梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

夏へ向けての第一歩

2006年05月15日 | 芝居
今日から始まりました『修禅寺物語』のお稽古。歌舞伎座に出演中の、紀伊国屋(田之助)さんの楽屋に、参加できる仲間は全員集まりまして、まずは<本読み>からです。
今日は、紀伊国屋さんが台本を通して朗読下さいました。夜叉王もかつらも修禅寺の僧も、すべての登場人物をお一人で演じられたわけです。我々に「こういうイキ、台詞回しで喋ってほしい」というお手本をお示しになったわけですが、一時間近くの長丁場を、休まれることもなく本イキでおっしゃって下さる有り難さ。貴重な体験となりました。私達は台本片手に聞き入りながら、台詞の切り方や抑揚を書き込んでゆきます。随所に動きの段取りや気をつけることなど、芸談的なこともおっしゃってくださり、これも大変勉強になりました。
最後に紀伊国屋さんがおっしゃいましたが、今回の上演にあたっては、<イキの詰んだ>台詞回しを勉強してほしい、とのことでございます。紀伊国屋さんが目にしてきた、昔の名優がたの『修禅寺物語』は、芝居の運びがとても早かったそうです。それは単に早口に喋るとかパッパと動くとかいうわけではなく、台詞を言う<イキ>を詰めることで、メリハリが利き、芝居がだれずに運ばれるということらしいのですが…。言葉で言うのは簡単ですが、いざ自分がイキの詰んだ台詞を言えるかどうか。一生懸命努力いたします。

明日からは我々が実際に喋ります。今からドキドキです。

あたたかき湯の湧くところ…

2006年05月14日 | 芝居
さきほどまで、明日の稽古に備えて『修禅寺物語』の台本を読んでおりました。といっても、気がつけば大きな声で台詞を喋ってしまいまして、隣家のご迷惑になったかもしれません。
『権三と助十』と同じ作者(岡本綺堂)が書いたとは思えないくらい、瑞々しく、美しい言葉で彩られたお芝居で、登場人物それぞれに、聞かせ台詞がございます。ある意味での会話劇ですから、ふだん台詞を喋る機会の少ない我々にとって、この演目を演じることは大変勉強になると思います。
私が勤めさせて頂く源頼家は、台本の指定によりますと二十三歳ということで、これはもちろん史実に拠ったものなのでしょうが、私は、もう少し年上のような印象を持っておりました。二代将軍の座にありながら、北条一族に追いやられ、半ば幽閉のようにして修禅寺に住まうことになった悲劇の御大将。といって、弱さや儚さだけではなく、台詞にもある通り「生まれついての性急」さや、北条一族に対する強い憎しみ、憤り、様々な感情を表現することになるので、それが今から楽しみでもあり不安でもあり。品や性根を気をつけた上で、どこまで源頼家になれるかが勝負ですね!

以前もお話ししたと思いますが、研修所の授業で紀伊国屋(田之助)さんにみっちり教わったことや、その授業中に、是非見ておくようにといわれた古いビデオ(市川壽海さんの源頼家、市川猿翁さんの夜叉王、先先代時蔵さんのかつら、他)、それから平成十二年五月大阪松竹座での上演(師匠の源頼家、天王寺屋(富十郎)さんの夜叉王)に携わった記憶、これらを思い出しながら勉強し、今回の監修をお引き受け下さった、紀伊国屋さんのご指導を受けたいと思っております。

この戯曲の第一場の冒頭のト書きには、場面の細かな描写が続きますが、最後に日時の指定がございます。「…元久元年七月十八日。(西暦一二〇四年)」。この日の晩に源頼家は命を落とすことになるのですが、この日は私の誕生日。牽強付会といえばそれまでですが、なにかご縁を感じます。
勉強会の成功祈願をかねて、近いうちに修善寺の地を訪ねたいと思っておりますが、出演者がうち揃っての役作りツアーなんてのも、面白いかもしれませんね。

今日は中日でした。

2006年05月13日 | 芝居
團菊祭も折り返しです。あいかわらずの盛況で、有り難いことでございます。五月とは思えないような気候が続いておりますが、千穐楽まで元気に勤め上げたいものです。

今日は思いつくままとりとめなしに…。
『権三と助十』で、子役さんが着る衣裳が変わりました。それまでは皆々、わりあいこ綺麗な着物だったのですが、お芝居の雰囲気にちょっと合わないということで(我々大人達は煮しめたような格好ですからね)、より簡素なものになりました。男の子の格好が、まるで金太郎さんみたいで可愛いです。

