梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

しばらく東京です。

2006年04月14日 | 芝居
五月に引き続き、六月も歌舞伎座出演に決まりました。師匠にとりましては、三ヶ月連続の歌舞伎座出演は久しぶりではないでしょうか。昼の部の『昇龍哀別瀬戸内 藤戸』に佐々木四郎盛綱、夜の部『二人夕霧』に藤屋伊左衛門のふた役です。
これで本年の上半期の予定はすっかり決まりました。下半期に入っても、七月は以前お伝えした国立劇場の鑑賞教室『毛谷村』が決まっていますし、八月もいろいろとお仕事があるようです。こういうふうに予定ができあがると、本当に一年なんてあっという間だなと思います。『鶴壽千歳』で後見をしたのなんて、遠い昔のような気がいたします。

先日、『時雨西行』の幕が開く前、花道から登場する師匠について揚幕に行き出番を待っているとき、師匠が、手にした小道具の笠を見ながら、「この前大和屋(玉三郎)さんと一緒に(この踊りを)やったときも、この笠だったかな?」と私にお聞きになりました。私は「(私が)入門する前のことですからちょっとわかりません」とお応えしたら「そんなに前のことなの!?」とちょっと驚かれておりました。前回の上演は平成九年六月で、私は研修生として客席から拝見していたわけですが、もう九年も前のことなんですね。

いたずらに日々を過ごしたくはございませんが、舞台に出ているうちに、時間の感覚が少しずつ世間様とズレてしまってゆくようで。「今日何曜日だった?」なんて会話を楽屋でしている有様です。

写真は名題下部屋入り口に掲げられている「名札」です。その月に出演している名題下俳優の名が表の黒字に、出ていない月は裏の赤字で識別されます。

今日は中日でした

2006年04月13日 | 芝居
四月大歌舞伎も折り返し地点に来ました。これまで、いそがしいながらも無事に勤められました。のこり半分も、この勢いで乗り切りましょう!
今日はちょっと困ったことがありました。ひどい肌荒れ対策に、皮膚炎薬を塗っていることは先日書きましたが、今日は昼の部の『沓手鳥弧城落月』での出番が済んで、化粧を落とした後にも塗っておいたんです。それからしばらくして、次の出番『関八州繋馬』の軍兵の化粧をしようと白粉を塗り出しましたら、全然つかない! どうやら皮膚炎薬が水を弾いてしまったようなんです。どうしようかと思ったのですが、地肌の色が透けるくらいに、ごくごく薄く塗ればよいお役なので、なんとかごまかせたのですが、さあその次の『井伊大老』の侍女への早ごしらえが大変でした。軍兵の化粧をクレンジングオイルで落としてぬぐい去り、これで皮膚炎薬もとれたかなと思ったんですが、やっぱり残っていたんですね。白粉を塗り、スポンジではたいてみても、顔中のいたるところがムラムラで、なんとも情けない有様でした。時間も迫っておりますので、粉白粉をはたいてごまかし(言葉は悪いですが)あとはいつも通り眉や目張り、口紅を書きましたが、つきムラのことが気になってしまい、集中力に欠けた仕上がりになってしまいました。まあ、至近距離でお客様から見られるわけではないので、それほど気にしなくてもいいはずなのですが、やはり舞台に出る以上は、納得のいく顔にしたいです。今日の出来事を教訓に、スキンケアと化粧のコンディションには十分注意したいと思います。

…今夜はこれから、重い腰を上げ三月末日よりおろそかになっていた部屋の片付けを再開しますので、短文にて失礼します。
写真は<奈落>です。

手先に集中!

