朝日
仙台のホテルで一夜が明けました。
ビルの陰から朝日が昇ってきています。
よい天気になりそうです。
仙台駅(1)
仙台駅の構内です。
右の看板は「笹かまぼこ」、左は「銘菓・萩の月」です。
どちらも仙台の名産品です。
仙台駅(2)
空港のターミナルビルのような駅構内です。
仕事で何度も通っていましたが、その頃から比べて
すっかりきれいになりました。
駅前
駅の外にでて見ました。
大きなビルがたくさん建っています。
右奥のビルは仙台城跡の展望台から見えたビルのようです。
これから電車に乗って移動します。
JR国府多賀城駅
JR国府多賀城駅に着きました。
仙台駅から15分くらいの乗車でした。
この駅に降りるのは初めてです。
案内図
駅前に案内板がありました。
これから多賀城政庁跡に向かいます。
駅舎
国府多賀城駅舎です。
なかなか立派な駅舎でした。
仮設住宅
昨年の3.11の被災者は住んでいるようです。
ユニットでできた簡易プレハブ住宅でした。
まだまだ復興には遠いようです。
水時計
昔、ここに水時計があったそうです。
周囲は近代的な住宅が並んでいました。
稲の天日干し
収穫した稲を天日干ししています。
稲の干し方にも地方によっていろんな方法が
あるようです。
このように太陽で干したお米はより一層美味しくなります。
多賀城跡
目的の場所に着きました。
「多賀城は奈良・平安時代の陸奥国府跡である。」とあります。
広場
かなり広い面積です。
現在は整備されて公園になっているようです。
まるでゴルフ場のような雰囲気でした。
壺碑
お堂のような建物がありました。
石碑
中に石碑がありました。
多賀城碑と呼ばれ、江戸時代初期に土中から発見されたそうです。
仙台藩が歌枕の「壺碑(つぼのいしぶみ)」であるとして一躍脚光を
浴びました。
碑文には平城京や各国境からの距離、多賀城の創建などに関することが
141文字で刻まれています。
栃木県の「那須国造碑」、群馬県の「多胡碑」とともに日本三古碑に
指定されています。
芭蕉も曾良と一緒にここを訪れてこの碑文を見て感動したと「おくのほそ道」
に記しています。
道路
更に奥に進みます。
この真っすぐな道は両側に萩が植えられ、花の咲く頃は
きれいだそうです。
残念ながら花はもう終わっていました。
石段(1)
長い石段が現れました。
ここを真っすぐ登ったところに多賀城跡があります。
石段(2)
途中で振り返って見ました。
道路は真っすぐのように見えますが、右側の道路を歩くように
なっています。
芭蕉が涙したといわれる壺碑は奥の森の中にありました。
仙台のホテルで一夜が明けました。
ビルの陰から朝日が昇ってきています。
よい天気になりそうです。
仙台駅(1)
仙台駅の構内です。
右の看板は「笹かまぼこ」、左は「銘菓・萩の月」です。
どちらも仙台の名産品です。
仙台駅(2)
空港のターミナルビルのような駅構内です。
仕事で何度も通っていましたが、その頃から比べて
すっかりきれいになりました。
駅前
駅の外にでて見ました。
大きなビルがたくさん建っています。
右奥のビルは仙台城跡の展望台から見えたビルのようです。
これから電車に乗って移動します。
JR国府多賀城駅
JR国府多賀城駅に着きました。
仙台駅から15分くらいの乗車でした。
この駅に降りるのは初めてです。
案内図
駅前に案内板がありました。
これから多賀城政庁跡に向かいます。
駅舎
国府多賀城駅舎です。
なかなか立派な駅舎でした。
仮設住宅
昨年の3.11の被災者は住んでいるようです。
ユニットでできた簡易プレハブ住宅でした。
まだまだ復興には遠いようです。
水時計
昔、ここに水時計があったそうです。
周囲は近代的な住宅が並んでいました。
稲の天日干し
収穫した稲を天日干ししています。
稲の干し方にも地方によっていろんな方法が
あるようです。
このように太陽で干したお米はより一層美味しくなります。
多賀城跡
目的の場所に着きました。