勉強会で上演する『修禅寺物語』のお稽古が十五日からはじまります。監修の紀伊国屋(田之助)さんが、今月中に計五日もお時間を割いて<本読み>をして下さり、本当に有り難いことでございます。出演劇場や出番の都合で、A班B班全員が揃うことはできないのですが、まずは台詞を読み合いながら、お互いのイキをつかんでゆきたいです。今夜は昔の台本を引っ張り出して、予習をいたしましょう。

『黒手組曲輪達引』で、高嶋屋(左團次)さん演ずる鳥居新左衛門に従う門弟たち。そのなかでのリーダー朝顔仙平は松嶋屋(亀蔵)さんですが、続く四人は名題さん(大蔵さん、辰緑さん、新蔵さん、梅蔵さん)です。最近気がついたことなんですが、この四人の髪型というか、マゲの形は、みんなバラバラ、あえて違えているんですね。武士とはいえごろつき同然、風変わりな格好でイキがっているという心なのでしょうか。これからご覧の方はちょっとご注目ください。そういえばこの門弟達の<股くぐり>の件も、演者の工夫でいろいろと遊べるものだそうで、今回も面白いネタが出ております。

最後になりましたが。昨日掲載の、私の肌荒れ治療の記事に、ご親切なアドバイス、ご忠告を頂戴しまして、有り難く思っております。ステロイド剤の副作用につきましては、色々と話にも聞き、文章でも読んでおりますが、私の場合、白粉はもとより化粧水までがしみて痛むというこれまでの状態から、普通に化粧ができる状態にまず戻し、それから肌質、アレルギーなどの検査をした上で、体質に合った化粧法、スキンケアを見つける、という流れで、時間をかけて解決してゆこうとお医者様と相談して決めました。第一段階をこの公演中に解決するには、やはりステロイドを使用するのが妥当なのではないでしょうか。もちろん、症状がだいぶ軽くなった現在では、使用量はグンと減りましたし、もうすぐ使わなくてもよくなりそうです。すべて定期的に通院し、肌の状態を見て頂いた上で判断して頂いております。
今回の症状は、今までで一番深刻でした。なので私も真剣に悩みましたし、下手に自己判断で対処したり、民間治療に頼ったり、広告を鵜呑みにして物品を購入するということなどは絶対にしたくなかった。私の相談をきちんと聞いて下さるお医者様と出会えたこともあり、きちんとした<治療>を、このさい徹底的にいたしたいと思っております。皆様の体験談もお聞かせ頂ければ、なお幸いでございます。

ぐずつく日々が続きますが、皆様どうぞお体にはおきをつけて。
写真は<集合場>に置かれた、『黒手組曲輪達引』での立ち回りで使う小道具です。大きかったりかさばったり、個人で管理するのが大変な小道具は、このように<集合場>で保管することが多いです。

しっかり治します!

2006年05月12日 | 芝居
先月から化粧による肌荒れに悩んでいるのは、度々お伝えいたしましたが、日に日に悪化してゆくように感ぜられましたので、先日重い腰を上げ、皮膚科に行ってまいりました。
初めて伺う病院だったのですが、設備も最新、受付の対応も親切。そしてなにより、先生が親身になって今の症状をみてくださり、私の仕事の状況を聞いた上でお薬を処方して下さったのが有り難かったです。
荒れがひどかった首周りには強め、デリケートな顔には弱めの、二種類のステロイドを出して下さり、塗り方、塗る時間(日光にあてるとよくないので夜だけ)をしっかりご指導。その他に、保湿のためにいつでも使える乳液(化粧を弾かないタイプを選んで下さいました)も頂きました。同じ建物内にある薬局の方も、丁寧に薬の説明をしてくださったので、ますます安心でした。
薬を使い始めて五日目ですが、おかげさまで日に日に症状が軽くなっております。実はそれまで、かゆくて寝られない日もあったりと、大変だったのです。好きなお酒を飲んでも血行が良くなってしまってかゆみが増したり、引っ掻き傷をつくってしまったりと、色々やっかいなことばかりでしたが、今はそうしたこともなく、安眠できております。
もちろん、薬に頼るだけではなく、より丁寧な化粧、そしてクレンジングを勉強しております。肌にいきなり固い<鬢付け油>を塗らず、まず椿油(アトピーの肌にも大丈夫なんですよね)をうす~く塗り付けてなじませたり、必要以上に白粉を塗らないように気をつけたり。クレンジングオイルも、もったいないと思うくらいたっぷり使い、ゆっくり優しく落とす。佐伯チズ先生は『化粧にかけた時間と同じだけ、クレンジングに使いなさい』とおっしゃっているそうですが、なるほど洗顔後の肌の具合も、以前よりは良い状態になってきました。
化粧道具もつとめて清潔に、白粉を溶く水も天然水に。こういうことは、私はアトピー患者ではございませんが、書店で売られているアトピー治療の書籍にも詳しく書いてありますので参考にし、<肌に優しい生活>を心がけております。

