確信している。今日、典礼において、天主が存在しており、天主が私たちに語りかけ、私たちの祈りを聞いてくださるということは、もはや問題外のこととなっている。もし典礼において、信仰の共同体、世界にひろがる教会の一致とその歴史、生きているキリストの神秘が現われるということがもはやないのであれば、どこにおいて教会はその霊的な本質を現わすのか?」

心ある兄弟姉妹の皆様を償いの業にご招待いたします

2007年01月19日 | 聖伝のミサの予定

私たちの霊的母である天主の御母童貞聖マリア様が公に冒涜されました。心ある兄弟姉妹の皆様を償いの業にご招待いたします。


Dignare me laudare te Virgo Sacrata,
Da mihi virtutem contra hostes tuos!


聖なる童貞女よ、かたじけなくも我をして御身を賛美せしめ給え、
御身の敵どもに対抗する力を我に授け給え!


 我は天地の創造主、全能の聖父なる天主を信じ、またその御一人子、即ち聖霊によりて宿り童貞マリアより生まれ給うた私たちの主イエズス・キリストを信じ奉る!


 昨2006年12月10日主日の午後2時、鹿児島教区のザビエル記念聖堂で市民クリスマス会が開かれた。教会は超満員で、参加した約五百人と臨席した鹿児島司教である郡山健次郎司教様の前で、フランシスコ会の或る神父は、聖書の記述を否定し天主の御母聖マリア様に対して冒涜を吐いた。しかし、それにたいして何らの対処もなされていない。

【参考資料】
のんびり・サンデー  24時間司教@Ken's Page
http://sdemo.net:8280/pken/Blog/061211



 私たちはこの使徒信経と聖伝のカトリック信仰にもとる天主の御母聖マリア様に対する冒涜をそのままにしておくことはできません。私たちは、罪の償いをしなければなりません。


 何故なら、聖母マリア様は終生童貞であったからです。永遠の天主の御一人子は至福の聖父の懐にましましたけれど、私たちの救いのために人となり給い、童貞母の御胎内に来られるのを厭わなかった Non horruisti virginis uterum からです。本田神父の発言は、私たちの主イエズス・キリストの御天主性を否むのみならず、天主の童貞母を冒涜するものだからです。


 今月の聖伝のミサは特にこの冒涜の償いのために捧げましょう。心ある兄弟姉妹の皆様を償いの業をお願いいたします。


 更に、今月中は聖母マリア様にたいして犯される冒涜罪の償いのために多くの祈り、ロザリオの祈り、犠牲を捧げましょう。


<2007年1月>


【東京】東京都文京区本駒込1-12-5曙町児童会館1F 「聖なる日本の殉教者巡回聖堂」

20日(土)午後5時半 聖伝のミサ
          午後6時半 グレゴリオ聖歌に親しむ会(http://sound.jp/gregorio/
     午後8時00分頃 グレゴリオ聖歌による終課

21日(主)午前10時  ロザリオ及び告解
          午前10時半  御公現後の第三主日(2級)緑
     午後2時半  公教要理の霊的講話
     午後4時   グレゴリオ聖歌による主日の第二晩課

22日(月)午前7時 殉教者聖ヴィンチェンチオとアナスタジオ(3級祝日)赤
23日(火)午前7時 証聖者ペニャフォールの聖ライムンド(3級祝日)白

 

 詳しいご案内などは、
http://fsspxjapan.fc2web.com/ordo/ordo2006a.htm
http://fsspxjapan.fc2web.com/2.html

または
http://immaculata.web.infoseek.co.jp/manila/manila351.html
http://sspx.jpn.org/schedule_tokyo.htm

 などをご覧下さい。

 


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ラテラン公会議 (649年10月5-31日) 聖マルティノ一世教皇

排斥文(Canones)
もし誰かが「聖にして同一本性の敬うべき三位一体の唯一の天主ご自身、天主の御言葉が天から降り、聖霊と終生童貞マリアによりて托身し、人間となり、肉において十字架に付けられ、私たちのために自発的に苦しみを受け葬られ、三日目によみがえり、天に昇り、聖父の右に座し、再び聖父の栄光を帯びて、来たり給い、生ける人と死せる人とを裁き給う」と聖なる教父たちに従って固有の意味でかつ真理に従って信仰宣言しないならば、彼は排斥される(=教会の交わりにはない)。


