マルガリータのつぶやき

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ウィーン;オペラ座「ドン・カルロ」

2014-10-02 23:58:26 | オーストリア  
今宵の「ドン・カルロ」 は良かった。

   

ウィーンの客席は大人の雰囲気、愛に餓えていき違う登場人物に共感して聴き入っているよう。
それは、休憩終了直後の「国王フィリッポのアリア」に全曲中唯一の「ブラボー」が上がったときに実感された。
「静かなる熱狂」とでも行ったらいいのか、拍手が地を這うように、劇場を霧のように包み込んで、低く長く永遠に続くようだった。
王妃からも愛されず、一人さびしい国王の独白中、マルガリータ も、気がつけば遠くかなたへ、一人「思い」に沈んでいた。
誰もかれもが「愛の不毛」にのた打ち回って、現代人にこそ通じるようなテーマで考えさせる好演だった。





  

 

  

オペラをたのしむ  より抜き書き;
 ≪壮大なスケールで描き出される歴史絵巻≫『ドン・カルロ』の深みへ 
何が起こるかわからない。今日は政治をめぐるオペラだったのに、翌日は愛をめぐるオペラになる。『ドン・カルロ』は上演によって異なる顔を見せる。主役だっていつも同じとは限らない。今日はロドリーゴ、明日はフィリッポ、明後日はエリザベッタ、いや、エボリだって主役になる機会をうかがっている。
よくわかった物語と、よくわかった音楽を確認するために聴くなら、『ドン・カルロ』は向いていない。ヴェルディの人気オペラは、いつも同じ上演になるわけではないからだ。
 昔は『アイーダ』こそ傑作で、『ドン・カルロ』はそれに至る過程だと思われていた。いまは違う。ヴェルディの最も奥深いオペラで、何回聴いても関心が増すばかりの傑作は、こちらだと信じられるようになっている。

・5幕版だと最初にドン・カルロとエリザベッタが出会い、愛を得たかと思ったらそれを失ってしまう、という場面がある。愛のオペラとしての性格が強まることになる。
 確かにスペインの王子カルロと、フランスの王女エリザベッタの悲恋は、オペラ『ドン・カルロ』の大きな柱になっている。
・第2幕の、カルロの父フィリッポ王の妃となったエリザベッタに、カルロが思い余って言い寄る二重唱が、愛のオペラとしての『ドン・カルロ』の、中心になる。愛しながらも、王妃エリザベッタは拒絶する。
・ポーサ侯爵ロドリーゴに焦点が合い、友情と政治のオペラになることだってある。篤い友情で結ばれた2人の青年は、理想を追い求めている。ロドリーゴが実現しようとしているのは、圧政にあえぐフランドルの自由だ。それは危険な思想でもある。政治の理想を求める青年と、義母への愛という秘密を抱えた王子は、第2幕の二重唱で、固く友情を誓い合う。
 しかし青年の夢はかなわない。ロドリーゴは撃たれ、友の腕の中で息絶える。もちろん王子カルロの夢もかなわずに終わる。
 青年たちの夢を打ち砕くのは、王子の父、スペイン王フィリッポだ。だが王は悪役ではない。スペインとフランスの平和は、当時の世界平和なのだけれど、それを求めてフランスの王女と結婚した王は、王妃の愛を得られない。フランドルを弾圧するのは、旧教と新教の対立で旧教側に立つ王の、当然の政策で、選択の余地などなかった。
『ドン・カルロ』は時に、王者の苦悩のオペラになる。第4幕でフィリッポ王が歌う〈ひとり寂しく眠ろう〉で、その苦悩がオペラを暗く染める。その後すぐ宗教裁判長が現れて王を責めるので、苦悩は怒りにもなる。さらに王妃が想うのは王子であると露見するのだから、苦しみは深まるばかり。
・王や王妃の苦悩とは無縁のはずで、第2幕で明るい〈ヴェールの歌〉を歌うエボリ公女だって、このオペラの深い闇に引き入れられる。
 そう、誰もが夢を抱き、誰もその夢を実現できない。誰の苦悩が舞台を支配するのか、上演によって違うのだけれど、『ドン・カルロ』が実現できない夢の、苦悩のオペラであるのは変わらない。
 『ドン・カルロ』は、イタリアオペラの王者ヴェルディが到達した、深みなのだ。
 宮廷を舞台とした絢爛たる歴史絵巻、という外見を持っているにもかかわらず、最近まで『アイーダ』や『椿姫』ほどの人気が得られなかったのは、多様性と深さのせいなのではないだろうか。
 円熟の極みにあったヴェルディは、流麗なアリアでオペラを飾らなかった。終幕でエリザベッタが歌う長大なアリアは、深い悲しみで満たされている。それでも、いま『ドン・カルロ』は、ヴェルディの代表作として人気を勝ち得ようとしている。生誕200年の年、『ドン・カルロ』はさらに高みへ、いや、深みへと向かいそうだ。人は美しい歌を聴く快楽を捨てはしないが、そのためだけに劇場に行くほどおおらかではなくなった。人は深い悲しみと苦悩を求めて、『ドン・カルロ』を聴く。
 シェイクスピア好きだったヴェルディは、いつのまにか実現させていたのだ。『リア王』や『ハムレット』に劣らない悲しみのドラマを。




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