一週間後には、今使っている化粧品が肌に合っているかを調べるパッチテストをしてもらうことになりました。この結果を見ながら、これから使う化粧品を見極めてゆきたいと思っております。
…一生続ける仕事なのですから、今のうちにきちんと対処しておきませんとね。

写真は昨年の中央コース巡業中に撮ったものですが、どこだかわかりますか? 随分古めかしいですから…。

毎日違うのが面白い!?

2006年05月11日 | 芝居
今日は『権三と助十』から。
稽古場便りでも申し上げましたが、このお芝居では『井戸替え』の様子が描かれております。一年に一度、町内の井戸を浚って綺麗にする行事。住人総出でたいそう賑やかにやったようです。
『井戸替え』に出ている<長屋の住人>役は、大半が名題下ですが、名題さんも多数お出になっております。総勢三十余人はおりますでしょうか、今度正確に数えてみましょう。衣裳は実に生活感あふれる<汚れた>衣裳で、継ぎがあたっていたりツンツルテンだったり色あせしていたり。簡単には出せない風合いですから、昔から舞台で使ってきた年代ものを、こういうときに使用するわけです。立役ですと、着流しに三尺帯とか、紺の股引に腹掛け、あるいは袖口が詰まった<筒袖>など。女形は単衣の着物や浴衣で、前掛けをつけたり襷をかけたりします。立役女形ともに、着付の裾を端折ったりする方もいらっしゃり、ようは皆が同じような見た目にならないように各自工夫をするといううわけです。

手拭をぶらさげたり、鉢巻きにしたり、女形さんなら<姉さんかぶり>にしたりする人もおりますが、こういうものは演じる役者が自前で用意するもの。お茶で煮詰めたり染め粉に浸して汚れを付けたものを皆さん使っていらっしゃいますね。<姉さんかぶり>にする場合は、舞台稽古の前に、使う手拭をあらかじめ床山さんに渡しておき、かぶる前のカツラに、すでに<姉さんかぶり>をしてもらっておきます。こうすれば、出番前にはカツラをかぶるだけでOKになるわけです。
一本の綱に全員が取っ付いて上手から花道揚幕よりまで行進するわけですが、この並び順も、皆の背丈の釣り合いや、立役女形が偏って並ばないようにできているのです。子役さんも大勢加わっておりますので、全体の見た目が自然になるようにするのは結構大変でした。舞台稽古のときに、幹部俳優さんに見て頂き、時間を割いて決めてもらいました。

綱を引っ張るときに気をつけなくてはいけないのは、<綱をたるませない>こと。たるんでしまっては、引っ張っている意味がなくなってしまいますからね。それから出てきてから引っ込むまで、とにかく<喋る>こと。舞台がシンとしては長屋の雰囲気が台無しです。大きな声で囃し立て、元気に賑やかに繰り広げるイベントと思って、いろいろ捨て台詞を喋っておりますが、今回私は女形。女形の声で大きな声を出すのは、意外に大変なんですね。ヘンに黄色い声になってはいけませんし、声の出しどころを気をつけないと枯れてしまうし…。

幕切れ近くにも、狂言を仕組んで南町奉行所へ行く権三、助十らを見送りにでるわけですが、こちらの方は別段きまった段取りはなく、毎日毎日違う芝居をしております。ゾロゾロと上手下手から出てくるわけですが、その出る順番も日によってまちまちです。でも、それでよいのです。お客様からは聞こえないかもしれない捨て台詞やリアクションなども沢山いたしますが、シンの芝居を受けた上で、周りの方々に合わせながらいたしております。最後に名題さんがたがめいめい台詞を言いますが、これだけは、上手と下手から交互に聞こえるように、役者の配置が決められております。

岡本綺堂さんの<新歌舞伎>ですし、長屋を舞台にした単純明快な筋立てなので、お客様の反応もすこぶる良く、皆様が楽しんでいらっしゃるご様子は、舞台からもよくわかります。肩の凝らない、楽しく後味の良いお芝居ですので、うっとうしい日柄が続く今日この頃、皆様どうぞ舞台でお気をはらして下さいませ!


