前回は一回も話したこともないナースが
「今日は私が穿刺します」と。。。
3ヶ月ほど前に移動で来たナースです。
思いっきり怯えてしまった私。
「誰も(慣れた人が)付かないんですか?」と聞くと
そうだ..と。
ベテランの男性看護師長Mさんに「行くように言われた」と。
腹を括るしかなくって、・・・でも
「血管が中で二股に分かれていることは聞きましたか?」と
心配を伝えるのは忘れずに。
もう、その時点で私は全身汗びっしょり。
若ければ泣き出したかったですよ...
そのナースはたぶん年齢を推し量ると経験はまあ十分、
度胸もあるようで、さっそく刺し始めました。
でも、なんかズーンとした痛みがある。
気のせいか? と思いながらもソレを訴えていたところに
やっと私の穿刺に慣れている看護師長Mさんが来て
「ちょっと...」と交代。
針を半分引き抜いて角度を変えたら鈍痛が消えました。
「脇道に入っていた」とか。
・・・だから〜! 初めてのスタッフが一人で穿刺って
無理があるでしょ〜!!!
しかも、私は回路などのプラスチックにカブレることを
そのナースは知らないまま固定し始めたので
(そういうことを書いてある札が回路上部に掛けてあるのに..)
遠慮しながら私がソレを伝えるはめに。
「めんどくさくてすみません」と言いながら...
まあ気持ちよく(?)固定し直してくれたんですけどね、
そのあと血圧を測りにきた慣れ親しんだナースが
けっきょく固定し直してくれました。
ガーゼを回路の下に敷き詰めながら。
あれは一種のチャレンジだったの?
スタッフが少ないから已むを得なかったの?
その時たくさん汗をかいたのとは関係ないとは思うけれど
後半に久しぶりに脛が攣り、漢方薬(68番)を飲んだり
温めたり、立って足踏みしたり...。
けっきょく200g残して帰宅となりました。
その後、夜中も明くる朝も攣ったので
もう今のDWは無理があるのかなぁ。。。
昨日は大谷翔平選手も臀部辺りが攣ったんですって 🤭...
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ブログの引っ越しについては迷っていることがあります。
はっきりした引っ越し先は近日中にお知らせしますね。
goo[blog]サービスが近々終了するとのことで、
さてどうしよう〜...と迷っていたんですけど、
以前も書いたように、このブログはまず
私の記憶をサポートするのにも役立っているので
引っ越しという形で残し、またのんびり続けることにしました。
それで今日は「Ameba」に引っ越し作業をしているのですが
どうやら引っ越し完了までには1週間、またはもっとかかる感じ。
あと、引っ越し後、過去記事は残りますけれど
コメントは残念ながら残らないみたいです
このことは、心から、実に、実に悲しい。。。
以前のブログは私、2006年 5月に始めて
最初の頃は慢性腎炎末期の生活や考えのあれこれ、
未知の透析に対する不安について書いたりしていたんですよね。
そして2006年 10月にいよいよ透析開始。
初めの頃は特に、何人もの先輩、さらには
ドクターお二人からも何かとコメントをいただき、
本当に心強かったし、何よりも楽しかったです。
皆さまには感謝してもしきれません。
引っ越し後のブログのアドレスは下記のようです。
https://ameblo.jp/ebi-tama-534/
問題なく引っ越しが完了しますように。
そして、どうか広告なしの設定を選ぶことができますように。
無事に引っ越しができたらお知らせしますね
腰の圧迫骨折はもう回復して、家の中ではまあ
自由に歩けるようになったので(腰痛はあるけれど)
また外出などの欲がちょっと出てきました。
でも、もう運転しなくなって数年経ってしまったんですよね〜...
運転しなくなった元は、夜の透析帰りの不安からでした。
注意力とか、視力とか、なんか普段より劣る気がして。
運転は大好きだったんです。
もとは車酔いがひどくてドライブも常にパスだったので
20代後半に免許を取って(子連れで自動車学校に通った)
何時間でも運転できるようになった時は
大袈裟でなく、人生が変わった気がしましたよ。
でも右膝が不自由なので、運転できる車は1.2tまでという
限定付き免許だったんです。
最初に買った車は赤のカローラハードトップでした...
その後、ホンダの紺色のシビックカントリーに乗り換えて
(当時、相棒の車は黒の三菱デリカ)
休日は家族+友達とのアウトドアライフを満喫していたんですけど
そんな中、私の腎臓がいよいよ悲鳴を上げ始めましてね。
高校を卒業した年にもう、軽いけれど慢性化していると言われたので
一応気にはしていましたけど、気をつけることはなかったですね〜。。。
腎生研を受けたのは48歳の時でした。
気をつければ透析まで5年...?と言われ、
そこからすぐステロイド治療が始まったんです。
あの時のムーンフェイスはショックだったですねぇ...
鏡を見るのが辛かった!
でも、強く、「負けるもんか!」って思ったんです。
仕事はもちろん休まずに行った。
そしてもう一つ。免許の限定解除を思い立ったんです。
ちょっと大きめの車に乗りたかったし、
「負けない!」を形に表したかったし。
短期間ですけど自動車学校に通いましたよ、また。
今度は子連れではなかったけれどムーンフェイスで!
そして試験を受け直して、その後の免許証には
限定記載は「AT車」以外は無くなりました。
ふと思い出してこんなことを書いてみました。
自分の運転で(フェリーも利用したけれど)息子と
神奈川までも行ったことがありますよ。
遠い思い出。
あ、透析になったのは58歳の時です。
それからの遠出は出先での透析が条件になりました
昨日の穿刺待ちのときのことです。
わりと新人の女性技師さんが来て、無言で穿刺準備を。
ちょっとビックリして(けっこう怯えて)
「えっ? おたくが刺すんですか?」と訊くと
当然..という顔で「そうですよ」と。
いやいや、私のシャントはクネクネがひどいし
枝分かれがあったりしているし、刺せる部分が狭いし、
初めて刺す方には刺し慣れているスタッフが付き添うことに
なっているんです。
慌ててそれを伝えたら、
「初めてじゃないです。刺したことありますよ」と。
「えっ?! それ 私ですか?」
「はい。アナタです!」(キッパリ強めに)
記憶になくて混乱した私。
私を(たぶん)ボケてる人と思った彼女。
「Bさんがいいですか? 変わりましょうか?」
「いや、え〜と... それなら、始めてください
」
・・・でも、へそを曲げた彼女は無言で
近くにいた技師 Bさんを呼びに行きました。
(中略)
静かな透析時間、・・・私の頭の中は混乱したまま。。。
2時間近く経って、血圧を測りに来た親しいナースに
ついに尋ねたんです。小声で。
「これこれこういうことがあったんです。
私は確かにトシで記憶に自信がなくなってはいるけれど...
本当に記憶が飛んだのかどうか確認する方法はありますか?」
くだんの女性技師さんはまだここでの勤務歴半年ほどだし
記録を見て確認するのは難しくないと聞いて、
「手が空いた時でいいから」とお願いしました。
それから2時間くらい経ち、そのナースが来て、小声で
「あの技師さんはUさん(私)の穿刺はしたことがないです」と。
他の患者さんと勘違いしたんでしょう...ということになったし
私はボケ始めたのではないと分かればそれで良かったし、
互いにフフ.. と笑って、ことは終了しました。
まあ、あの技師さんは私に悪感情を持ったでしょうけれど
う〜〜ん... 仕方ないわぁ。。。
色々ありますね。。。