彦四郎の中国生活

中国滞在記

中秋の名月が過ぎ、彼岸花(曼殊沙華)の花が咲く季節に—湿気と残暑厳しくも

2022-09-15 07:56:19 | 滞在記

 湿気をともなう残暑がとても厳しい今年の9月。台風の多発は、南からの湿った空気をともなう日々が連日続く。9月23日は秋分の日だが、この日を境に、本格的な秋の訪れとなるだろうか。そんな9月中旬の京都だが、鴨川沿いの出町柳駅近くにある小さな「常林寺」では、秋の花「萩」が開花してきている。この寺の別称は「萩の寺」。白やピンクの萩の花が、小さな境内を埋めつくす。小さな山門の横には、季節の言葉として「あたりまえに感謝」と一筆、書かれていた。

 この小さな寺は、幕末期、勝海舟が京都に来た時の定宿だった。この勝を訪ねた土佐藩脱藩浪人の中岡慎太郎と坂本龍馬は、小さな本堂に宿泊したと伝わる。

 この常林寺のほぼとなりにある小さな寺「正定院」の小さな山門を入ると、秋の花でもある鶏頭(けいとう)が境内一面に咲いている。山門の横には、8月下旬には「この秋は 雨か嵐か 知らねども 今日のつとめに 田草とるなり」の和歌が、そしてこの9月中旬には「菊花隠逸(きくか いんいつ)」と書かれている。「隠逸」とは"俗世のわずらわしさから逃れて隠れすむ"との意味だが‥。山門の前の道沿いに、秋の草花「藪蘭(やぶらん)」の紫の実もみられるようになってきた。

 湿気と残暑の厳しさに、涼(りょう)を求めて、鴨川に架かる四条大橋と三条大橋の間の土手にたくさんの人が腰をおろしている9月上旬・中旬の光景。

 今年の「中秋の名月」は9月10日(土)となった。中国では「中秋節」として祝祭日となる。中国の大学の学生から、「中秋節おめでとうございます」のメッセージが送信されてきた。この日の午後8時頃、自宅2階から見えた満月の写真を撮り、「日本でも中秋の月が大きくきれいです」と返信した。12日(月)は振替休日となり、大学の授業も休講日となった。

 9月中旬の14日(水)、自宅近くの水田や畑のあるところで、彼岸花(曼殊沙華)の赤い花が開花し始めていた。10日ほど前の5日(月)にここに来た時には、地面の上には彼岸花の芽は見えなかったのだが、10日ほどで芽が出て、茎を伸ばし、花を開花させていた。

 週に2度ばかり孫の寛太たちの世話に京都銀閣寺近くの娘の家に行き続けている。寛太もこの9月で1歳9か月となった。よく寛太と散歩に行く近くの真如堂や金戒光明寺。紫式部の紫色の実ができ、山芋(やまい)の「むかご」が実をつけていたので、生で食べてみた。この「むかご」は、塩ゆでにしたり、炊き込みご飯にすると美味しい。

 炎天下、金戒光明寺の三重塔に至る急な石段で、東山高校の陸上部の部員たち20人ほどが、トレーニングをしていた。長く急な石段を片足だけで登って行ったり、後ろ脚を持たれたままの腕立て伏せいで登ったりしている。すごいなあ‥。

 自宅近くの家に、亜熱帯植物である「デェイゴ」の赤い花か咲いている。かなり大きなデェイゴの樹木。亜熱帯地方である中国福建省や、日本の沖縄などにこのデェイゴは生育している。亜熱帯地方でもない京都にデェイゴの花が咲くのは驚きでもある。温暖化の影響なのか‥。そのとなりの家は空き家となり、蔦(つた)に家全体が覆われている光景‥。

 11日(日)、自宅から車で30分ほどのところにある京田辺市天王地区に行く。稲が黄金色になり始めていた。ここにあるぽれぽれランド(野村治さん主宰)に久しぶりに行ってみた。野村さんたち数名が、木製大ステージ(テント)を作成していた。小粒の甘がきがもう食べ頃になっていて、何個かを持ち帰らせてもらった。

 ピンクのコスモスの花が咲き始めた。秋到来を告げるピンクのコスモスの花。栗も実ってきている。

 9月9日(金)から10日(土)にかけて、銀閣寺に住む孫娘の栞(しおり・5歳)と遙(はるか・3歳)が私の自宅に泊まりに来た。銀閣寺の娘の家まで、9日の午後4時半頃に二人を迎えに行った。バスに乗り、京阪電車に乗り、自宅に来た。

 来月の10月、京都では「学生祭典」が10月9日(日)に平安神宮と周囲の岡崎公園で開催される。また10月22日(土)には「京都時代祭」が開催される予定だ。