2006年04月12日 | 芝居
『狐と笛吹き』は平安時代のお話ですので、師匠演ずる楽人春方を始め、登場する男達は、みな〈指貫袴(さしぬきばかま)〉をはき<狩衣>を着た格好となっております。師匠は五場全てに出ておりますが、その都度衣裳の色や柄が変わっているのは、ご覧頂いた方にはお判りになったかと思います。
春夏秋冬の移り変わりに合わせて、色あいに変化をつけているわけですが、「有職故実」や「襲ねの色目」に忠実に基づいているというわけではなく、この演目の初演時(昭和二十七年)に美術を担当なさった、高根宏浩氏がおたてになった衣裳プランをもとに、現在の演者や衣裳方さんの意見も加わり、今回の上演をむかえているわけでございます。今回の師匠の衣裳は、前回(平成十四年五月南座)と全く一緒ですが、第一場で着ている、玉子地に桜を散らしたデザインは、初演の春方役でいらした故市川寿海さんの時から変わらず続いているものです。
さて、衣裳が各場で変わるということは、舞台転換中の短い間に着替えが行われているというわけで、いわゆる<早ごしらえ>です。今回は、上手の揚幕の中に<こしらえ場>を作り、計四回の衣裳転換を行っております。白地紗綾型地紋の着付や襦袢はずっと着たままで、<狩衣>や<指貫袴>を取り替えることになるのですが、両方を取り替えるのは一回目と三回目の時。二回目は<指貫袴>はそのままで、<狩衣>だけをとりかえています。四回目は<狩衣>を脱がせて着付だけになり、袴の紐をわざと雑に結び、契りを結んだ後の雰囲気を出します。
衣裳の着付けは私がさせて頂いておりますが、時間的に一番いそぐのが一回目の着替え、つまり第一場から第二場に移る時です。第二場の幕開きからすでに舞台にいなくてはならないのですが、装置はあらかじめ第一場の裏にできていて、転換は舞台を回すだけで済んでしまうので、師匠のスタンバイを待って開けるようなかたちなんです。着付け自体に難しい作業はないのですが、<指貫袴>の紐や、<狩衣>の衣紋が抜けないように襟に付けられている隠し紐を結ぶのが、ちょいと手間がかかります。前回よりかは手早くできているとは思いますが、楽日までにはもっと早くできるようになりたいです。

一幕もので、これほど衣裳替えが忙しいお芝居も、珍しいのではないですかね。

聞こえてますか?

2006年04月11日 | 芝居
今月、色々な場面で「声の出演」をさせて頂いております。先日お話しした『井伊大老』の二つの〈唄〉もそうなんですが、『関八州繋馬』の二場目の「劇中口上」、夜の部の『六世中村歌右衛門五年祭追善口上』での〈東西触れ〉、そして『関八州繋馬』第一場の〈呼び〉です。〈東西触れ〉も〈呼び〉も以前ご説明いたしましたが、こと今回の〈呼び〉に関しては少々珍しいものでございまして、加賀屋(魁春)さん扮する如月姫実は胡蝶蜘の精が、音羽屋(菊五郎)さん演ずる源頼信を惑わすところへ、花道揚げ幕より「お帰りや~、お帰りや~」と〈呼び〉をいれ、それから襲名披露の六代目松江さん演ずる源頼平が颯爽と変化を退治に登場、となるという演出です。「お帰りや~」というフレーズも、まして二回繰り返して言うのも他に例がありませんが、普通一人で言うのを三人にしているのも、常とは違うところです。約四十年前の復活初演の時にこの演出ができたそうで、その時の舞台を録音したテープを聞かせて頂き、参考にいたしましたが、前回はずいぶんと陰気に、ゆっくり言っておりましたのが、「もっとキッパリ言ってほしい」というご注文が今回ございましたので、言い回しはだいぶ変えました。…前回の頼平役は師匠梅玉でしたので、この〈呼び〉は歌右衛門の大旦那のお弟子さんがなすったのでしょうか? 師匠に伺ってみようかな…。

