新年最初は、おめでたく七福神をとりあげた。
七福神とは・・・。
大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊の七人の福徳の神をいう。
福禄寿・寿老人は同じであるとして、吉祥天を入れることもある。
七福神は室町時代末期に京都の町衆文化の中ではじまり、確立したする説が有力である。 但し、初期の七福神の構成は必ずしも一定ではなく、現在の構成が確立したのは江戸時代になってからといわれている。
上野寛永寺の住職天海僧正の進言に従い、徳川家康が祭祀したものが、全国に広まり、固定化したともいわれるが、その間の事情については必ずしもはっきりとはしない。
その七福神。各地に数々ある中で、世界遺産で話題となっている鎌倉が今は旬と、鎌倉七福神を巡った。
鎌倉七福神。通常は江ノ島の弁財天を含めた八カ所の七福神巡りのようであるが、今回は鎌倉のみの七福神巡りとした。
鎌倉七福神巡り
長谷寺(大黒天・・出世、開運の神)
長谷観音の名で知られている浄土宗の寺。 木造ではわが国最大級の十一面観世音菩薩。アジサイをはじめとする花の寺として人気。大黒堂の大黒天は、「出世開運授け大黒天」。
大黒堂
こちらには弁財天も祀られている
冬でも花が咲いている 左は10月桜 右は?
携帯で案内が知ることが出来るなんて世の中変わった
撮影できないが木造の十一面観世音菩薩像は圧巻である。
本覚寺(恵比寿・・長寿の神・・商売繁盛、五穀豊穣の神)
夷神は、夷堂に安置され、鎌倉幕府の守護神として源頼朝によって祀られたのがはじまり。日蓮の骨が分骨される日蓮宗の寺。目の病を治す日朝様。しあわせ地蔵。
正月には「鎌倉えびす」が開かれる。
宝戒寺(毘沙門天・・病魔退散、財宝富貴の神)
北条氏の菩提を弔うため足利尊氏が建立した天台宗の寺。 北条執権屋敷跡。別名萩寺。地蔵大菩薩。毘沙門天は本堂、地蔵大菩薩の左脇に仏母准胝(じゅんてい)観世音と一緒に安置。
聖徳太子堂
鶴岡八幡宮(旛上弁財天・・芸の神、在運を招く神)
鶴岡八幡宮内の源氏池に浮かぶ社。北条政子の創建とも伝えられ、頼朝が旗揚げの際に戦勝祈願。社には弁財天像は置かれておらず、鎌倉国宝館に鎌倉時代の弁財天像が置かれており、「裸弁財天」として知られている。
八幡宮新年初頭の行事
御霊神社(福禄寿・・知恵の神)
御霊(ごりょう)神社は平安時代の武将・鎌倉権五郎景政を祀る。 後三年の役で活躍、敵の矢を目に受けながらも奮戦したことから目に御利益があるとされる。9月の例祭では、福禄寿も参加する面掛行列が行われる。
歌舞伎の『暫』は鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声で、さっそうと現われる。
市指定の文化財になっている庚申塔がある。
面掛け行列祭りでの11面の中の福禄寿
市指定の庚申塔は江戸時代初期の1673(延宝元)年建立
妙隆寺(寿老人・・長寿の神)
日蓮辻説法址の近くにある日蓮宗の寺。二代の日親上人は、灼熱の鍋を被せられる拷問に耐えたことから「鍋かむり日親」と呼ばれた。本堂前の御堂には、欅一木造りの寿老人像が祀られている。境内には寿老人石像も置かれている。
鍋かむり日親
浄智寺(布袋尊・・家庭円満の神)
鎌倉五山の第4位 鎌倉十井の井「甘露の井」(クリック)。布袋和尚の石像は境内奥のやぐらの中に祀られている。唐様「花頭窓」の鐘楼。
布袋尊と観音像
本日の順路
七福神巡りははじめの浄智寺をめぐったら次は、八幡宮なのだが葛原ヶ岡ハイキングコースを選択した。
●JR北鎌倉駅=山ノ内501
↓8分【県道21号横浜鎌倉線を鎌倉方向に】
●浄智寺=山之内1402
【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
↓12分
●天柱峰碑
中国元の僧で浄智寺の住職も務め、この丘を愛した竺仙梵僊が名付けた。「天柱」とは「世を支える道義」という意味。
↓12分【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
●葛原岡神社=梶原5-9-1
後醍醐天皇の側近・日野俊基を祀る神社。
縁結び石のご祭神 大黒様は 良縁の神様として知られている 男石と女石
↓15分【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
●銭洗弁天=佐助2-25-16
頼朝が見た霊夢に従い、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられる。北条時頼はこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが銭洗の始まりだといわれる。
神社の入口上方に数個のやぐらを見かける
頼朝が夢のお告げをみたのは巳の年、巳の月、巳の日の巳の時刻だったという。正月3日は巳の日なので巳の時刻(9~11時)にこの神社で願い事をすれば、頼朝にあやかって叶うこと大である。なお、元旦は午前6時の開門である。
↓15分【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
