いつも透析が終わる時間帯頃から
主に頭皮と首の後ろから背中にかけて
猛烈に痒い湿疹!
ひどくなって、もう半年くらい...
塗り薬は処方してもらって塗っているし
今月からはアレルギーに対する飲み薬も出ているけれど
相変わらず透析後半から翌る日にかけては酷い!
病院の皮膚科に行ってアレルゲンの検査を受けようか..
とも思ったけれど、ほぼ透析に使う何かが原因なんだから
それが分かったって、どうしようもないですよね... 今日は16時から透析の日です。
今はたいして痒くないので、この後の献立を考えたり
相棒に頼む買物リストを書き出したりしましょう。
あ、そうそう
和菓子屋さんを継いで今も元気にやっている幼馴染から
水曜にお餅がたくさん届いたんですよ。
懐かしい四角いお餅 🎶
お正月を待つことなんてできっこない
透析から帰ってすぐに、まずは磯部巻きで頂きましたよ〜
久しぶりの晴天でポカポカ... 気持ち良い〜!!
今朝はたくさん洗濯しました。
干したのは相棒です。
彼も最近は膝痛があるのに... 感謝。
むかし高校生の頃はよく自転車の二人乗りをしたんですよね。
急板の登りでは私が「行け〜!」なんて言って
彼が全力でペダルを漕いだり、・・・
数回、パトカーから「そこの二人〜! 二人乗りは...」なんて
注意されたっけ。
今は忠告じゃ済まないのかな?
・・・ こんな懐かしい話を最近よくします。
最近わたし、室内が薄暗いと新聞が読みにくいんですよ。
透析中に文庫本を読むのは、もう数年前に諦めました。
ひとつは肩こりが...ね〜。。。
目は、飛蚊症がひどくなったのと白内障が気になり始めたのとで、
もう眼科に行くべきでしょうけれど
まあ、まだゴマカシがきくかな...って、ね
手術なんて言われたら怖いし..ね
圧迫骨折の痛みはだいぶラクになって
しばらくパソコンに向かって座っていることも
できるようになりました。
まだ歩行器と車椅子は必需品ですけどね。
もう来週はお正月が来ますね。
また娘たちも来るし賑やかになるのでワクワクです
年越し蕎麦は打ち立てを娘たちが持ってきてくれるかな?
いやいや今はワクワクソワソワの前に
まずは今日のお昼ご飯と透析の準備だぁ
なんと、12月に入りましたね!
生きていますよ〜!
11月は一回もブログを書きませんでした。
机に向かって座っているのも痛みで辛かったので...
少しずつですけど快方に向かってはいるようなんです。
まだ透析クリニックでは車椅子だし
自分の寝具を準備するのも片付けるのもスタッフのお世話になっていて
恐縮なんですけどね...
あっちでもこっちでも「ありがとうございます」。。。
我が家では車椅子はあまり使わず、
室内用歩行器を使って動いたり、最近は最低限の調理をしたり
しています。
食器の準備や後片付け、食器洗いは相棒がしてくれますけどね。
彼は最近けっこう仕事が忙しいのに、申し訳ないったら...
少し前から「ありがとう」がすっかり口癖になってしまって
クリニックでも隣の患者さんとの挨拶で、つい
「ありがとう」と言いかけて焦ったり...
これからもっと老いていったら、更にさらに周りの人たちに
「ありがとう」と口にすることが増えていくんでしょうね〜。。。
今は、むかし手がかかった息子(現在なんと50歳!)に
何かと頼ったり(時には教わったり)がすっかり増えて、
「ありがとう」もすごく増えて、相棒と時々苦笑いです。
さあ、明日からもまた、頑張って透析に行きます。
がんば
10月29日(火)の朝、キッチンで転び(尻餅)、
また腰をやってしまったぁ.. また圧迫骨折です。
出産時の臍帯からの感染で骨髄炎になり障害が残った右膝の
関節が急に外れて体重を支えられなくなったのが転倒の原因です。
この関節はちょくちょく外れるんですよね。
でもあの日のはひどかった〜!
この出産直後の骨髄炎の闘病時の話はなかなか私には感動的でした。
私が生まれた昭和23年、まだ最初の抗生剤 - ペニシリンが
東京でも一般医院には普及していなかった時代のことですからね。
しかも、戦後に発売されたペニシリンの1本の値段は当時の価格で
3,930円だったそうです。現在の価格では1本で50万円ほど。
1日に4本使ったとして、1週間使うと1000万円を超える高価な薬でした。
保険制度がなかったため全て自費でした。
ペニシリンによる治療を受けるために、患者の家族は家を売るなど
大変な思いをした人が多かったそうです。
ついでに書いてしまいますと、うちの場合は
父は当時24歳で歯科医師になりたて。(小さな医院を開業したて)
戦後の貧しい生活から、やっと希望が持てる生活をスタートした
その第一歩の時だというのに、どんなに頭を抱えたことでしょう...
もちろん近隣の医院はペニシリンを持たず、お金も工面できず
私の小さな右脚にはけっきょく4箇所に穴を開け、骨髄から膿を採る
ということを繰り返したそうです。
「あんたは毎日40度の熱があって痛みで時々は失神するのに、
すごい勢いでおっぱいを飲んだ」
という母の話を聞くのが私は子供のころ好きでした。
そんな中で、父は夜は横浜に通い、停泊している船で歯科医をする
という日々を過ごし、なんとかお金ができるとやっと私を都心の
日赤病院に連れて行ったとのこと。
何回くらいペニシリンを打つことができたんでしょうね〜。。。
私の治療通いが一段落し完治したのは一歳の誕生日の頃だったとか。
いやぁ、両親には苦労をかけてしまいました。。。
ちなみに普通に人々がペニシリンを使えるようになったのは、
1960年ころからだったそうです。
いまは、保険証があれば、いつでも自由にどの医療機関でも
公的保険を使った医療を受けられます。
さらに私たち透析患者は障がい者医療証が使えます。
ありがたいですねぇ...
話が長くなってしまい、すみませんでした。
以前、車の事故(自損事故)の時もほぼ同じ部分を
圧迫骨折やったんです。
あの時は入院しましたけど(短期間で退院しちゃった)
今回は入院は拒否して自宅にいます。
じっと寝ている時は痛くないんですけど
寝返りも立ったり座ったりも強烈に痛いです。
でも、美味しいと思えるものを食べながら、元気です
家でも透析クリニックでも車椅子で動いていますよ。
今もなんとか机に向かっていますよ
このブログ、書き出したのは10月30日ですが、長く座っていられず
書き終えた今日は11月02日です。アップが遅れたのはそのためです。