一方〈東西触れ〉は何度もさせて頂いておりますが、「追善口上」では、はじめに一人だけで長く「と~ざ~い~」と言うのを勉強させて頂いております。常式幕が開き切るまでのばさなくてはならないので結構大変です。また、〈東西触れ〉らしい、力強くハッキリした声の出し方を出すのが、ふだん内に籠る発声が癖になっている私には難しいところで、いろいろ試しながら勤めておりますが、華やかな口上の幕開きをきちんと飾ることができているか、心配です。
〈東西触れ〉は、一幕の「口上」ですと「と~ざ~い~ とざい と~ざ~い~」と、東西を三回申しますが、今回の『関八州繋馬』でみられるような「劇中口上」ですと、「とざい と~ざ~い~」の二回になります。
はからずも、一日のうちにいろんな質の声を使い分けることとなりまして、もともと弱い喉が悲鳴をあげております。まあこれも試練、これからは高低自在の〈七色の声〉が出せるようになる…かもしれません。

毎日を楽しみたいです

2006年04月10日 | 芝居
今日は『沓手鳥弧城落月』の「二の丸乱戦の場」が開く前に、成駒屋(国生)さんの裸武者を中心に、関東、大阪の両武士が集合しての記念写真を撮りました。名題さんも一緒ですから、総勢四十人近くになりましたでしょうか。舞台装置の石段に座って撮ったのですが、「こんなにいっぺんに乗ったら(石段が)壊れちゃうんじゃない?」なんて声があがるほどの壮観さでした。これから闘う者同士が和気藹々として隣り合っているのですからなんとも不思議な光景でしたが、写真が出来上がるのが楽しみです。

普段の公演と比べて、とても忙しい一日を送っておりますが、今日で十日目となり、やっとペースをつかんできたかな、というところです。久しぶりに女形の化粧をいたしましたので、最初は大分肌が荒れてしまいましたが、先輩の女形さんから肌に負担をかけない化粧の落とし方や、良い皮膚炎の薬(あれがひどい時はクリームやローションだけでなく、ステロイドが入っていない皮膚炎薬でケアした方が良いのだそうです)を教えて頂き、おかげで見違えるように良くなってきました。
楽屋での食事も、今月は自分で作る余裕がないので買ったもので済ませています。健康維持だけは気をつけたいので、黒酢のドリンクや野菜ジュース、サプリメントも摂るようにしておりますが、はてさてこちらはどこまで効いているのやら。ともかくも、眠たくて仕方がなかった六時以降の楽屋生活が、だんだんと元気になってきましたので、このまま乗り切りたいものです。

ところで今月名題下の楽屋で盛り上がっておりますのが、負けたら参加者全員にジュースをおごるゲームです。皆様ご存知かとは思いますが、参加者がかけ声に合わせて任意にあげる親指の本数を当てる、勝ち抜けゲームです。楽屋の自販機のジュースは一本百十円ですが、参加者は毎回十数名ですから痛い出費です。今のところ負け知らずな私ですが、最後の二人に残ってしまった時は冷汗モノでした。今日も残り三人のところを辛くも抜け出しまして、連日危ない綱渡りです。
なんと幼稚! と呆れないで下さいね。とにかくすごい盛り上がりなんですから…。

写真は以前お話しした<集合場>です。昨年六月十九日付けの『出番までのひととき』をご参照下さい。

頭も様々

2006年04月09日 | 芝居
今日の写真は、『井伊大老』で私がかぶっているカツラです。
歌舞伎のカツラは以前お話ししましたように、銅板を土台にし、毛を植え付けた羽二重生地を張り付けるという形が大半なのですが、この写真のカツラは少々違います。これは〈アミ〉のカツラと申しておりまして、樹脂でできた柔らかい網状のものに毛を植えるので、そう呼ばれております。
〈アミ〉のカツラの特徴としましては、土台がアルミ板になるので目方が軽くなるのと、網自体が薄く、肌色なので、額からもみあげにかけては、毛を植えていない網だけのところを、土台より少しはみ出すようにする(下のアップ写真をご参照下さい)ことで、網が直接肌に触れ、化粧が透けて見えるので、生え際がより自然に見えるということでしょうか。