「多賀城は奈良・平安時代の陸奥国府跡である。」とあります。
広場
かなり広い面積です。
現在は整備されて公園になっているようです。
まるでゴルフ場のような雰囲気でした。
壺碑
お堂のような建物がありました。
石碑
中に石碑がありました。
多賀城碑と呼ばれ、江戸時代初期に土中から発見されたそうです。
仙台藩が歌枕の「壺碑(つぼのいしぶみ)」であるとして一躍脚光を
浴びました。
碑文には平城京や各国境からの距離、多賀城の創建などに関することが
141文字で刻まれています。
栃木県の「那須国造碑」、群馬県の「多胡碑」とともに日本三古碑に
指定されています。
芭蕉も曾良と一緒にここを訪れてこの碑文を見て感動したと「おくのほそ道」
に記しています。
道路
更に奥に進みます。
この真っすぐな道は両側に萩が植えられ、花の咲く頃は
きれいだそうです。
残念ながら花はもう終わっていました。
石段(1)
長い石段が現れました。
ここを真っすぐ登ったところに多賀城跡があります。
石段(2)
途中で振り返って見ました。
道路は真っすぐのように見えますが、右側の道路を歩くように
なっています。
芭蕉が涙したといわれる壺碑は奥の森の中にありました。
いよいよ松島訪れたことなく期待してます。
わくわくしながら訪問します、よろしく。
稲の干し方にもいろいろあるようで。
昔我が家では「はざかけ」していました。
仙台市は昔一度訪ねたことがあります。
多賀城とはよく聞きますが訪ねたことはありません。
仙台名物の笹かまぼこ、佐渡帰省のお土産で送りました。
萩の月は大会場になく買いそびれました。 どちらも名物ですね。
まだ、行った事が無い処ですのでどんな処かな?と楽しみです。
名前等は良く耳にしますが、へー、この様な処なんだと云う感じです。
震災により仮説住宅生活をされて居る方を見ますと、心苦しい思いが大であります。
いつまで、この様な生活を続けなければならないのか?と気の毒で成りません。
ブログ記事にこの様な事を書いてスミマセン。
でも、私の本音です。
もう仙台駅なんて随分遠い時ですから
忘れていますが、笹かまぼこなんかを
買って帰った記憶は残っています。
もうあの時と風景は変わっているんだろ
うなぁなんて思います。
また、市内にもたくさんの仮設住宅が
あるのでしょうかね。かつてこちらにも
たくさんあった仮設住宅の風景の一部
を拝見。なかなか冬寒く、結露が激しい。
夏は暑いという苦しい住環境なんですよ。
いつも見ている仙台駅が、まるで違う世界のように見えて~
山小屋さんの写真は、素晴らしいですね。
多賀城も~いつの間に写されたのか~
そんな思いが先に立ちました。
これらの道を、皆さんとご一緒させていただいて、
とても楽しかったです。ありがとうございます。
晴れ男の山小屋さんのお蔭で、こんなにすてきな
空の下を歩くことができました。
緑の多賀城政庁への道が、いいですねえ~~
泣いておられましたね。みなさん、どうされて
おいでなのか気がかりです。
奥の細道。林をくぐっていくイメージがあったので
驚きました。近代的ですね。
きれいな街のようですね。
随分今風になっていて芭蕉さんもびっくりですね。
芭蕉も涙したと言われる石碑が囲われていますね。
これからどんな景色が見られるのでしょう。
現代版「奥の細道」は。
仙台駅がまばゆいです。
仮設住宅、これからの寒い季節に向かってまた大変な思いをするのでしょう。
義妹の身内が同じ宮城で仮設住宅生活を送ってるので身につまされる思いです。
青葉城は誰でも知ってますが多賀城跡の事は初めてです。
芭蕉が涙したといわれる壺碑、これから登場ですね。楽しみにしております。
お待たせしました。やっとトキの登場です。
いわゆる中世のお城とは異なるもので
大和朝廷が蝦夷制圧の拠点として建て
平城京時代には 南は大宰府 北は多賀城をおいて
国をおさめていました
10世紀にやはり震災で廃絶したようです
歴史は繰り返すと言うことでしょうね