拘束時間は長いものの、立て続けに仕事があるせいか、一日があっという間に過ぎてゆきます。気がつけば初日からもう一週間ですね。
『沓手鳥弧城落月』の「二の丸乱戦の場」で、部屋子披露の梅丸と立ち回りをしているのは以前にもお伝えしました。幕が開くとすでに関東(徳川)方、関西(豊臣)方の武士が入り乱れての戦の最中。その大勢の武士がいったん上手下手にはけると、城壁に立てかけてあった矢受けの板の陰から、幼いながらも鎧に身を固めた、梅丸勤める武者が辺りを窺いながら出てくる。とそこに、上手から関東方の武士二人(梅二郎さんと私)に追われ、深手を負った関西方武士(梅蔵さん)が出てきて立ち回りを始めます。梅蔵さんが絶体絶命となったそのとき、梅丸が果敢に飛び込み窮地を救い、子供相手に油断した私の足を斬り、無事梅蔵さんを救い出すという設定になっております。
この「乱戦」の立ち回りは、歌舞伎の立ち回りの中では非常にリアルなもので、形の綺麗さよりも迫力、勢いを大事にいたします。普段の古典演目の立ち回りでは、<ヤ声>といって、「ヤァ」とか「ヤッ」という声をかけながら、我々カラミは動きますが、この演目では、よりリアルに、雄叫びというか気合いというか、文字では表しにくい声を発することが多くなります(頻繁に発していると声が枯れてしまうことも…)。
我々名題下が着ている<武士>の衣裳が、関東方と関西方で違うのはお気づきでしょうか? 関東方は、<胸鎧>と申しまして、前半分のみの鎧をつけ、頭には額部分に金属の板を縫い付けた<鉢金>を巻いておりますが、関西方は胸鎧を簡略化した歌舞伎独自の装束<スルメ>をつけ、頭はただの晒を鉢巻き状にして巻いただけなのです。これは、関東勢は豊富な戦力と準備時間に恵まれているが、関西勢は不意の攻撃にあい、圧倒的に戦力が不足しているのを表現しているのです。加えて申せば、この場の武士の化粧は、戦場ということもあり、墨や茶色で顔を汚したり、紅で傷をつけるなど、やはりリアルなものになるのですが、関東方は関西方よりも顔を汚さない(ということは優位に闘っているということ)ものなのだそうです。
私今回で「乱戦」に出るのは三回目なんですが、一回目は、公演二日目で骨折のため休演してしまいましたので、数に入れるのはおかしいかもしれません。前回は平成十四年四月の歌舞伎座。中村屋(勘太郎)さん演ずる<裸武者>にかかる武士をさせて頂きました。「乱戦」中一番激しく長い立ち回り。四人でからむのですが、みんな汗だく、息も上がって大変でした。でも一幕中の見せ所で、存分に暴れることができて(その時の立師さんから『これは行儀よくやっちゃダメだ』と言われました)、毎日楽しく心地よい疲れを味わえました。今回も、パートは違えど、一門四人だけの見せ場をご用意して頂けて、有り難い思いでいっぱいですが、梅丸の披露の場ですから、あくまで梅丸がかっこ良く見えるように、気を配りたいと思っております。
ちなみに今回の「乱戦」の装置ですが、今まで上手側にあった大門が下手に移り、正面真っすぐに作られていた石段が、下手斜め向きに変わっております。この変更の理由を知りたいものですが、いまだ果たせずにおりまして、今度大道具さんに聞いてみようと思います。
名題下部屋総出演といってもいい「乱戦」、是非ご観戦下さいませ!
…写真は小道具の<死体>です。最初から最後まで、倒れっぱなしです(当たり前か)。
『沓手鳥弧城落月』の「二の丸乱戦の場」で、部屋子披露の梅丸と立ち回りをしているのは以前にもお伝えしました。幕が開くとすでに関東(徳川)方、関西(豊臣)方の武士が入り乱れての戦の最中。その大勢の武士がいったん上手下手にはけると、城壁に立てかけてあった矢受けの板の陰から、幼いながらも鎧に身を固めた、梅丸勤める武者が辺りを窺いながら出てくる。とそこに、上手から関東方の武士二人(梅二郎さんと私)に追われ、深手を負った関西方武士(梅蔵さん)が出てきて立ち回りを始めます。梅蔵さんが絶体絶命となったそのとき、梅丸が果敢に飛び込み窮地を救い、子供相手に油断した私の足を斬り、無事梅蔵さんを救い出すという設定になっております。
この「乱戦」の立ち回りは、歌舞伎の立ち回りの中では非常にリアルなもので、形の綺麗さよりも迫力、勢いを大事にいたします。普段の古典演目の立ち回りでは、<ヤ声>といって、「ヤァ」とか「ヤッ」という声をかけながら、我々カラミは動きますが、この演目では、よりリアルに、雄叫びというか気合いというか、文字では表しにくい声を発することが多くなります(頻繁に発していると声が枯れてしまうことも…)。
我々名題下が着ている<武士>の衣裳が、関東方と関西方で違うのはお気づきでしょうか? 関東方は、<胸鎧>と申しまして、前半分のみの鎧をつけ、頭には額部分に金属の板を縫い付けた<鉢金>を巻いておりますが、関西方は胸鎧を簡略化した歌舞伎独自の装束<スルメ>をつけ、頭はただの晒を鉢巻き状にして巻いただけなのです。これは、関東勢は豊富な戦力と準備時間に恵まれているが、関西勢は不意の攻撃にあい、圧倒的に戦力が不足しているのを表現しているのです。加えて申せば、この場の武士の化粧は、戦場ということもあり、墨や茶色で顔を汚したり、紅で傷をつけるなど、やはりリアルなものになるのですが、関東方は関西方よりも顔を汚さない(ということは優位に闘っているということ)ものなのだそうです。
私今回で「乱戦」に出るのは三回目なんですが、一回目は、公演二日目で骨折のため休演してしまいましたので、数に入れるのはおかしいかもしれません。前回は平成十四年四月の歌舞伎座。中村屋(勘太郎)さん演ずる<裸武者>にかかる武士をさせて頂きました。「乱戦」中一番激しく長い立ち回り。四人でからむのですが、みんな汗だく、息も上がって大変でした。でも一幕中の見せ所で、存分に暴れることができて(その時の立師さんから『これは行儀よくやっちゃダメだ』と言われました)、毎日楽しく心地よい疲れを味わえました。今回も、パートは違えど、一門四人だけの見せ場をご用意して頂けて、有り難い思いでいっぱいですが、梅丸の披露の場ですから、あくまで梅丸がかっこ良く見えるように、気を配りたいと思っております。
ちなみに今回の「乱戦」の装置ですが、今まで上手側にあった大門が下手に移り、正面真っすぐに作られていた石段が、下手斜め向きに変わっております。この変更の理由を知りたいものですが、いまだ果たせずにおりまして、今度大道具さんに聞いてみようと思います。
名題下部屋総出演といってもいい「乱戦」、是非ご観戦下さいませ!
…写真は小道具の<死体>です。最初から最後まで、倒れっぱなしです(当たり前か)。