〈アミ〉のカツラは銅金が土台のカツラよりも、リアルで自然な印象をあたえます。ですので、新歌舞伎、新作の舞台で使われることが多いです。写真のように毛の色が栗色になることが多いのも、より現実に近付けるためなのでしょう(そもそもカツラに使われている真っ黒な毛だって、わざわざ黒く染めているんですよ)。
〈アミ〉のカツラをかぶるときは、化粧方も変わります。先程書いた通り、網は肌色をしていますので、白粉を塗る役でも真っ白にはせず、額やこめかみにかけては軽く紅をぼかして、顔の色と網の色がなじむようにします。また、もみあげの下に、墨で後れ毛を書き足してよりリアルに見せることもございます。
…今月は『井伊大老』の他に『狐と笛吹き』も〈アミ〉のカツラを使用しておりまして、これはどちらも昭和に生まれた作品なので納得ですが、面白いことに『曽根崎心中』は近松作品なんですが〈アミ〉なんですよね。戦後に初演(歌舞伎脚本として)されたからという事情もあるのでしょうが、なぜあえて〈アミ〉を選んだのか? 考えてみると不思議です。

ちなみに、写真のカツラの名前は〈文金(ぶんきん)〉。屋敷勤めの女の代表的な髪型です。
カツラの撮影、説明にあたりましては、床山さんに大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。

高いところで働いてます

2006年04月08日 | 芝居
師匠にとりまして二度目の上演となる『狐と笛吹き』。全五場の構成で、春夏秋冬折々の景色の中、狐と人間の悲しい恋物語が繰り広げられております。
狐が化身した、ともねという娘と、師匠演じる楽人春方が出会うのが第一場の春の野原。春方に請われて舞うともねに、桜の花が降り注ぎますが、これは以前にもお話しした通り、舞台の天井近く、照明機器を吊るした<簀の子>から、人の手で降らせておりまして、私と、成駒屋(福助)さんのお弟子さんたちとの計三人でやっております。踊りに合わせて、降らせる量を加減して、メリハリがつくようにいたしておりますが、降らせ始めからお客様の目に入るまでの時間差も考えなくてはならず、初日近辺は手探り状態でしたが、今はバッチリです。
それにしても、歌舞伎座の<簀の子>は高いです! しかも、なるほど<簀の子>と呼ばれている通り、足場も隙間だらけ。おまけに周りは暗いときているので、移動は慎重に行います。散らせる桜の花びらは、ビニル袋に入れて携帯しているのですが、うっかり隙間から落っことそうものなら、お芝居ぶち壊しなので、袋の端を自分の黒衣に結わえ付けて用心しております。
この<散り花>の他、第二場での飛び交う<蛍>も<簀の子>から操作します。ゆっくりとした点滅を繰り返す小さなライトをつけた細いコードを吊るし、手で上げ下げすることでそれらしく見せるのです。手元のスイッチで灯りを消せば、どこかに飛んで行ったことになります。
第三場では<枯れ葉>も落ちてきますので、このお芝居、短いながらも<高所につき危険>の作業が沢山ある演目です。

舞台で繰り広げられているお芝居を真上から見下ろすと、なかなか新鮮です。ナントカは高いところが好きだそうですが、私、居心地が悪いと感じることは全然ありません(むしろ楽しんでいたりして)。


