彦四郎の中国生活

中国滞在記

中国人にも敬愛・尊敬された稲盛和夫氏逝く―日本をはるかに上回る稲盛氏死去の報道はなぜなのか?

2022-09-04 05:06:33 | 滞在記

 1972年に日本と中国が国交正常化をはたして、今年は50周年となる。1978年には日中平和友好条約が締結され、日本と中国の経済・文化など多方面の国交関係がスタートした。この50年間で、中国国民にとって忘れられない日本人が何人もいる。1980年代前半、日本の映画やドラマ、アニメなどが中国の人々の間に初めて公開された。この中で、特に中国の人々が熱烈なファンとなった俳優、女優は、高倉健さんと山口百恵さんだった。

 今、55歳以上の中国人なら誰もがその名前を出すと知っている。そんな二人だ。中国が1978年から改革開放へと国内外に舵をきり、1980年代前半に初めて中国国内で公開された外国映画が、高倉健主演の「君よ憤怒の河を渡れ」(中国語題名「追捕」)だった。その後、中国国内で高倉健主演の映画は次々と公開された。そして、2006年には、中国で最も著名な映画監督である張芸謀(チャン・イーモウ)監督による高倉健主演の「単騎、千里を走る」(中国語題名「千里走単騎」)が中国・日本などで公開もされた。2014年に高倉健が亡くなると、中国ではそのニュースが大きく取り上げられた。高倉健を中国語名で発音すると「ガオツァング・ジェン」となる。

 また、山口百恵主演の映画やテレビドラマ(「赤いシリーズ」)なども上映・放送され、中国人の心をつかんだ。(映画としては、「絶唱」など) 山口百恵を中国語名で発音すると「シャンコウ・バイフゥイ」となる。日本のアニメーションでは手塚治虫原作の「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」なども、中国の子供たちに大人気となった。その後、藤子不二雄原作の「ドラえもん」は、中国では現在もまだ人気アニメとなっている。

 2000年代に入ってから現在に至るまで、中国で特に著名で尊敬・敬愛されていた日本人を三人あげるとしたら、宮崎駿さん、東野圭吾さん、そして、稲盛和夫さんとなるだろうか。宮崎駿の「天空の城ラピュタ」をはじめとするアニメ作品は多くの中国の人々に絶賛され続けた。2014年に彼が引退発表をした時には、テレビだけでなく中国共産党機関紙の「人民日報」などても一面にそのニュースを掲載したほどだった。

 作家の東野圭吾さんの書籍は、2013年頃から爆発的なベストセラーとなり、大都市だけでなく地方の都市の書店に行っても「東野圭吾コーナー」が設けられ、平積みとなって十数冊が置かれている人気は今も続いている。

 そして、この8月24日に90歳で亡くなった経済人の稲盛和夫さんもまた、中国の人々に敬愛され尊敬された日本人だった。

 稲盛和夫さんが中国の人々(特に企業経営者たち)から大きな関心を寄せられ始めたのは2010年頃からだった。彼の書籍もまた、中国の書店に平積みにされ、多くの中国人が購入していた。特に『生き方」『考え方』『生きる力』(中国語題名は『活法』など)は、中国では累計2000万部を超える大ベストセラーとなった。『生き方』は、「人間として一番大切なこ」の副題がつく書籍だ。

 そして、稲盛和夫さんの死去に対し、中国外務省報道局の趙立堅副報道局長は定例会見で、「中国は稲盛氏の逝去に対し、哀悼の意と、ご家族にお見舞いを申し上げる」との追悼を述べ、「(稲盛氏は)日本の経済、科学、文化事業の発展を推進し、中日両国関係の友好交流と協力を促進するために積極的に貢献しました」とし、さらに、「中日両国の各界が交流と協力を深め、中日関係の安定的発展を推進するよう希望する」との表明した。稲盛和夫氏死去については、日本の報道番組でも特集的に取り上げられもしていた。

 稲盛和夫氏死去に際し、その訃報が中国で公表された8月30日、中国版ツィツター「微博(ウェイボー)」に投稿された#稲盛和夫去世(死去)とのハッシュタグ付きメッセージの閲覧回数は、たった半日たらずで3.8憶回をも超えた。中国のSNSでは、30日の午後時点で検索のトップとなった。また、中国の主要メディアなども速報で報道した。

 なぜ、これほどまでに、稲盛和夫氏は中国で敬愛され、尊敬されたのか‥。稲盛和夫氏とは‥。

 ―稲盛和夫—1932年、鹿児島県生まれ。自営の印刷町工場を営む家に七人兄弟の次男として生まれる。実家の経済状況が厳しく、高校に行かせるだけでも精一杯で、大学進学などは難しかったが、長兄(大学に進学していない)や周囲の支援もあり、大阪大学医学部を受験(少年期に結核病初期の肺侵潤症に苦しんだこともあり医学部を受験)したが不合格。地元鹿児島県の鹿児島大学の工学部応用化学科には合格し、大学へと進んだ。就職でも苦戦し、卒業後は、京都市内にあった中小企業の「松風工業」(電線の絶縁体を作る会社)に就職したが、すでにこの会社の業績は悪化の一途をたどっていて倒産危機にあり、従業員の多くが会社を辞めていった。