葉越しの葉越しの幕の内

2006年05月09日 | 芝居
今月夜の部では音羽屋(菊之助)さんが初役で『保名』を踊っていらっしゃいます。初日以来、何度か拝見させて頂きましたが、この踊り、私の大好きな演目の一つです。
恋よ恋 われ中空(なかぞら)になすな恋…とはじまる清元節も名曲ですし、長袴に病鉢巻、恋人の形見の小袖を手にした保名のこしらえも、実に美しいものです。
今月のように、六代目の尾上菊五郎さんの創られた演出も広く上演されておりますが、振り付け、演者によっていろいろと演じ方があり、装置や衣裳の色目、柄も変わるので、お客様には見比べる楽しさがございますでしょう。歌舞伎座では、昨年三月にも松嶋屋(仁左衛門)さんが演じられましたね。

師匠も本公演では二度踊られております。一番最近が平成十年十一月松竹座でしたが、私が入門して初めて携わる舞台でしたから、印象深く覚えております。…師匠の保名は、長袴は上が紫、下が藤色のぼかしで露芝の柄、黒地に葛の花の縫いの着付をの右袖を脱ぎ、下に着ている浅葱地に秋草の縫い模様の着付を見せます。病鉢巻きは古代紫、小道具の舞扇は黒骨、茶色地に金銀の箔置きというこしらえ。
多くは花道から登場するところを、舞台中央の桜の大木の陰からとし、最初から形見の小袖(緋色)を羽織って出ます。後見の使う差し金の蝶二匹をあしらいながら花道七三に行き、ここでひとくさり踊ってから、本舞台にもどり「なんじゃ、恋人がそこにいた」云々の、いつもの台詞となります。
後半「夜さの泊まりは」からは二人の奴がからみ、幕切れは左右を奴にはさまれ、小袖を左に持ち、扇子をかざした立ち姿、後ろにふたたび蝶をからませたまま幕。

奴が出る演出は昔よく見られたやりかたということで、より古風な趣きとなります。演者によっては四人になったりすることもございます。
その他、舞台後方に低めの土手を作ったり、鳥居や玉垣の装置を見せたり、最後に保名が花道を引っ込んだり。このような工夫が数多く見られるのは、「恋人を失った青年の悲しい心」という、現代でも共感できる内容と、ロマンチックな曲趣のためなのでしょうか。

(この踊りをいつか勉強会で…!)と心で願っているものの、一人しか踊れない演目は、大勢が参加する合同公演ではまず取り上げられない演目。私にとっての<見果てぬ夢>ということで、まずはコツコツ修行を続けて行きましょう!

浪花の彼らがやって来る…!

2006年05月08日 | 芝居
皆様、『平成若衆歌舞伎』をご存知ですか?
松嶋屋(愛之助)さんを中心に、上方歌舞伎の役者で固めたキャストで魅せる“新しい歌舞伎”。
2002年8月、大阪梅田シアタードラマシティでの『新・八犬伝』で旗揚げ、その後も『新油地獄 大坂純情伝』『義経と知盛』『花競かぶき絵巻』と毎年夏の大阪を熱く湧かせてきた一座の第五弾公演が、満を持して東京にやってまいります!
題して『大坂男伊達流行(おおさかおとこだてばやり)』(監修 片岡秀太郎 作 岡本さとる 振付 山村若 製作 松竹株式会社)。大阪の町を二分する男伊達グループ同士の、意気地の張り合い血気の達引きに、恋物語をからめたストーリーとのことですが、なにせ書き下ろし作品なので、私もまったく全貌はつかめません。是非是非ご覧になって、その目でお確かめ頂きたい次第です。
…何故私がここまで熱くご紹介申し上げるかと言いますと、普段から、仕事にプライベートに大変仲良くしている大切な仲間、<上方歌舞伎塾>の卒業生たちが、ほぼ全員出演、そしてとっても良いお役を勤めるからなんです! そもそも『平成若衆歌舞伎』という企画そのものが、上方歌舞伎を支える役者達に、活躍の場、修行の場を作ろうという意図のもとに生まれたものだそうで、松嶋屋さん親子(秀太郎さん・愛之助さん)の他の主要なお役は、彼らが演じているのです。毎回新作なわけですから、台本を読み込んで、動きや台詞回しなど、自分で一から作りあげ、考えなくてはならないので大変ですが、そういう作業が新鮮だったり、仲間同士で話し合うのが楽しくもあるそうです。