文字通り乱れ乱れて…

2006年04月07日 | 芝居
拘束時間は長いものの、立て続けに仕事があるせいか、一日があっという間に過ぎてゆきます。気がつけば初日からもう一週間ですね。
『沓手鳥弧城落月』の「二の丸乱戦の場」で、部屋子披露の梅丸と立ち回りをしているのは以前にもお伝えしました。幕が開くとすでに関東(徳川)方、関西(豊臣)方の武士が入り乱れての戦の最中。その大勢の武士がいったん上手下手にはけると、城壁に立てかけてあった矢受けの板の陰から、幼いながらも鎧に身を固めた、梅丸勤める武者が辺りを窺いながら出てくる。とそこに、上手から関東方の武士二人(梅二郎さんと私)に追われ、深手を負った関西方武士(梅蔵さん)が出てきて立ち回りを始めます。梅蔵さんが絶体絶命となったそのとき、梅丸が果敢に飛び込み窮地を救い、子供相手に油断した私の足を斬り、無事梅蔵さんを救い出すという設定になっております。
この「乱戦」の立ち回りは、歌舞伎の立ち回りの中では非常にリアルなもので、形の綺麗さよりも迫力、勢いを大事にいたします。普段の古典演目の立ち回りでは、<ヤ声>といって、「ヤァ」とか「ヤッ」という声をかけながら、我々カラミは動きますが、この演目では、よりリアルに、雄叫びというか気合いというか、文字では表しにくい声を発することが多くなります(頻繁に発していると声が枯れてしまうことも…)。
我々名題下が着ている<武士>の衣裳が、関東方と関西方で違うのはお気づきでしょうか? 関東方は、<胸鎧>と申しまして、前半分のみの鎧をつけ、頭には額部分に金属の板を縫い付けた<鉢金>を巻いておりますが、関西方は胸鎧を簡略化した歌舞伎独自の装束<スルメ>をつけ、頭はただの晒を鉢巻き状にして巻いただけなのです。これは、関東勢は豊富な戦力と準備時間に恵まれているが、関西勢は不意の攻撃にあい、圧倒的に戦力が不足しているのを表現しているのです。加えて申せば、この場の武士の化粧は、戦場ということもあり、墨や茶色で顔を汚したり、紅で傷をつけるなど、やはりリアルなものになるのですが、関東方は関西方よりも顔を汚さない(ということは優位に闘っているということ)ものなのだそうです。

私今回で「乱戦」に出るのは三回目なんですが、一回目は、公演二日目で骨折のため休演してしまいましたので、数に入れるのはおかしいかもしれません。前回は平成十四年四月の歌舞伎座。中村屋(勘太郎)さん演ずる<裸武者>にかかる武士をさせて頂きました。「乱戦」中一番激しく長い立ち回り。四人でからむのですが、みんな汗だく、息も上がって大変でした。でも一幕中の見せ所で、存分に暴れることができて(その時の立師さんから『これは行儀よくやっちゃダメだ』と言われました)、毎日楽しく心地よい疲れを味わえました。今回も、パートは違えど、一門四人だけの見せ場をご用意して頂けて、有り難い思いでいっぱいですが、梅丸の披露の場ですから、あくまで梅丸がかっこ良く見えるように、気を配りたいと思っております。

ちなみに今回の「乱戦」の装置ですが、今まで上手側にあった大門が下手に移り、正面真っすぐに作られていた石段が、下手斜め向きに変わっております。この変更の理由を知りたいものですが、いまだ果たせずにおりまして、今度大道具さんに聞いてみようと思います。

名題下部屋総出演といってもいい「乱戦」、是非ご観戦下さいませ!
…写真は小道具の<死体>です。最初から最後まで、倒れっぱなしです(当たり前か)。

舞台裏での早変わり?

