大阪府島本町教委はこのほど、安土桃山時代の公家・水無瀬兼成(1514~1602年)が作った将棋駒の名作「水無瀬駒」の制作駒数や発注者を記した文書「将棊馬(しょうぎこま)日記」を町文化財に指定した。発注者には公家や武将のほか、商人や大工も名を連ねており、町教委は「多様な人々が駒を買い求めたことを示す史料」としている。
「将棊馬日記」は、同町にある水無瀬神宮の宮司を代々務める水無瀬家の所蔵で、31ページからなる。兼成の晩年の1590年から、亡くなる1602年まで、年ごとの制作駒数(計737組)が記されており、兼成自身が書いた可能性が高い。
日記には、駒の発注者として後陽成天皇や正親町上皇、豊臣秀次、徳川家康など当時の名だたる天皇や公家、武将が登場する。さらに僧侶や神職、商人、大工の棟梁(とうりょう)の名も記され、幅広い身分の人から発注があったことがうかがえる。
町教委生涯学習課は「水無瀬駒がどんな経緯で制作され、さまざまな階層の人々にどう親しまれたかを解明する上で貴重」とする。
町文化財指定を受け、「将棊馬日記」の写真パネルを同町桜井の町立歴史文化資料館で6月5日まで展示している。無料。
【 2011年04月29日 12時56分 】
「将棊馬日記」は、同町にある水無瀬神宮の宮司を代々務める水無瀬家の所蔵で、31ページからなる。兼成の晩年の1590年から、亡くなる1602年まで、年ごとの制作駒数(計737組)が記されており、兼成自身が書いた可能性が高い。
日記には、駒の発注者として後陽成天皇や正親町上皇、豊臣秀次、徳川家康など当時の名だたる天皇や公家、武将が登場する。さらに僧侶や神職、商人、大工の棟梁(とうりょう)の名も記され、幅広い身分の人から発注があったことがうかがえる。
町教委生涯学習課は「水無瀬駒がどんな経緯で制作され、さまざまな階層の人々にどう親しまれたかを解明する上で貴重」とする。
町文化財指定を受け、「将棊馬日記」の写真パネルを同町桜井の町立歴史文化資料館で6月5日まで展示している。無料。
【 2011年04月29日 12時56分 】
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