●佐助稲荷 夢のお告げ(出世稲荷) =佐助2-22-10
頼朝がまだ伊豆に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。のちに、鎌倉に武家政権を築き上げた頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、御家人畠山重忠に命じて社を建立させた。「佐助」という名は、佐殿(すけどの)と呼ばれていた頼朝を助けたという意味がある。
神社にアライグマとタイワンリスにエサを与えないようにという看板がたっていた。
浄智寺から葛原ヶ岡ハイキングコースに入ってすぐに甲高い鳴き声を聞いた。中型の野鳥の鳴き声だろうと思って歩いていくと、それがタイワンリスの鳴き声であった。少し歩いて行くとまたもタイワンリスが鳴いている。求愛なのか縄張り維持なのか分らぬが、その鳴き声は怖いほどのものだった。
今年、数回鎌倉に来ているが、不思議に一度も見かけていないのだが、今回は八幡宮の境内でもメイン通りをちょっと外れると見かけた。この佐助稲荷の参道でも見る。多いことは事実なのだろう。
↓18分【市役所通りの佐助一丁目信号まで進み、その先西へバス停・一向堂を過ぎる】
●北条氏常盤亭跡 鎌倉市常盤
第七代執権北条政村をはじめとする北条氏(政村流)は、鎌倉の防衛の要衝である常盤に別邸を構えた。この場所は、大仏切通の北に位置し約11万平方メートルが国の指定史跡となっている。史跡内では、「法華堂跡」や「やぐら」が確認さている。「タチンダイ」と呼ばれる「北条政村別邸跡」北面の断崖には、数基のやぐらがあって、一番大きなやぐらの中には、甕(かめ)の形をした穴が残されている。この穴には朱入りの甕が納められていたという。
北条氏常盤亭跡は、「武家の古都・鎌倉」世界遺産登録でユネスコの現地調査員が見て回った21史跡のひとつである。
今年6月にカンボジアで開かれる世界遺産委員会で登録の是非が決まる。決まってもらいたいものである。
裏山で日光が遮られている場所なのに綺麗なスイセンが咲いていた
↓5分【長谷大谷戸の住宅地を進み、県道32号藤沢鎌倉線を左に長谷観音前信号入る】
●長谷寺=長谷3-11-2
↓6分【長谷観音前信号出て右側ひとつ目の路地を入り道なりに進む】
●御霊神社=坂ノ下4-9
↓8分【江ノ電線路を渡り、ひとつ目の変則十字路を左折、32まで東に、長谷観音前信号まで北上、左折 浜辺を歩く】
冬の渚はさみしくてよせる波だけが騒いでいた
●本覚寺
↓8分【江ノ電線路を渡り、ひとつ目の変則十字路を左折、32まで東に、長谷観音前信号まで北上、左折】
●夷三郎社《蛭子神社》=小町2-23-3
蛭子神社は小町の鎮守。神仏分離によって、本覚寺にあったという夷三郎社(夷堂)がここに遷され、もともとこの地にあった七面大明神と宝戒寺にあった山王大権現を合祀して蛭子神社となった。社殿は、鶴岡八幡宮末社の今宮(新宮)のものを譲り受けている。
↓4分【小町大路を北上】
●日蓮辻説法址=小町2-22
松葉が谷の草庵(クリック)から毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行い法華経を教え熱心に説いていた。「煩悩菩薩・生死即涅槃(ねはん)」「南妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと思い、法華経を信じる事を説いた。
↓5分【小町大路を北上】
●妙隆寺=小町2-17-20
↓5分【小町大路を北上】
●宝戒寺=小町3-5
↓5分【宝戒寺前の横大路を西に進むと鶴岡八幡宮鳥居前、三の鳥居に】
●鶴岡八幡宮=雪ノ下2-1-31
【八幡宮からは若宮大路と呼ばれる参道の段葛(だんかずら)を歩く】
↓5分
●JR鎌倉駅
おわりに
本年もよろしくお願いします
七福神とは・・・。
大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋尊の七人の福徳の神をいう。
福禄寿・寿老人は同じであるとして、吉祥天を入れることもある。
七福神は室町時代末期に京都の町衆文化の中ではじまり、確立したする説が有力である。 但し、初期の七福神の構成は必ずしも一定ではなく、現在の構成が確立したのは江戸時代になってからといわれている。
上野寛永寺の住職天海僧正の進言に従い、徳川家康が祭祀したものが、全国に広まり、固定化したともいわれるが、その間の事情については必ずしもはっきりとはしない。
その七福神。各地に数々ある中で、世界遺産で話題となっている鎌倉が今は旬と、鎌倉七福神を巡った。
鎌倉七福神。通常は江ノ島の弁財天を含めた八カ所の七福神巡りのようであるが、今回は鎌倉のみの七福神巡りとした。
鎌倉七福神巡り
長谷寺(大黒天・・出世、開運の神)
長谷観音の名で知られている浄土宗の寺。 木造ではわが国最大級の十一面観世音菩薩。アジサイをはじめとする花の寺として人気。大黒堂の大黒天は、「出世開運授け大黒天」。
大黒堂
こちらには弁財天も祀られている
冬でも花が咲いている 左は10月桜 右は?
