(41)新山の歌碑(岩手県八幡平市新山) 昭和39年12月建立(『一握の砂』より)
八幡平市新山の啄木歌碑
啄木
かの家の
かの窓にこそ
春の夜を
秀子とともに
蛙聴きけれ
明治40年4月、啄木は渋民尋常小学校を退職し函館に渡ることにしました。函館は文芸結社・苜蓿社(ぼくしゅくしゃ)から原稿の依頼もあり、松岡蕗堂らと知遇を得ていました。この歌は、啄木が函館に向かう前夜の明治40年5月3日、同僚の秀子宅を訪れた時の様子を詠んでいます。
啄木日誌(明治40年5月3日) 夜ひとり堀田女史を訪ふ。程近き田に蛙の声いと繁し。胸を栱ぎて蛙の声をきく。この声は、予をして幼き時を思出さしめき。又、行方の測りがたきを想ひ廻さしめき。さながらこれ一種生命の音楽也。
ここは啄木の父・一禎の生家のとなりで秀子が平館小学校に勤務していた時から住んでいた跡です。歌碑の近くに咲く三色の梅の木はとても綺麗です。
新山の歌碑前の三色の花の木
八幡平市には、こちらにも三色の梅の木がありました。
岩手山を背景に咲く三色の梅の木(八幡平市)