そんな彼らの熱い意気込みが伝わってくること必至の『大坂男伊達流行』は…

ル テアトル銀座にて 5月19日(金)18:00
             20日(土)12:00/16:00 
             21日(日)11:00/15:00

の五回公演です。これまで大阪での公演のみだったので、私も拝見できずにおりましたが、今回は大丈夫! 応援に(なるかどうかどうかはわからないけど)駆けつけます!
皆様も、どうぞお出まし下さいませ。 チケット好評発売中です!

声に出して読みたい!?『外郎売』

2006年05月07日 | 芝居
昨日は更新できず失礼いたしました。

では改めて『外郎売』から<早口弁舌>のお話。「外郎を飲めばこんなに舌が回る」ということを証明するための長口上、今でもアナウンサー、俳優の滑舌訓練にも使われるくらいなので、皆様にはお馴染みかもしれませんが、ちょっとここにご紹介いたしましょう。最初に、大薩摩節が唄い振り事になる部分もあるのですがそこは割愛、台本では丸2ページ分の長セリフとなる箇所を掲載します。

ひょっと舌が回り出すと矢も盾もたまりませぬ ソリャソリャソリャ回ってきた回ってきた 
そもそも早口の始まりは アカサタナ ハマヤラワ オコソトノ ホモヨロヲっと一寸先のお小仏におけまづきゃるな 細溝に泥鰌にょろり 今日の生鱈奈良生真魚鰹ちょいと四五貫目 来るわ来るわ何が来る 高野の山のおこけら小僧 狸百匹箸百膳天目百杯棒八百本 武具馬具武具馬具三武具馬具 合わせて武具馬具六武具馬具 菊栗菊栗三菊栗 合わせて菊栗六菊栗 あの長押の長長刀は誰が長長刀ぞ 向こうの胡麻がらは荏(え)の胡麻がらか真胡麻がらか あれこそほんの真胡麻がら がらぴいがらぴい風車 おきゃがれおきゃがれ 夕べもこぼしてまたこぼした タッポタッポチリカラチリカラスッタッポ タッポタッポいっひ蛸 落ちたら煮て食うを 煮ても焼いても食われぬものは 五徳鉄弓金熊童子に石熊石持虎熊虎ぎす 中にも東寺の羅生門には茨木童子が腕ぐり五ン合掴んでおむしゃるがの 頼光(らいこう)の膝元去らず 鮒金柑椎茸定めてごだんな蕎麦切り素麺 饂飩か愚鈍なこ新発知(しはっち) こ棚のこ下のこ桶にこ味噌がこあるぞこ杓子こ持ってこすってこ寄せておっと合点だ 心得たんぼの川崎神奈川保土ヶ谷戸塚は走って行けば灸(やいと)を擦りむく 三里ばかりか藤沢平塚大いそがしや 小磯の宿(しゅく)を七つ起きして早天そうそう相州小田原透頂香(とうちんこう) 隠れござらぬ貴賤群集の花のお江戸の花外郎 アレあの花を見てお心をお和らぎやアという 産子(うぶこ)這う子に玉子まで この外郎のご評判ご存じないとは申されまいまいつぶり 角出せ棒出せぼうぼう眉に 臼杵すり鉢ばちばち桑原桑原と はめをはずして 今日おいでのいずれも様に あげねばならぬ売らねばならぬと息せきひっぱり 東方世界の薬の元締め 薬師如来も照覧あれと ホホ 敬って申す

キーボードを打つ指が吊りかけました…。いやはや、長いですね。
意味があるようでないような文章ですが、洒落や地口をふんだんに使いながら、リズムや<音>の面白さにあふれた名台詞ではございませんか? 
私も研修生の時、<発音・発声>の授業で、元NHKアナウンサーの先生のご指導でこの練習をいたしました。実際声に出して読んでみると、言いにくい箇所はそれほど多くはございませんが、『武具馬具~』や『菊栗~』、そして掲載の台詞のあとに出てくる『お茶立ちょ茶立ちょちゃっと立ちょ茶立ちょ 青竹茶筅でお茶ちゃっと立ちょ』は、いかにも早口言葉ですね。