ピオ4世 憲章 'Cum quorumdam hominum' 1555年8月7日

「全能の天主がペルソナにおいて三位一体であること、実体の唯一性において全く合成が無く不可分であること、単純なる天主性の本質において唯一であること」を否定し、或いは「私たちの主イエズス・キリストが聖父と聖霊と共に全てにおいて同じ実体の真の天主であること」を否定し、或いは「至福なる終生童貞マリアの胎内において聖霊によりて宿り給うたのではなくヨゼフの種により別の人間たちのように宿り給うた」と言い、・・・(中略)・・・或いは「至聖なる童貞マリアが天主の御母であり、主のご誕生の前もご誕生の時もその後も、童貞性の完全性を終生守り通したこと」を否定することを今まで主張し、教義化し、或いは信じていた全ての者たちに、全能の聖父なる天主と聖子と聖霊により、使徒の権威を持って要求し、警告する・・・。


Dignare me laudare te Virgo Sacrata,
Da mihi virtutem contra hostes tuos!

聖なる童貞女よ、かたじけなくも我をして御身を賛美せしめ給え、
御身の敵どもに対抗する力を我に授け給え!


マリア様に対する公の冒涜の罪を償おう、と思われた心ある兄弟姉妹の皆様はクリックで応援して下さいね。↓
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兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!

 

お薦めのカトリック良書です。
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聖霊によりて宿り童貞マリアより生まれ給うた私たちの主イエズス・キリスト

2007年01月19日 | カトリックとは

アヴェ・マリア!


聖レオ九世 書簡 " Congratulamur vehementer " (1053年4月13日)
信仰宣言

DzS681 (Dz344) Credo quoque ipsum Dei Patris Filium, Verbum Dei aeternaliter natum ante omnia tempora de Patre, consubstantialem, coomnipotentem et coaequalem Patri per omnia in divinitate, temporaliter natum de Spiritu Sancto ex Maria semper virgine, cum anima rationali: duas habentem nativitates, unam ex Patre aeternam, alteram ex matre temporalem: duas voluntates et operationes habentem: Deum verum et hominem verum: proprium in utraque natura atque perfectum: non commixtionem atque divisionem passum, non adoptivum, neque phantasticum: unicum et unum Deum, Filium Dei in duabus naturis, sed in unius personae singularitate: impassibilem et immortalem divinitate, sed in humanitate pro nobis et pro nostra salute passum vera carnis passione et sepultum, ac resurrexisse a mortuis die tertia vera carnis resurrectione: propter quam confirmandam cum discipulis nulla indigentia cibi, sed sola voluntate et potestate, comedisse: die quadragesimo post resurrectionem cum carne, qua surrexit, et anim ascendisse in caelum et sedere in dextera Patris, inde decimo die misisse, Spiritum Sanctum, et inde, sicut ascendit, venturum iudicare vivos et mortuos, et redditurum unicuique secundum opera sua.


私は、天主の御一人子、時の始まる前に永遠に聖父から生まれる天主の御言葉、全て天主性によって聖父と同一本性、同一全能、同一永遠である御子が、時において聖霊によりて終生童貞マリアより理性的霊魂を備えて生まれたことを信じる。・・・(以下略)


http://catho.org/9.php?d=bxu

 

第4ラテラノ公会議(第12世界教会会議 1215年11月11-30日)

DzS801 (Dz429) Et tandem unigenitus Dei Filius Jesus Christus, a tota Trinitate communiter incarnatus, ex Maria semper Virgine Spiritus Sancti cooperatione conceptus, verus homo factus, ex anima rationali et humana carne compositus, una in duabus naturis persona, viam vitae manifestius demonstravit. Qui cum secundum divinitatem sit immortalis et impassibilis, idem ipse secundum humanitatem factus est passibilis et mortalis: qui(n) etiam pro salute humani generis in ligno crucis passus et mortuus, descendit ad infernos, resurrexit a mortuis et ascendit in caelum: sed descendit in anima, et resurrexit in carne: ascenditque pariter in utroque: venturus in fine saeculi, iudicaturus vivos et mortuos, et redditurus singulis secundum opera sua, tam reprobis quam electis: qui omnes cum suis propriis resurgent corporibus, quae nunc gestant, ut recipiant secundum opera sua, sive bona fuerint sive mala, illi cum diabolo poenam perpetuam, et isti cum Christo gloriam sempiternam.