 それでも会社に残っていた従業員ら8人とともに、1959年に京都セラミックス(現・京セラ)を創業し、1966年に代表取締役についた。セラミックスをつくる会社としてスタートしたが、その後、電子部品などの分野でも業績を伸ばし、現在の日本をを代表する大企業の一つである「京セラ」にまで発展させた。また、「KDDI」なども設立し、情報産業分野でも会社を発展させた。2010年1月に、2兆3000憶円という戦後最大の負債をかかえた日本航空が倒産した。その再建を任されたのが稲盛和夫氏でもあった。

 経営者・技術者としてだけでなく、1984年に財団法人「稲盛財団」を設立。その財団は「京都賞」などを設立し科学・文化・芸術・文化の発展にもつくしている。京都賞を受賞した後に、ノーベル賞を受賞した人は、山中伸也氏など8人にものぼるので、ノーベル賞への登竜門ともよばれる。また、サッカーチームの「京都パープルサンガ」の代表取締役を務めたこともあった。

 中国で、なぜ稲盛和夫氏が、日本以上に中国の経営者だけでなく、この10年間余り、多くの中国人に知られ、敬愛され、尊敬されたのか。そのことがよくわかるテレビ番組が2014年にNHKで放送された。番組名は「いま中国企業で何が?—日本式経営ブームの陰で―」。

 なぜ、稲盛氏の説く経営哲学や人生哲学が中国の人々に広く受け入れられたのか。「利他本来就是経商的原点」(他を利するところにビジネスの原点がある)の言葉に象徴されるように、稲盛氏の説く経営哲学は江戸時代から続く近江商人の教えである「三方良し」(買い手良し、売り手良し、世間良し)に通じるところがある。いわゆる日本の伝統的な信用商法の教えだ。

 現在の世界で、200年以上続く企業や商家は5500余りある。そのうち、53%の3300社・商家が日本にある。信用と「三方良し」の哲学失くして、200年も続くことはあり得ない。次に多い国はドイツ。だが、中国はたったの4社・商家しかない。「信用と三方良し」が欠落した社会が中国でもあったのだ。1980年代の改革開放以来、特に2000年代に入ってからの10年間は中国は高度経済成長期となり、10%を超す年間経済成長期を迎えた。起業すればほとんど、成功もし金がたくさん儲かった10年~15年間だった。いわゆる「バッタモン」(劣悪・模造商品)も多く製造された。

 「お金はたくさん儲かって、立派な家も建て、贅沢もしました。でも心は空っぽでした」と、語る経営者や起業家も多くあった中国の2010年‥。そこに稲盛氏の説く経営哲学が注目され始めた背景があった。

 2011年・12年に起きた尖閣諸島を巡る問題で、日中両国民の相手国に対する感情は悪化の一途をたどった。2013年の日中国民の相手国に対する印象で、「良くない」と答えた人の割合は、日本では90.1%、中国では92.8%にまでのぼった。だが、そんな中でも、中国人の稲盛氏の教えを求める心は高まるばかりだった。

 稲盛氏の中国での講演会には、講演会が開催されるたびに、全国から人々が押し寄せ会場に入りきれなかった。講演や著書を読み、経営を見直す企業家も多かった。例えば、従業員のために、社員食堂の料理の質を上げる、社員の誕生日には、みんなでケーキ―を渡し祝ってあげるなどなど、福利厚生の向上なども行った。また、会社の実情を社員に正直に話し、社員みんなでこの苦境をどう乗り越えて行ったらいいかを真摯に相談したりなど‥。こんな取り組みの中で、「家族といっしょに仕事をしているよう‥。だから、がんばれる」という社員の声も出始め、会社が活気と業績回復になっていったりと‥。

 このようなことが、NHKの「いま中国企業で‥」では、稲盛氏の影響と中国企業が描かれていた。

 稲盛和夫氏の中国での知名度が上がってきたのは2007年頃からと言われている。この年の米国フォーチュン誌が発表する世界の企業売上高ランキング「フォーチュン・グローバル500」に、稲盛氏が立ち上げた京セラとKDDIの2社がランクインしたことがきっかけと考えられている。若手経営者を育てる「盛和塾」(稲盛氏主宰)が2010年に中国でも開催されることとなり、その後、稲盛氏の説く経営哲学は、数多くの中国人経営者の信奉者を生むこととなっていった。中国最王手電子決済会社のアリババグループの創始者・馬雲(マー・ウェイ)や、中国最大手携帯会社ファウェイの創始者・任正非なども、この稲盛哲学を信奉し、多くの影響を受けたとされている。

   稲盛氏の説く経営哲学は、儒教など中国の伝統的価値観に通じるところが多々あり、彼の著書を聖書のようにカバンに持ち歩く経営者も多いようだ。日本の近江商人の商法哲学もまた、江戸時代に広く広まった儒教の教えに基づくものが多々ある。日本では儒教が近世の江戸時代以降広まって定着もしていったが、中国では近世・近代にはすたれていた。

 日本人のものの考え方や行動には、「武士道」の影響が今もつよく残る。武士道の三つの源泉は「神道」「仏教」「儒教」からくる。私は中国の大学の「日本概況」(3回生対象)では、「日本経済と商工業」の内容の際に、この稲盛氏を2016年から取り上げている。また、4回生対象の「日本文化名編選読」では、新渡戸稲造著『武士道』を取り上げている。