2006年04月06日 | 芝居
今日は『伊勢音頭恋寝刃』のお話を。
このお芝居の二場目「奥庭の場」で、大勢の踊り子による<伊勢音頭>の踊りがございます。二十人近い踊り子が、そろいの衣裳に身を包み、本舞台と、上手下手の屋体の間の渡り廊下(通天。つうてんと申しております)に並んで、ゆったりとした下座囃子に合わせ、団扇を手に二人一組の振りを見せているところへ「人殺し~」の声。踊り子達が「アレェ」と悲鳴を上げて引っ込むと上手屋体の丸窓を突き破って福岡貢が登場ー。これからはじまる惨劇を際立たせる素晴らしい演出です。
この<踊り子>、実は前の「油屋の場」に出ている<仲居>役の役者が引き続いて出演しているのをご存知でしょうか? 広い歌舞伎座の大舞台いっぱいに踊り子を並べようとすると、名題、名題下の女形さんは総動員。ときには立役の役者もこの役に出るくらい(私も一度出ました)ですから、仲居だけでさようなら、というわけにはゆかないようですね(もちろん例外はありますが)。
今回仲居役は名題下からでておりまして、全員で七名。この人たちは出番が済むとすぐさま扮装転換となります。衣裳も違えばカツラも違いますし、仲居は素足ですが踊り子では足袋もはかなくてはなりません。こうした拵え替えを、いちいち三階の大部屋に戻ってやっていては、移動の時間がもったいないですし、大勢の役者がいっぺんに着替えるスペースもないので、写真のように、舞台裏にすでに作られた「奥庭の場」に、上敷という細長いゴザ上のものを敷いて、<こしらえ場>を作っているのです。
上敷の上にあるのはこれから着る踊り子の衣裳。別の場所にはカツラも置いてあります。きっかけになるとこの<こしらえ場>に五、六人の衣裳さん、二、三人の床山さんがスタンバイし、駆け込んでくる役者の衣裳を脱がして、着せて、カツラをかけて…と、手際よい作業がどんどん繰り広げられるのです。こうして扮装がすっかり変わった七人に、<踊り子>のみの出演の名題さん、名題下が合流し、いざ本番、となるわけです。
ちなみに、踊り子の衣裳は、水色地縮緬に流水と盃の模様の着付、紫地に三笹模様を散らした振り下げ帯。流水と盃のデザインは、小道具の団扇から「油屋の場」の暖簾、衝立、仲居の前掛けにまであしらわれております。涼しげで、いかにも<夏芝居>(といっても今は春ですが)にぴったり、というような模様ですね。

音頭の振付けは、主演の俳優さんによって変わります。最近の例で申しますと、成田屋(團十郎)さんが貢をなすった時は市川流、大和屋(三津五郎)さんが貢をなすった時は坂東流でした。今月は松嶋屋(仁左衛門)さんの貢ですが、宗家藤間流の振付けです。どちらにしても、大勢で揃った踊りを見せるのは、簡単なことではございません。

このお芝居が終わった後は、楽屋風呂や洗面台は大混雑。順番待ちになってしまいますが、なにせ切狂言に選ばれることが多いものですから、早く帰りたい人にとってはつらいところです…。

速報! 『第十二回 稚魚の会・歌舞伎会合同公演』

2006年04月04日 | 芝居
この度、『第十二回 稚魚の会・歌舞伎会合同公演』の、演目、配役が決定し、仮チラシも出来上がりましたので、ここにいち早くお知らせいたします! 例年通りA班、B班のダブルキャストです。

一、澤村田之助師=指導      
  『修禅寺物語』   面作師夜叉王   A、坂東 悟   B、尾上松五郎
            源左金吾頼家   A、中村蝶之介  B、中村梅之
            夜叉王姉娘かつら A、尾上徳松   B、澤村由蔵
            同  妹娘かえで A、市川喜昇   B、中村竹蝶
            かえでの婿春彦  A、中村獅一   B、尾上隆松
            下田五郎景安   A、中村吉二郎  B、中村獅之助
            金窪兵衛尉行親  A、澤村紀義   B、中村芝紋
            修禅寺の僧    A、尾上松五郎  B、坂東 悟

二、藤間勘祖師=振付
  『廓三番叟』    傾城千歳太夫   A、尾上みどり  B、中村仲四郎
            振袖新造梅里   A、坂東翔太   B、嵐徳江改め
                                中村まつ葉
            太鼓持藤中    A、中村梅秋   B、中村蝶三郎

  『願絲縁苧環』   烏帽子折求女   A、中村歌松改め B、澤村伊助
                       中村春花    
            入鹿妹橘姫    A、中村京珠   B、中村福緒
            杉酒屋娘お三輪  A、澤村國久   B、中村京三郎