天主の御一人子イエズス・キリストは、全三位一体によって共通に、人となり、終生童貞マリアより聖霊の働きにより受胎し、真の人間となり、理性的霊魂と人間の肉体から成立し、2つの本性において一つのペルソナにより、生命の道を明らかに証明した。・・・(以下略)


http://catho.org/9.php?d=bxw

 


第2リヨン公会議 
(第14世界教会会議 福者グレゴリオ10世教皇 1274年7月6日)

 

DzS852 (Dz462) Credimus ipsum Filium Dei, Verbum Dei, aeternaliter natum de Patre, consubstantialem, coomnipotentem et aequalem per omnia Patri in divinitate, temporaliter natum de Spiritu Sancto et Maria semper Virgine, cum anima rationali; duas habentem nativitates, unam ex Patre nativitatem aeternam, alteram ex matre temporalem: Deum verum et hominem verum, proprium in utraque natura atque perfectum, non adoptivum, nec phantasticum, sed unum et unicum Filium Dei, in duabus et ex duabus naturis, divina scilicet et humana, in unius personae singularitate, impassibilem et immortalem divinitate, sed in humanitate pro nobis et salute nostra passum vera carnis passione, mortuum et sepultum, et descendisse ad inferos, ac tertia die resurrexisse a mortuis vera carnis resurrectione, die quadragesima post resurrectionem cum carne, qua resurrexit, et anima ascendisse in caelum et sedere ad dextram Dei Patris, inde venturum iudicare vivos et mortuos, et redditurum unicuique secundum opera sua, sive bona fuerint sive mala.


私たちはその天主の聖子、永遠に聖父から生まれた天主の御言葉、天主性において、全てにおいて聖父と同一本性、同じ全能、等しき者、聖霊によりて終生童貞マリアより時において理性的霊魂を伴って生まれ給うた。・・・(以下略)


http://catho.org/9.php?d=bxx

 

フィレンツェ公会議
(第17世界教会会議 1439年2月26日-1445年8月 エウジェニオ4世教皇)
 

DzS1337 (Dz708) Firmiter credit, profitetur et praedicat, unam ex Trinitate personam, verum Deum, Dei Filium ex Patre genitum, Patri consubstantialem et coaeternum, in plenitudine temporis, quam divini consilii inscrutabilis altitudo disposuit, propter salutem humani generis veram hominis integramque naturam ex immaculato utero Mariae Virginis assumpsisse et sibi in unitatem personae copulasse tanta unitate, ut quidquid ibi Dei est, non sit ab homine separatum; et quidquid est hominis, non sit a deitate divisum; sitque unus et idem indivisus, utraque natura in suis proprietatibus permanente, Deus et homo, Dei Filius et hominis filius, aequalis Patri secundum divinitatem, minor Patre secundum humanitatem: immortalis et aeternus ex natura divinitatis, passibilis et temporalis ex conditione assumptae humanitatis.


三位一体の一つのペルソナ、真の天主、聖父から生まれた天主の御子、聖父と同一本性、同じ永遠なるものが、探ることのできない天主の賢慮の高さが配慮した時の充満において、人類の救いのために完全で真の人間本性を、童貞マリアの汚れなき胎内から、お受けになったこと、・・・(略)・・・を(教会は)堅く信じ、宣言し、説教する。

 

DzS1338 (Dz709) Firmiter credit, profitetur et praedicat, Dei Filium in assumpta humanitate ex Virgine vere natum, vere passum, vere mortuum et sepultum, vere ex mortuis resurrexisse, in caelum ascendisse, sedereque ad dexteram Patris, et venturum in fine saeculorum ad vivos mortuos que iudicandos.


天主の御子が、童貞マリアから受けた人間性において、本当に生まれ、本当に苦しまれ、本当に御死去し葬られ、本当に死者の内からよみがえり、昇天し、聖父の右に座し給い、時の終わりに生ける人と死せる人々を裁くために来たり給うことを(教会は)堅く信じ、宣言し、説教する。


http://catho.org/9.php?d=bx0

 

 

