モノトーンでのときめき

ときめかなくなって久しいことに気づいた私は、ときめきの探検を始める。

デンチゼラニウム(Pelargonium denticulatum 'Fern Leaf')の花

2014-05-21 21:18:52 | ペラルゴニウム&ゼラニウム
(写真)ペラルゴニウム・デンチクラートマ 'フアンリーフ' の花
 

“名は体を表す"とはよく言うが、ペラルゴニウム・デンチクラートマ‘ファンリーフ’(Pelargonium denticulatum 'Fern Leaf') は、“ギザギザ歯の葉をしたゼラニウム”“シダの葉のようなゼラニウム”“松の香りがするゼラニウム”というのが通称で使われていて、花が咲かないでも姿・形・香りを楽しめる一品だと思う。

原産地は南アフリカケープ地方で、今では絶滅の恐れがあるそうだが、春から初冬にかけてピンクの花を緑色の葉がまるでレースとなり、このレースの隙間越しに見ることが出来る。

採取者マッソン、命名者ジャカンにある疑問
南アフリカのケープからこの原種を1789年に英国に送ったのは、キュー王立植物園の公式プラントハンター第一号のフランシス・マッソン(Masson, Francis 1741-1805)で、二回目の南アフリカ探検の時だった。

そして、この植物に「Pelargonium denticulatum Jacq. 」という学名を1797年につけたのは、神聖ローマ帝国皇帝でマリーアントワーネットの父、フランツ一世の御用医者ジャカン(Jacquin ,Nikolaus Joseph von 1727-1817)だった。

ジャカンは、命名するに当たってPelargonium denticulatumをどこかで熟視しているか実物を手に入れてスケッチをしているはずだ。というのはジャカンが1797年に出版した「シェーンブルン宮殿の庭園にある珍しい植物の記述とイラスト」には、Pelargonium denticulatumの植物画が記載されている。(下の植物画)

(写真)Pelargonium denticulatumの植物画
 
(出典)Nicolao Josepho Jacquin著 「Plantarum rariorum horti caesarei Schoenbrunnensis descriptiones et icones, vol. 2: t. 135. 1797.(シェーンブルン宮殿の庭園にある珍しい植物の記述とイラスト)」

ウィーンのシェーンブルン宮殿の庭園には確かにこのペラルゴニウムが存在していたようだが、ジャカンはこれを描いた痕跡がないという。
上図のような見事な絵をジャカンは描かせているが、何処の花を見て描いているのだろうか?

キュー王立植物園にはマッソンが南アフリカから送った実物が1821年までは確実に生育していたということを1822年に「Geraniaceae 2」を発表した英国の植物学者で園芸家のスイート(Sweet, Robert 1783-1835)が証言している。ということは、キュー王立植物園のペラルゴニウムを見て描いたのかもわからないが、これも証拠がないそうだ。

スイートは、キュー王立植物園の貴重な植物を横流しして不当な収入を得ていたとして告発された人物である。
現代風に言えば、膨大な費用をかけて宇宙探検をして手に入れた火星の土、月の石などの資源を横流しするのに近いのかもしれない。スイートは無実であったが、この頃、南アフリカなどから手に入れた貴重な植物を横流しすることが常態化していたのだろう。

一方でマッソンにもキュー以外のスポンサーを内緒で持っていたというダブルスポンサー疑惑がある。モーツアルトのパトロンでもあった裕福なジャカンはマッソンの秘密のスポンサーだったのだろうか?
であるならば、ジャカンが描いたペラルゴニウムの出処がわかりやすい。

いつの時代でも富とか地位とかセンスとかを本人に代わって表現してくれる“モノ”が求められてきた。大航海時代以降は新世界の珍しい花卉植物もこの仲間入りをし、プラントハンター、ナーサリー(圃育園)などの新職業が登場し、食糧・薬草・香辛料・建材・燃料など経済的に有用という尺度だけでなく、観賞価値(美しい、珍しい)でのビジネスが誕生した。これが今日での園芸につながっているのだが、マッソン、ジャカンが活躍していた18世紀末は、王侯・貴族・僧侶など裕福な階層の庭園の花形として贅を競っていて、美術品などでの盗難品を隠し持つ誰も持っていない一点物を求める欲望が、最前線のプラントハンター、ナーサリーを蔽っていたのだろう。

ヒノキに似た葉
しかし、この葉の形を良く見るとどこか懐かしく、山里の林が目に浮かぶ。そこには杉やヒノキ、どんぐりの実がなるコナラ・クヌギ、ブナなどが生えているが、ヒノキの葉の形を思い浮かべる。
日本人がこの植物に名前をつけるなら、“ヒノキの葉”のようなゼラニウムという名前が使われたのではないだろうか?

(写真)ヒノキ Retinispora obtusa Sieb. et Zucc.
 
出典:京都大学シーボルト&ツッカリーニ「日本植物誌」

ヒノキは日本原産であり江戸時代までは多くの植物は国外持ち出し禁止となっていたので、この当時のヨーロッパではあまり知られていなかった。

このヒノキをヨーロッパに紹介したのは、オランダ出島商館の医師シーボルト(Siebold, Philipp Franz (Balthasar) von 1796-1866)及び、横須賀製鉄所の医師として来日したフランス人のサバティエ(Savatier, Paul Amedée Ludovic 1830-1891)が1800年に日本で採取しヨーロッパに持っていったとなっている。しかし、シーボルトが来日したのは1823年~1828年なので1800年採取という時期はこれは無理だろう。またサバティエの場合は、1866年から1871年まで日本に滞在したのでこれもおかしい。
シーボルトがオランダに戻りツッカリーニと共に「日本植物誌」を出版したのが1835~1870年で、その中で1847年にヒノキの学名がChamaecyparis obtusa Sieb. & Zucc.として紹介され、これが学名として認められた。
50年前にPelargonium denticulatum(のこぎりの歯)と命名されていたので『ヒノキに似た葉を持つペラルゴニウム』という名前は付けられない。

(写真)Pelargonium denticulatumの立ち姿
 

ペラルゴニウム・デンチクラートマ 'ファンリーフ'
・フウロソウ科ペラルゴニウム属の耐寒性が弱い多年草。
・原産地は南アフリカケープ地方南西部の湿った地域で、現在では絶滅の恐れがあり希少性でレッドリストに載っている。
・学名はPelargonium denticulatum 'Fern Leaf' で 種小名のdenticulatumは鋸歯(きょし=ノコギリの歯のような切れ込みがある)を意味し、園芸品種名の'Fern Leaf'はシダの葉を意味する。
・英名では、葉の形からtoothed-leaved pelargonium(歯状の)、fern-leaf geranium(シダの葉)、葉からの香りからpine-scented geranium。日本の流通名ではデンチ・ゼラニウム、デンタータ・ゼラニウムで流通し、ギザギザした葉の形状が歯に似ている様子を名前としている。
・開花期は3月下旬か11月でピンクの小花を咲かせる。
・草丈100㎝、葉からは松の葉の香りがする。
・水はけの良い肥沃な土壌を好み、夏場には風通しの良い半日陰で育てると良い。
・3年ぐらいで株が老化するので、梅雨時にさし芽を作るか、花が咲き終わる夏場に株をカットする。

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