写真は曽我十郎で使う刀の鞘の模様のアップです。昔から歌舞伎では、五郎は<揚羽蝶>、十郎は<千鳥>のデザインを衣裳なり小道具なりに使うのが通例となっておりまして、この鞘にあしらわれた蒔絵や螺鈿も千鳥の柄なんです。いわゆる<曽我もの>と呼ばれる芝居、舞踊では、たいていこの約束事が守られておりますので、チェックしてみて下さいね。

『外郎売』あれこれ

2006年05月05日 | 芝居
本日は端午の節句ということで、楽屋風呂も菖蒲湯でございました。なんだか嬉しくなりますね。

さて、『外郎売』は言わずとしれた<歌舞伎十八番>の一つでございますが、現行台本による演出が定まったのは昭和五十五年五月の歌舞伎座、当代成田屋(團十郎)さんが復活上演なすってからということで、意外に歴史は新しいものでございます。このふた月後に私がこの世に生を受けることになりますから、このお芝居、私と同い年ですね。
今回の上演では、いつもは登場しない<曽我十郎>が後半に出てまいりまして、このお役を師匠がお勤めでございます。今回だけの特別演出、というわけではなく、資料をひもときますと、初演から七ヶ月後の十二月、京都南座での再演時に初めてこのお役が登場し、紀伊国屋(澤村藤十郎)さんが演じられました。その後昭和五十七年歌舞伎座上演時には師匠が(つまり師匠にとっては、今回が二回目の出演なのですね)、平成元年国立劇場上演時には音羽屋(菊五郎)さんがお勤めになっており、今回はそれ以来、十八年ぶり四回目の演出となるわけです。
どちらにしても珍しい演り方ですが、工藤祐経、五郎、十郎と三人が並びますと、より舞台は華やかなものになりますね。

さてこのお芝居、舞台上左右に二本の柱を建て、屋根までついておりますが、これは江戸時代初期の芝居小屋の舞台を模して、古風さを出す工夫です。屋根のようなものは<破風(はふ)>柱は<大臣柱(だいじんばしら)>と申します。大臣柱の上手側には「歌舞伎十八番の内 外郎売」、下手側には「十二代目市川團十郎 相勤め申し候」と書かれた額が掲げられておりましてなおさら古劇の趣きが醸し出されております。

幕開きに浅葱幕前での渡り台詞がある<奴>は総勢十人。<むきみ>の隈に<鎌髭>を描き、白地に紫の六弥太格子の地に、鴇色で牡丹の花(市川家ゆかりの花)を散らした衣裳を<捻切り>に端折るという着方は、この役の定番です。手にするものは紅白の梅の花がついた<花槍>で、これも様式的な得物です。幕切れは全員で<富士山>の形を作るのがお決まりとなっております。

写真は幕切れ近く、工藤が十郎五郎に投げ与える<狩り場の絵図面>です。工藤が持っているので、工藤役の(音羽屋)さんの小道具とお思いになるかもしれませんが、実は師匠預かりの小道具なんです。というのも、投げた拍子に包みがほどけてはいけませんから、ひと針縫って留めておかなくてはならないのですが、そうなりますと、包みを開ける人、つまり十郎役の師匠の手勝手にあわせてセッティングする必要があるわけなのです。今月は弟弟子の仕事なので、袱紗をどういう風に包むか、どこをどう留めるか、全て師匠のやりよいようにいたしております。なお絵図面は袱紗に貼付けて、固定させております。

…このお芝居、なんといっても<早口弁舌>が見せ場でございます。明日はその辺りのお話を。

今月でまる八年!

2006年05月04日 | 芝居
平成十年の<團菊祭 五月大歌舞伎>で初舞台を踏んでから、今月でまる八年がたちました。長いようでもあり、あっというまだったようでもあり。あらためて過ぎ来し方を振り返ると、感慨はひとしおです。
八年前の公演では、新之助時代の成田屋(海老蔵)さんの『外郎売』、お父様の成田屋(團十郎)さんの『素襖落』や『お祭り佐七』、音羽屋(菊五郎)さんの『野晒悟助』『船弁慶』などが上演されておりました。研修を終了したばかりの我々十四期生十名は、そろって尾上菊五郎劇団のお世話になったわけです。
私は『野晒悟助』の<提婆の子分>と、『お祭り佐七』の<祭りの花四天(劇中劇の出演者)>の二役でしたが、両方とも立ち回りがあり、緊張はいたしましたが、今振り返ってみると、無知ゆえの怖いもの知らずだったような気がいたしております。よっぽど今の方がドキドキしていますね。幸い、舞台のいことはもとより、楽屋でのしきたりなどは、一期上の十三期生で同座していらっしゃった、尾上辰巳さんや尾上松五郎さん、坂東大和さん、坂東八大さんはじめ、多くの先輩方が親切に教えて下さったので、劇場での生活はとても過ごしやすかったですし、いろいろと楽しい思い出もできました。
まだ本名でしたし、幹部俳優さんのお手伝いをするということもなかったので、自分が出ていないお芝居は<定後見>で袖から拝見したり、トンボ道場で稽古をしたり、あるいは先輩方から過去の舞台の珍談奇談を聞いて笑い転げたり…。