ピオ4世 憲章 'Cum quorumdam hominum' 1555年8月7日

DzS1880 (Dz993) (cupientes admonere omnes), qui hactenus asseruerunt, dogmatizarunt vel crediderunt, Deum omnipotentem non esse trinum in personis et incomposita omnino indivisaque unitate substantiae et unum unamet simplici divinitatis essentia; aut Dominum nostrum non esse Deum verum eiusdem substantiae per omnia cum Patre et Spiritu Sancto; aut eundem secundum carnem non esse conceptum in utero beatissimae semperque Virginis Mariae de Spiritu Sancto, sed sicut ceteros homines ex semine Ioseph; aut eundem Dominum ac Deum nostrum Jesum Christum non subiisse acerbissimam crucis mortem, ut nos a peccatis et ab aeterna morte redimeret et Patri ad vitam aeternam reconciliaret; aut eandem beatissimam Virginem Mariam non esse veram Dei matrem, nec perstitisse semper in virginitatis integritate, ante partum scilicet, in partu et perpetuo post partum, ex parte omnipotentis Dei Patris et Filii et Spiritus Sancti Apostolica auctoritate requirimus et monemus...


「全能の天主がペルソナにおいて三位一体であること、実体の唯一性において全く合成が無く不可分であること、単純なる天主性の本質において唯一であること」を否定し、或いは「私たちの主イエズス・キリストが聖父と聖霊と共に全てにおいて同じ実体の真の天主であること」を否定し、或いは「至福なる終生童貞マリアの胎内において聖霊によりて宿り給うたのではなくヨゼフの種により別の人間たちのように宿り給うた」と言い、・・・(中略)・・・或いは「至聖なる童貞マリアが天主の御母であり、主のご誕生の前もご誕生の時もその後も、童貞性の完全性を終生守り通したこと」を否定することを今まで主張し、教義化し、或いは信じていた全ての者たちに、全能の聖父なる天主と聖子と聖霊により、使徒の権威を持って訂正を要求し、誤りを警告する・・・


http://catho.org/9.php?d=bx5


Dignare me laudare te Virgo Sacrata,
Da mihi virtutem contra hostes tuos!

聖なる童貞女よ、かたじけなくも我をして御身を賛美せしめ給え、
御身の敵どもに対抗する力を我に授け給え!

 我は天地の創造主、全能の聖父なる天主を信じ、またその御一人子、即ち聖霊によりて宿り童貞マリアより生まれ給うた私たちの主イエズス・キリストを信じ奉る!

 更に、今月中は聖母マリア様にたいして犯される冒涜罪の償いのために多くの祈り、ロザリオの祈り、犠牲を捧げましょう。

 


マリア様に対する公の冒涜の罪を償おう、と思われた心ある兄弟姉妹の皆様はクリックで応援して下さい。↓
http://blog.with2.net/link.php?269452
兄弟姉妹の皆様の応援を感謝します!

 

お薦めのカトリック良書です。
http://astore.amazon.co.jp/sspxnewslbree-22
みなさまからいただいたアマゾンの売り上げの一部は聖ピオ十世会の日本での活動に役立たせていただきます。ありがとうございます。


天主様の祝福が豊かにありますように!
トマス小野田圭志神父(聖ピオ十世会司祭)


 


毒入りのお菓子はごみ箱へ

2007年01月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 最近、不二家の期限過ぎの牛乳使用のニュースがある。食中毒などで亡くなった方は幸いにない。しかし、不良な材料を使ったということで責任を問われている。不二家の製品はことごとく店頭から排除されている。

 ラッチンガー枢機卿時代から教皇様は、新しいミサと新しい典礼が毒を含んでいることを指摘している。多くの方が、その毒で信仰を失い、霊的に死につつある。聖母は冒涜されている。

 教皇様!どこか早く手を打ってください。

 毒入りのお菓子は早く店頭から排除してごみ箱に入れないと。

契約の櫃とダゴン神

2007年01月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 サムエルの書上の第5章には、ヒィリステ人が天主様の聖櫃をダゴン神の神殿の中に運び込んだ。するとダゴンは倒れ、起こしてもまた倒れていた。

 聖伝のミサが早く天主様の教会に戻され、教会の中に蔓延る人間崇拝、共産主義、世俗主義エキュメニズムなどの偶像が早く倒されますように!

パッシェンディ発布100 周年

2007年01月19日 | トマス小野田神父(SSPX)のひとり言
アヴェ・マリア!

 今年は、聖ピオ10世教皇様の回勅パッシェンディ発布100周年だ。この大切な回勅をぜひ多く兄弟姉妹の方に読んでいただきたいと思う。

--このブログを聖マリアの汚れなき御心に捧げます--

アヴェ・マリア・インマクラータ!
愛する兄弟姉妹の皆様をお待ちしております
【最新情報はこちら、年間予定一覧はこちらをご覧ください。】