  『三社祭』     漁師浜成/善玉  A、市川段一郎  B、中村富彦
            漁師武成/悪玉  A、澤村國矢   B、市川左字郎

三、松本錦吾師=指導
  中村吉之丞師=指導
  『双蝶々曲輪日記』 南与兵衛
      ~引窓~  後に南方十次兵衛 A、嵐橘三郎   B、市川猿琉
            女房お早     A、中村仲之助  B、中村春之助
            濡髪長五郎    A、中村吉六   B、市川茂之助
            母お幸      A、片岡嶋之亟  B、中村歌女之丞
            平岡丹平     A、中村蝶三郎  B、中村吉二郎
            三原伝造     A、尾上隆松   B、中村梅秋  


公演は八月二十四日(木)~二十七日(日)までの四日間。昼夜二回公演ですが、
二十四 ヒルA/ヨルB
二十五 ヒルB/ヨルA
二十六 ヒルB/ヨルA
二十七 ヒルA/ヨルB の順で上演いたします。

…今年も師匠の持ち役を勉強させて頂けることとなり、本当に有り難いことでございます。この夏も、沢山沢山学びたいです! また、今回は若手が多い座組となりました。未熟なところも多々あるかとは存じますが、一同、新鮮な気持ちで取り組んでまいり、少しでもお客様に喜んで頂けるよう努力致しますので、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております!   

唄はF♯で?

2006年04月03日 | 芝居
各役とも、だいぶ落ち着いて演じることができてきました。『沓手鳥弧城落月』の立ち回りが上手くいくかが、毎日とても心配なのですが、今日はテンポもよく、まとまりがでて良かったです。

さて今日は『井伊大老』のお話を。私は<侍女>役をさせて頂いておりまして、舞台へ<褥(しとね。いわば座布団)>や、お銚子や三つ組みの杯が載ったお膳を運んだりしておりますが、もう一つ大事な仕事が<唄>でございます。舞台は雛祭りの宵。主人の井伊直弼が久しぶりに館へ帰ってきたので、召使い達も心うき立ち、白酒に酔ったのか、遠くから賑やかに唄い騒ぐ声が聞こえてくる、という場面が、まず中盤にございます。

♪あんの山から こんの山へ 飛んで出たるは何じゃるろ 細うて長うて ぴんと跳ねたを ちゃっとすいした 兔じゃ♪

笑い声も交えながら、陽気に唄う声が、井伊直弼や奥方のお静の方の心もなごませます。

そして幕切れ。夜は深まり、燭台の火も消えかかるころ、どこか物悲しく聞こえてくるのは…。

♪はんま(浜)千鳥の 友呼ぶ声は ちりやちりちり ちりやちりちり ちりやちりちり ちりやちりちり♪

どちらも、舞台上で唄うのではなく、下手の舞台袖で、侍女役全員で唄います(扮装はしたまま)。最初の♪あんの山から…の唄は、老女雲の井役の中村歌江さんもご一緒です。
女が唄っているわけですので、調子(キー)は高くしなくてはなりません。その上で、最初の唄は陽気に明るく、最後の唄はどこか物悲しく、というように唄い分けなくてはならないのが難しいです。最初の唄は、唄う、というよりかは、手拍子と一緒に囃すという感じですので、各人好き勝手の調子、声量でいいのですが、♪はんま千鳥…の唄は、以前も申しました通り、伴奏音楽がない状態で、きっかりユニゾンで唄わなくてはなりません。五人の侍女役の役者同士で相談し、一番出しやすく、かつ高い調子を決めまして、毎日それでやっておりますが、私が持っていた、三味線用の調子笛が、思わぬところで役に立っています。
とはいえいきなりそのキーで唄い出せ、といわれても不安でいっぱい。まして裏声に近い発声ですから不安定になりがち。でも緊張してしまっては出る声も出なくなってしまいますので、皆々度胸と開き直りで唄っている次第です。

役者自身が唄う唄が、芝居の雰囲気作りに一役買っている芝居というのは、それほど多くはないでしょう。古典演目では、大抵黒御簾での、長唄の唄方さんによる<独吟>になったりいたしますし、他所から音曲が聞こえてくるという意味での、清元節や義太夫節の<余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)>なんてものもございます。また新歌舞伎でも、録音の音源を流すという方式になることもままございます。
…私達の唄、お芝居の雰囲気を壊すことなく、綺麗に聞こえていますでしょうか?