あの頃の私は(青かった…!)と半ば赤面しながら反省してしまうことばかりやっておりましたけど、でもあの頃は懐かしい!とにかく一直線に突っ走っていた、あの潔さはもう取り戻せないのかしら…。

写真は舞台袖に収納された<床几>です。『外郎売』『黒手組曲輪達引』で沢山使いますので、待機中はこんな状態です。

あと三ヶ月で…。

2006年05月03日 | 芝居
『権三と助十』の出番を終えて、一度帰宅いたしました。だいぶ日が長くなったので、明るいうちに自宅でのんびり(あと二時間近く)できるのはなんだか嬉しくなりますね。

さて、五月公演がはじまったばかりですが、今夏の勉強会への準備も着々と進行しております。先日お伝えしたように、総配役が決まりましたので、各演目ごとの出演者のスケジュールを調整しながら、お稽古の日程を立てたり、ご指導下さる講師の方々へご挨拶をしたり、本チラシやポスターの校正をしたり…。舞踊三題は、もう今月からお稽古(振りうつし)がはじまるようですね。
これからは、皆様からの申し込みのとりまとめや、出演者取り扱い分のチケットの分配など、それぞれに担当を決めての作業が続くことになります。
私個人としましても、すでにいろいろと動き出しております。なんといっても<宣伝活動>が大切で、友人知人親戚縁者、日頃お世話になっている方々へ、ご案内のお手紙を差し上げたり、行きつけのお店にチラシを置いてもらったり。もちろんこのブログを通じての広報活動も、怠りなく続けてまいります。
昨年の勉強会のときにも書いたのですが、与えられたお役を一生懸命勉強するのは当然のことであって、少しでも多くの方に<観て頂くこと>、これが一番大切なのです。我々の成果を広くご覧いただき、多くの叱咤激励、ご講評を受けなければ、さらなる我々の進歩はございません。

前売り開始は、電話受付が六月十三日(火)、劇場窓口受付は十四日(水)です。皆様どうぞよろしくお願い申し上げます!

みんな頑張ってます!

2006年05月02日 | 芝居
今日はどの芝居も順調に進行し、ほぼ時間表通りの終演となりました。

今月の私は、師匠の用事を何もしておりません。と申しますのは、『外郎売』では師匠が登場するだいぶ前から舞台にいるわけですし、『黒手組曲輪達引』では、出番こそ師匠の出る一つ後の場面なのですが、衣裳さん、床山さんのご都合で、師匠がお出になる前にこちらはすっかり扮装をしなくてはならず、まさか遊女の格好をしておか持ちを持つわけにもゆきませんので、師匠の二役の用事は、兄弟子がた、弟弟子、付き人さんがすっかりなすって下さっており、大変申し訳なく思うとともに、少なからず淋しい気持ちを味わっております。しかも師匠のお帰りは私が舞台に出ている間なので、私はお見送りもできず。朝のお迎えと、師匠が『黒手組曲輪達引』での出番を終え、楽屋に戻っていらっしゃった時に、一足早く「お疲れさまでした」とご挨拶申し上げる、このふた時だけが、今月の師匠と過ごす時間なわけで、なんともかんとも…。

