マルガリータのつぶやき

フォトジェニックな「趣味の記録」:マルガリータの庭、国内海外の旅、グルメ、美術・音楽・映画、自分勝手流読書、etc

<パリの映画> 『パリ17区』 KIND HEARTS AND PANDERING 1984 仏

2017-03-18 16:28:32 | 映画note 庭園、山岳、ミステリー


『パリ17区』1984
監督 ポール・ヴェチアリ 
キャスト ヘレーヌ・スルジュール ニコラ・シルベール A・フェルジャック

カイエ派の現役監督ポール・ヴェキアリの、唯一日本でソフト化されている貴重な作品、
テレビシリーズ"Serie noire"の一作らしい。
 カイエ派 映画運動「ヌーヴェル・ヴァーグ」は「カイエ派」と「左岸派」に分かれ、 ゴダール、トリュフォー、ロメールなど「カイエ・デュ・シネマ」誌のもとに集う作家たちからなるのが「カイエ派」。 セーヌ河左岸のモンパルナス界隈(かいわい)で活躍した作家らが「左岸派」

 「パリ18区」「パリ20区」と続けてみてきて、ツタヤで目についてヒョイと借り出したものだ。
「17区」から、北東部地域の移民等"バンリューの問題"の作品かと思ったが外れで、
夜の娼婦とヒモと縄張り争いから、<愛と復讐>の話だった。
 話自体は日活や東映のやくざ映画と同じで、抗争に明け暮れる陰で泣く女、というありふれたものだが、
見どころは<フランスのファスビンダー>といわれているポール・ヴェチアリ監督の手腕だ。
 
 ファスビンダーが生み出した女性像はドイツ映画史のなかでも特異で、何度も見返した20年前が思い出された。
 ハンナ・シグラが演じた「マリア・ブラウン」、「リリー・マルレーン」、
 バルバラ・スコヴァが演じた「ローラ」

この「パリ17区」でのそんな女性はヘレーヌ・スルジュール演じる「ネラ」。
 

 

 

「ネラ」の魅力的がいつの間にか女優「ヘレーヌ・スルジュール」の魅力におもわれるようになり、
 疎外されたものたち個人の世界をえがいているのに、社会批判的なすがたが立ちあらわれる、
 カメラワーク、異常なアングル、荒っぽいつなぎのカット。
 

娼婦が立ちん坊をするAve.Hoche、オッシュ通り、凱旋門からモンソー公園にいきどまる広いメイン通りは何度も歩いて行き来したことがある。 ~今は昼も夜もそんな面影はさらさらないが。

ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー Wikipedia
ポール・ヴェキアリ ウィキペディア
フランス・ヌーヴェルバーク映画監督  ウィキペディア
「女たち 女たち」梅本洋一

≪MEMO≫
「パリ、18区 夜」J'ai pas sommeil  1994年 フランス
1987年に実際に起こった老女連続殺人事件を中心に、パリのなかでも人種と社会の坩堝である18区に生きる人々のそれぞれの孤独を描きだす群像劇。監督は「ベルリン・天使の詩」などヴィム・ヴェンダース監督の助監督を経て「ショコラ」で監督デビューを果たしたクレール・ドゥニ。
 ダイガ(カテリーナ・ゴルベヴァ)は叔母ミナを頼ってパリにやってきた。
彼女は故郷リトアニアで会った演出家の口約束を信じて、パリで女優になる気でいる。叔母と同じアパートに住む老女が殺されていた。独り暮らしの老女を狙った連続殺人犯の新たな犠牲者だ。
 ジャズ・バイオリニストのテオの部屋には弟のカミーユが泊まっている。テオは妻子とマルティニクに移住したいと思っており、反対する妻のモナは家出している。ゲイであるカミーユは衣装屋(ダニ)から服を調達し…

「パリ20区」
場所はパリ20区の中学校。パリの街はルーブル美術館のある1区から渦巻き状に区番号が振ってあって、20区が最後になる。つまり、パリのはずれということだが、その意味合いは、「ボンリュー(banlieue)」に近く、ボンリューというのは訳語は「郊外」だが、よく「ボンリュー問題」と言われるが、実際にはフランス旧植民地の移民が多く住む低所得世帯用公営住宅団地、つまり貧困地域の問題を指していることが多い。その意味で、パリ20区の意味合いは、パリであるとともにボンリューでもあるという含みがあり、そのことはこの映画のクラスの生徒を見れば、一目でわかる…


『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』 森美術館でアートの力を再認識した

2017-03-18 11:19:18 | 絵画、展覧会、記念館
  

今日のインド現代美術のもっとも洗練されたアーティストのひとり、N・S・ハルシャの初のミッド・キャリア・レトロスペクティブをみてきた。
 (*) ミッドキャリア・レトロスペクティブ:アーティストのキャリアの晩年や没後に開催されるイメージが強い「回顧展」に対して、一定のスタイルを確立した中堅アーティストの数十年間の仕事を網羅的に見せる展覧会。

足を踏み入れた瞬間から想像以上にユニークで新鮮な切り口の展示が続いた。
故郷の南インドに軸を置き、伝統美術、神話の世界から、視点は現代のグローバル経済への変化へ、
 さまざまな矛盾、不条理を一瞬のうちに感じさせるアートの力はすごい。
 さらに「インド」を超えて宇宙へ向かう思想には、ここでも「インドの奥深さ」に圧倒された。

1)くりかえし描かれる人々の日々の営み、
  <ここにきて演説をして>
  

2)古都マイスールから世界を考える「チャーミングな国家」シリーズ
  <彼らが私の空腹をどうにかしてくれるだろう>
  

3)193台のミシンに国際連合加盟国の旗
  <ネイションズ(国家)>
  

4)古代インドの『ラーマーヤナ』にも登場する猿の神様ハヌマーン、
  そのモデルとなった猿たちが天空を指さしている。
  <道を示してくれる人たちはいた、いまもいる、この先もいるだろう>
  

5)大きな一筆書きのよう、宇宙空間へ、
  自分もその一部に、
  <ふたたび生まれ、ふたたび死ぬ>
  

≪MEMO≫
N・S・ハルシャは1969年、南インドの古都マイスールに生まれ、現在も同地に在住し活動しています。
 インドの現代アートは近年の急速な経済成長や都市化とともに、国際的な注目を浴びていますが、N・S・ハルシャもこの10年間、世界各地で開催される国際展に数多く参加し、作品を発表しています。
 その一方で、南インドの伝統文化や自然環境、日々の生活における人間と動植物との関係など、自らを取り巻く「生」と真摯に向き合いながら、独自の立ち位置を確立してきた作家でもあります。
 現実世界の不条理、具象と抽象、イメージの繰返しなど、彼の実践に一貫して見られる関心を掘り下げます。
 
古都マイスールについては;マイスール・ウィキペディア