大事な出演者?

2006年04月02日 | 芝居
今日は『狐と笛吹き』や『井伊大老』でちょっとハプニングがあったりしましたが、芝居は概ね軌道に乗ってきた感じです。私の女形の化粧も、余裕ができたので丁寧に仕上げることができました。まずは滑り出し快調、といったところでしょうか。

さて、本日の写真は『狐と笛吹き』の第五場で使われております小道具、<狐のぬいぐるみ>でございます。師匠が勤める楽人春方が、成駒屋(福助)さん演ずる、春方の亡き妻の面影そっくりの、ともねという女に化身した狐と、禁じられた男女の契りを交わしてしまったため、狐は死んでしまい、春方も自ら命を断つという、悲しい場面で使われておりまして、死んで元の姿に戻ってしまった様は、このぬいぐるみで表現しております。
第五場の幕が上がると、本舞台の真ん中に、<小袿(こうちき)>という衣裳に身を包み、<檜扇>で顔が隠れた状態で倒れている姿が、月明かりに照らし出されています。そこに春方がたどり着き、もしやと思い檜扇をとると狐の顔…。というわけですが、<小袿>や<檜扇>は前の場で成駒屋さんが使われていたものをそのまま使い、ぬいぐるみに着せたり舞台にセットするのは、私がいたしております。短い暗転時間中に、さも力つきて倒れたように、そして見た目がよいように、<小袿>の袖や裾の形に気をつけながら置かなくてはならないので、ちょっとせわしないのですが、同じ仕事は五年前にもいたしておりますので慣れてはおります。今回は師匠から、なるべく狐の顔だけを出すようにしてほしいとのご注文なので、あとで春方が抱き上げた時にも首から下が出てこないように、<小袿>の襟もとを、ぬいぐるみの首のところで、襟止めを使ってきつめに留めるように工夫いたしました。
そういうわけですのでこのぬいぐるみ、首から下は全くお客様には見えないので、手足などはあまりリアルにできてはおりませんけれど、全く問題なしなのです。持ち上げるとプ~ラプ~ラしちゃって、ちょっと笑えます。逆に首の部分は、抱いた時にだらんとしないように、固い芯が入っております。
ちなみにこの演目では、これまでの上演では、もっぱら白狐のぬいぐるみが使われておりましたが、師匠は五年前に初役でなさったおりから、写真のように茶色い毛の狐を使用しております。白狐よりもリアルな雰囲気で、実感が湧きますね。咽元は毛色が違いますが、これも舞台稽古では真っ白だったのを、この場の春方の衣裳と同じ色で目立たないので、薄い鼠色に変更しました。

死んでいるのでちゃんと目もつぶっていますが、なんとなく可愛らしい表情ですよね。


十二時間カン詰めですが

2006年04月01日 | 芝居
本日初日の舞台が無事に終わりました。午前九時半楽屋入り、午後九時半過ぎに退出するまで、一歩も表に出られないという、この世界に入って初めて体験する楽屋生活でした。師匠の仕事も、自分の役も、まずは問題なくこなすことができ安心しております。
心配だった『関八州繋馬』から『井伊大老』への早ごしらえも、とても順調にできましたので、明日からはもっと落ち着いて、焦らずに化粧ができそうです。名題下部屋の周りの方から「(化粧が)早いね~」と言って頂けましたが、これはひとえに、昨年九月の<歌舞伎フォーラム公演>での経験から得たものでしょう。もちろん、早ければ良いというものではございませんから、今後はもっと丁寧に、綺麗に仕上げます。

各々の演目については…今日の段階では、まだお話しできるほどの余裕がございません。明日以降、ゆっくりと考えながらお伝えして参りたいです。
とにかく今日はバタバタとした一日でした。帰宅後缶ビールを一本空けただけでフワフワです。失礼ながら、短文にて。