さて話は変わりますが、今月の歌舞伎座では、第十八期歌舞伎俳優研修生の六人が、<舞台実習>として舞台に出演しております。夜の部『傾城反魂香』に<百姓>役で四人、『黒手組曲輪達引』の大詰めの立ち回りに二人、それぞれ先輩方に混じって勉強しておりますが、以前申し上げましたように、彼らの期から、研修期間が三年間に延長され、その三年目となる本年度は、今月から数ヶ月は、本興行の舞台に立ち、より実践的な経験を積むと同時に、楽屋での行儀、歌舞伎界のしきたりを学ぶということになったそうです。
今まで土日祝日がお休みで、六時には帰れた彼らが、いきなり二十五日間休みなしの生活になる。しかも名題下部屋で大勢の先輩に囲まれながら半日を過ごすということで、緊張もするでしょうし、まだこの世界を知らぬが故の失敗もするでしょうが、卒業の前に、こういう経験をできるということはとても意義があることだと思います。先輩達の舞台姿を直に目にすれば、これからの授業での心構えも自ずと変わってくるでしょう。わからないことがあれば、先輩達にどんどん質問をしてほしいと思いますし、もちろん我々養成所の卒業生としても、おせっかいにならない程度に、知っていることは教えてゆきたいと思っております。
私達十四期生は、こういう卒業前の<舞台実習>はなかったので、実感はわかないのですが、どうせ遅かれ早かれ、びしばししごかれる時はくるのですから、早いにこしたことはございませんね。

写真は今月の私の化粧前、女形をしておりますので、細々とした道具が並んでちょっとゴチャゴチャしてますね。…オヤ? 鏡に映る、化粧中の人は誰? 新居のパーティーにも来てくれた、私の大事な友人です。

初日はすごい熱気!

2006年05月01日 | 芝居
本日<團菊祭 五月大歌舞伎>の初日。昼の部の『外郎売』は、成田屋さんのご復帰の舞台ということで、大変な盛り上がりとなりました! 花道揚幕の中での第一声からして割れんばかりの拍手。その拍手は揚幕を勢いよく開けての登場から、七三でのキマリまでも途絶えることなく、声にならないどよめき、ため息が客席に満ち、加えて大向こうさんの「成田屋!」「待ってました!」のかけ声も降り注ぎ、まさに舞台と客席とが渾然一体、同じ舞台に出ている者として、今日のこの一瞬に立ち会えた幸せを感じたのはもちろんのこと、お客様のあまりに熱い反響に、思わずゾクゾクいたしました。本当にお目出度いことです! どうかいつまでもお元気舞台に立って頂きたいですね。
…『権三と助十』も、喜劇仕立てのお芝居なので、反応も上々。『外郎売』の新造からの拵えがえはせわしなかったですが、賑やかに楽しく演じられるので苦にはなりません。

さて本日は初日ということで、上演時間が延び延びとなり、十一分遅れで終演。夜の部の開演も十分遅れの午後四時四十分となりました。当初の『黒手組曲輪達引』終演予定時間が午後九時十三分でしたので、オヤオヤ今日は九時半までかかるかなと思われましたが、その後の芝居でとりもどし、結局七分押しですみました。例の音羽屋(菊五郎)さんのチャリ場も大ウケ、大詰めの立ち回りも盛り上がりました。私の新造役では、まだ段取りにこなれない部分がございましたので、明日はきちんとこなせるように気をつけます。

楽屋風呂に入りますので、楽屋を出たのは午後十時。先月より遅くなってしまいました。今日はいつもお邪魔している門前仲町<ココナッツパーティー>で夕食をとりました。カウンターでたまたま 隣り合わせた二人連れのうちの一人がお誕生日で、もう一人が内緒でバースデイケーキを用意していて、私もお相伴にあずかってしまいました。これをきっかけにお話しすることができ、こういう出会いがあるのもこの店ならでは。持つべきものは行き着けですね。

さて、三日前のクイズの解答。あのセルロイド製の物体は、『アミのカツラをかぶるときに、生え際部分が巻き込まれないように 介錯するためのもの』でした。靴に対する靴べらの役割だと思って下さい。アミカツラの生え際部分は柔らかいので、これをつかわないと、額に引っ掛かって内側に巻き込んでしまうのです。透明なのはカツラをかぶる人が見えやすいように、先が丸くなっているのはカツラの生え際の形に合わせているのです。
とはいえこの品、すべてのアミカツラに使用するとはかぎりません。前髪があるカツラのときにのみ使用するので、立役の、月代(さかやき。頭頂部の髪)を剃った髪型の時は、巻き込みようがないので使いません。女形全般と、立役で月代を剃らない髪型の時(『狐と笛吹き』は平安時代の話で、この時代はまだ月代を剃らなかった)に使います。

日頃お世話になっている尾上辰巳さんのブログの今日の記事に、私の写真が載りましたので、もしよかったらご覧下さい!