携帯で案内が知ることが出来るなんて世の中変わった
撮影できないが木造の十一面観世音菩薩像は圧巻である。
本覚寺(恵比寿・・長寿の神・・商売繁盛、五穀豊穣の神)
夷神は、夷堂に安置され、鎌倉幕府の守護神として源頼朝によって祀られたのがはじまり。日蓮の骨が分骨される日蓮宗の寺。目の病を治す日朝様。しあわせ地蔵。
正月には「鎌倉えびす」が開かれる。
宝戒寺(毘沙門天・・病魔退散、財宝富貴の神)
北条氏の菩提を弔うため足利尊氏が建立した天台宗の寺。 北条執権屋敷跡。別名萩寺。地蔵大菩薩。毘沙門天は本堂、地蔵大菩薩の左脇に仏母准胝(じゅんてい)観世音と一緒に安置。
聖徳太子堂
鶴岡八幡宮(旛上弁財天・・芸の神、在運を招く神)
鶴岡八幡宮内の源氏池に浮かぶ社。北条政子の創建とも伝えられ、頼朝が旗揚げの際に戦勝祈願。社には弁財天像は置かれておらず、鎌倉国宝館に鎌倉時代の弁財天像が置かれており、「裸弁財天」として知られている。
八幡宮新年初頭の行事
御霊神社(福禄寿・・知恵の神)
御霊(ごりょう)神社は平安時代の武将・鎌倉権五郎景政を祀る。 後三年の役で活躍、敵の矢を目に受けながらも奮戦したことから目に御利益があるとされる。9月の例祭では、福禄寿も参加する面掛行列が行われる。
歌舞伎の『暫』は鎌倉権五郎景政が「暫く~」の一声で、さっそうと現われる。
市指定の文化財になっている庚申塔がある。
面掛け行列祭りでの11面の中の福禄寿
市指定の庚申塔は江戸時代初期の1673(延宝元)年建立
妙隆寺(寿老人・・長寿の神)
日蓮辻説法址の近くにある日蓮宗の寺。二代の日親上人は、灼熱の鍋を被せられる拷問に耐えたことから「鍋かむり日親」と呼ばれた。本堂前の御堂には、欅一木造りの寿老人像が祀られている。境内には寿老人石像も置かれている。
鍋かむり日親
浄智寺(布袋尊・・家庭円満の神)
鎌倉五山の第4位 鎌倉十井の井「甘露の井」(クリック)。布袋和尚の石像は境内奥のやぐらの中に祀られている。唐様「花頭窓」の鐘楼。
布袋尊と観音像
本日の順路
七福神巡りははじめの浄智寺をめぐったら次は、八幡宮なのだが葛原ヶ岡ハイキングコースを選択した。
●JR北鎌倉駅=山ノ内501
↓8分【県道21号横浜鎌倉線を鎌倉方向に】
●浄智寺=山之内1402
【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
↓12分
●天柱峰碑
中国元の僧で浄智寺の住職も務め、この丘を愛した竺仙梵僊が名付けた。「天柱」とは「世を支える道義」という意味。
↓12分【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
●葛原岡神社=梶原5-9-1
後醍醐天皇の側近・日野俊基を祀る神社。
縁結び石のご祭神 大黒様は 良縁の神様として知られている 男石と女石
↓15分【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
●銭洗弁天=佐助2-25-16
頼朝が見た霊夢に従い、佐助ヶ谷の岩壁に湧く霊水を見つけ、そこに洞を穿ち社を建てて宇賀神を祀ったと伝えられる。北条時頼はこの霊水で銭を洗って一族繁栄を祈ったのが銭洗の始まりだといわれる。
神社の入口上方に数個のやぐらを見かける
頼朝が夢のお告げをみたのは巳の年、巳の月、巳の日の巳の時刻だったという。正月3日は巳の日なので巳の時刻(9~11時)にこの神社で願い事をすれば、頼朝にあやかって叶うこと大である。なお、元旦は午前6時の開門である。
↓15分【葛原ヶ岡ハイキングコースを進む】
●佐助稲荷 夢のお告げ(出世稲荷) =佐助2-22-10
