(51)小樽駅前の歌碑 平成17年10月建立(『一握の砂』より)
小樽駅前の啄木歌碑
子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな
啄 木
小樽日報の事務長小林寅吉と争論し、腕力を揮われ、明治40年12月20日、啄木は退社しました。わずか3ヶ月足らずの小樽生活でした。明治41年1月19日、釧路新聞社に勤務が決まり、釧路に向かう啄木を、節子が京子を負って送りに来た時の駅での情景を詠んでいます。
石川啄木と小樽駅
啄木日記(明治41年)
1月17日
夕方、日報社の小使が迎ひに来たので、白石社長を訪ふ。釧路行は明後日の午前9時と決定した。
1月18日 小樽に於ける最後の一夜は、今更に家庭の楽しみを覚えさせる。持つて行くべき手廻りの物や本など行李に収めて、四時就床。明日は母と妻と愛児とを此地に残して、自分一人雪に埋れたる北海道を横断するのだ!!
1月19日
朝起きて顔を洗つてると、頼んで置いた車夫が橇を曳いて来た。ソコソコに飯を食つて停車場へ橇を走らした。妻は京子を負ふて送りに来たが、白石 氏が遅れて来たので午前九時の列車に乗りおくれた。妻は空しく帰つて行つた。予は何となく小樽を去りたくない様な心地になつた。小榑を去りたくないのではない、家庭を離れたくないのだ。 白石氏の宅へ行つて次の発車を待ち合せ、午前11時40 分汽車に乗る。雪が降り出した。札幌で白石氏は降りた。