頼朝がまだ伊豆に配流中の身であったころ、「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めたという。のちに、鎌倉に武家政権を築き上げた頼朝は、「かくれ里」と呼ばれるこの地に祠を見つけ、御家人畠山重忠に命じて社を建立させた。「佐助」という名は、佐殿(すけどの)と呼ばれていた頼朝を助けたという意味がある。
神社にアライグマとタイワンリスにエサを与えないようにという看板がたっていた。
浄智寺から葛原ヶ岡ハイキングコースに入ってすぐに甲高い鳴き声を聞いた。中型の野鳥の鳴き声だろうと思って歩いていくと、それがタイワンリスの鳴き声であった。少し歩いて行くとまたもタイワンリスが鳴いている。求愛なのか縄張り維持なのか分らぬが、その鳴き声は怖いほどのものだった。
今年、数回鎌倉に来ているが、不思議に一度も見かけていないのだが、今回は八幡宮の境内でもメイン通りをちょっと外れると見かけた。この佐助稲荷の参道でも見る。多いことは事実なのだろう。
↓18分【市役所通りの佐助一丁目信号まで進み、その先西へバス停・一向堂を過ぎる】
●北条氏常盤亭跡 鎌倉市常盤
第七代執権北条政村をはじめとする北条氏(政村流)は、鎌倉の防衛の要衝である常盤に別邸を構えた。この場所は、大仏切通の北に位置し約11万平方メートルが国の指定史跡となっている。史跡内では、「法華堂跡」や「やぐら」が確認さている。「タチンダイ」と呼ばれる「北条政村別邸跡」北面の断崖には、数基のやぐらがあって、一番大きなやぐらの中には、甕(かめ)の形をした穴が残されている。この穴には朱入りの甕が納められていたという。
北条氏常盤亭跡は、「武家の古都・鎌倉」世界遺産登録でユネスコの現地調査員が見て回った21史跡のひとつである。
今年6月にカンボジアで開かれる世界遺産委員会で登録の是非が決まる。決まってもらいたいものである。
裏山で日光が遮られている場所なのに綺麗なスイセンが咲いていた
↓5分【長谷大谷戸の住宅地を進み、県道32号藤沢鎌倉線を左に長谷観音前信号入る】
●長谷寺=長谷3-11-2
↓6分【長谷観音前信号出て右側ひとつ目の路地を入り道なりに進む】
●御霊神社=坂ノ下4-9
↓8分【江ノ電線路を渡り、ひとつ目の変則十字路を左折、32まで東に、長谷観音前信号まで北上、左折 浜辺を歩く】
冬の渚はさみしくてよせる波だけが騒いでいた
●本覚寺
↓8分【江ノ電線路を渡り、ひとつ目の変則十字路を左折、32まで東に、長谷観音前信号まで北上、左折】
●夷三郎社《蛭子神社》=小町2-23-3
蛭子神社は小町の鎮守。神仏分離によって、本覚寺にあったという夷三郎社(夷堂)がここに遷され、もともとこの地にあった七面大明神と宝戒寺にあった山王大権現を合祀して蛭子神社となった。社殿は、鶴岡八幡宮末社の今宮(新宮)のものを譲り受けている。
↓4分【小町大路を北上】
●日蓮辻説法址=小町2-22
松葉が谷の草庵(クリック)から毎日小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行い法華経を教え熱心に説いていた。「煩悩菩薩・生死即涅槃(ねはん)」「南妙法蓮華経」と唱え、人生のいろいろな悩みや執着はそのまま悟りだと思い、法華経を信じる事を説いた。
↓5分【小町大路を北上】
●妙隆寺=小町2-17-20
↓5分【小町大路を北上】
●宝戒寺=小町3-5
↓5分【宝戒寺前の横大路を西に進むと鶴岡八幡宮鳥居前、三の鳥居に】
●鶴岡八幡宮=雪ノ下2-1-31
【八幡宮からは若宮大路と呼ばれる参道の段葛(だんかずら)を歩く】
↓5分
●JR鎌倉駅
おわりに
本年もよろしくお願いします